松平清成

ページ名:松平清成
曖昧さ回避この項目では、松平氏(大給家)一門について記述しています。その他の同族の人物については「新田清成」をご覧ください。

法衣姿の松平清成(樵暗恵最)像

松平 清成(まつだいら きよなり、生没年不詳)は、日本の室町時代末期(戦国時代)の人物・僧侶。通称は勘六郎。官職は右京大夫・右京進。別名は忠政正直。年少の族父でもある三河松平氏三河源氏)の惣領家の松平清康から偏諱を与えられて「清成」と名乗った。

大給松平家の当主の松平乗勝(1482年 - 1541年)の子、親乗(1514年 - 1577年)の弟、長姉の於久の方(妙淋院)は、族弟の松平広忠(清康の子)の側室で、40歳前後で内藤信成を高齢出産している。徳川家康の族父で、同時に義理の叔父でもある。子は康久(久典)・長清(忠明)・忠暁(ただあき/ただとき/ただとし/たださと/ただかつ)、孫は長吉(ながとみ、康久の子)ら、桑谷松平家の祖である。法名ははじめは穎新(恵新)、後に樵暗恵最または樵臆恵最。

『朝野旧聞裒藁』では、広忠の庶子で於久の方の子で、勘六郎(忠政)の弟、と記述されているが曖昧な部分が多く、誤りであろうと思われる。また勘六郎も1641年生まれで、1599年に没したと記されており、これも前述のように誤りと思われる。

概要[]

広忠の側室・於久の方は、1549年(天文18年)3月6日に夫が26歳の若さで(『三州八代記古伝集』)家臣の岩松八弥に暗殺されると、間もなく亡夫の名をちなんで建立したばかりの化粧田である三河国額田郡桑谷村(現在の愛知県岡崎市近郊)の瑞雲山広忠寺(こうちゅうじ)へと移り、出家し尼となり「妙琳院」あるいは、「妙淋院」と称した。清成(忠政)も姉に伴い、出家して「穎新」、または「恵新」と称して、最初の住職となり姉とひっそり暮らした。家督は子の康久・長清に譲り、それぞれ「桑谷松平家」(大給松平家の分家)を興させた。永禄5年(1562年)、今川義元から独立して岡崎城に帰参した義理の甥・家康は瑞雲山広忠寺に訪れて面会した。すでに外甥の信成が家康の近侍となっていたので、安堵した妙琳院/妙淋院(於久の方)は故・広忠の位牌に参拝し、穎新が広忠の位牌に「道幹大禅正門尊霊」と自筆を認めた。

または、僧侶の身でありながら、清成(穎新)は1570年6月28日の『姉川合戦』で、縁戚関係にある第1隊の主将・酒井忠次(妻が広忠の異母妹)の副将として、朝倉義景[1]・浅井長政の連合軍と戦ったといわれる。

その後、穎新(恵新)は、1600年の『関ヶ原の戦い』までに存命し、最高齢の身で族孫の徳川秀忠信吉(のぶとみ)兄弟に従い、久松康元(家康の異父弟)・石川家成・菅沼定盤・天野康景・諏訪頼忠・板倉勝重とともに従軍したと伝わる[2]

以降は「樵暗恵最」(樵臆恵最)と法名を改名して、晩年の余生を過ごして、子の康久・長清・忠暁兄弟が興した桑谷松平家を案じて、100歳前後で没したという。

脚注[]

  1. 宇多源氏佐々木氏近江源氏)一門の六角氏の当主の六角義実の子、朝倉孝景の外孫で、その養子。
  2. 『徳川実紀』

関連項目[]

先代: -桑谷松平家初代当主 - 次代:松平康久


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