サッカー日本代表(オシムJAPAN、第2次岡田JAPAN)

ページ名:サッカー日本代表_オシムJAPAN_第2次岡田JAPAN_

登録日:2014/06/11 Wed 00:32:23
更新日:2023/12/18 Mon 13:34:51NEW!
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オシムJAPAN(2006年8月~2007年12月)
第2次岡田JAPAN(2008年1月~2010年6月)


▲歴史
○2006年
ドイツワールドカップが惨敗に終わり、日本中がどん底を味わっていた中、帰国後の会見にて当時JFA会長だった川淵氏がうっかり「オシムにオファーした」と言ったところからスタート。
当時はオシムがジェフの監督だったためクラブ側から猛反発されたが説得によりオシムは就任。
ドイツ大会組がシドニー五輪世代中心だったことに加え中田英寿の引退と中澤が代表引退を意識したため世代交代は免れない状況であり、就任初期からドイツ落選組や北京五輪世代が召集されることに。闘莉王や中村憲剛が台頭した。本田△が初召集されたのもこの頃
また、オシムが「しばらくの間、海外組は所属クラブに専念させたい」という以降から国内組のみとなり、オシムサッカーを熟知したジェフから多く召集された。


○2007年
新年度開幕戦から海外組召集が解禁。同時に中澤が代表引退を撤回。
夏に行われたアジアカップではオシムが掲げる《人もボールも動くサッカー》が体現されていったがアジアカップは準決勝で敗退し3連覇を逃す
その後、秋の海外遠征では代表復帰の松井と本職のボランチで起用された稲本の海外組の活躍、最終戦では前田・大久保とJリーグで活躍していた選手が結果を残し来年の期待を高めたがオシムが脳梗塞に倒れオシムJAPANは熟成間近で終了した…


○2008年
オシムの急病によりまたもや緊急で監督となったフランス大会の指揮監岡田武史。
『ワールドカップベスト4を目指す』という目標の下始動した第2次岡田JAPAN。当初はオシムの戦術をベースとして戦ったが波に乗りきれずワールドカップ3次予選中盤でスタイルの変更を決断したが3次予選は難なく突破。
就任初期から前年ワールドユースで活躍した内田・安田のサイドバックコンビ、春頃からはJリーグで新人離れした活躍を見せていた長友、4年後のロンドン五輪の司令塔と言われていた香川など若手が台頭。
中村俊輔・遠藤・中澤を中心に岡田就任と共に復帰した玉田、海外で成長した長谷部、オシム時代の主力阿部・闘莉王・中村憲剛・大久保など新旧メンバーで3次予選を勝ち抜いた。
一方、高原・山岸・鈴木啓太・加地・羽生といったオシム政権の一部の主力が代表から去っていった。


○2009年
ワールドカップ最終予選ではホームでウズベキスタンに引き分けや前回大会悪夢を見せたオーストラリアとの死闘などもあったがアウェイでのウズベキスタン戦にて岡崎のゴールで4大会連続出場を果たした。
その後、テストマッチを立て続けに行ったが秋の海外遠征にて戦ったオランダ・ガーナに世界とのレベル差を見せつけられるなど新たな課題が見つかることに…
メンバーでは岡崎が最初から得点を連発しエースストライカーに成長。クラブで活躍していた本田が代表常連となり、イタリア3シーズン目で活躍した森本が初召集、高卒ルーキーながら浦和でスタメンをはっていた山田直輝がアシストを記録した。


○2010年
ワールドカップを控えた年だったが開始早々から苦戦の連発で日本中から不安視されることに…
本大会メンバーもJリーグで得点王争いをしており、代表でもある程度の結果を出していた香川と前田が落選。本番前まで全く勝てず、フォーメーション・スタメンを大幅に変更し、徹底的な守備重視・カウンター重視の戦法で臨んだ本大会だったがこの采配が的中。
初戦のカメルーン戦は本田のゴールで1対0の勝利を納めると、続くオランダには負けはしたが0対1の大健闘、最後のデンマーク戦は3対1の圧勝で下馬評を覆しグループリーグ突破
ベスト16のパラグアイ戦では戦前予想通り互角の戦いを繰り広げたがPKで敗れベスト16(最高記録の9位)で敗退
下馬評を覆した活躍で日本中に歓喜をもたらし、第2次岡田JAPANは幕を閉じた。


