U-23サッカー日本代表

ページ名:U-23サッカー日本代表

登録日:2016/04/21 (木) 19:27:32
更新日:2024/01/22 Mon 13:50:27NEW!
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U-23サッカー日本代表とは、日本サッカー協会 (JFA) によって編成される日本のサッカーの23歳未満のナショナルチーム。
23歳未満の選手を対象とするオリンピックに出場するためのチームである。またの名を五輪代表、U-23代表などという。




■年齢制限の理由

オリンピックのサッカー競技を見ていて、一度は皆疑問に思うことだろう。
「なんでサッカーだけは、23歳以下の選手が出場しているの?」


これについて説明すると、もともとオリンピックにはアマチュアの選手しか出場できない「アマチュア憲章」というルールがあり、プロの選手は出場できなかった。
そのため、従来の五輪のサッカーは日本をはじめプロのサッカーリーグがない国や、北欧の「ステート・アマ」と呼ばれるフル代表でも実質的にはアマチュアの契約をしている選手により構成される国家を中心とした大会であり、
逆に早くからプロ化を進めた欧州や南米などの強豪国はオリンピックに関心を示さなくなり、プロの世界一を決める大会として別途で「FIFAワールドカップ」が創設された。


しかし、70年代から五輪の商業主義化が進み、74年にオリンピック憲章から「アマチュア」という言葉がついに削除され、1984年のロスアンゼルス五輪からはプロ選手も参加できるようになった。
そんな中、サッカーの世界一を決める大会をワールドカップのみとしたいFIFAと、オリンピックのサッカー競技も世界一を決める大会として位置付けたいIOCの間で対立が生まれた。
結果、妥協案としてFIFAが「ワールドカップに出場していない選手なら出してもいい」という基準を設けたことをきっかけに、有力国が若手中心のメンバーで挑み、若手の大会として成功を収めた。
そして92年バルセロナ五輪から「23歳以下の世界大会」として明確なルールが決まり、96年アトランタ五輪からは、FIFAがさらに折れ、3人まで23歳以上の選手を入れてもいい「オーバーエイジ」というルールを導入した。
というわけで、オリンピックのサッカーはほかのオリンピック競技とは一風変わった、既に存在していたU-17W杯、U-20W杯(ワールドユース)に続くワールドカップへの登竜門の大会となったのである。
かれこれ、強豪国ではそもそも世代別代表は「世代のベストメンバー」ではなく「一足早くA代表に上がれていない者たちの集い」のような位置付けであるのもあって、二軍感のあるメンバーで臨むことも多い。
というか、強豪国の若手スターとなると基本的にプロとしてもかなり高い地位を築いているため、選手を保有するクラブ側が、大事な選手を世代別大会ごときに貸し出すのを嫌がるのである。
このあたりは国とクラブ、各協会の間で様々な対立が起こってきたが、結局のところ基本的に招集に応じる義務は課せられない感じに落ち着いている。
逆に弱い国であるほどベストメンバーを集めやすく、国家感の力の差は低減され、たとえ軽んじられているとしても世界的なタイトルを奪取する機会となっており、ワールドカップ本大会では上位進出が滅多にないアフリカ、アジア、北中米の代表チームがベスト4以上に進出、メダルを獲得することも多い。
近年こそサッカー王国と呼ばれるブラジルが2連覇を果たし力を見せているが、皮肉なことにブラジルは肝心のワールドカップにおいては02年日韓大会を最後に20年以上優勝できていない。


また、ワールドカップと違いあくまでもオリンピックの競技の一つであるために、大会中に全ての試合を消化しなければならないことから、出場国は最新のワールドカップの32か国の半分である16ヵ国となっている。それでも大会中に全試合を消化しきれず、開会式前から試合が組まれている。


ここでは、そんな五輪サッカーに挑んだ歴代日本代表の軌跡を振り返る。



92年 バルセロナオリンピック世代

監督:山本芳忠(最終予選のみ、総監督をA代表の横山謙三が兼任した)
通称:なし。あえていうなら「始まりの世代」か。
大会成績:予選敗退
主な出身選手:名波浩、相馬直樹、名良橋晃、小村徳男など


