チグサ・ザ・ライジング~邂逅!怪人レッド・サンタ・サルカズ編~

ページ名:或るいはアノレクシアの前日談と後日談

 

 

原発性免疫不全症候群(PID)

「生まれつき免疫のどこかが壊れてる」ことの総称。現在では400を超える種類の疾患があって、大抵は「極めて稀な」という形容詞が付く。一般には予後不良。例えば…毛細血管拡張性運動失調症(Ataxia Telangiectasia)なら、麻痺と認知症を伴い、30歳前後が一般に”寿命”として取り扱われる。それに、それはあくまで寿命であって。どれだけお医者さんが努力したところでいきなり日和見感染で亡くなることだってある。……っていうか、それが大抵だ。

その日は、ほんの一週間前とは打って変わって、凍えてしまいそうなほどに寒く、そして、一週間前も一か月前とも全く代わり映えせず、ただ、静かで何もない、虚ろな日だった。

だけど、全然構わなかった。

だって、今日はいつもよりもずっと長く、お母さんが居てくれる日だったから。

「もうすぐ退院ね~。お祝いに何食べに行こっか?」

「寿司ー。」

「お寿司かぁ……ううん。少しずつ良くなってるし、お医者さんにどうにかならないか聞いてみるわ」

「許可が降りたら……お父さんにも声を掛けて、奮発して回らないお寿司に連れていってもらいましょうね」

「やったー!!」

「まああくまで予定は未定よ?……」

 

ふと、シーツを折り畳んでいたお母さんの手が止まる。

「ねえ、大奈。今、何か見えた気がするの」

「……気のせいじゃない?」

「もしものことがあるでしょう?少し見せてちょうだい」

「気のせいだって」

「見せなさい。今、あなた一瞬腕を庇ったでしょう」

「やだ」

「見せなさい!」

お母さんがベッドに覆い被さり、私は両腕を抑え付けられて、力ずくで開かれる。

「……痛いよ」

隠しておきたかった二の腕と力いっぱい握られた手首には、紫の斑模様が滲んで浮かんでいた。


 

「先日の血液検査の結果ですが、表のこことここの数値を見てください」

「血小板が減ってるけど白血球の数はあんまり変化してない……ということは」

「免疫性血小板減少症の疑いで、感染症の線は薄い、ですか」

「はは、やっぱり大奈ちゃんには説明要らずでしたか」

「ここの本で少しだけ見ました。日和見感染じゃなくてよかったです」

「ですね。直ちに命に別状はないということで、私もほっとしています。」

「ただですね……この病気の治療法というのが、白血球が血小板を破壊しないよう、免疫抑制剤の服用が必要でして」

「はい」

「大奈ちゃんの場合、元々免疫不全の状態から更に抑えるとなると……これで本当に日和見感染してしまう恐れがありまして」

「また偶発的な内出血のことや、もし必要となれば血小板の輸血もありますから」

「はい」

「……お母さんの方には既にお話したんですが、退院の件は……持ち越しになってしまうかと」

「わかりました。よろしくお願いします」

一しきり話すべきことを終えて、診察室の扉を閉める。息を吸って、吐く

知ってるっていうことはとても大事なことだ。

どんなに辛いことや、怖いことが来るのだとしても……覚悟できる。

「……まだまだ遊びたい盛りだろうに、逃げもせずに……強い子だねえ」

微かに漏れ聞こえてくる言葉に、心の中で首を横に振る。違う、そうじゃないんだよ。

知っていることより、知らないことのほうがずっと、ずっと、怖い。

それだけだから。

 


消灯時間はとっくに過ぎた。擦れ合うような風の音が自然と聞こえてくるほど、病室はしんと静まり返っている。

それでも、どうしても眠ることができなくて。ぼんやりと夜空を眺めている。どこかで意識が沈むまで。

……そしたら、ふと、ガラス越しに。真っ赤な衣装に髭面の不審者と目が合った。病院の4階で。

「きゃあ!?」

異常事態に思わず声を上げても、そんなことお構いなしにそいつは窓に手を掛け中に入ってくる。

よく見たら、それは確かに、面識のある変質者だった。

 

