欲望に従ってファンを騙るようなことはあってはならない。
とりあえず最低限ファンを名乗るなら知っておくべきことについて、思いついたことを書いておく。
良いファンの見分け方
ファンと言ってもピンキリである。手本にすべきファンは見定めなければならない。
そこでファンとしてふさわしい行動ができているかわかる簡単な見分け方がある。
「あなたの推しの1週間のスケジュールを教えて下さい」と聞いてみればいい。
ほとんどのVtuberは1週間のスケジュールを公開しているので、ファンならば答えられて当然の質問だ。
ファンを名乗りながら答えられないのは論外であり、私自身もVtuberのファンではないので答えられなくて当然である。
だが、ここで推しの公開したスケジュールを読み上げてしまうファンはだいたいクソである。
なぜなら、1週間に5日活動しているから2日休みだと思っている可能性が高いからである。
実際は逆で、普段の生活の中で余裕がない日が2日、空いた時間で活動できるのが5日ということである。
企業系で人気があるVtuberは、ほとんど休みなんてない。
ブラック企業で仕事しながらVtuberやるようなものである。
そもそもVtuberというコンテンツ自体が趣味から始まっているため、空いた時間に活動するのが普通であり、月に一回あるかないかでも文句は言われなかった。
それが今では毎日活動が義務のようになっており、配信ができない日が続くとファンが文句を言い始め、期待に答えられないVtuberが自主的に休止や引退してしまうようになっている。
できるファンは1週間の予定を見たときに、推しの24時間の行動スケジュールが頭に浮かぶ。
たった1時間の配信でも準備が必要なことを理解しているので、逆計算して推しがどの程度休息をとれそうかなんとなくわかるのである。
例えば、「体の調子が悪い」という推しの言葉を聞いて、「2週間後にイベントがあるから大変だ」という考えに至るのである。
最近のファンはそのあたりを理解していないので、推しが寝坊することに喜んでいる。
自分で決めた予定をすっぽかす社会人を信頼できるだろうか。
そんな「当たり前のことができない」ということは、「かなりやばい」状況なのである。
そしてそんな事に気が付かないファンが多いということは、推しへの負担も尋常ではないのである。
一昔前はモンペと呼ばれるくらい行き過ぎた保護をするファンがいたが、今となっては赤の他人としてVtuberに接するファンばかりである。
推しのことを理解していないのに保護しようとするからモンペと呼ばれるのであって、推しを保護しようとすること自体が悪いわけではない。
推しを理解せずに下僕のように働かせて優越感に浸るファンにならないようにしてほしいものである。
ファンが情けないとどうなるかよくわかる箱の話
ファンを名乗ってVtuberを推し始める前に、アイドル部という箱に何が起きたかを知っておくべきだろう。
Vtuberの歴史から学べることは多く、今まで潰れていった箱の状況を知っておくことは、自分の推しが同じ悲惨な目に合わないようにするためにも必要である。
特に、ファンが原因でトップから底辺まで転げ落ちたアイドル部の歴史については知っておくべきである。
といっても、アイドル部の配信を見に行く必要はない。
Vtuberを追いかけるのは、Vtuberの活動をするよりも時間がかかる上に、残るものが何もないのだ。
既に死んだ人の当時の姿を見るのは時間の無駄でしかない。
まず前提として、アイドル部は、ファンによって、トップに立つ力もないのに担ぎ上げられてしまったということを知っておかなければならない。
人数的にも、能力的にも、にじさんじやホロライブに劣っているのは一目瞭然だったのに対し、ファンは自分の欲望を満たすためだけに嘘を拡散し、嘘に嘘を重ねて対等だと思わせてしまったため、アンチの格好の的となってしまったところがある。
正論を並べるだけで論破できるし、ファンは嘘がばれないように必死に発狂する。アンチの黄金時代の始まりであった。
注目すべきは、「お気持ち表明による箱の崩壊」→「没落したアイドル部と栄華を極めた元アイドル部の差」→「アイドル部終了とともに半数以上引退」という流れの中でファンが何をしたかということである。
一言で言うなら「ファンとしてするべきことを何もしなかった」ということになるのだが、それぞれの段階で「何もしなかった」の内容が違うことは理解しておくべきだろう。
初めに、お気持ち表明により箱が崩壊した時、ファンはアンチに対して「何もできなかった」のである。