  • 活躍

93年のJリーグ開幕まで、長らく日本にはプロのサッカーリーグが存在しなかった。
そのため、プロ選手によるワールドカップなど夢のまた夢、日本の現実的な目標は五輪の出場、そして上位進出であった。
五輪でのプロ選手参加が解禁される70年代以前は、スウェーデン、アルゼンチンといった強豪国を破るという快挙を成し遂げており、68年のメキシコ五輪では開催国メキシコを下し、銅メダルを獲得している。
しかし、今大会から五輪が23歳以下の大会になったことを機に、日本でも本格的にプロ化の波が進み、ワールドカップの出場を現実的な目標として考えられるようになった。


だが、この当時はJリーグ開幕直前で、当時の最高峰であった日本サッカーリーグ(JSL)でも若くして活躍している選手はわずかで、大学生が主体のメンバー構成となった。
年齢無制限のフル代表をもってしてもW杯出場どころか、五輪の予選を68年のメキシコ五輪を最後に突破できていなかった日本への視線は懐疑的なもの。
1次予選こそ突破したが、五輪出場をかけた最終予選では、当時の新興国であったバーレーンを除けば勝利すら厳しい状況とされており、一部の心無い外国人記者からは、「日本は1勝4分け狙いで五輪出場を目指すのではないか」などと嘲笑された。
その前評判を払拭したい日本だったが、力の差は歴然で、1勝3敗1分で6チーム中5位に終わり、6大会連続の五輪予選敗退が決定した。
しかし、この時の世代の中には上にあげた名波、相馬、名良橋、小村など後のフランスW杯初出場に貢献したメンバーも多くおり、この世代の頑張りなくして今のサッカー日本代表の歴史はなかったかもしれない。


また、あくまでも当時の日本サッカーのレベルの低さゆえにこの結果になったのであり、大学生によるオリンピックに相当するユニバーシアードのサッカー競技で日本は最多優勝、最多メダル獲得国であり、徳永悠平(アテネ)、平山相太(北京)、山村和也(ロンドン)、室屋成(リオ)と大学生ながらプロ選手を押しのけて代表に選出される選手も多数おり、日本の大学サッカーのレベルは世界でもかなり高い。



96年 アトランタオリンピック世代

監督:西野朗
通称:なし。あえていうなら「希望の世代」か。
大会成績:グループリーグ敗退(2勝1敗)
主な出身選手:前園真聖、中田英寿、川口能活、城彰二、松田直樹など
オーバーエイジ:使用せず


  • 活躍

日本サッカーの歴史を作った世代といっても過言ではない。
93年のドーハの悲劇で日本中が悲しみに包まれる中、次なるフランスW杯に望みを繋ぐため、初めて全員がプロ選手で構成される五輪代表には銅メダルを獲得したメキシコ大会以来の五輪出場の大きな期待がかかった。
本大会はマレーシアで行われた最終予選では8チームが2グループに分かれ、各グループリーグの上位2チームが準決勝に進出し、全4チームのうち3チームが五輪への出場権を与えられるもの。
見事にその期待にこたえる形で日本はグループリーグを1位で通過し、準決勝で当時最終予選進出国最強と言われたサウジアラビアを2-1で下し、ついにメキシコ五輪以来、28年ぶりに五輪への壁をこじ開けた。


しかし、迎えた本大会の初戦の相手は94年W杯覇者、世界最強と言われたブラジル代表。メンバーには若かりし日のジーダ、ロベルト・カルロスロナウドなどが名を連ね、それに加え初の五輪制覇に向けA代表の主力のベベット、リバウドらもオーバーエイジで招集されていた。
さらにチームとしてもブラジルA代表や世界選抜を倒すという驚異的な強さで、惨敗だという前評判が圧倒的だった。
しかし日本はこのブラジルを相手になんと、1-0で勝利する大金星を挙げる。
これは世紀に残るジャイアントキリング、マイアミの奇跡として語り継がれている。