「ハッハッハッ!こんな時間まで夜更かしとは”悪い子”だなぁ!!」


 

エルドラド学園理事長、然数公理。毎度丁重に断ってるにも関わらず、何故か頑なに何度も何度も”見舞い”と称して入学を勧誘してくる男。もうそろそろ両手でも収まらない回数になるが、暇なのか、何なのか。

それならば誰かに頼んで出禁にしてしまえばいいと言えば、それはそうなのだけど。そうしないでいるのは、それでも確かに今も私に関心のある、そう多くない人間の一人だからなのだろうか。

まあ。

それはさておきだ。

 

とりあえず正座させた。

「床がちべたい」

「何やってんですか、こんなとこで」

「何って……配ってたのさ、夢を」

「恐怖の間違いでしょう、あんなの」

「待ちたまえ」

「そういうのもういいんでホント、今からナースコールしますね」

「いやいや本当のことさ、これを見たまえ。」

 

彼が背を向けると、降下に使用したであろうハーネスに白い袋が括られているのは確認できた。

おっかなびっくり中を覗いてみると、丁寧にラッピングされた大小の箱が幾つか顔を見せる。

「寝静まる頃、親御さんらからプレゼントを預かり、看護婦さんに予め開けておいてもらった窓から入るが……」

「しかしうっかり物音で起こしてしまう新人サンタの私。(設定)」

「唇の前に人差し指を立ててこうだ、『他のみんなには秘密だよ』」

「ここまで百発百中バカウケだったさ」

……病院ごとグルかぁ。後ろ手に構えていたナースコールを渋々手放す。

 

「ああそうだ。」

「なんですか」

ずずいとプレゼントの一つを私に突き出す。

「ホッホッホー。Merry Christmas Miss Chigsa

やかましいなこいつ

 

「そしてこれは既に私の印を押してある願書。さあ、君のサインとプレゼント交換しようじゃないか!」

腹立たしいほどの満面の笑みで、書類と万年筆を差し出す彼の胸を押してのける。

単にクリスマスにかこつけたかっただけだこの人。

「はぁ……やっぱりいつものやつじゃないですか」

「あぁ。やっぱりいつものやつだよ」

「あの……毎回言ってますけど、仮にお受けしたってこの身体なんですよ、迷惑だけ被って何も得れませんよ」

「じゃあその仮とやらでお受けしてくれないかね?気兼ねせずとも、多少の配慮を要するくらい勘定の内だ。」

「だからァ!」

 

「「結局何をどうしたってここから出られないんじゃ意味がない」」

「じゃないですか」「と?」

「……」

「まあそれはそうだろうな。だから、これはある種の賭けだ」

ジェンガのようにうず高く積まれた本の一冊を手に取って、私にその背表紙を見せながら続ける。

「随分と難しい学術著だな……君のような年で、ここまで医学を修める者もそうは居ないんじゃないかな?」

「この部屋を出る、ただそれさえが叶えば私の勝ちだ。君は大成するだろう。」

「いや、させる。学園は、君達のような人間の為の箱だからな。医道も勿論、その例外ではない。」

ゆっくりと瞼を閉じて、それから、それを山に戻す。

「私が作ったそれに信が置けない、足りないというのであれば、それは潔くここで引こう。諦めもつくというものだ」

 

「だが、私にはどうも、君は将来に、可能性に期待していないように感じる」

「……いや、君は……」

「あっははー。」

それは自分でも驚くくらいに、平坦で、低くて、乾いた笑いだった。

思うに、私はこの先の言葉を聞きたくなかったんだと思う。それが、合ってても、間違ってても。きっと、すごく、すごく嫌な気持ちになるんだろうなと直感したから。

「私はー、ただー、死ぬまでが楽しければ、それでいいなって」

明確な拒絶だった。私は、あなたの言う賭けには乗れない。変な人ではあるけど、彼はそれが伝わらないような人でもないのも、私は知っている。けれど、そう間を置くこともなく彼は答えた。