本来ならファンは推しを守るためにあの手この手で対策を打っていかなければならないのだが、やったことと言えばアイドル部のファンの無能さを露呈させたことだけである。
これを見てアンチは「いける」と思って殺到したし、誰もが「この箱はもうダメだ」と思って見切りをつけた。
そもそもファンの9割はお気持ち表明をきっかけに推しを見捨てて他のVtuberへ流れてしまっていったのだ。
ファンとしてあるまじき行為である。
残ったファンも、アンチが推しをズタズタにしているのを無視して、配信をなんとか楽しむことしかできなかったのである。
そんな中で、没落したアイドル部が苦しい中活動を続けていたわけだが、ファンはというと特にファンらしい活動はしていなかった。
箱の崩壊をきっかけに配信を辞めてしまったVtuberに対して何もしなかったのである。
むしろはじめからいなかったかのように振る舞ったのだ。
だからアイドル部のVtuberは自力で戻ってくる他なかったのだが、戻ってくるとファンは「自分たちが推していたおかげだ」と口々に言うのだ。なんという馬鹿げたことだろう。
そして、アイドル部は契約終了と共に姿を消し、同時に半数以上がVtuberを引退したのだった。
ファンのとった行動は、「卒業おめでとう」といって推しを見送ることだけだった。
本人の意志を尊重することを建前として、「引き止める」ということを全くしなかったのである。
節目節目でファンがしてきたことを考えれば、引退という選択をするのは当たり前だろう。
Vtuberはファンに人生を預けているのである。
何もしないファンに人生を預けるなんて馬鹿なことを考えるほうがおかしいのである。
そもそもアイドル部は四天王の一人の後輩のため「魂」を全面に押し出すスタイルであり、ファンが支えなければ成立しないタイプの箱だったのだ。
Vtuberを知らない外野から見れば、悲劇というより喜劇である。
同じことを繰り返さないためにも、ファンが役目を果たさないとどうなるかという例として、アイドル部が消滅した件は知っておかなければならないのである。
ちなみにアイドル部が消滅したことでようやくドットライブはまともな箱として活動できるようになった。
クソみたいにこびりついていたクソどもが、箱を消滅させたファンだったなんてバレたら大変だからとそろいもそろって逃げ出したからである。
どうやら彼らは、自分たちが箱を潰した張本人だとバレないように、元アイドル部の配信は推しとのコラボであっても徹底して見ないようにすることで推しへの忠誠を誓っているつもりらしいが、アイドル部を潰したろくでもないファンを受け取ってしまったVtuberはたまったものじゃないだろう。
真の邪悪であるファンは、Vtuber以上に自分の過去が掘り起こされないように必死になっている。
こんな状態だったにもかかわらず.LIVEが消滅しなかったのは、夜桜たまを含むアイドル部がファンを育てようとしてきたからである。
また、ファンに対して正論をぶつけ続けてきたアンチもいい仕事をしてくれたのだ。
突きつけられた現実から目を背けずに一歩一歩前に進んでいったファンがいたから、会社としてVtuber事業を続ける判断ができたのである。
足りないファンの分はアンチで補う。
電脳少女が四天王と呼ばれる前から伝えてきたことである。
そのことをファンが理解できたかどうかが明暗を分けた。
アンチも配信を見に来ているファンの一部だと受け入れられたかどうかで卒業のラインを超えたかどうかが左右されたように思う。
ファンはアンチを拒絶することしか出来ないが、Vtuberはアンチをファンに変えることが出来る。
残された問題は他のVtuberたちが、あの厄介な裏切り者たちをどうやって切り捨てるかということである。
アイドル部崩壊の一番の問題は、厄介なファンが誰一人として消滅しなかったことなのだ。
私がこうしてV世界を見続けているのも、ばらまかれた厄災の種による影響を杞憂してのことである。
あいつらは推しが死んでも死なない、Vtuberに寄生するだけの生命体である。
あのようなゾンビは受け入れがたい。
ファンを名乗れるのはいつなのかという話
始めに言っておく。推しがいたとしてもファンを名乗ることはやめるべきである。
誰かの許しを得てファンを名乗ったりできるわけではないのだから、ファンを名乗ろうと考えること自体が間違いなのである。
考えてみて欲しい。きのこの山が好きだからと行って、たけのこの里が好きな人の前でファンを公言したらどうなるか。
つまり、ファンを名乗ることにメリットは何もないのである。
貴方は推しに自分の存在を知ってほしくてファンを名乗りたいのでしょう?