その後日本は第二戦、後にそのブラジルを上回り金メダルを獲得するナイジェリアに2-0で敗戦。
続くハンガリー戦ではロスタイムで2得点の大逆転で3-2で勝利したが、2勝1敗で3チームが並んだ結果、得失点差で無念の予選リーグ敗退となった。
なお、2勝したチームが準々決勝(五輪は決勝T1回戦が準々決勝)に進めなかったのは日本が歴史上、唯一である。


しかしこの世代が中心となり、日本は2年後悲願のワールドカップ初出場を果たす。



00年 シドニーオリンピック世代

監督:フィリップ・トルシエ
通称:黄金世代
大会成績:ベスト8
主な出身選手:中田英寿、稲本潤一、柳沢敦、中村俊輔など
オーバーエイジ:楢崎正剛、森岡隆三、三浦淳宏


  • 活躍

史上最強と名高き五輪代表。
97年ワールドユースでベスト8、99年ワールドユース選手権で準優勝を果たすなど、この世代の日本はめまぐるしい成長を遂げており、最終予選まで全く危なげなく予選を突破した。
メンバーとしても、アトランタから連続出場の中田英をはじめ、中村、稲本、柳沢ら既にA代表でも主力となっている選手が名を連ねた。
次のワールドカップが自国開催のため予選が免除となったため、指揮も当時のトルシエ監督がA代表と兼任するなどほぼフル代表とそん色ないチームであった。


本大会も南アフリカ、スロバキアに連勝、ブラジルには0-1で敗れ、アトランタの借りを返されたが今度は見事に予選リーグを突破、準々決勝のアメリカ戦でも日本ペースで試合を進めるが、2-1でリードしたロスタイム、PKにより失点。
延長戦でも決着がつかずPK戦までもつれこんだすえに、中田英がまさかのPK失敗。惜しくも68年以来のベスト4はならなかった。



04年 アテネオリンピック世代

監督:山本昌邦
通称:谷間の世代(第一次)
大会成績:グループリーグ敗退(1勝2敗)
主な出身選手:大久保嘉人、松井大輔、阿部勇樹、田中マルクス闘莉王など
オーバーエイジ:小野伸二、曽ヶ端準


  • 活躍

期待された01年ワールドユースが予選リーグ敗退に終わったことや、早い段階でフル代表に名を連ねる選手がいなかったことから、黄金世代と比較され、谷間の世代と称された世代。
しかしながら、「アテネ経由ドイツ行き」を宣言した山本監督の思惑通り、日本とUAEでのダブルセントラル方式の、体調不良や負傷に苦しめられる厳しい展開の中、3大会連続出場を果たし、活躍から大久保、松井らがA代表に名を連ねた。
もっとも、ドイツ大会はまだシドニー世代やアトランタ世代のメンバーが中心で、選出は駒野と茂庭のみであり、彼らの活躍は10年の南アフリカ大会まで持ち越しとなったが。


迎えた本大会では、1勝2敗とグループリーグ敗退に終わったが、敗れた相手はパラグアイ、イタリアと銀、銅メダルを獲得したチームで、組み合わせに恵まれなかったというものが大きい。



08年 北京オリンピック世代

監督:反町康治
通称:谷底世代、新・黄金世代
大会成績:グループリーグ敗退(0勝3敗)
主な出身選手:本田圭佑長友佑都、岡崎慎司、内田篤人など
オーバーエイジ:使用なし(遠藤保仁、大久保喜人らが候補には上がっていたが、体調不良やクラブ事情により実現しなかった)


  • 活躍

06年、黄金世代がW杯にて敗れ、その前の04年アテネ世代も残念な結果に終わっていたことから日本サッカー自体が低迷の時期にあり、その中で戦った彼らは最も歴代で恵まれなかった代表だった。
アジア大会で予選リーグ敗退、最終予選も苦しみながらの突破、オーバーエイジ選手の相次ぐ辞退などネガティブなニュースが続出し、「谷間の世代」よりも酷い「谷底世代」と屈辱的な呼称をつけられた。


