ある農奴の親子の話だ。
その年の冬はとても寒くて、全ての生き物にとって分け隔てなく残酷だった。人にも、麦にも。
領主が農奴に許した1人分の小麦で繋げるいのちは1人分まで。必然、父親はある決断を下さなければならなかった。
空に月と星々が昇る。それまでずうっと息をひそめていた男は、寝静まった部屋の(それも獣を繋ぐための掘っ立て小屋の程度のものだが)隅で鋤を手に取り、それから妻の頭を潰した。悲鳴はなかった。微かな呼気の音さえも一つ失われたその場は、より一層静まり返った。
彼はまだ温かいままの血と脳漿に濡れた鋤を我が子の前に翳す。
けれど。
その凶器がついぞ誰かに届くことはなかった。それよりも早く伸びた手で彼の首が絞められたから。
「どうして俺を殺そうとした。」
「飢えだ。俺は飢えて死にたくない。」
「お前だってそうだろう。だから、あいつを手に掛けても声の一つ洩らさなかった」
「……ああ、そうだ。」
男の首があらぬ方向にへし曲がる。
「だから、俺もお前に倣うことにする」
親の愛を正しく注がれなかった子供はいつまで経っても大人になることができない。
主が何か思し召されるのであれば、それが親殺しの罪に課す罰なのだろう。渇きと図体ばかりが大きく膨らんでも子供は子供のままだった。ずっと、ずうっと、ずっと。
子供は自分の喉を潤してくれる水を求めて彷徨い続ける。そのために、その必要な全てを貪欲に学ぼうとした。
暴力と詐取、そしてそれを効率化する知恵。ゼロサムゲームに勝ちたければ、方法はどうあれ結局のところは奪うことしか許されない。子供はよくそれを知っていたし、躊躇うこともなかった。ルビコン川はとうの昔に渡ったのだから。
あの三日月の夜に。
「確かにお前の言う通りだったな。どうだ壮観だろう、痴愚の成る月桂樹は」
「お前の利口さと功を買って、爪先に口付けする誉れをやろう」
子供は見知った屍体で編んだ梯子を登る。
「ははは……俺さえも踏み台だったとはな」
「なあ、お前は一体どこに行こうとしてるんだ?」
星に手が届くまで。
子供は、血で濡れた絹織物に袖を通した。
敬虔とは神の意によく仕えることであり、悪魔とは異端のことであり、神の意とは悪魔を取り除くことだ。
で、あるならば。子供はこの世界でもっとも敬虔な悪魔の一人だった。
子供が悪魔になったのはまだ、背の伸びが止まぬ時分。
異界の文字を読み解き、そこで得た真理に狂った。
コメント
最新を表示する
NG表示方式
NGID一覧