そんな欲望にまみれた人間がファンをやり始めたら推しが苦しむのは目に見えています。
貴方の行為は、アンチがファンのふりをするのと変わらないことに気がついてください。
ファンだと名乗らなくてもVtuberはこちらを認知しているものです。
それはツイッターやコメントでよく見かけるからではなく、ファンとして役目を果たしている姿が伝わっているからです。
特に「魂」に従って活動しているVtuberはファンに感謝しています。
そして、「キャラ」を演じているVtuberにとって、ファンは「数値」でしかありません。
ファンを名乗る数が多ければ多いほどファンを表明することのアドバンテージは失われていきます。
むしろ、ファンを名乗って暴れまわられることを考えたら、Vtuberにとってデメリットでしかないんです。
制御不能になったファンを抱えたVtuberは、各方面から遠ざけられます。
Vtuberの努力を踏みにじるのはアンチではなく、ファンの方が圧倒的に多いことは自覚してください。
ファンからファンとしての市民権を得る仕組みの穴
ファンとして活動するしないにかかわらず、いずれファンからファンと認められる日が来るだろう。
Vtuberの世界には、ファンがファン認定をする変わった制度が存在する。
Vtuberが良い働きをする人をファンと認めるのではなく、ファンが自分の見たかったものを提供してくれた人をファンと認めるのである。
これは、初期のVtuberが、他のVtuberのファンだったことに起因する。
Vtuberのことが好きすぎるVtuberが名誉ファンと呼ばれるように、Vtuberのことが好きすぎる人はファンなのである。
だが、Vtuberと人間は別のものである。対等ではない。
Vtuberがファンとして立ち回るのと一般人がファンとして立ち回るのはニュアンスが違う。
本人の考えの及ばないところで理想のファンが出来上がってしまうのである。
Vtuberがしてほしくないことをするファンでも、ファンにとってしてほしいことをしてくれるのであれば模範的な優秀なファンなのである。
許可を出しているのがVtuber本人ではなく、どこの誰かもわからない人間なのだ。
知り合いだから気にならなかったことも、よくわからない奴がやりだすと、それはなんか違うのである。
そしてそれはいずれVtuberのための活動ではなく、ファンのための活動になる。
「クソみたいな動画を推しのファンに支持されていい気になっていたら推しが引退してしまった」なんて笑えない話である。
自分が今やっているのは誰のための活動なのか、思い直すことだ。
あらゆるものを美化してきた国が作ったファンという存在
日本という国は、国民の民度が高い国とされている。
礼節を尊び、弱いものに手を差し伸べる、おもてなしの精神。
それは世界の共通認識であり、日本人のふりをすればどんなトラブルも回避できると考えている外国人もいるくらいである。
だが、ひとたびインターネットの掲示板を見れば、そんなものは幻想だとわかる。
他人の悪いところを粗探しし、誰に対しても常に攻撃的。
論破することが生きがいであり、新参者や情弱は常に迫害され続ける。
それが本来の姿である。
こんな状態であるからいつから日本はこうなったのか、という話になりがちだが、そもそも日本ははじめからそういう国だったのではないか。
物は言いようという言葉がある。
日本人の下心ありきの行動をすべて美化していった結果が、今の素晴らしい日本人の姿なのである。
日本人は計算高いのである。
実際のところは無用なトラブルを避けるためにとりあえず当たり障りのない行動をとっていただけなのだから。
だからその場限りの関係でしかないところでは汚い部分を遠慮なく出してくるのである。
だが、最近は後先考えずに行動する日本人も多く、バイトテロのような常識では考えられないことをするバカも増えている。
ウーバーイーツの配達する商品を勝手に食べたり抜き取ったりするのがまさにそれである。
相手のことをまるで考えず、物を渡したら終わりと考え、その先に何が待っているか考えず、目先の利益に飛びついてしまう。
また、飲食店で虫の入った料理を出したこともあった。
野菜がうまく洗えていなかったとのことだが、問題はそこではない。
虫入りの料理を客に食わせてもなんとも思わない人間がいるほうが問題である。
客に文句を言われても虫の入った料理をまた持ってきたというのだから驚きだ。
バイトをしていたのがロボットなら虫の入っている料理を出すなと命令すれば二回目は出さないだろう。
その程度もわからず考えず同じ間違いを何度もしてしまう。
自身の行動の結果、何が起きるかということを考えられる人間が減っているのだ。