▲本大会代表メンバー
◆GK


○楢崎正剛
シドニー五輪・日韓大会の守護神で川口とは長きに渡り、守護神を座を争ったベテラン。
アジアカップ直前に1年ぶりの復帰を果たし、しばらくは川口がやや優先気味の併用だったが川口が不振になった2009年スタメン定着。しかし、本大会直前の低迷が響き最後に川島に守護神を奪われた


○川島永嗣
若いときから将来を期待されたGK。出場機会を求め2007年に川崎に移籍した直後から代表に呼ばれたが代表では長らく第3GKだった。しかし、本大会直前に名古屋時代越えられなかった楢崎を越え守護神として活躍。


○川口能活
フランス・ドイツ大会・アトランタ五輪で守護神を務めたレジェンド。
オシム政権では守護神だったが2009年開幕直後に大量失点をしたことで離脱。その後、本大会絶望とも言える重傷で落選確実と思われたが試合には出ない事を前提にした精神的支柱として登録されチームを支えた。


◆DF


○中澤佑二
日本人離れした体格を持つボンバーヘッド
ドイツ大会後しばらく代表を離れたが周囲の熱意に推され2007年代表復帰。以後はディフェンスリーダーとして活躍した。


○田中マルクス闘莉王
積極的な攻撃参加とチーム屈指のフィジカルを持つ日系3世。
性格が原因でジーコ政権では呼ばれなかったがオシム政権発足と共に代表デビュー。
クラブでは浦和・名古屋の黄金期を支え、4年間中澤とCBコンビを組むなど欠かせない戦力だった。


長友佑都
岡田政権序盤から主力となった雑草魂のSB
北京五輪候補として頭角を現し、2008年大学在学中にFC東京に入団。当時のJ最強助っ人と呼ばれた現ブラジル代表フッキを封殺したことで代表に呼ばれレギュラーに定着。本大会でもエースストッパーとして活躍したことが認められ海外移籍し現在は世界最高のSBの1人。


○内田篤人
女子人気No.1のイケメンSB
クラブでは高卒1年目で奈良橋から、代表では岡田政権発足と共に加地からレギュラーを奪うなど出世街道まっしぐらだったが守備力・スタミナで駒野に劣ることが原因で本大会は出番無し


○今野泰幸
圧倒的なスタミナが持ち味の便利屋。
CB・左SB・DMFの控え及び守備固めで阿部と共に便利屋として4年間欠かせない存在だった。


駒野友一
正確なセンタリングとスタミナを武器に両サイドを難なくこなすサイド職人。
年齢的にも中堅だったためドイツ大会から引き続き4年間召集。
オシム政権では三都主の海外移籍後左SBとしてスタメン定着したが内田・長友が台頭した岡田政権では貴重なバックアッパー。本大会で内田に代わり右SBのスタメンを務めたがパラグアイ戦でPKを外し涙を流すことに…


○岩政大樹
第3次鹿島黄金期のディフェンスリーダー。
体格は国内屈指だったがCBは中澤・闘莉王・阿部とそれ以上の実力者だらけだったため出番は少なかったがギリギリでメンバー入り。


◆MF
○遠藤保仁
前回大会は出番無しに終わったガチャピン
円熟味を増した技術で俊輔と共に絶対的な司令塔として君臨し、本大会でも直接フリーキックを決めるなど大活躍した活きるレジェンド。


