巡洋戦艦

ページ名:巡洋戦艦

登録日:2016/04/18(月) 02:11:09
更新日:2024/01/22 Mon 13:43:29NEW!
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巡洋戦艦 軍事 軍艦 ロイヤルネイビー 大艦巨砲主義 戦艦 巡洋艦 轟沈に定評がある軍艦 貫通されるのに定評がある軍艦 誘爆したら生還率172分の1 絶対巡洋艦殺すマン






概要


 巡洋戦艦とは「当たらなければどうということはない」をモットーに
戦艦と同等の主砲と船体を持ち、かつ巡洋艦と同水準、または凌駕する速力を持つ英国面が生みだした素敵艦である。
 その巨船で優雅に海上を滑走し、巨砲をもって敵艦を撃沈する雄姿を想像し魅了されたのは筆者だけではないだろう。
装甲?巡洋艦程度ですが何か?
 そんな巡洋戦艦の英名はBattlecruiser、直訳すれば「戦闘巡洋艦」である。つまりこいつは
戦艦ではない
戦艦ではない
戦 艦 で は な い のである
大事なことなので(ry


日本の巡洋戦艦に戦艦につけられる旧国名でなく巡洋艦につけられる山の名前がついているのは、巡洋艦として扱われていたからなのである。


 といっても巡洋戦艦が全く戦艦とは別物という訳ではない。
巡洋戦艦発祥の地である英国では当初はこれを広義の巡洋艦の一種として「大型巡洋艦」と定義していた。
しかしその後新たに「巡洋戦艦」という艦種を生み出しこれに当てはめたのだが、更に後のワシントン海軍軍縮条約では戦艦の一種として扱われ保有数と建造の制限を受けるという大変複雑な経緯あったのだ。
まぁ当時世界最大の軍艦がフッドなので制限されるのは当たり前なのだが



因みに巡洋戦艦が誕生した20世紀初頭は軍艦の怪物的進化に伴い多用な艦種が雑居していた時代であり
巡洋艦だけでも防護巡洋艦・装甲巡洋艦・軽巡洋艦が存在していた。巡洋戦艦は装甲巡洋艦の発展型にあたる。



沿革

誕生・軍拡競争時代


巡洋戦艦誕生はみんな大好き日本海海戦にまで遡る。
本海戦の説明は割愛するがこの戦いでイギリス海軍は二つの戦訓を得た。
その一つが「長射程と射撃管制の統一化による斉射・誤差修正能力の有効性」である。
近代海軍史の巨人フィッシャー海軍卿の指導の下でこれに特化する為中間砲を廃し片舷火力を高めたのがドレットノートである。
しかしフィッシャー海軍卿は更なる新造艦を計画した。弩級戦艦に随伴する偵察兵力として巡洋艦に弩級戦艦の概念をぶち込んだ弩級巡洋艦とでも呼ぶような軍艦を生み出したのだ。
これにより誕生したのが世界初の巡洋戦艦インヴィンシブルである。
 英巡洋戦艦の役割は機動力を生かした偵察任務やシーレーン防衛など多技に渡るが、その設計思想最大の特徴は戦艦級の主砲と優速を活かした敵巡洋艦の確実な殲滅である。
これは日本海海戦もう一つの教訓「低速高火力の戦艦部隊と高機動の巡洋艦部隊の別編成」を強く意識し、巡洋艦部隊の主力戦力となることを目指したものだった。
つまりどうゆう事かと言うと 戦艦はもちろん同格の巡洋戦艦との戦闘も想定していないザコ専なのである
「当たらなければどうということはない」改め「格下攻めってどんな気持ち?でも悲しいけどこれ戦争なのよね」と言ったところか、


 そんな新種艦の出現は世界中が驚いた。特にイギリスと熾烈な軍拡競争を繰り広げるドイツの衝撃は大きかった。
ティルピッツ海軍大臣らドイツ海軍上層部は直ちに艦隊整備計画を修正、フォン・デア・タンに始まる巡洋戦艦戦力を建造していく
(正確にはドイツに「巡洋戦艦」という艦種の概念は存在せず大型巡洋艦として扱われるが、本項では巡洋戦艦で統一する)。
 独巡洋戦艦は英巡洋艦とはコンセプトが若干異なり、主砲の口径は戦艦砲より1ランク小さく、航続距離や居住性も劣っていた。
しかし英巡洋戦艦と直接戦闘を行うことを想定し、その装甲厚は戦艦に次ぐ重厚なもので防御力に優れていた。



