エルトゥールル号遭難事件

ページ名:エルトゥールル号遭難事件

登録日:2010/02/15(月) 01:40:48
更新日:2023/08/08 Tue 17:15:21NEW!
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日本 和歌山県 世界史 遭難 事件 事故 歴史 紀伊半島 トルコ オスマン帝国 教科書には載らない日本史 日本史 英語の教科書には意外と載ってる もっと知られるべき 美談 人々は誤解なく解り合える 本当にあったいい話 戦争なんてくだらねぇぜ!! 嘘みたいだろコレ本当なんだぜ 「待たせたな」 教科書に載せたい日本の歴史 エルトゥールル号遭難事件 海難1890



あなたはトルコという国を知ってますか?





おそらく多くの方々は、


  • 西アジアとヨーロッパにまたがる一国
  • ドネルケバブ
  • トルコアイス
  • イルハン・マンシズ
  • ソープランドの昔の呼び名(後述)

この程度の認識しか無いかもしれない。




そんなトルコという国、実は日本と深い友好関係で結ばれている。そのきっかけとも言う事件がこのエルトゥールル号遭難事件である。


これは、そんな国のちょっと昔のお話。



【事件の経緯】


1890年6月
オスマン帝国のエルトゥールル号が横浜港に到着、明治天皇に親書を渡す。


同年9月15日
横浜港を出発。
この時期の日本は台風の季節なので出航を見送るように提案するが、それを押し切っての出航となった。
しかし16日夜半に台風にあい、船が紀伊半島の岩礁に直撃、爆発を起こす。


多数の死者・行方不明者を出し、陸までたどり着いたのはたった69名。
彼らは近くの灯台に遭難を知らせる。
この知らせを聞いた灯台付近にある漁村・大島村の村民は総出で救助活動を行う。
言語の壁がありながらも、村民は遭難者に対し手厚い保護をする。


元より貧しい漁村、さらには台風なので漁に出れないことによる食糧の備蓄の少なさといった問題があった。
しかし村民はありったけの衣類、さつまいも、卵、果てには非常食としての鶏をも提供した。


それから3日後、
生存者69名は皆神戸の病院へと搬送される。また、一週間かけて大島村の村民らは遭難者を捜索、彼らの手によって219名の遺体が引き上げられ、丁重に葬られた。


この知らせは明治天皇の耳にも入る。
明治天皇は「日本政府として可能な限りの援助を行うように」と指示を出した。


このことは新聞でも大きく報じられ、多額の援助金が送られた。


10月5日
生存者を乗せた日本海軍の軍艦が東京の品川より出港。無事にオスマン帝国に送り届けられた。



このことはオスマン帝国内でも大々的に報じられ、多くのトルコ人が遠くの日本人に好印象を持つこととなる。





そして




実はこの事件には続きがある。



1985年
イラン・イラク戦争が勃発。
イラクがイラン上空の航空機に対し無差別攻撃を行うと宣告した。


これにより、イラン国内の多数の日本人が取り残される事となる。


陸路はゲリラが出没するため、妊婦や幼児にはあまりにも厳しい道のりであった。
また当時、朝日新聞などの大手左派系メディアや社会党が「憲法9条に反する」として自衛隊の海外派遣に反発し、政府側が容易に派遣・支援することができない状況でいた。日本航空や全日空などの大型航空会社も、「撃墜されに行くものだ」と言う労働組合の反対により、空路による救助もできない。
各国の航空会社も自国民の避難で手一杯。さらに同盟国であるアメリカに支援を要請しても
やはり自国民の救出を理由に断られてしまう。



もはや八方塞がり。



無差別攻撃開始のタイムリミットは近い。
手段はもう何も無いのか……?




