武田信方

ページ名:武田信方

武田 信方(たけだ のぶかた)とは、陽成源氏(河内源氏)流の武田氏常陸源氏/甲斐源氏)の人物。約5名ほど存在する。

  1. 一宮信賢 : 別称は信方、通称は七郎三郎。一宮信隆の子、政隆・時隆の弟、黒坂貞隆(貞経[1]・実隆の兄。
  2. 一条信方 : 甲斐一条氏一門の一条義行の子、頼行・行貞の兄。
  3. 白井信方 : 上総武田氏(上総源氏)一門の庁南武田家の当主の武田宗信の子、慶信[2]の弟、房信の父。
  4. 武田信方 (若狭武田氏) : 若狭武田氏の第7代目当主の信豊の子、信統(義統/義元/晴信)の弟、信景・信由(のぶもと/のぶとお、元康)・義貞の兄。成長すると兄の信統と家督争いをした。叔父の信高信重)が戦死すると、その養子となり後を継いだ。兄の信統が亡くなり、甥の元明が後を継ぐと若狭武田氏の当主の座を簒奪を目論むが、家臣たち諫言で断念した。その後、遠縁筋である越前国の朝倉義景(延景/佐々木義景/六角義景)が若狭国に進出して、甥の元明とともにその傘下に降った。数年後に織田信長の武将である山県孫三郎の居城を朝倉家の武将の武藤友益とともに攻撃をしている。しかし、1573年に朝倉義景が織田信長に滅ぼされると、おなじく遠縁筋で、室町幕府の最後の将軍足利義昭を頼って、1585年~1586年の間に備後国の鞆で逝去した。
  5. 板垣信方 : 別称は信形。源姓板垣氏の当主の板垣信泰(信斉・信種)の子、信経/諸角虎登[3]の兄、信憲(弥次郎)信興(清三郎)信広酒依昌光(板垣信安)[4]室・荻原昌明室・伊藤重定室の父、政信[5]・政寅[6](信憲の子)の祖父、政善[7](政寅の子)の曾祖父。同族の甘利虎泰(まさやす)[8]とともに武田氏一門の御親類衆として惣領家の武田信虎[9](信直)・晴信(信玄)父子に仕えた。暴君であった信虎を国外追放してその子の晴信を当主に据えた。信濃国の神官・豪族である諏訪頼重を諏訪氏一門である高遠頼継と組んで、これを滅ぼした。その後、諏訪氏再興とその当主の座を目論む頼継は同族の藤沢頼親とともに武田氏を攻撃した。晴信の命で信方は虎泰とともにこれを撃破した。大敗した藤沢頼親は武田氏と同族である信濃国守護の小笠原長時(信濃源氏)と組んで、福与城で籠城した。信方は小笠原氏の支城である龍ヶ崎城を落としたため、頼親はついに降伏した。その後も笠原清繁がいる志賀城を攻略して、清繁の要請を受けた関東管領の上杉憲政[10]は配下の金井秀景を差し向けた。信方は虎泰とともにこれを撃破して、志賀城を猛攻してこれを落として、清繁は自決した。信方は諫言したが晴信は清繁の家臣の皆殺しを処して、これを晒し首とした。1548年に信濃源氏の村上義清と戦い、虎泰・才間河内守・初鹿伝右衛門とともに戦死を遂げた(『上田原の戦い』)。長男の信憲が後を継いだが、無能な上に公平ではなく依怙贔屓が激しく品行がよくなく、城代を解任された。数年後に、晴信の命で甲府長禅寺で切腹をして果てた。

脚注[]

  1. 信経の父。
  2. 清信豊信の岳父)の父。
  3. 読みは「まさとお」。諸角昌清(虎定/虎光/豊後守)の婿養子、昌守・本多重政の父。
  4. 於曾昌安(源八郎)の子。はじめは族父の酒依昌元(昌信の子)の婿養子となった。
  5. 企師姓阿倍氏流佐々木氏一門の永原高照/一照(刑部大輔)の次子の乾正行(永原一長(高長の父)の弟)を婿養子に迎えた。正行の後裔が板垣退助である。
  6. 読みは「まさつら」「まさとも」「まさのぶ」「まさふさ」。
  7. 読みは「まさただ」。出雲路摂紅(元専(もとあつ)の父、信直の祖父、直元・松室重元(松室重備の婿養子)の曾祖父)の岳父。
  8. 一条忠頼の後裔、甘利信宗の子、曾雌虎忠(そし まさただ)の兄、信益・信忠(昌忠/晴吉入道)・信康の父、信頼(信忠の子)の祖父。
  9. 読みは「のぶまさ」。
  10. 上杉憲房の子、憲寛/憲広(宮原晴直)の継弟。

関連項目[]

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