全盛期・第一次世界大戦


 サラエヴォ事件により欧州各国が総動員を発令、第一次世界大戦が勃発すると英本国艦隊グランド・フリートは独大洋艦隊ホッホ・ゼー・フロッテを北海内に封じ込める遠隔封鎖戦略を展開。
以降、海上では巡洋艦部隊を用いた局地戦が続くことになる。
 この大戦序盤において海戦は、英巡洋戦艦の独壇場だった。
優良な砲力と航続距離を武器に北海・地中海・大西洋を転戦しフォークランド沖海戦でドイツ太平洋艦隊を壊滅させるなどの活躍を見せた。
 英独の巡洋戦艦が初めて交戦したのは、大戦初の主力艦同士の戦闘となったドッガー・バンク海戦だった。
ブリテン島と砲撃すべく来襲した独巡洋艦隊を待ち伏せ、鈍足な装甲巡洋艦ブリュッヒャーを抱えるこれを艦隊速度の優位をもって追撃、
敵旗艦ザイドリッツを砲塔貫通により薬包引火・火災を発生させ大破せしめブリュッヒャーは撃沈。
巡洋艦駆逐兵器としての設計思想に恥じぬ戦果を挙げた。


 しかしドッガー・バング戦はドイツのみに巡洋戦艦の脆弱性を認知させる結果になる。
ドイツ海軍は生還したザイドリッツの損害を調査し、水平防御の重要性を認識。現役・建造中の戦艦・巡洋戦艦全ての装甲の強化、特に火薬庫の防御力を向上させる改修が施された。
また主砲の最大仰角を上げ射程も強化した。


 英独両艦隊の次の衝突は同大戦唯一最大の艦隊決戦となったユトランド海戦である。
双方が戦艦部隊と巡洋艦部隊を投入した今海戦は、先陣を切った巡洋艦部隊の衝突によって始まった。
独巡洋戦艦戦隊は、英巡洋艦戦隊に加え新鋭のクイーンエリザベス級戦艦のみで構成された高速戦艦戦隊からの集中砲火を受ける事になった。
戦力比は独巡洋戦艦5隻に対し、英巡洋戦艦6隻と戦艦4隻だった。
 しかしここで両国の設計思想の差異が運命を分けた。ドッガー・バンクの戦訓を活かした独巡洋戦艦は驚異的な耐久力を発揮し、
戦隊旗艦リュッツオウが脱落・終結間際に自沈したのを除いて全艦が戦闘能力を失いつつも生還した。
対し英巡洋戦艦は砲門を開いた僅か40分の間に2隻が装甲を撃ち抜かれ火薬庫誘爆により轟沈。
戦隊旗艦ライオンも同じく砲塔を抜かれたが、素早く火薬庫注水した事で難を逃れた。
そもそもイギリス水兵は速射性を優先して防火扉を開いたまま火薬を運び、それを砲塔近くに置いていた
この軍艦の安全設計をガン無視した習慣が被害を拡大させることになった。3時間後にはインヴィンシブルも撃沈した。


 ユトランド海戦のイギリス艦隊はの損害はドイツを上回ったがその戦闘目標を頓挫させることに成功した。
しかし巡洋戦艦の大きすぎる被害から「イギリス式設計の巡洋戦艦の防御力は実戦では危険極まりない」
という烙印を押されることになる。海戦後、ドイツは制海権奪取を諦め無制限潜水艦作戦を始めとする
通商破壊戦に傾倒し、巡洋戦艦を始めとする主力艦の活躍の場は失われていった。



衰退と消失・海軍休日~第二次世界大戦



 第一次大戦の敗軍となったドイツ海軍は巡洋戦艦5隻を含む74隻を賠償艦としてイギリス海軍の本拠に抑留されることになった。
しかし連合軍に接収される事を恐れたドイツ水兵たちは反乱を起こし、自身の愛艦を自沈させるため蜂起を起こした。ユトランドに倍する52隻が沈んだスカパ・フローの自沈である。
主力艦16隻中戦艦バーデンを除く15隻が没し、ロイヤルネイビーに浅からぬ傷をつけた独巡洋戦艦は海上から姿を消した。
 また大戦終結に伴いワシントン海軍軍縮条約が結ばれると、「赤城」をはじめ、多くの建造途中の巡洋戦艦が空母に改造されるなり廃艦されるなりしてその数を急激に減らし、ついに巡洋戦艦保有国はイギリス一国のみとなる。
しかしユトランドの戦訓と建艦技術の向上により海軍休日明けに登場した新造戦艦の多くが、巡洋戦艦の速力に匹敵する高速戦艦となっていた。