○中村憲剛
ご存知ミスターフロンターレ。
自身J1初挑戦の2005年から技術は高い評価を得ており、2006年秋の初召集で結果を残し代表定着。
代表では俊輔・遠藤・長谷部の控えではあったが時おりスタメン起用もされた。


○阿部勇樹
正確なロングパス・フリーキックを武器にトルシエ政権中期から代表候補にいた逸材。
オシム政権ではフィジカルを活かし不足気味だったCBのレギュラーとして活躍。
移籍先の浦和では右SBもそつなくこなしたことから岡田政権では便利屋として活躍し本大会は中盤の底のアンカーとしてフル回転。


○長谷部誠
前回大会は最終候補で落選し、その後しばらくは代表から離れていたが浦和のACLを置き土産にドイツのヴォルフスブルグに移籍。
ここでスタメン定着を果たすと代表でもスタメン定着。翌年はクラブの優勝に貢献した。
本大会では土壇場でキャプテンに就任しチームをまとめあげた。


○稲本潤一
ドイツ大会後移籍したトルコの強豪ガルタサライで活躍し、翌シーズンは高原の紹介でドイツのフランクフルトへ移籍しここでも活躍。ジーコ政権同様出番は限られたが経験・技術・フィジカルなどから欠かせない選手としてコンスタントに呼ばれた。2009年ガーナ戦では途中出場で大活躍した。
本大会前に川崎に移籍し、9年ぶりの日本復帰。


本田圭佑
名古屋では高卒1年目でレギュラーを張り、技術と無回転フリーキックを武器に2代目レフティモンスターと呼ばれていた。
2006年最終戦に初召集されると早くもビックマウスを披露
その後は北京五輪代表司令塔として活躍し、オランダのVVVに移籍したが消火試合となった最終戦で監督の戦術に反対するなどその行動は不安視される。
一方でオランダ2年目はキャプテンとして大車輪の活躍を見せチームの1部復帰に貢献しMVP獲得と一気に注目を集める。
代表でもこの頃初にゴールを決め主力定着。移籍したロシアのCSKAモスクワでも司令塔としてCLの躍進に貢献。
代表での扱いが注目されたが本大会直前に経験のないワントップという形でスタメンに入ると、フィジカル・技術ともにチーム屈指のレベルを見せ2ゴールを記録し一躍時の人に。


○大久保嘉人
ジーコ政権ではFWとして一時期スタメンを張ったが得点0、加えて退場王と呼ばれる気性の荒さが災いし落選。
2007年に移籍した神戸で中盤にコンバートされると大活躍し、オシム政権後期に2年ぶりの代表復帰し4年越しの代表初ゴールを記録。以降は代表の左SMFとして定着。若い時の荒さは徐々に鳴りを潜め、スピードを武器にチームを支えた。


○松井大輔
前回大会はまさかの落選となり、サンテティエンヌ移籍以降クラブでも不遇を味わったが圧倒的な足技でチーム屈指のドリブラーとしてオシム政権後期から右SMFのスタメンとして活躍。


○中村俊輔
不完全燃焼に終わった前回大会のリベンジを果たすべく絶対的司令塔として大車輪の活躍をし、クラブでもセルティックの顔として活躍を続けた。
2009年夏、自身の夢だったスペイン挑戦で移籍したエスパニョールで出番を失い、本大会前に8年ぶりのマリノス復帰をしたが代表でも低調なパフォーマンスに終わり最後の最後でスタメン落ち。


◆FW


○玉田圭司
前回大会はブラジルから得点を奪うなど長らく主力だったが、ドイツ大会前からクラブで低調だったためしばらくは代表に呼ばれずだった。
第2次岡田政権になるとメンバー復帰し、ドリブルを武器にコンスタントに活躍。名古屋でも調子を取り戻しメンバー入り。


○矢野貴章
オシムが就任当初から注目していた長身FW
2007年から代表に呼ばれてはいたが元々守備的な裏方気味のFWだったため目立った活躍は無く、呼ばれたり呼ばれなかったりが3年続いたため半ば忘れられた存在となっていたが高さ・守備力・スピードが評価され前線の守備固めとしてメンバー入り。


