武田信貞

ページ名:武田信貞

武田 信貞(たけだ のぶさだ)とは、陽成源氏(河内源氏)流武田氏常陸源氏/甲斐源氏)の人物で、約8名ほど存在する。

  1. 一宮信貞 : 通称は弥五郎、官職は大膳権大夫。一宮信隆の曾孫、時隆[1]の孫、宗光の子、時信の兄。
  2. 板垣信貞 : 板垣頼重の孫、長兼の子、兼邦の父、兼貞の祖父。安芸国の国人の中村信勝は、兼貞の娘の系統である。
  3. 桜井信貞[2](1523年 - 1575年) : 別称は「信定」。官職は河内守。甲斐桜井氏の祖。武田信縄の子、信虎(のぶまさ、信直)・勝沼信友の弟、信富の父、信忠の祖父、政信の曾祖父。晩年は出家して、大泉寺の僧侶となり法号を「吸江英心」と称した。
  4. 葛山信貞 : 通称は十郎、別称は義久。信玄(晴信)の子、義信(信雄)海野信親(勝重[3])・西保信之・勝頼仁科盛信(晴清[4]/晴近)の弟、安田信清の異母兄。1582年に織田・徳川連合軍によって、異母兄の勝頼が天目山で自決すると、彼も甲府の甲斐善光寺で自決して果てた。
  5. 一条信貞 : 一条信龍(信隆)の子、信就の弟。1582年に居城の上野城で籠城するが、遠縁筋の徳川家康の軍勢に包囲されて、3月10日に父と兄とともに複数の軍勢を率いて玉砕して、壮絶な戦死を遂げたとも、捕虜にされて処刑されたともいう。
  6. 油川信貞 : 通称は弥九郎。武田氏一門の油川信恵の子、信守(彦三郎)・信連(清九郎)・珍宝丸らの兄。父とともに従兄の信虎(信直)と内紛を起こして戦った末に、勝山城で父と弟の信連・珍宝丸、叔父の岩手縄義とともに戦死した。
  7. 仁科信貞 : 幼名は勝松丸、通称は源兵衛。油川信恵の玄孫、信守の曾孫、信友の孫、信俊[5](信次)の子[6]、信忠(信成)の父。仁科盛信の族子で外従弟にあたる。盛信が戦死を遂げると、仁科氏の名代を継いで「仁科信貞」と称した。晩年に油川あるいは武田に復姓したという。
  8. 河窪信貞 : 「川窪信貞」とも呼ばれる。河窪信実の曾孫、信俊の孫、信雄の子、信基・信久の父、信秀・信忠の祖父、信親・秀基の曾祖父。妻は本多忠相の娘で、34歳のときに武田に復姓した。

脚注[]

  1. 政隆の弟、信賢信方)・貞隆(貞経)・実隆の兄。
  2. 『甲斐国志』
  3. 『武田信玄』(笹本正治/ミネルヴァ書房/2005年)頁119より。
  4. 『戦国人名事典コンパクト版』(阿部猛・西村圭子/新人物往来社/1990年)頁596より。
  5. 『寛永諸家系図伝』
  6. 『武田氏家臣団人名辞典』(柴辻俊六・平山優・黒田基樹・丸島和洋共編/東京堂出版/2015年)丸島「油川信貞」「油川信次」「浄円」頁52~53より。

関連項目[]

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