中里篤史

ページ名:中里篤史

登録日:2011/02/10(木) 05:12:27
更新日:2023/10/30 Mon 12:35:50NEW!
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中里篤史とは、想像上のプロ野球選手である。
中日ファンたちの妄想から誕生した。



●設定
埼玉県朝霞市出身。
ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団
背番号28


初登板は1年目、9月の巨人戦
5回3失点だったが、151キロのストレートと適時二塁打を放つ打撃が光る。
阪神戦にも登板。
この年勝ち星を挙げることはできなかった。


打撃でも一軍2試合で4打数3安打3打点、二軍では9打数3安打3四球と素晴らしい成績を残す。
将来のスター候補である。







上記のことは全て事実である。


この後選手生命の危機を迎えることになり、それから一部のファンが「中里などいない」と言うようになった。


三年時の夏の大会決勝では坂元弥太郎がいる浦和学院に敗れ、甲子園には出場できなかった。
2002年の春季キャンプ期間中に、階段で足を滑らせ、手すりをつかんだ際に右肩を亜脱臼し、投手生命が危ぶまれるほどの重傷を負う。


実戦復帰は2005年8月、二軍での広島戦に先発した。
4年ぶりの登板で、最速148キロを記録。


次の登板では150キロを記録した。


そして10月1日、1軍の広島戦に登板。
1イニングを2奪三振、三者凡退に抑えた。
その後チームが逆転勝ちし、プロ初勝利を挙げる。


オフには背番号70から18に変更。


2006年は13試合に登板し、日本シリーズにも登板した。
新庄の最終打席の相手は中里である。


2007年はさらなる飛躍を期待されたが、なかなか一軍に上がれなかった。


そして7月



バランスボールから滑り落ち、左肘を骨折


結局この年は一軍登板はなかった。


2008年は13試合の登板に終わる。


オフに背番号は再び70に。
2009年は2試合にしか登板できず、ついに戦力外通告を受ける。


2010年からは読売ジャイアンツに所属。
2010年も登板は2試合のみ。


2011年、戦力外通告を受け引退。スコアラーに転身。


最速153キロのストレートが武器
コントロールが課題



プロでの実績はほとんどないが、伸びのあるストレートを投げていたり、たくさんのプロ野球関係者に絶賛されていたため、知名度も実績の割に高い。




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  • 今パワプロ2013で作ってるんだけど、投球フォームどれが一番近いかな -- 名無しさん (2015-12-02 18:23:04)

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