竹内家

ページ名:竹内家
曖昧さ回避この項目では、清和源氏の嫡流および、藤原北家冷泉家一門の藤谷家の庶家である公家貴族(堂上家)の竹内家について記述しています。その他の氏族については「竹内氏」をご覧ください。

竹内家の家紋の「松皮菱」

竹内家(たけのうちけ)は、清和源氏の嫡流である公家貴族(堂上家)である[1]源経基経忠経義/経明)父子を祖とする[1]

目次

概要[]

鎌倉時代に、経忠の6世の孫である信治(左近将監)・氏治(竹内大夫)父子の代に竹内家と称したことからはじまったが、昇殿を許されない地下家であった。

戦国時代に、遠縁筋の久我家(村上源氏)の諸大夫であった季治(義治/当治)の代に、1560年正月に、同じく遠縁筋の足利将軍家の義輝の上奏によって、正三位・大膳大夫・宮内少輔となり、殿上を許される堂上家に昇格した。しかし、季治は時の権力者の織田信長に対して、「いずれは信長は熟したイチジクの如く、木より地上に落ちるだろう」と予言した。これを耳にした信長は激怒して、1571年に季治を捕らえて、近江国永原[2]で処刑した。このとき季治は、享年55であった[3]

季治の玄孫である維庸は冷泉派の歌人で歌道の名人である。維庸の子の維康は嗣子がなかったために、藤原北家流冷泉家一門の藤谷為茂の次子である維永を維庸の婿養子に迎えた。以降の竹内家は実質的に藤原北家流冷泉家一門の藤谷家の庶家に属する和歌の家門となった。

竹内家はの家格は半家で、家業は弓箭と笙と和歌。極官は正三位非参議であったが、孝治(維庸の祖父)・維庸・維永(維庸の外孫、藤谷為茂の子)は従二位に任じられた。

竹内家は、明治時代まで在続して、華族となり、子爵の地位を賜った。庶家には、源姓竹内家からは垪和(はが)家と杉山家などが、藤姓竹内家からは鶴田家などが出た。

歴代当主[]

  1. 源経基
  2. 源経忠経義/経明)
  3. 源経高
  4. 源維経
  5. 源経氏
  6. 源経治
  7. 竹内信治(左近将監)
  8. 竹内氏治(竹内大夫) : 信胤の兄
  9. 竹内仲治
  10. 竹内清治 : 和治の兄
  11. 竹内重治 : 為治(垪和家・杉山家の祖)の兄
  12. 竹内豊治
  13. 竹内基治 : 為就の弟、幸治(久幸の父)の兄
  14. 竹内秀治
  15. 竹内季治(義治/当治・大膳大夫/宮内少輔) : 懐元の兄
  16. 竹内長治
  17. 竹内孝治
  18. 竹内俊治 : 義純の兄
  19. 竹内維庸
  20. 竹内維康 : 嗣子がなく、藤谷家から義弟の維永が家督を継いだ
  21. 竹内維永 : 羽林家の藤谷為茂の次子
  22. 竹内維重 : 維庸の外孫、相康・相永・維叙(維敍)・維久の兄
  23. 竹内維久 : 維永の末子、長兄の維重の養子となる
  24. 竹内維栄
  25. 竹内維徳
  26. 竹内維敬 : 嗣子がなく、外従弟の維和が家督を継いだ
  27. 竹内維和 : 一族の藤谷為脩の次子、維栄の外孫、維徳の養子
  28. 竹内治則
  29. 竹内維忠 : 藤堂高成(藤堂高節の養子)・維茂の兄
  30. 竹内維治 : 維斌の兄
  31. 竹内維斌 : 維治の弟で養子
  32. 竹内維貞 : 維能・維徳・維隼の兄
  33. 竹内貞幸 : 現当主
  34. 竹内貞敬

脚注[]

  1. 1.01.1 『陽成源氏の幻想』(宝賀寿男/姓氏と家紋56号/1989年)
  2. 現在の滋賀県長浜市西浅井町大浦大字羽部あたり
  3. イエズス会の宣教師でポルトガル人のガスパル・ヴィレラ(Gaspar Vilela)の『耶蘇会士日本通信』より。

関連項目[]



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