その時





二機の航空機が降り立った。




その航空機は取り残された日本人を搭乗させる。



その航空機の垂直尾翼には、赤地に月と星があしらわれていた。



そう、トルコの航空機だったのだ。



イランの日本大使館が「自分たちでは最早どうにもできないから、誰かイランに取り残された日本人を何とかして欲しい」と要請したところ、


「我々はエルトゥールル号のことを忘れてはいません。そのご恩を今こそ返しましょう」
と、トルコ大使館は快諾したのだ。


離陸の許可を得るにも1時間がかかった。
さらに離陸するにも、トルコ領空までジグザグ飛行をする必要がある(真っ直ぐ飛ぶと戦闘機に間違えられるから)。


不安と緊張が飛行機を支配した。


そして、




機長「Welcome to Turkey!」




乗客は皆涙して喜んだという。
無差別攻撃のタイムリミットまであと1時間15分だった。


こうして日本人215名はトルコ経由で帰国することができた。




また、2002年の日韓W杯の時もトルコ人はトルコと共に日本を応援していた。
決勝トーナメントで日本がトルコに負けるも、トルコ人選手は日本人選手に手を差し伸べた。


翌日のトルコの新聞にはその写真が載り、
「泣くなサムライ!心は一つだ!」
と掲載し、日本の分まで戦うと誓った。
その結果は3位……すげぇ。




確かに美談であるかもしれない。一部の政治現実論者は綺麗事と言うのかもしれない。
でも、こういう話もたまにはいいのではないだろうか。


日本とトルコは、第一次世界大戦でこそ敵対したが、その後早期に国交を回復。
第二次世界大戦ではトルコからの宣戦布告が行われたものの、連合国からの圧力に屈した故のことであり交戦はしていなかった。
日本とトルコでは地理的に離れているため領土などをめぐる深刻な摩擦が生じにくいということもあるだろうが、それを踏まえても日本とトルコは友邦と呼んでよい関係を確立しているといえる。


◆余談


某市長が、トルコから贈られたムスタファ・ケマル(トルコの父とされる国民的英雄にして初代大統領)の像が倒れているのを放置、
おかげで一時期関係がピンチになった。今では事件のあった和歌山県でちゃんと立っている。


エガちゃんがトルコ国内でフル○ンになり、現地当局に拘束され、国際問題に発展しかけた。



ソープランドの1980年代以前の呼び名は「トルコ風呂」と言っていたが、これを見たトルコ人留学生が抗議、現在のソープランドに改名した。


ちなみに、本場のトルコの銭湯では、
筋骨隆々の厳つい親父が身体を洗ってくれるウホッ…




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  • 忘れてはいけない、物語のような、奇跡のような綺麗な歴史。始めて知った。こんな日本史があったとは。 -- 名無しさん (2016-08-23 16:26:07)
  • この当時下手すると日本語すら書けない人ばっかだろうによくコミュニケーション取れたねえ救助に当たった村の人たち -- 名無しさん (2016-09-06 21:11:02)
  • 臭いセリフだが、助ける、助けたいという気持ちに国境はなかった、ということかもしれんね。 -- 名無しさん (2016-09-06 21:14:34)
  • コメントも多く、愚痴もいくつかあったのでリセット -- 名無しさん (2016-11-06 13:17:35)
  • 泣ける、泣けた・・・。 あと最後のトルコ風呂のくだりで感動ぶち壊しですな。 -- 名無しさん (2017-06-18 13:27:49)
  • というか余談がどれもトルコの話であってエルトゥールル号関係ないっていうか -- (2017-09-07 02:18:39)
  • ↑ じゃあ雑学でも。「エルトゥールル」と言う名前はオスマン帝国の始祖であるオスマン1世の父君の名前。 -- 名無しさん (2017-09-07 13:05:44)
  • 船の話は英語の教科書かなんかで読んだな -- 名無しさん (2017-09-07 13:18:05)
  • とりあえず、当時、イランから救出された人たちは、日航の組合はともかく、社会党と朝日新聞を憎んでいいと思う。 -- 名無しさん (2017-09-07 13:57:24)
  • つい最近里帰りしたがウチの地元にこんな歴史があったとは...、トルコアイス食べたくなってきた。 -- 名無しさん (2017-10-17 18:21:57)
  • ↑2それな -- 名無しさん (2018-06-11 12:58:43)
  • 違反コメントを削除 -- 名無しさん (2018-09-28 12:37:47)
  • 美談として語り継がれるならそれも歴史なのではないでしょうか。今後もトルコと良い関係でいたいですね。 -- 名無しさん (2020-03-01 02:28:32)
  • どこの国の人相手であっても、事故にあって動けないような人達なのだから助けなくちゃ!っていう純粋な善意。こういう気持ちは大事にしたいものだ。 -- 名無しさん (2020-03-01 08:56:20)
  • やっぱ朝日ってクソだな -- 名無しさん (2022-11-25 02:09:46)
  • なによりもこういう話の揚げ足とって悦に入るような神経の持ち主になっちゃいかん。素直にいい話だと感じることが出来ないと。 -- 名無しさん (2022-11-25 20:18:12)
  • 左派系ガーとか言ってるやつはこの話の良さを何もわかっていない -- 名無しさん (2022-11-25 20:39:27)
  • たまに間違えられるが、生存者をトルコに送った金剛は某Hey提督!ではなく、初代金剛の方 -- 名無しさん (2022-12-31 00:24:58)
  • トルコでの大震災の時、イランでの事を思い出したよ。微力かもしれないが支援した。 -- 名無しさん (2023-06-02 22:54:32)

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