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丹精を込めて作られたバウムクーヘン
オーソドックスなバウムクーヘン
バウムクーヘン(独語:Baumkuchen)とは、ドイツ語圏諸国およびポーランド・チェコ・スロヴァキア・スロヴェニア・ハンガリー・ルーマニア・バルト三国(リトアニア・ラトビア・エストニア)などで生まれたドーナツ型で断面に樹木の年輪のような同心円状の模様が浮き出たケーキである。意味は木(バウム)とケーキ(クーヘン)を合わせたものである。
日本語では一般的に英語の影響を受けた「バームクーヘン」または「バオムクーケン」と呼ばれ、また、フランス語では、「ボームキューシェン」[1]と呼ばれる。
バウムクーヘンに心を込めて作るドイツ人の職人おぢさん
「バウムクーヘン」のドイツ各地域の呼称として、低地ドイツ語(オランダ語ではBoomkoken(ボームコーケン)またはBoomkauken(ボームカウケン))表記で、高地ドイツ語のうち中部ドイツ語(中央ドイツ語)は「バォゥムクーヒェン」[2]、上部ドイツ語(南部ドイツ語)のうちフランケン語は「バォゥムクーキェン」または「バォゥムクーケン」、アレマン語は「ブームクエーキェ」(Baumkuäche)、バイエルン語は「ボウムクーフン」または「ボームクーフン」(Bååmkuchn)などと、表記される。
バウムクーヘンの由来および起源は、ポーランド語では「センカチュ」(Sękacz)、リトアニア語では「シャコティス」(Šakotis)とよばれ、ポーランド・リトアニア連合王国時代の東欧諸国のケーキとして誕生して、ドイツ語圏をはじめとする欧州各国に広まり、フランスまで伝来してフランス語の「ギャトー・ア・ラ・ブロシュ」(Gâteau A La Broche[3])となった説や、あるいは古代ギリシアのオベリウス(Oberius)という木の棒にパン生地を巻きつけ焼いたものとされる説など幾多かある。
実際のバウムクーヘンの発祥地は、ドイツの東部のザクセン=アンハルト州およびザクセン州とトューリンゲン州などが有名で、それぞれ元祖・本家をめぐって競争を起こしている。
日本では、第1次世界大戦で、中国の青島[4]で日本軍が捕虜にしたドイツ帝国(ブランデンブルク=プロイセン帝国)の捕虜を広島県安芸郡江田島町(現在の江田島市)にある収容所に送り、ここで優遇&交流したことから日本にバウムクーヘンを紹介したことから始まるという。
特に捕虜の中で、カール・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・ユーハイム(Karl Joseph Wilhelm Juchheim[5])という人が、日本人の親切さに感激し、神戸で日本最古のバウムクーヘン老舗店の「ユーハイム」を創始したことから普及した。
現在では、日本でも嗜好品として愛用されているケーキでもある。
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