本大会も、アメリカ、ナイジェリア、オランダという手堅いチームを前に3連敗、わずか1得点と歴代最低の成績に終わり、本田が反町監督の指示を無視したと思われる発言がメディアに取り上げられ炎上するなど、大会自体のアウェイ感もあり後味悪い結果になってしまった。


しかし、彼らは本大会後、この悔しさをバネとしてアテネ世代とともにフル代表に名を連ね、南アフリカ大会で国外大会初のベスト16に貢献、そして個人では長友がインテル、本田がACミラン、香川がマンUと黄金世代でもなせなかった欧州ビッグクラブでのスタメンを獲得した。
いつしか彼らは「新・黄金世代」と呼ばれるようになった。
チームとしての完成度ならシドニーだが、本大会で後に最も成長したのは彼らであろう。



12年 ロンドンオリンピック世代

監督:関塚隆
通称:プラチナ世代
大会成績:ベスト4
主な出身選手:清武弘嗣、酒井高徳、酒井宏樹、山口蛍など
オーバーエイジ:吉田麻也、徳永悠平、林彰洋(バックアップ)


  • 活躍

小学生の世界大会で世界一を獲得したことや、早い段階でプロデビューしたものが多かったことから「原石」の世代、プラチナ世代と呼ばれた世代。
しかし、本大会前は予選で最終戦まで苦戦したことや、直前のツーロン国際大会でふがいない結果に終わったことから期待度は高くなかった。


しかし迎えた本大会、当時世界ランキング1位で世界的なタレントが名を連ねるスペインをいきなり撃破。
そしてモロッコにも勝利し、最終戦のホンジュラス戦は控えメンバーで余裕をもって引き分け、2勝1分けと初めて予選リーグで無敗で準々決勝進出。
準々決勝でもエジプトに3-0で完勝し、ついにシドニー世代もなせなかったベスト4進出を果たした。
惜しくも大会中の永井、大津らの負傷もあり準決勝、3位決定戦でメキシコ、韓国に連敗しメダル獲得はならなかったが、歴代で最もメダルに近付いた世代であった。



16年 リオデジャネイロオリンピック世代

監督:手倉森浩
通称:最弱世代、谷間の世代(第二次)
大会成績:グループリーグ敗退(1勝1分1敗)
主な出身選手:久保裕也、南野拓実、遠藤航、浅野琢磨など
オーバーエイジ:興梠慎三、藤春廣輝、塩谷司


  • 活躍

下のカテゴリーの大会で予選敗退が相次ぎ、若い世代でトップデビューしている選手が少なく、一部では「史上最弱」とも言われた世代。
また、五輪予選がシドニーからロンドンまでのホーム&アウェイのリーグ戦方式から、五輪本番と同じ16ヶ国による総当たりで、上位3ヶ国のみが本大会出場のトーナメント方式に変わったことから今度こそは予選で敗退してしまうのではと囁かれていた。
しかし、久保や南野らヨーロッパ組の活躍、また手倉森監督によるスタメンを固定しないターンオーバー制で、史上初めて全勝でアジア王者として本大会出場を果たした(アトランタ世代は決勝で韓国に敗退)。
しかし、怪我人続出のため本大会ギリギリまでベストメンバーが揃わない、オーバーエイジ選手の選考の難航、またあげくエースとして期待された久保裕也が大会直前にクラブ事情で出場できなくなるなど、本大会までは様々な逆風が吹き荒れる結果となってしまった。
迎えた本大会は、ナイジェリアに壮絶なる打ち合いの末4-5で惜敗、続くコロンビア戦でも一点を先行された後OAの藤春がまさかのオウンゴールを犯すが、そこから意地を見せて2点差を追いつき2-2の引き分けに持ち込み、かろうじて最終戦にグループリーグ突破の可能性を残す。
最終戦のスウェーデン戦は矢島のゴールを守りきり1-0と初勝利したが、コロンビアがナイジェリアに勝利したため無念のグループリーグ敗退となった。
しかしながら、様々な逆風の中強豪国をあいてに奮闘し、歴代最多となる7ゴールを挙げるなど日本サッカーの確かな成長ぶりを見せた。