○岡崎慎司
2008年に清水でレギュラーを確保し北京五輪代表入り、2009年初戦にA代表初ゴールを記録すると泥臭いプレーと運動量でレギュラーを確保するとワールドカップ出場を決めるゴールも記録。
本大会はスピードを活かしスーパーサブとして得点を記録。


○森本貴幸
2004年開幕戦に中学3年で出場と早くから出場し、高校3年でイタリアのカターニャに移籍と将来を期待されたストライカー。
イタリアではしばらく出番が無かったが07/08シーズン後半から徐々に成長。08/09シーズンでは二桁ゴールを記録し、代表初召集。
その後は出場機会は少なく本大会も出番無しだったがイタリアでの経験もありメンバー入り。


▲4年間の間に活躍したメンバーと最終候補から落選したメンバー


◆GK
○西川周作
正確なキックを武器に高卒1年目からスタメンを張った北京五輪の守護神
オシム政権以降コンスタントに代表に呼ばれ、クラブでも大分の初タイトルに貢献するなど第3GKとしてメンバー入り確実と思われたが川口の土壇場復帰により落選。


▲DF
○坪井慶介
前回大会メンバー
スピードを武器にオシム政権中期までいたが代表での出番の少なさやクラブに専念したいことから28歳で代表引退


○加地亮
前回大会メンバー
オシム政権では相変わらず右SBのスタメンだったが岡田政権発足と同時に加入した内田の台頭から起用方に不満を抱き離脱。


○寺田周平
川崎を長らく支えた遅咲きの長身CB。
3次予選頃から第4CBとして呼ばれたが予選終了後槙野と岩政の台頭により離脱。


○槙野智章
積極的な攻撃参加が得意の若手CB。
ムードメーカーとしてメンバー入りが期待されたが落選。
ちなみに、次のブラジル大会もギリギリで落選となり彼がW杯に出場したのはこの8年後のロシア大会であった。


○吉田麻也
北京五輪代表の若手CB
兼ねてから高評価をされていたがなかなか呼ばれずB代表で臨んだイエメン戦で低調なプレーに終わり、直後にワールドカップ絶望となる重傷を負い落選。
その後のザッケローニ体制からは日本代表不動のCBに成長し歴代日本人選手で最もプレミアリーグで活躍をした選手へ。


○三都主アレサンドロ
前回大会メンバー
左SBが人材不足のためオシム政権初期はスタメンを務めチーム初ゴールも記録したが海外移籍後クラブで出番を失い、そのまま離脱。


○安田理大
ガンバで家長からレギュラーを奪ったウルサイ攻撃型SB。
岡田政権初期はコンスタントに呼ばれゴールも決めたが落選


○徳永悠平
本職はSBだがCBもこなす長身ディフェンダー。
岡田が古くから高く評価しており、コンスタントに呼ばれており、本大会前にカメルーン対策として呼ばれたが目立った活躍は無く落選。


▲MF
香川真司
後の日本代表司令塔。
飛び級で北京五輪代表に選ばれ、A代表でも3次予選から主力となった将来の司令塔。
代表でも結果を残し、クラブではJ2得点王、J1初挑戦でも得点王争いを演じるなどメンバー入り確実と思われたがまさかの落選。
後年、松井が岡田監督に「なんで香川じゃなくて自分が選ばれたのですか?」と質問したところ「あのときの香川は自分のドリブルで勝負する意識だけが強すぎた。ボロボロだった当時のチーム状況からしてその意識は危険だった」と発言した。


○小野伸二
別次元のテクニックを持つ一方怪我の多さからガラスの司令塔としてフランス大会から名を連ねたレジェンド。
移籍したドイツのボーフムでの活躍が認められ2008年夏に2年ぶりの復帰を果たすが低調なパフォーマンスに終わり、岡田に実質名指しで批判され離脱。
その後、出番を求め本大会前に清水に移籍し、絶好調だったが時すでに遅しであり落選。


