ブライアン・ファルケンボーグ

ページ名:ブライアン_ファルケンボーグ

登録日:2011/09/22(木) 07:49:24
更新日:2023/10/26 Thu 11:21:58NEW!
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ブライアン・ファルケンボーグ(本名ブライアン・トーマス・ファルケンボーグ Brian Thomas Falkenborg)とは、東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍したプロ野球選手である。
ポジションは投手。背番号25。ファン的愛称は「ファルキー」・「先生」。ソフトバンク時代は勝利の方程式「SBM*1」して名を馳せ、ネットでは「リアルチート」「現人神」と呼ばれた。


1996年にオリオールズに入団し、トレードでドジャースに移籍。
クローザー候補として将来を期待されたが、故障もあり伸び悩む。


その後もパドレス→カージナルス→ドジャース→パドレスと渡り歩き、2009年に来日、イーグルスとの争奪戦の末、福岡ソフトバンクホークスと契約を結んだ。


初登板から非常に安定した投球を見せ、首脳陣の信頼を勝ち取る。


特に、チームメイトの攝津正、馬原孝浩と共にホークスのブルペンを支え、ファンからはソフトバンクモバイルにあやかりSBMと呼ばれ、タイガースのJFKにも劣らない最強クラスのリリーフチームとなった。


が、8月に肘の痛みを訴え帰国。
大事を取ってシーズンを終えるも、攝津に次ぐリーグ二位の29ホールドを記録する。


2010年も相変わらずの無双っぷりを披露。
なんと9試合連続三者凡退に押さえ実質 完 全 試 合 を記録し、60試合に登板し防御率1.02、42HP、奪三振率12.05、WHIP0.76という狂った数字を叩きだし攝津と共に最優秀中継ぎ投手のタイトルを分け合った。
何このチート。…っていうか攝津も大概である。自重し(ry。


2011年は不調に苦しむ抑え・馬原の代わりに抑え投手も経験しながら前年度同様に好記録を残す。
日本シリーズでも第一戦から第四戦、第七戦までフル稼働し、優秀選手賞を獲得。第一戦で燃えた馬原孝浩に代わって第三戦からクローザーとして猛威を振るった。無論中日ファンからは「クローザー2連投&(第七戦で8回に投げたので馬原が出てくると思ってたら)回跨ぎは卑怯だぞ!」「馬原を出せ!」と悲痛の声が上がったのは言うまでもない。なおその第七戦で井端の打球が当たり交代するアクシデントでなんJの鯖が吹き飛んだ事件は有名。


2012年はクローザーをしていたが、唯でさえ怪我気味だったのに同時期に馬原の離脱も重なってしまった事で使わざるを得ずにに苦しむ事になってしまい、結果的に定期的に離脱する事態になってしまった。
2013年も41試合という登板数を記録するも結局怪我に苦しみ、ソフトバンクを退団することとなった。


2014年は東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した。
実は楽天も以前にソフトバンクとこのファルケンボーグの獲得競争を行い、敗れた過去を持っていた。


楽天でのシーズンは開幕から抑え投手を任され、最終的に20セーブを記録した。
しかし衰えからかつてのような安定感はなく、試合を壊すことも珍しくはなかった。
防御率はNPB時代最低の2.87であり(最低でこの数値なのは凄いが)、怪我による離脱もあったためかこの年限りで自由契約となり、そのまま引退した*2
現在はパ・リーグTVのインタビューによるとアリゾナで不動産ビジネスをしているという。



<プレースタイル>


身長200cm、体重106kgという恵まれ過ぎた身体から振り下ろす様に投げるMAX158km/h(但し、計測したのは球速の出やすい神宮球場である。神宮以外では、札幌ドームで計測した157km/hが最速)を誇り、異様に伸びて浮き空振りを取る剛速球と鋭く落ちる高速フォーク(SFF)、球速差のあるカーブを駆使し奪三振の山を築く速球派。
特にそれまでフォークの存在によりマイナーな存在であったSFFは、彼の猛威により他球団の投手にも影響を与え、田中将大は2010年の週刊ベースボールに掲載されていた変化球特集*3で、ファルケンボーグがSFFについて語った記事を見てSFFを習得し、翌年の活躍、ひいては後々メジャーで猛威をふるう勝負球に繋げた事は有名である(と言っても来日してからファルケンボーグ自体も、カーブとストレートが武器なのにSFFも投げられると言ったせいかそっちの方が気に入られ、来日してから磨きが掛かったとも発言している)。


この手の外国人投手はコントロールが安定せず、四死球から崩れ甘い球を打ち込まれるパターンが多いが、ファルケンボーグはこういった制球難とは無縁で、2009年からは2年連続でリーグの救援投手中トップの与四球率をマークしている。何この(ry


しかし、そんなファルケンボーグも人の子。弱点もあるのである。
前述のように右肘に古傷を抱えており、余り連投が出来ないのである。 もし、肘の状態が万全なら一体…… 考えただけで脳汁沸騰ものである。


なお完全上位互換とも言えるデニス・サファテが入団し猛威を振るうと、そのクローザーの座と「先生」の愛称が受け継がれた。



<人物>


あまり目立った裏話は聞かないが、ファルケンボーグと言えば練習嫌いである事は有名であった。その怠け癖たるや、あのミーティングにすら出ないほどの練習嫌いだった、あの悪名高いブラッド・ペニーですら「あんなに練習しなかったらダメだろ」と言わしめた程。だが「5球投げれば肩が出来る」ともされ、杉内俊哉にも「ファルキーは僕の理想」と語られていた程。極度の怠け癖であの化け物染みた投球出来るってどうなのよ…


また、ベンチで『ふぁるきぃ』と刺繍されたグローブを眺めてニヤニヤしている姿が確認されている。


チームメイトの本多が、ラロッカのスライディングで負傷した翌日にラロッカと対戦した際、膝裏をかすめるような直球を投じ、報復死球ならぬ報復四球を行った。
この後も、一塁に向かうラロッカに対して怒鳴り声を上げるなど珍しくエキサイトしていた。


既婚者で夫人と三人の子宝に恵まれている。
チーム遠征の際、第三子の出産の為、夫人のいる福岡に残り立ち会うなど、家族想いの一面がある。





追記・修正はリリーフで完全試合を達成してからにしてください


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  • 速くて重くて角度とノビがあって制球された速球、落差と速さがあるSFF、カウントが取れて緩急をつけられるカーブ。打てませんわ -- 名無しさん (2013-09-12 07:51:08)
  • 2010年は62回を投げて被安打39本、与四球8個、三振83個、敬遠与死球被本塁打0。マウンドに上がった時の制圧力は数多いる歴代セットアッパーの中でも最高だったかも知れん。比較できる相手が見つからない。翌年から始まった飛ばなすぎる球で成績がどうなるかワクワクしてたが衰えが始まってしまった。 -- 名無しさん (2014-06-02 18:48:31)

#comment

*1 摂津正→ブライアン・ファルケンボーグ→馬原孝浩のリレー。別称「羨望の7回」「絶望の8回」「希望の9回」とも呼ばれていた。
*2 と言っても、当時の楽天はアンドリュー・ジョーンズや広島から移籍したキャム・ミコライオと言った普通の成績を残した選手ともウマが合わなかったので助っ人投手についてはあまり定着していなかった。
*3 週刊ベースボール 2010年6月14日号「変化球の極意」カーブ&SFF編。

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