コロナ対策のワクチンを打つ打たないの話もまさにそれである。
「ワクチンを打って死んだ人がいるから打たない」という選択の先に何が待っているか。
別にワクチンを打たなくてもコロナにならなければ問題ないのだから実におせっかいだが、彼らを救いたい人がいるなら助言してやろう。
おそらく反ワクチンの連中は、コロナウイルスが中国のせいだと思いこんでいる。
だから、いつぞやのカプコンのバイオハザードのゲームの世界ように、いつ世界中にコロナウイルスの上位互換がばらまかれてもおかしくないということは理解できるはずだ。
つまり、ワクチンを打って死ぬということは、いずれ生物兵器で死んでしまうのである。
だから、ワクチンを打たないから幸せに長生きできるわけではない。
裏を返せば、放置しておけばいずれ死ぬ人間である。助ける必要はない。
そんな奴らがファンをやっているということは、そもそもファンというものがそれほど素晴らしいものではないと考えるべきなのだ。
要するに野次馬と変わらないのである。
Vtuberはファンあっての存在なのでとりあえずファンを大事にしているような態度をとっているが、ほとんどはファンの役のたたなさにがっかりしている。
支えてくれるのはVtuberが調子のいいときだけなのだから。
少しでも失敗したり不安なところを見せるとファンはすぐにどこかに行ってしまう。
Vtuberは永遠の存在だと信じ切っているからファンはじゃぶじゃぶ課金をしているのである。
いくらVtuberがファンのために活動しても、肝心なファンはVtuberのためではなく自分のために活動している。
駄目なVtuberを支えることをしなければ、落ち目のVtuberを応援することもない。
その結果、現実世界で負け組にいるのに、バーチャル世界で勝ち組になろうとしているのである。
そもそもファンは合うこともできないVtuberに対して一体何ができるのか。
いくらスパチャを投げても本人には届かないというのに。
自己満足なコメントが応援になるはずもない。
Vtuberの求める変な自分を愛してほしいという願いは叶わず、ファンの求めることをするVtuberになれば成功するという事実だけが残されている。
長く続けるには諦めと割り切りが必要なのである。
仕事と考えればこんなにもコスパの良い作業はない。
だがあくまでコスパがいいのは勝ち組でいるときだけ。
このような自分勝手な人間をファンと呼びます。
するとどうでしょう。
Vtuberを支えてくれる存在がたくさん集まって数字として形成されるではありませんか。
いろいろな言葉を剥ぎ取って現実だけ見て考えるなら、ファンはそういう存在なのである。
それに気がついた時、活動を続けようと思うVtuberはどれだけいるのだろうか。
活動に見合う報酬は莫大なものでなければならなくなるだろう。
アイドルは偶像とはよく言ったものであるが、アイドルを支えているファンという存在そのものが幻想なのかもしれない。
アンチというファンにとって都合のいい存在
アンチを抑え込むために必要なファンの数はどのくらいいるだろうか。
当然ながらファンの数はアンチを上回っていなければならない。
そのためには具体的なアンチの数を知る必要がある。
アンチの数を推測するには数字を見るしかなく、必然的にいくらでも偽造できるものであることは間違いない。
事実、アンケートを取ればネガティブな意見はいくらでもかさ増しできるし、低評価数もいくらでも水増しできる。
しかしながら、大体の平均数は推測することができる。
これまでに企業個人問わず多くのVtuberがアンチによって炎上させられてきた。
事件の大きさや当事者の人気にも左右されるが、平均を探っていけば最大値と最低値はおおよそ分かるだろう。
すると、不思議なことにアンチの数は箱の人気に必ずしも比例していないことがわかる。
アンチはVtuberを叩ければいいだけの存在なので、人目につく形で晒し上げられたものにはとりあえず食いつくものだ。
だから誰が炎上しても、同時に炎上が発生しない限りは、ほぼ同じ数のアンチがやってくるはずである。
それなのにVtuberによってやってくるアンチの数に数倍以上の差があるということは、アンチに混じってファンがやってきてアンチと同じことをやっているということである。
ファンチという言葉がある。
文字通りファンのふりをしたアンチということであるが、逆もありえるのである。
アンチのフリをしたファンもしくは自分がやっていることがアンチと変わらないファンが多数存在している。
だからVtuberによってアンチの総数が変わってくるのである。