○橋本英朗
ガンバで明神といぶし銀ボランチコンビを組んでた1人。
DMFの控えとしてワールドカップ予選に長い間帯同したが目立った活躍は無く落選


○羽生直剛
豊富な運動量と飛び出しが武器のオシムチルドレン。
オシム政権ではジョーカーの役割として活躍したが岡田政権の脱オシム流を決めた頃から離脱。


○山岸智
アジアカップ前後は両サイドのスタメンとして活躍したオシムチルドレン。
羽生と比べて目立った活躍は無く、脱オシム流で離脱。


○乾貴士
香川と共にセレッソで強力コンビを組んでいたドリブラー。
クラブではJ1昇格に貢献するなどしたが代表では目立った活躍は無く落選。


当時はこんな扱いだったが8年後のロシア大会で凄まじい活躍を見せることに。


○鈴木啓太
オシム政権では献身的なプレーで不動のボランチを務めた浦和のリーダー。
岡田政権でもしばらく呼ばれたがかつての相方である長谷部の台頭と橋本の召集から離脱。


○山田直輝
2009年原口と共に旋風を巻き起こした浦和の10代コンビの1人。
アシストを記録するなど期待されたが、B代表で臨んだイエメン戦で全治半年以上の選手生命に関わる重傷を負い落選。


○金崎夢生
2008年大分のナビスコ獲得に貢献し、翌年召集。名古屋に移籍し最終候補に残るが落選。


○小笠原満男
前回大会メンバー
ジーコ政権では司令塔の1人だったがイタリアでの出場機会の無さが原因で離脱。
復帰した鹿島では黄金期復活に貢献するなど完全復活を果たし、期待されたがそれでも呼ばれず。
2010年本大会前に4年ぶりの復帰を果たしまずまずのパフォーマンスは見せたが岡田の求めるプレースタイルと合わず落選。


○中田浩二
前回大会メンバー
フランスの名門マルセイユ、スイスの名門バーゼルで左SBのスタメンを務めるなど急成長を見せた。
しかし、オシム政権では一度しか呼ばれず、岡田政権では国内復帰直後に重傷を負い離脱。


○石川直宏
かつての重傷を乗り越え2009年サイドからの強烈なシュートとドリブルで得点を量産。
6年ぶりの代表復帰となったがその後怪我で離脱し、復帰後は前年の活躍を見せれず落選。


○山瀬幸治
マリノス暗黒期の司令塔
オシム政権後半に結果を残し、岡田政権では札幌・横浜時代の愛弟子ということもあり期待されたがたまにしか呼ばれず、一時は結果も残したが激選区ポジションのため落選。


○茂原岳人
川崎時代に住居不法侵入を犯罪を起こし川崎を解雇されたが拾われた甲府の主軸としての活躍が認められ、柏へ移籍。
その後、2008年5月の合宿で初召集され好パフォーマンスを見せ、岡田監督直々の期待を寄せられたが数日後神戸時代の2001年に住居不法侵入に加えて窃盗というガチ犯罪を起こしていたことがバレてクラブを解雇どころかJリーグを追放されたため代表の秘密兵器は実現しなかった。


◆FW


○高原直泰
前回大会メンバー
フランクフルトで日本人FW初の二桁ゴールを記録し海外組の解禁と共に代表合流。
全てにおいてレベルアップしたプレーでオシム政権のエースストライカーとして君臨。
岡田政権では移動の負担を減らすべく浦和に移籍したがクラブで全く結果を残せず離脱。


