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甘夫人、左は寇氏
皇思夫人(こうしふじん、? - 209年)は、『三国志』に登場する女性。姓は甘氏で、諱は梅(めい)[1]。「甘夫人」「甘皇后」とも呼ばれる。
蜀漢(蜀)の烈祖穆帝(先主)の劉備の側室で、劉封[2]・劉公仲・劉禅・劉永らの生母。
沛郡[3]の人で、後漢の蒼梧郡太守の甘公[4]の族孫女にあたるという[5]。
初めは樊城県の令の劉泌[6](寇泌)に嫁いで劉封を産んだが、夫と死別したという。
建安初期[7]の劉備が豫州牧のときに、小沛を拠点として住居した際に、劉備の遠縁筋である新参の従事の劉琰[8]の勧めで、未亡人だった甘氏を劉備の側室となり、連れ子の劉封は劉備の養子となったという。彼女は間もなく劉公仲を出産した。
当時の劉備は、正室の寇氏[9]を失ったので、劉備の子を産んだ彼女が、同じ側室で劉備の娘ふたりを産んだ麋夫人(麋竺の妹、麋芳の姉)とともに、奥の女中を取り締まった。
彼女は、麋夫人とともに劉備の荊州牧の劉表[10]を頼ったときに同伴した。劉備が南陽郡鄧県[11]を拠点に置いたときに、劉禅・劉永らを産んだ。
208年の夏~秋にかけて、南郡当陽県[12]にある長阪陂(長坂坡)付近で、魏の曹操が率いる56万の軍勢に追撃されたときに、部将の趙雲に護衛されながら、子の劉封・劉公仲・阿斗(劉禅)・阿房(劉永)らとともに危機を脱した[13]。
翌209年に、彼女は南郡で若くして逝去して、丁重に埋葬された。222年に諸葛亮と李厳と劉琰らの進言で、太子&梁王の劉禅の生母ということで、「皇思夫人」と諡された。
翌223年に、彼女の棺は南郡から成都に移葬される直前に、劉備が崩御した。諸葛亮は彼女の徳行を称えて、劉禅に上奏して「昭烈皇后」として改めて諡することを進言した。劉禅は亡き生母のためにそれを受け容れ、彼女は「昭烈皇后(昭烈甘皇后)」と諡されたのである。
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