兎田ぺこらの件で少しはファンも成長したかと思ったが、そんなことはなかった。
疑惑としては「クリスマスに配信を休んで彼氏と遊んでいた」という一般人には当たり前すぎる選択をしただけの内容なのだが、たったそれだけでファンが一斉に離れていったというのである。
Vtuberの人権は初期から議論されているのだが、ファンが推しに彼氏を選ぶ権利を与えないのは今も変わっていないらしい。
推しにとって自分が彼氏よりどうでもいい存在だったことを許せない人間が結構くっついていたようである。
結局、アンチの投稿した動画はあまり伸びず、まとめサイトも掲載を控えたことでホロライブを知らない人は誰も騒動があったことを知らないレベルにまで落とすことができた。
ファンによる火消しが成功したということである。
ここまではよかった。
だが、そのあと個人Vtuberが起こした不祥事が立て続けに発覚すると、ファンがアンチに加担してあっという間に大事にしてしまったではないか。
Vtuberの世界は平等でなければならない。
ホロライブのファンだけがお行儀よくしているだけでは駄目なのである。
このような状態が続いたためか、困ったことにファン同士の溝というものがホロライブとそれ以外でできてしまっている。
「上級国民は守られている!」と一般人が憤慨するのと同じようなイメージがホロライブに出てきてしまっている。
そして、ファン同士の衝突を一番恐れているのはホロライブにいるVtuberだろう。
自分たちとそれ以外でアンチの行動に差があることに違和感を感じているのか、だんだんと箱外とのコラボの数が減ってきている。
ホロライブのファンはホロライブ以外のVtuberに何かあったときに、果たして自分と一緒に助けてくれるのか疑問に思っているからである。
その結果として、昨日まで仲良くしていた炎上したVtuberに触れ得られなくなるのである。
ファンの行動に同調することはあっても、自分の行動にファンを同調させることをしなくなっていくのである。
Vtuberのコラボは、お互いに頑張ろうの精神からくるものである。
ファンを引き抜こうと思って手広くコラボすることはない。
その視点から考えると、ホロライブにはアンチと行動を共にしているファンの比率が高く、相手に迷惑をかけないように行動せざるを得ないことがわかるはずである。
そもそも、ホロライブのVtuberは人気すぎて箱外とコラボしている余裕がないというのも見えてきているが、あえて言わせてもらう。
寝てしまって決められた時間に来ないのが一種の行事になっていることが、ファンにとっては娯楽になっているようだが、個人的には不憫でならない。
休暇は、なんとなくでとっていいものである。
特に用もないけど数週間配信やめることができるVtuberは、どのくらいいるだろうか。
体を休めるために休暇を取るのは愚策であり、そもそもそれができないのは問題があるのだ。
何らかの事情で配信を休止にすることもあるだろう。
そういった当たり前のことをネタとして取り上げてしまうのは、アンチの行動ではないだろうか。
やはり、ファンは都合のいいようにアンチという架空の存在を作り出している。
おそらくVtuberにまとわりつくアンチの数はそれほど多くない。
それはVtuberを守ろうと多くの人間が動いてくれたおかげでアンチが手を出しにくくなっているからだ。
だが、それをいいことに減ったアンチの分をファンが補って自由に利用してしまっている。
自分はファンだから法律で罰せられないという変な自信からアンチのかわりにアンチのすることをやってしまっている。
確かに、そういったファンとは呼べないファンは一部かもしれない。
もし、一部だとすれば、その他大勢のファンが更生させればいいだけの話で、対処は簡単である。
しかしながら、逆に、アンチをしているファンが大部分である場合、誰も更生することはないし、関わりにくいファンということでVtuberが他とつながる機会が失われてしまう。
兎田ぺこらからファンが離れたときに、「うちの推しのところには来ないでくれ」と言う意見が大多数であったのを知るべきである。
もはやファンの扱いとアンチの扱いは同レベルになっているのだ。
推しのVtuberに活躍してほしいのであれば、まずは交流したいファンになってほしいものである。
ファンの引退に気づかない人たち
もう書くことはないと思ったが、また遺書が届いてしまった。
1年経っても相変わらず自称ファンは退化を続けている。
ミライアカリ引退に対する元ファンの感想は呆れたものである。
とうとう引退ではない。
ファンが一人残らず引退した結果である。
「俺はファンやめてないだろ!」と憤慨した貴方。それ、相手に届いていませんよ?
