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曖昧さ回避 | この項目では、漫画家のかがみあきらについて記述しています。小説家のかがみあきらについては「鏡明」をご覧ください。 |
かがみあきらの自画像
かがみ あきら(1957年10月22日 - 1984年8月8日)は、日本の漫画家。本名は鏡味 晃。他のペンネームとしては、「かがみ♪あきら」をはじめ、「あぽ」および「山田栄子」などがあった。
同世代のまつもと泉とともに80年代のアニメ的なものと漫画的なものの融合を確立した。
愛知県名古屋市出身。市立名古屋商業高等学校を経て、埼玉県草加市に住居をしながら獨協大学法学部を卒業した。
1979年1月に、投稿作品を少女漫画雑誌の『ぶ〜け』(集英社)に投稿した。
翌1981年2月に、編集者の紹介で、『石森プロ』に入社して、石ノ森章太郎のアシスタントになった。これが契機となって、メカニック・デザイナーの出渕裕を始め、アニメ・漫画業界の関係者などと交流をした。
1982年に、『クラリスメモリー未来編』(ラポート・デラックス5 カリオストロの城大事典)のイラストで商業デビューした。なお、実質上の商業デビューはその前の『戦闘メカ ザブングル曲解大辞典』(アニメック)の内カットであった。同年12月に、連載の決定に伴って『石森プロ』を退社した。
1983年に、初の連載作品の『ワンダートレック』(コペル21)を連載開始した。それと前後して、各誌に漫画やイラストなどを発表した。
1984年8月1日[1]に、「あぽ」名義の単行本の『ワインカラー物語』(白夜書房)が刊行された。これがかがみの生前に発行された最後の単行本となる。同月5日ごろに体調を崩し、8日ごろに意識を失くし、9日午後に、マンションの自室で亡くなっているのが発見された。享年26[2]。
かがみ亡き後の翌1985年に、『さよならカーマイン』(ラポート)が刊行された。表題作の他に、初期作品の『故郷を求めて』・『クラリスメモリー未来編』・未完作品である連載『はいぱぁ あくてぃぶ』などが収録された。
1985年~1986年にかけて、遺作集『かがみあきらコレクション』・『かがみあきらコレクション2』が同人誌として刊行されている[3]。
1994年に、没後10年を記念して、かがみを尊敬していたうたたねひろゆきらによる追悼本の『かがみのくに』が頒布された。
2004年12月に、『ワインカラー物語 - かがみあきら選集』(角川書店)が刊行された。
かがみあきらの訃報の自画像
かがみは、1980年代前半に精力的に活動しコアな人気を得ていた漫画家であるが、早世したこともあり、職業漫画家としての実働期間はわずか2年半足らずであった。
本名をかな表記した「かがみあきら」で「SF」系作品を発表する一方、“弟”というふれこみで別人を装って「あぽ」の筆名を併用しつつ、『漫画ブリッコ』・『プチアップルパイ』などの雑誌でも活躍し、当時の「美少女・ロリコン・エロ漫画」ブームの中で異彩を放つ作品を執筆していた。ただし、どちらの名義においても、現在で言う「アダルト漫画」に相当する作品は発表していない。
漫画化として一本立ちする前には『石森プロ』に籍を置いたことがあり、『スタジオぬえ』でメカデザインも担当した。出渕裕・ゆうきまさみ・美樹本晴彦などとも親交があった。単行本『さよならカーマイン』に掲載された解説によれば、『超時空要塞マクロス』や『日本サンライズ』のアニメ作品などに携わっている。また掲載のインタビュー記事では富野由悠季が、かがみあきらを評価していた旨のコメントをしている。
前述のように、かがみが1984年8月8日ごろに26歳の若さで急逝したため、『漫画ブリッコ』1984年10月号に編集長の大塚英志の追悼コメントが掲載されており、これによれば、かがみが東京都新宿区高田馬場のマンションの自室で死後2日経過して発見されたとあり、つまりは現在で言うところの孤独死である。このこともあって、かがみの死因には諸説があり、やって来る仕事をほとんど断らなかった事が後の災いとなった過労死とも、眠気覚ましのためにシャワーを浴びたが体を拭かずに冷房を掛けたままの部屋で居眠りしてしまった事が原因での凍死とも言われるが、いずれにしてもかかみの死因は過労によるオーバーワークの状態で体調を崩していたとされる[4]。「あぽ」名義の日記漫画『月刊あぽすとろふぃ』最終話でも、「仕事がないと不安なので、つい力んでしまう…」と記している。なお、亡くなった年の6月30日の時点で体調の悪さを友人である作家の佐野邦彦に伝えていた。
かがみ個人はビデオやオーディオ機器に強い興味を抱いていた。洋楽…特にロックなどに造詣が深く、『Yes(イエス)』大のファンでもあった。そのため、後期の作品群にはキャラクターの衣服や背景の一部などに「Yes Lonely heart」の書き込みがなされていた。『はいぱぁ あくてぃぶ』第2回の扉絵は『Yes』のアルバムの『究極』のジャケットが元になっている。他に『レディ・キッド&ベヴィボウイ』の主人公・ボウイの自称がデヴィッドだったりと(つまり併せて「デヴィッド・ボウイ」)、洋楽ネタをマルチに披露している。かがみの早世をを報じた『漫画ブリッコ』1984年10月号に掲載されたエッセイ漫画『月刊あぽすとろふぃ』でも、多忙の中でテクノロック[5]のハウァード・ジャォーンズのコンサートを観覧したことが描かれている。
また、当時にゆうきや出渕裕らと同様に原田知世のファンでもあった[6]。
2011年現在、かがみあきら(あぽ)の単行本は、『ワインカラー物語 - かがみあきら選集』(角川書店)を除き、絶版・入手困難となっている。以下は主な作品の参考リストである。
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