 航空戦力の優位性が実証される以前の大戦前夜の時点で既に兵器としてのアドバンテージを失っていた。巡洋戦艦が新たに建造されることは無かったが、
通商破壊戦に終始した欧州の海上戦でも準戦艦戦力という評価は健在であり、主力艦としてメルセルケビール海戦・ライン演習・マレー沖海戦など多くの海戦に参加した。
3隻中2隻沈んだが。
 第二次大戦により大艦巨砲主義は終焉を迎えた、終結時に生き残った巡洋戦艦はイギリスのレナウン一隻のみとなっていた。
しかし彼女もユトランド海戦直後に就役した旧式艦だった。戦後僅かに活動した後の1948年3月に売却スクラップとして解体され、
それと共に近代英海軍を支えた巡洋戦艦と言う艦種は絶滅した。



著名な巡洋戦艦(常備排水量/速力/主砲)


  • インヴィンシブル (17,373t/25ノット/30.5cm砲8門)

 前述通り世界初の巡洋戦艦。ヘルゴラント・バイトなどに参加。
フォークランド沖海戦では独東洋艦隊(青島を根拠地とする植民地艦隊)主力のシャルンホルスト・グナイゼナウ両装甲巡洋艦を姉妹艦インフレキシブルと共同撃破。
生みの親フィッシャー海軍卿の「速力は最大の防御」を体現する働きを見せた。機動防御的な意味で
 常備排水量が見ての通り下記の巡洋戦艦よりやたら低く、最後の重巡であるアメリカのデモイン級と同等である。と言っても向こうが規格外にデカいのだが、
とりわけそれは防御力に現れており、艦種によっては装甲巡洋艦以下という英巡洋戦艦でもかなり極端な性能。
しかしこれでも対装甲巡洋艦としては適当な防御力だった。対21cmクラス砲としては、
 ユトランド沖海戦では他の巡洋戦艦群とは別れ戦艦部隊に編入、リュッツォウの喫水線下に2発の命中弾を出し艦隊から落伍させることに成功するが、
逆にリュッツォウ・デアフリンガー姉妹と2対1の戦闘を強要され、約8600メートルの近距離からデアフリンガーの斉射を受け火薬庫に引火。
乗組員1032名の内わずか6名の生存者を残して轟沈した。



  • ライオン (26,270t/27ノット/34.3cm砲8門)

 第1巡洋戦艦戦隊司令官ビーティー伯爵の直卒旗艦として大戦を生き残った名鑑。
退役後に記念艦として保存を訴える運動が起こるなど英国でも当時の人気は高かった。
 しかし戦歴を覗くと、ヘルゴラント・バイト海戦では機雷と潜水艦の危険がある戦域に突入し友軍の窮地を救い完勝を決定付けるも、
ドッガー・バンクでは独艦隊撃滅のチャンスでデアフリンガーの一撃を食らい戦線離脱した結果指揮系統が混乱し瀕死のザイドリッツを逃し、
ユトランダではリュッツォウに砲塔を貫かれ末妹クイーン・メリーの最後に立ち会う等中々散々である。
ヘルゴラント・バイトでは独戦力に主力艦が不在していたため、良くも悪くも英巡洋戦艦らしい戦績と言えよう。
 因みにクイーン・メリーよりさらに妹になる予定だったが、最新のアイアン・デューク級戦艦の巡洋戦艦版として再設計されたせいで
姉妹から一人っ子の従妹になってしまった「タイガー」がいる。
 後年、彼女らライオン級巡洋戦艦は「素敵な猫たち(Splendid Cats)」とあだ名された



  • ザイドリッツ (24,549t/25.5ノット/28.3cm砲10門)

