劉丹_(趙の太子)

ページ名:劉丹_(趙の太子)
曖昧さ回避この項目では、前漢の趙の太子丹について記述しています。その従弟の安衆康侯については「劉丹」をご覧ください。

叔父の武帝によって廃嫡された太子丹

劉丹(りゅう たん、生没年不詳)は、の皇族のひとりで、趙敬粛王の劉彭祖と淖姫[1]との嫡長子で、世宗武帝(劉徹)の甥にあたる。幼名は「淖子」である。

頃王の劉昌・平干頃王の劉偃・尉文節侯の劉丙・封斯戴侯の劉胡傷・榆丘侯の劉受福・襄嚵侯の劉建・邯會衍侯の劉仁・朝節侯の劉義・東城侯の劉遺・陰城思侯の劉蒼・邯平侯の劉順・武始侯の劉昭・象氏節侯の劉賀・易安侯の劉平・柏暢戴侯の劉終古・歊安侯の劉延年・漳北侯の劉寬・南龻侯の劉佗・南陵侯の劉慶・鄗侯の劉舟・安檀侯の劉福・爰戚侯の劉當(劉当)・栗節侯の劉楽・洨夷侯の劉周舍・猇節侯の劉起・揤裴戴侯の劉道の兄、劉廖の父。

概要[]

趙の太子となり、家臣の江充(江斉)の歌舞で美貌な妹を娶った。しかし、彼は父の側室と密通しており、さらに近侍から江充が父に讒言したと聞いてこれを疑い、江充の父と兄を捕らえて、これを処刑した。

太子の劉丹を恨んだ江充は、復讐のために長安に向かい劉丹の叔父である武帝に劉丹が姉や父の側室らと姦淫し、また趙の土豪らとともに悪事を働いていると上奏した。奇抜な服装をした江充を見た武帝はそれを聞いて激怒し、軍勢を派遣して、趙王の宮殿を包囲して、甥の劉丹を逮捕した。

武帝が劉丹の母方の伯父である宦官の淖某から、甥の劉丹とその生母の噂を聞いて、廷尉に取り調べさせところ、彼の行為は死罪に相当した。それを聞いた父の劉彭祖は驚愕して、弟の武帝に対して自ら匈奴(トルコ系)遠征で戦功を挙げたいと嘆願して、息子の劉丹の助命をした。だが、武帝は兄の嘆願を聞き届けなかったが、紀元前94年に恩赦があり、甥の劉丹は助命されたが、その弟の武始侯の劉昌を改めて趙の太子とさせて、劉丹を廃嫡にして、代わって武始王に封じたのである。

以降の劉丹の動向は不詳である。

脚注[]

  1. 劉丹の叔父の江都易王の劉非(劉彭祖の弟)の側室で、その子の煬王の劉建(劉丹の従兄)と密通した。だが、紀元前121年に劉建の悪事が叔父の武帝に露見されると、劉建は自決して果てて、父の劉彭祖の正室となり、その間に劉丹が生まれたのである。同時に彼女の兄は宦官として武帝に仕えていた。


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