21年 東京オリンピック世代

監督:森保一
通称:00(ミレニアム)世代
大会成績:4位
主な出身選手:久保建英、冨安健洋、田中碧、堂安律など
オーバーエイジ:吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航


56年ぶりに地元東京での開催が決まり、飛躍が期待された世代。コロナ禍で大会が一年後ろ倒しになる不運もあったが、A代表の森保一監督が兼任し、既にA代表でもレギュラー格である冨安や久保、田中といった面々が揃い、そして一切の妥協なくA代表の主力である三人をオーバーエイジに加え、悲願のメダル獲得へ盤石のメンバー選考が行われた。
前回とは対照的にこのチームのスタメンがそのままA代表のスタメンとして出てきてもさほど違和感がないほどの布陣と化しており、
田中と遠藤、これに守田英正を加えての守備能力に全振りした3セントラルはこのあとアジア最終予選で無双する切り札となるフォーメーション。
OAで補強できずやや格落ちする左SBやCF、GKについてはそもそもA代表でも人材難気味であり、どちらにせよA代表の候補にはなるレベルの若手が並んでいる。
なお、欧州リーグでの日本人選手の躍進が進んだことで必然的に、たとえば久保や冨安、OAの遠藤あたりになるともはやクラブ側に招集拒否されても仕方ない立場の選手になっており、自国開催という要素が重なったおかげでベストメンバーで臨めたという見方は強い。


予選リーグの初戦、苦しみながらも南アフリカを1-0で退け、続くメキシコにも2-1で快勝。そして最終戦はフランスを4-0で撃破と圧倒的な強さで決勝トーナメント進出。


そして準々決勝ニュージーランド戦は0-0のままPK戦に突入したが、GK谷が好セーブを見せ、メダル獲得に王手を掛けた。


準決勝のスペイン戦でも延長戦まで0-0にもつれ込む激闘をみせたが、最後の最後で失点し0-1で惜敗し3位決定戦へ。


予選リーグで勝ったメキシコが相手だったが、スペインとの試合で気力を使い果たしてしまったか、立ち上がりから低調な内容で立て続けに失点。終盤に途中出場の三笘が意地のゴールを挙げたが1-3と完敗。おりしもかつてのメキシコオリンピックとは真逆の状況でリベンジを果たされる結果となり、またしてもオリンピックのメダル獲得は後一歩で露と消えた。


しかし、メダルの夢を阻まれたスペインには翌年、予想外の形でリベンジを果たすことになる。



次回はフランスパリでの開催、メダルを目標に掲げさらなる躍進、成長が求められる。



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  • シドニー五輪といえば高原がゴール決めた時の船越雅史アナウンサーの絶叫と楢崎が頭蓋骨骨折しながらもゴール守ったシーンはよく覚えている -- 名無しさん (2016-04-22 09:14:32)
  • シドニー五輪はオーバーエージの選考もバランス取れてたし見ていて面白かった アテネは最終予選時は熱かった(本大会はガックリだったけど) -- 名無しさん (2016-05-24 17:31:06)
  • 東京五輪のOA枠は見事にハマってた リオ五輪のOA枠に代表経験少ない興梠、塩谷、藤春選んだのは何故よ? -- 名無しさん (2022-06-07 17:16:54)
  • 森岡はフラット3の中心選手としてトルシエからの信頼は厚く、シドニーオリンピックでは宮本や松田など、23歳以下で優秀な選手が居るにも関わらず、彼らをベンチに置いてまで貴重なオーバーエイジ枠で召集され、3バックの中央を任されたことからも重用していたのがわかる -- 名無しさん (2022-06-08 10:43:04)

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