 大戦初期のドイツ巡洋艦隊旗艦。ユトランド海戦では当初その座を新鋭のリュッツオウに譲ったが、
同艦の脱落により再び提督乗艦の艦隊旗艦に返り咲く。ドイツ巡洋戦艦第4弾にしてフォン・デア・タンと同じ一人っ子。
 出撃する度に瀕死の重傷を負っては何かしらの戦訓を持ち帰り生き残る御方
ドッガー・バンクでは13.5インチ砲を食らい装填作業中の装薬に引火。4番5番砲塔が炎上。
火薬の燃え方がもう少し激しかったら轟沈してた。これにより設計の脆弱性を知らせる契機となる。
ユトランダでは海戦終了の時点で大口径砲弾21発と53cm魚雷1本を食らい海水2300トンが浸水。
この浸水は帰路で更に増加し艦隊から脱落し遂に前進不能になりながら
一番砲塔下の弾薬庫を密閉し浮力を確保しつつ艦尾を進路に向け後進3ノットで帰還を果たした
 そして28年後、レイテ沖海戦で艦首に大きな被害を受けた戦艦武蔵の猪口艦長へ巡洋艦利根の黛艦長が
「ザイドリッツの戦例にかんがみ、艦首浮力の保全に努められよ」と信号が送り、「信号了解」の返事を受けている。
 1919年6月21日13時50分、スカパ・フローで自沈。その後しばし放置されたが企業家アーネスト・コックスに買収され
数度の失敗の末1928年にサルベージと解体が行われた。因みにコックスは引き揚げ作業をこの眼で見るために、
自分がいない間に浮揚されたザイドリッツを再び沈め直している。



  • デアフリンガー (26,180t/25.5ノット/30.5cm砲8門)

 英巡洋戦艦絶対殺すマン。上記の英巡洋艦の項を見てわかるように主力艦同士が衝突した大海戦全てで決定的な活躍をしている。
といかユトランダ海戦で失われた英巡洋艦3隻の内2隻にコイツが関わっている。
 主砲30cmで悟った読者も多いだろうが、24年後に竣工したシャルンホルストより砲がデカい。
そして装甲は早期の弩級戦艦クラスとトータルバランスでは第一次大戦に参戦した全巡洋戦艦でも屈指のスペックを持つ。ドイツの科学は世界一ィィィ
 姉妹艦はユトランダ時の巡洋艦戦隊旗艦リュッツォウ、そして建造期間が延長され同海戦に間に合わなかったヒンデンブルク。
ドッガー・バンクで打ち合い、共に互いの姉妹艦を屠ったライオンはまさに宿敵と言えよう。
 1919年6月21日14時45分、スカパ・フローで自沈。そして引き揚げ作業が完了して一ヶ月も満たない内に、再び世界大戦が勃発することになる。



        (第二次改装後 32,000t/30.2ノット/35.6cm8門)


 ご存知我らが魔改造系女子。実働31年は空母に改修された艦を含めても巡洋戦艦最長の記録である。
と言いたいが実はレナウンとどっこい。
艦籍年数は金剛が1ヶ月長く、船艇としてはレナウンの方が長命だった。


      就 役         最 後               除 籍
金剛   1913年8月16日 1944年11月21日沈没(31年3ヶ月)   1945年1月20日(31年5ヶ月)
レナウン 1916年9月20日 1948年8月8日解体(31年11ヶ月)    1948年1月(31年4か月)


金剛型巡洋戦艦が公式に戦艦に艦種変更されたのは、ユトランド海戦の戦訓として水平防御増強の改修が行われた際に速力が25ノットに落ち込んだ時。
金剛型は元々巡洋戦艦としては装甲が厚かったため水平防御のみの改修となった。その後の整形手術履歴は周知の通りである。
詳しく当該項目にて




 大英帝国が生んだ佳人にして世界最大のかませ犬。擁護するならばビスマルクの速力に追従できる主力艦が限られていたであろう点か。
 就役1920年は全巡洋戦艦で最も新しい(巡洋戦艦の概念がないドイツのポケット戦艦とシャンルホルスト級巡戦は除く)。
建造602万5000ポンド、ビック7に次ぐ38,1cm連装砲と30ノット超の速力は英巡洋戦艦の最終版に恥じない。
 名の由来となったのは高名な提督を輩出し続けた一族の初代フッド子爵サミュエル・フッドだが、
その末裔であるホーレンス・フッド少将はユトランド海戦で乗艦インヴィンシブルと運命を共にしている。また進水式はホーレンスの未亡人が執り行った。
その後の本艦の末路も含めると、最もユトランドの影響を受けた艦船と言えるかもしれない。地中海では無敵だったのにね
 詳しくは当該項目にて