「はっはっは。全くもって同意するよ!私は快楽主義者だからな!”楽しい”は何よりも優先されるべきだ」

肯きながら紙束を袋にしまう。……諦めた、んだろうか。でも、そうだとするなら、あまりにもその笑みは爽やかで。

 

「それで。今、君は楽しいのか?」

サンタ帽を指に掛け、くるくる回し弄びながらそう問われた。

「それ、は」

思いがけない言葉に一瞬言葉が詰まる。

「ああ、そういえばプレゼントの封、まだそのままだったね。開けてみたまえ」

彼は私の目をじいっと見据えたまま促す。私は、それに従ってぴりぴりと包みを破る。

「……辞書?」

「小説だよ。……入院生活は私も経験があるがね。退屈の極みだ、時間がいつまでも経たない苦痛に苛まれる」

「それは……はい。」

「だろう。だから、プレゼントには長く楽しめるものをと書いてみた。見たまえ、この人を撲殺できそうな厚みを!」

「書いてみた……?」

「題は『我が半生』!中世の農奴が悪魔と契約し、不死の命を得て400年の歳月を彷徨う長編ファンタジー!」

「待って待って待って」

「今流行りの要素を取り込もうと思って成り上がり系ストーリーになっている。評判が良ければ自家出版する予定だ」

「なに?理事長って暇なんですか??」

「まあ……今こうしてサンタの恰好で君に会いに来ることができるくらいには?」

 

「複雑な気持ちです……あとしまって下さい、その呪物」

「寝る間も惜しんだ渾身の一作なんだが。……まあ、拒まれてはどうしようもない」

ここに来て一番不貞腐れた顔で引っ込める。むしろこっちの神妙になってしまった時間と気持ちを返してほしい。

「当たり前じゃないですか、もっとまともなのないんですか」

「おやぁ?やっぱり欲しいんじゃないかね、Christmas Present

「やっぱいいです」

「待って待って待って。せっかく用意したんだ、せめて中身だけは見て欲しいんだが」

 


 

その後。大の大人がびっくりするほど情けない縋り方をするので、仕方なしにこの奇妙な時間を続ける運びとなった。

………次のプレゼントは箱というには薄く、平べったくて、手に取るとずしんと来るような重みで……それから包みをゆっくりと剥がしてみれば……それはタブレット端末だった。

「君に贈るなら実際本だなというのは確かだが、如何せん病室の限られたスペースでは置き場に限りがあるだろう?」

「好きな作家を何人か聞いて、そのうちの何冊かを電子書籍で実際にインストールしている」

電源を起動して、画面をスワイプしていく。

『氷菓』『タレーラン』『午前零時のサンドリヨン』『博士の愛した数式』と、題名が並んで目に入る。

「おお……」

まともだ。さっきまでと寒暖差で風邪引きそうなくらい。

「どうだ、これはまともだろう」

「さっきまでまともじゃない自覚があるんなら改めてください」

「……少しくらいストレートに褒めてくれても構わないんだがね……?」

どうしてだろう全く素直な気持ちになれないのは。

とはいえ、確かにこれだけ真芯を捉えて機能的なものだ、本当に私のことを考えてくれていたのだな、とは思える。

「まあ……確かに……」

スワイプを続けると、何か違和感のある……というか見たことのない題名が飛び込んでくる。

 

 

『アンケート:千草大奈がエルドラド学園に入ったらやりたい100のこと』

 