○播戸竜二
大黒の穴埋めとして復帰したガンバで得点を量産し、5年ぶりの代表復帰。
オシム政権初期は初ゴールを記録するなど注目を集めたが自身の不調から離脱。


○興呂慎三
スピードとドリブルを武器に鹿島第3次黄金期を支えた選手。
岡田政権ではコンスタントに呼ばれたが最後に落選。


○田中達也
前回大会はメンバー入り確実から大会絶望の重傷で落選した悲劇の選手
オシム政権では初戦で10番を背負い、岡田政権でもFW・MFでプレーし、予選では得点を決めるなど主力として活躍。
しかし、かつての重傷から頻繁に故障するようになり、本大会もギリギリ間に合わず落選。


○我那覇和樹
2006年川崎の二桁ゴールカルテットの1人。
オシム政権初期はエースストライカー候補として活躍したが翌年にんにく駐車がドーピングに引っ掛かり半年近い出場停止を食らい自身も低迷。そのまま離脱となった。


○巻誠一郎
前回大会メンバー
高さに加えてオシムチルドレンの1人ということもありオシム政権では11番を背負っていた。
しかし、元々技術が弱く、自身の不調も重なり最終予選途中から離脱。


○佐藤寿人
前回大会はあと一歩のところで落選したJリーグ屈指のFW
オシム政権では兄弟共演を果たし、代表でもある程度の結果は出していたがオシム・岡田共に時々呼ばれる扱いで2大会連続落選。


○前田遼一
2009年得点王を記録した佐藤と並ぶJリーグ最強FW。
オシム政権後半に5年ぶりの召集されると得点を記録するが岡田政権ではたまにしか呼ばれず。
得点王を獲得した2009年に呼ばれたがそこで岡田と揉めたらしく落選。
香川と共に落選で議論を巻き起こした。


○平山相太
ホームシックで日本に帰国してFC東京に入団するも低調なパフォーマンスが続き北京五輪も落選とかつての将来のエース候補の面影は無くなりかけたが2009年後半前線のポストプレイヤーとして復調。
B代表で臨んだイエメン戦で代表デビュー戦ハットトリックを記録し、一気に代表候補に浮上したがその後の試合では連携不足とスピードの無さから何も出来ず落選。


○永井謙佑
ロンドン五輪エースストライカー候補として注目を集めた俊足の大学生。
スピードだけならチームではトップクラスであり、アマチュアながら最終候補に残ったがB代表と違い国内組ベストメンバーでは出番が無く落選。


この男が代表で輝くのはベテランとなった9年後の森保体制まで待つことに。




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  • この項目の米欄は荒れるな・・・ -- 名無しさん (2014-06-11 10:38:00)
  • ザックやジーコJAPANの項目と比べると真面目すぎるなw -- 名無しさん (2014-06-11 19:19:50)
  • 結果に騙されちゃいかんよ。この糞メガネのせいで日本サッカーの進歩は一時的に停滞したんだから。 -- 名無しさん (2014-06-11 20:43:40)
  • 荒らしなんだろうけど……GKのくだりで「安い守護神だな」って思っちまった。 日本人ってとにかくGKの代名詞っぽく「守護神」って言い回しを使いたがる感があるような -- 名無しさん (2014-06-11 22:38:36)
  • 第2次岡田ジャパンはある意味日本人のサッカーの完成系だった。リスクの大きい攻めをせずに90分間逃げ続け、相手のミスで点を取るという、これ以上ないくらいの消極的なサッカーだった。 -- 名無しさん (2014-08-29 20:26:00)
  • オシムのサッカーは確かにこの頃の日本にマッチしていただけに倒れた時はショックだった。岡田のサッカーは正直つまらないサッカーだったし、今を戦うだけのサッカーであって、将来的な生産性のないサッカーだった。 -- 名無しさん (2015-11-20 12:07:02)
  • オシム監督…。ご冥福をお祈りします…。 -- 名無しさん (2022-05-02 00:09:22)
  • オシムだが質問あるか? -- イビチャ・オシム (2022-06-02 20:31:14)
  • 第一次世界大戦がどこで起きたとおもう?私が生まれたサラエボだ。 -- イビチャ・オシム (2022-06-16 06:24:44)

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