劉虎

ページ名:劉虎

劉虎(りゅうこ)とは、の宗族かつ非皇族である。約2名ほど存在する。

  1. 劉虎 (後漢) : 山陽郡高平県[1]の人。荊州牧の劉表の従子[2]、劉琪(劉琦)・劉琮兄弟と劉脩(劉修)[3]の族兄弟、劉磐(劉延)の従兄弟。199年冬12月に孫策が劉表の部将で江夏郡太守の黄祖と戦ったときに、従父の劉表の命で南陽郡の人である韓晞とともに長槍を持った5千人の軍勢を率いて、援軍に向かい、黄祖と韓晞とともに江夏郡沙羡県に進撃した。しかし、孫策の命を受けたその弟の孫権・周瑜・程普・韓当・黄蓋・呂範にの軍勢に撃破され、韓晞とともに戦死を遂げた。
  2. 劉虎 (夏漢) : 別称は「劉武[4]。匈奴名は烏路孤。トルコ系匈奴屠各(屠客)部鉄弗[5]氏族の初代単于。南匈奴の右賢王・去卑の孫、誥升爰の子、劉務桓の父、劉路孤の従兄。彼の曾孫は、赫連氏族の始祖となった夏漢の世祖武烈帝劉勃(赫連勃々)がいる。はじめは同じトルコ系鮮卑拓跋部に臣属したが、やはり同じくトルコ系白部に挙兵に呼応して、西晋の并州刺史の劉琨[6]が支配する新興郡と雁門郡を攻略した。劉琨は拓跋部に援軍を乞いて、拓跋部の大人である拓跋猗盧(穆帝)は甥の拓跋鬱律[7]に2万の騎馬隊を派遣して、白部を撃破して、さらに劉虎も大敗して朔方郡に逃れた。窮地に陥った劉虎は同族の屠客部攣鞮(虚連題)氏の単于である趙漢の烈宗昭武帝の劉聡(劉戴[8])を頼った。劉聡は彼を一族として迎えて、楼煩公に封じられ、安北将軍・監鮮卑諸軍事・丁零中郎将に任命された。318年に劉虎は伯父の拓跋猗盧の後を継いだ代魏(北魏)の平文帝の拓跋鬱律に再び破れて、万里の長城の南方に逃れた。そのとき従弟の劉路孤は部隊を率いて代魏に降伏して、拓跋鬱律の娘を娶った。341年冬10月に、劉虎は再び代魏を討伐したが、父の後を継いだ昭成帝の拓跋什翼犍[9](拓跋鬱律の次男)に撃破された。まもなく彼は逝去した。

脚注[]

  1. 現在の山東省済寧市魚台県東北
  2. 従兄弟の子。
  3. 字は季緒。劉表の弟の子。官職は東安郡太守に至った。詩・賦・頌六篇を著し、同時に楊脩(楊修)の文作を批判した(『魏書』陳思王植伝)。
  4. 『晋書』
  5. 父が匈奴、母が鮮卑の混合部族の意味。
  6. 前漢の中山靖王の劉勝の庶子の末裔(『晋書』劉琨伝)。
  7. 思帝の拓跋弗の子。
  8. 『晋書』載記第2「劉聡伝」
  9. 『晋書』では、渉翼犍。

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