武田信守

ページ名:武田信守

武田 信守(たけだ のぶもり)とは、陽成源氏(河内源氏)流の武田氏常陸源氏/甲斐源氏)の人物。約4名ほど存在する。

  1. 武田信守 (弥三郎) : 武田氏の第14代目の当主の武田信重の子、穴山信介・金丸光重・曾根基経・下曾根賢信(賢範)[1]の兄、信昌(第16代目の当主)の父。第15代目の当主となるが、守護代の跡部氏[2]に実権を把握され、彼自身は政治を発揮することなく、わずか5年で逝去した。
  2. 武田信守 (安芸武田氏) : 安芸武田氏の初代当主の武田氏信信頼)の孫、信在の子、信繁・蠣崎季繁[3]室の兄。但馬国・因幡国・伯耆国守護の山名氏[4]が長門国・周防国・安芸国・備後国・石見国守護の大内義弘を討ち取った将軍の足利義満より、安芸国守護に任命された。大内氏から恩顧を受けた熊谷氏・香川氏・山県氏[5]・温科氏などはこの処置に動揺して、安芸国人一揆を結んで、山名氏に抵抗した。この際、信守は一揆に理解を示して消極的に協力しつつ、幕府側としての立場にいた。しかし、信守の対応に業を煮やした義満は、この事変に介入して国人討伐の命令を下すと、信守は詫びを入れた。信守が義満のために安芸国人一揆討伐に従ったため、1412年(応永19年)に、新たに安芸山県郡の分郡守護を務めることになった。1418年(応永25年)に逝去し、嗣子がなかったので、弟の信繁[6]が後を継いだ。
  3. 油川信守 : 通称は彦三郎。官職は源左衛門尉。武田氏一門の油川信恵の子、信貞(弥九郎)の弟、信連(清九郎)・珍宝丸の兄、信友(源左衛門尉)の父、信俊(信次)[7]の祖父、信貞の曾祖父[8]。妻が武田信縄(晴信(信玄)の祖父)の娘で、孫娘は信玄の側室となり、仁科盛信・葛山信貞らを産んでいる。
  4. 岩手信守 : 甲斐岩手氏の当主の岩手信就の子、信温・信綿・信陳・胤信・温信・信安の父。

脚注[]

  1. 信恒の祖。
  2. 小笠原氏(信濃源氏)の庶家。
  3. 繁広の父。
  4. 足利氏下野源氏)一門義清流の系統。
  5. 安芸国造の後裔とする凡氏の庶流という。この系統に明治維新の元勲の山県有朋が出た。
  6. 『安芸・若狭武田一族』(高野賢彦/新人物往来社/2006年)頁83では、信繁は信守の子とも弟ともされている。
  7. 『武田氏家臣団人名辞典』(柴辻俊六・平山優・黒田基樹・丸島和洋共編/東京堂出版/2015年)丸島「油川信貞」「油川信次」「浄円」頁52~53より。
  8. 『寛永諸家系図伝』による。

関連項目[]

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