未成艦


  • レキシントン級

アメリカが計画した奇天烈巡洋戦艦。当初案の変態っぷりは英国よりも英国面。
ユトランド海戦の結果、さすがにこれはマズイということでもうちっとまともな設計になるもワシントン条約でお陀仏。
6隻中2隻は空母に改造されて第二次大戦に参戦。



  • 天城型

日本が八・八艦隊計画で建造。ポスト・ユトランド設計であり、事実上の高速戦艦。
次の7号艦型は18インチ砲と思われていたが、近年そこまで設計が固まっていなかったことがわかっている(開発が間に合えば積みたかったようではある)。



  • インコンパラブル

 これぞ英国面、フィッシャーの。フッドの後級として計画され、主砲は驚異の20インチ(50.8cm)、速力35ノットと言うバケモノ。
しかし下記のハッシュ=ハッシュ・クルーザーの項から察するに、ガリポリの戦いでフィッシャーが失脚してなかったらカタログ通りとはいかないまでもマジで建造されていた可能性がある。



  • ボロディノ級巡洋戦艦

 ロシア帝国初の弩級戦艦となるはずだった艦だが扱いは何故か巡洋戦艦。にしては速力25ノットと若干遅い。
独自路線に傾向した結果、扶桑型戦艦と同等の砲力で二重舷側装甲+傾斜装甲というアホみたいな防御力を実現。
ぶっちゃけビスマルクより進んだ多重防御方式である。お前みたいな巡洋戦艦がどこにいる。なおユトランド前の設計なので水平防御はお察し。
しかし肝心の主砲が開発出来ずロシア革命発生により建造中止。



巡洋戦艦の親戚


  • 筑波型巡洋戦艦

 日露戦争中に計画された国産主力艦。ぶっちゃけまともな戦艦の建造にまだ自信がなかった妥協案で当初は装甲巡洋艦扱いだった。
とはいえインヴィンシブルも装甲巡洋艦枠で計画されているのだが。
戦艦の火力と装甲巡洋艦の防御力・速力で、それだけ見れば真っ当な巡洋戦艦である。性能水準が日露戦争当時のものであることを除けば・・・。



  • ハッシュ=ハッシュ・クルーザー

 フィッシャーの英国面。巡洋戦艦の性能をさらにピーキーに突き詰め、戦艦の火力と軽巡洋艦レベルの防御力、駆逐艦レベルの速力でさらなる変態を目指し、企画案を却下されたフィッシャーが職権乱用して建造された
フューリアス(航空母艦)とグローリアス級がこれにあたる(ちなみにフューリアスが45.7cm単装砲2門、グローリアスが38.1cm連装砲2門)。
なぜこんな変態な艦が建造されたのかは、バルト海作戦なるものを調べてもらいたい。




 巡洋戦艦から戦艦に格上げされた軍艦は数あれど、戦艦として開発したのにブリカスが勝手に
巡洋戦艦に分類しそれが定着された可哀そうなお方。因みに理由は優速だからとからなんとか。



  • O級戦艦

 ドイツがZ計画で構想した戦艦。原案では装甲艦だったが変更された。
火力は戦艦に匹敵し、防御力と速力は巡洋艦並という正に巡洋戦艦だが、当時のドイツ海軍に巡洋戦艦という艦種は無く同国内の分類では戦艦である。
通商破壊戦に使うために優先順位は高く43~44年頃までには完成予定だったのだが、それ以上に世界大戦勃発が早すぎたためにお蔵入り。
あまり知られていないが、O級もH級と同様に開戦後に設計変更が行われている。




 最近現役復帰した33ノットの韋駄天戦艦。主砲が長砲身化したことで、戦艦の要件である「自艦の主砲弾に耐えられる防御力」を満たせなくなってしまい
巡洋戦艦的な戦艦と呼ばれることも多い。