「オット!」

たは~、と。これ以上にないくらい、わざとらしい棒読みと大根演技。それに目尻を潤ませる上目遣い。

「……はぁあぁ。その……なんというか。」

「もう少し……気楽に喋っても?」

「……?まぁ、好きにするといいさ。」

「おっけー。じゃそうするー。」

「!?」

「で。もう今日は帰って」

「!!?」

わなわなと小刻みに震えている。……そろそろ手が出そう。出したところで虫も殺せぬか細い腕力しか出ないけど。

「……まともに考えられるんならさー。次は最初から最後までで真面目にやり切ってよ」

私の言葉にぴたりと動きを止める。それから、顎にゆっくりと手を当てて。

「残念だ。だが、そうだねえ……出直すよ」

よっこいせと荷物をかき集めると、再び窓ガラスの方へ歩みを始める。

 

「ではまた。お大事に、千草君」

いや、そっから出るんだ……。

 


時は流れ流れ、今は、画面の向こうのあの子を取り巻く、邪悪な魔術師の陰謀を終えたときのこと。

散々無茶やったツケがばっちり来ていたらしく、彼は鬼牙教頭に詰められ理事長室で缶詰になっていた。

元を辿ればだとか、言いたいことは色々あるけれど。一応色々助けてくれたのは事実なわけで、ほんの少し感じた責任で付き合っていた。

 

「そういえばなんだけどー」

「うん?」

「あのさ、中学生のときのクリスマスのこと。『我が半生』って言ってー、本持ってきてたりとか色々したじゃん?」

「そんなこともあった気がするねえ。」

「忘れたとは言わさんけどなー?でね、あれってさー。ほんとは理事長の自伝なんでしょ?」

あの時はこんなに変わった人が他にいるものかと思ったけど、今回は更にその上をいくものだった。

400年の永い歳月を生き、死者蘇生を行使する農奴上がりの男。あの占い師の……いや、あの狩谷くんの言うことは、確証こそは得られないが恐らく事実なんだろう。そしてそれは、あの日彼が語った”小説”と似通うものだった。

「ああ……あれの中身なら白紙だよ」

「……はぁ!?」

「私の人生なんぞは特筆するに値しない。血腥いだけで、”退屈の極み”だ」

「それこそ、”時間がいつまでも経たない苦痛に苛まれるようなもの”だったからね」

「……それでよくあの頃の私に見せられたよね」

「はっはっは。白紙は白紙でオチが付いたろう?」

「なーんだ」

「まあ、期待を裏切ってしまったのは申し訳ないかな」

「いいよ、それで。」

「別に面白くなくたっていいから、聞かせてみてよ。りじちょーの昔のこと」

私の言葉にぴくりと眉を揺らし、それから彼は顎に手を添わせる。

「人には言いたくないこと?」

「そういうわけではない。ただ……。」

「そうしたら私を怖がらせる。少なくとも、もう今まで通りには見れなくなる、って?」

「……」

数年の付き合いと言えど、わかったことは幾つかある。この人は、表情と内心がデタラメだ。全然合致しない、心底真剣そうにその実何も考えて無くて適当だったり、その逆もある。

けれど、沈黙だけは、素直な意味を持っている。

「知らないよりはさ、知ってる方が怖くないよ」

それにー。ゾンビの秘書付けたり魔法使ったりしてるのにだいぶ今更じゃない?

「うーんそれはそう。」

脱力した様子で、彼は背もたれに体重を預ける。

「じゃーいいか。しかし400年分だ、相当長くなる。心して聞き給え」

「はいはい、じゃあ先にお茶でも淹れとくー?」

「それなら戸棚の一段目だな。」


「……ああ、そういえばあのアンケート。聞けばあの後こっそり埋めていたらしいじゃないか。」

「ついぞ私はそれを見てなかったわけだが。」

「えー…あー…そうだっけ?そうだったかも?」

お母さん、いらんことを口滑らせたなあ、もう。

「それなら、私も中身について聞かせてもらうくらい、してもいいんじゃないかと思うんだが」

「えー。うーん……でも、あれはなー……」

 

 ☑︎保健委員になって、今まで勉強したことでみんなの役に立ってみたい!

 

「……うん。やっぱり、秘密かな。」

 

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