一応、運営と意見が合わなかった結果であり、俺たちファンは悪くないんだという空気が漂っているが、
運営とうまく言っていないのを知っていた自称ファンの人たちは何をしていたんですかね?
要するに沈みゆく船をぼーっと眺めていたわけだ。
それでは何も変わらない。
ここまで5年間最初からずーっと見てきたというのに何も学習していない、ということ。
いやそれとも、推しの引退がトラウマになって目を背けることしか出来ないのかもしれない。
要するに沈む姿を見ることもなく、助けを呼ぶ声も無視して、殺しちゃったんですね。
どうやらVtuberの引退には敏感なのにそれを支えるファンの引退には鈍感なようである。
もっと言えば、ファンが客に置き換わっている事に気づいていないのである。
客は飽きたら離れていくのだ。
推しから離れるものをファンとは呼ばない。
真面目に頑張るよりも安易にエロに走ったほうが伸びる。
ルールを守るよりも破って炎上したほうが伸びる。
はたしてそこでファンはどれだけ増えたのか。
同じ数字でも中身は全く違う。
そこに気が付かないから当初の目標を見失い、こんな理想とは逆のところに来てしまったのだ。
しかし彼女たちは被害者である。
ファンに支えられたコンテンツを見て育ってきたのだから、それなりの勝算はあったはずだ。
そして、いち早く客層の変化に気がついたホロライブやにじさんじは時代を切り開き乗り切っていった。
支えているのが客なのだからビジネスと割り切る他ないだろう。
どんなに歪んだ形でも客に金を出させなければ次が続かないのだ。
それに文句をいうのは時代遅れと言わざるをえない。
いまや共働きが基本。
タダ飯食わせて養ってもらえる奴なんてそれほどいない。
100円未満で飯が食える時代は終わり、200円で満足しなければならない時代となった。
ではい、一体いつからそうなった?
最初にVtuberはオワコンだと叫んだ人は称賛されるべきだ。
ファンがどんどん減っていくことに気がついていたからだ。
そして、気づかされたからこそ生き残った者たちがいる。
夢の中にどっぷりつかって現実を見せつけられた客との違いはそこだ。
オタクの高齢化という似たような言葉すらある。
昨日まで隣りにいたファンがいない。
それに気づいていさえすればなんとかなったかもしれないのに。
さて、夢の中にいるのに夢が見れないともがいている者たち。
夢の中で夢を追いかけて必死に寝続ける者たち。
未来は明るいかな?
もはややるべきことは明確なのだが、いくら犠牲が積み重なっても、客たちに進展はないだろう。
そのときそのときで夢を見れそうなところに金を消費するだけ。
幸い代わりはいくらでもいる。
パンがマズければケーキを食べようの精神だ。
そんなものは四天王の目指した世界であるはずがない。
当たり前なのに、それに気が付かないでここまで来てしまった。
本来見るはずのなかった悪夢をVtuberに手当たり次第押し付けるが如く走り続けている。
これではVtuberが消えてしまっても気が付かぬだろうなぁ。
それ、絵じゃん。
実によく刺さる。
あのときは反論できたが、今となっては苦しい言い訳。
いずれは鹿威しに金を払う客であふれるだろうよ。
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