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曹操の叔父・曹忠像
曹忠(そうちゅう、生没年不詳)は、『春秋讖』[1]に登場する漢(後漢)末の人物。字は巨堅[2]。
曹瑜の次嫡子で、曹嵩の異母弟、曹操の叔父、曹邵[3]・曹慮の父、曹真の祖父[4]。
沛郡譙県[5]の人。異母兄が従父・曹騰の養子に行ったため、父の後を継いだ。
ある史書では曹操の叔父・曹某として登場する。甥の曹操が鷹狩りをしたり、不良少年と喧嘩に明け暮れるなど、放蕩にふけっている「うつけ」少年であった。彼はたびたび兄の曹嵩に曹操の行為を報告した。そのたび、曹操は父の叱責を受けて、この叔父を目障りな存在だと思った。数日後に叔父が兄(曹操の父)の邸宅に訪問した。玄関にいた曹操は叔父を見ると癲癇を起こして身体中が麻痺状態となった。
それに驚愕した叔父は兄・曹嵩に知らせて、曹嵩は慌てて駆けつけてきた。すると曹操は何事もないように振る舞っていた。曹嵩は「叔父さんはお前が癲癇を起こしたというのだが、もう治ったのか?」といった。それに対して曹操は笑って「この通り、わたくしは問題はありません。叔父上はわたくしのことを嫌っておいでですから、あることないことなど出任せをいって、お父上を困らせたのでしょう」といった。
それ以来、曹嵩は弟が曹操のことを報告しても、一切信用しなかった。以降から曹操はきままに思い通りに振る舞うことができた[6]。
子の曹邵の字は伯南といい、別名は「紹」である。孝廉に推挙されて郎中となった。190年に従兄の曹操の挙兵に応じたが、弟の曹慮とともに豫州刺史の黄琬の配下の沛郡の相・袁忠の軍勢によって殺害された[7]。曹操はこれを憐れんで、曹邵の子・曹真・曹彬兄弟と、曹慮の子・曹遵を引き取って、子の曹丕らとともに養育した。
嘉平年間のはじめ[8]に曾孫の大将軍の曹爽(曹真の子)によって、彼は費亭侯として、追封されたという。
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