劉嘉

ページ名:劉嘉

劉嘉(りゅうか)とは、の皇族・宗室および宗族。約9名ほど存在する。

  1. 劉嘉 (燕王) : 燕の敬王の劉沢劉澤高祖・劉邦の族兄弟)の子、煬王の劉定国の父。「康王」と謚された。哀帝の代に劉嘉の末裔である劉帰生(劉定国の弟の系統)が営陵侯に封じられたが、漢を滅ぼした新の王莽によって誅殺された。
  2. 劉嘉 (梁王) : 梁の孝王・劉武太宗文帝・劉恒の子、成祖景帝・劉啓の同母弟)の末裔、夷王の劉遂の子、菑郷侯の劉逢喜の兄[1]、煬王の劉立(劉永の父)・愍王の劉音の父。「荒王」と謚された。
  3. 劉嘉 (薪処侯) : 景帝の第9子である中山靖王の劉勝の子、哀王の劉昌・広望節侯の劉忠・将梁侯の劉朝平・薪館侯の劉未央・陸城侯の劉貞(劉真)の弟、陸地侯の劉義・臨楽敦侯の劉光・東野戴侯の劉章・高平侯の劉喜・広川侯の劉頗・乗丘節侯の劉将夜・高丘哀侯の劉破胡・柳宿夷侯の劉蓋・戎丘侯の劉譲・樊輿節侯の劉脩・曲成侯の劉万歳・安敦于侯の劉伝富・安険侯の劉応・安道侯の劉恢・澎侯の劉屈氂の兄。薪処侯に封じられた。
  4. 劉嘉 (蒲領侯) : 景帝の第11子である広川恵王の劉越の子、穆王(繆王)の劉斉の弟、西熊侯の劉明・棗彊侯の劉晏・畢梁侯の劉嬰・参鬷侯の劉則・沂陵侯の劉喜の兄。蒲領侯に封じられた。
  5. 劉嘉 (広陽王) : 燕の剌王・劉旦(世宗武帝(劉徹)の第3子)の玄孫、広陽頃王の劉建の曾孫、穆王の劉舜の孫、思王の劉璜の子、劉接の父。新の王莽によって廃国にされたが、扶美侯に封じられて、王姓を賜った[2]
  6. 劉嘉 (紅侯) : 楚の元王の劉交(劉邦の従弟、荊湣王の劉賈の異母弟)の曾孫、紅懿侯の劉富の孫、懐侯の劉登の子、哀侯の劉章の父、劉龔の祖父。「敬侯」と諡された。
  7. 劉嘉 (順陽侯) : 字は孝孫。南陽郡蔡陽県白水(舂陵)郷[3]の人。長沙定王劉発(景帝の第7子、武帝の異母兄)の5世の孫、舂陵節侯の劉買の玄孫、戴侯の劉熊渠の曾孫、孝侯の劉仁の孫、順陽節侯の劉憲の子、黄李侯の劉廧・南郷侯の劉参の父、劉循(南郷侯)の祖父、劉章(南郷侯)の曾祖父、舂陵侯の劉敞の甥、劉祉[4](劉敞の子、舂陵侯 → 城陽王 → 竟陵侯 → 城陽恭王)の従弟、更始帝の劉玄劉縯・劉嬉(劉仲)・劉秀世祖光武帝)兄弟の族兄弟にあたる。光武帝に従い、順陽侯に封じられ、「懐侯」と諡された。
  8. 劉嘉 (章陵侯) : 劉発の後裔で、舂陵節侯の劉買の直系。城陽恭王の劉祉の玄孫、竟陵侯の劉平の曾孫、劉真の孫、劉禹の子。嗣子がなく、章陵侯は断絶した。
  9. 劉嘉 (郯侯) : 郭太子こと東海恭王の劉彊(劉強、光武帝の長子)の玄孫、靖王の劉政の曾孫、頃王の劉粛の孫、郯侯の劉某の子、丹陽郡太守の劉舒の父、幽州牧の劉虞の祖父、侍中の劉和の曾祖父。郯侯となり光禄勲に任命された[5]

脚注[]

  1. 三国時代の数学者の劉徽はその末裔である(呉文俊著『中国数学史大系』第三巻第一章『劉徽簡伝』より)。
  2. 『漢書』巻63武五子伝第33・巻14諸侯王表第2
  3. 現在の湖北省襄陽市棗陽県
  4. 劉平・劉堅の父。
  5. 『後漢書』劉虞伝より。

関連項目[]

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