・アラスカ級


 巡洋戦艦が消えつつあった1940年代に突如現れたアメリカ大型巡洋艦。つまり原点回帰である。
ポケット戦艦や存在しない秩父型大型巡洋艦に対抗する為建造されたが就役はまさかの1944年6月だった。
なお計画案の中には重巡洋艦同然のものから基準排水量は条約型戦艦に匹敵するものまであった。
また空母への改装も検討された事がある。



  • B65型超甲巡洋艦

アラスカ建造の報に接した日本が対抗して計画。金剛型の後継任務も想定された。
「B」というのは巡洋戦艦に充てる計画番号だが当時日本は巡洋戦艦の類別を廃止していたので、完成したらどう分類される予定だったのか興味深いところ。



  • スターリングラード級巡洋艦

 戦前もアラスカやシャルンホルスト相当のクロンシュタット級巡洋艦を建造したソ連だが、スターリン肝いりで戦後も大型巡洋艦を起工した。
完成していれば対空・対艦ミサイルと、12インチ砲の火力・防御力を備えた万能戦艦になった・・・かもしれない。
スターリンの死去で即座に建造中止になったのが惜しまれる。アニヲタ的には実に惜しまれる。



  • キーロフ級ミサイル巡洋艦

ご存知「ジェーン海軍年鑑」において、巡洋戦艦に分類されるので、一応追加。
全長251m・基準排水量24,300tを誇る大型原子力巡洋艦で、第二次大戦後に開発・建造された航空母艦を除く水上戦闘艦では世界最大を誇るソ連の誇り。
本国においても、「重」原子力ミサイル巡洋艦であるため、別格扱いである。
そんな巨体なので装備も豊富。
最大射程700km・最高速度マッハ3を誇る大型艦対艦ミサイル「グラニート」を主兵装に、多目標同時対処能力を持つ「フォールト」艦隊防空ミサイル、
近距離防空用として「オサーM」もしくは「キンジャール」艦対空ミサイル、100mm単装砲もしくは130mm連装砲、さらには対潜ミサイルも備えた汎用艦となっている。
もちろん現代艦艇では標準装備と化したCIWSも搭載。初期建造型では30mmガトリング砲を使用したAK-630だったが、後期建造型ではガトリング砲に加えてミサイルを搭載した「コールチク」となった。
装甲も施されており、最大100mmと条約型重巡洋艦に匹敵する厚さとなっている。
もちろん対艦ミサイルの直撃に耐えるものではないが、近距離で撃破した際に飛んでくる破片や5ich(127mm)程度の砲弾なら被害を軽減可能と考えられている。
4隻建造されたが、ソ連崩壊とその後のロシアの財政難により、現在半分の2隻が解体中で、稼動状態に有るのは4番艦「ピョートル・ヴェリーキィ」のみとなっているのが残念なところ。
一方で2番艦「アドミラル・ナヒーモフ」の現役復帰と大規模近代化改修が決定し、現在復帰に向け改修工事が推し進められている。




追記修正は弾薬庫に注水してからお願いします



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  • 日本人が金なくて仕方無しに高速艦を揃えて運用したら大当たりして其れを大英帝国が総力を傾けた結果… -- 名無しさん (2016-04-18 10:05:02)
  • ズムウォルト級も親戚に入りそう -- 名無しさん (2016-04-18 22:01:13)
  • もし大洋艦隊がWW1後も存続してたらマッケンゼン級やヨルク代艦も見られたのかな? -- 名無しさん (2016-04-18 22:03:13)
  • レキシントンは50口径16インチ八門の大火力と、金剛型より少しマシかな?という程度の驚異の防御力、33ノット発揮可能な韋駄天の脚により、巡洋戦艦として補助艦艇キラーに徹するならば、脅威とはなったろう。が、決戦前までは使い道があっても、肝心の決戦で戦艦としては全く働けないだろうと思われる。初期案の煙突が7本屹立する様は、まるでアメリカの摩天楼のように見える……のか? -- 名無しさん (2016-04-19 01:26:37)
  • ↑×2ぶっちゃけるとビスマルク級がヨルク代艦の拡大版、火力は据え置きだが装甲と速力は向上 -- 名無しさん (2016-04-19 09:05:13)
  • デアフリンガー級は近代化改装すれば金剛型みたいに活躍できそうな気がするけどな。シャルンホルスト級よりは強そうだし -- 名無しさん (2017-02-07 13:18:44)

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