ここではファンのお気持ち表明からファンが何を考えながらVtuberを推しているのか考察する。
ファンはVtuberより物を言う。
つまり、Vtuberの本心を知ることはできなくとも、Vtuberを推しているファンの本心は知ることができるということだ。
情けないファンに同調すれば、Vtuberは必ず滅亡する。
意外かもしれないが、私自身Vtuberやその関係者に直接意見しに行ったことはない。
私は部外者のたった一言でも莫大な影響力があることを自覚している。
だからこうしてひっそりと慰霊碑をたてて選ばれなかった未来を供養しているのである。
今、バーチャル次元に蔓延している流行病を知らずに飛び込むことは、ワクチンも防護服もなしにコロナウイルスの漂う空間に突入するに等しい行為である。
引き返せ引き返せ。
推しは推せるときに推せ
Vtuberの推しが引退した経験のあるファンの誰もが同意するこの言葉、これこそVtuberが引退する大きな原因である。
意味は読めばわかると思うが、「Vtuberは引退するものであるから、引退されても後悔のないように活動しているうちに全力で応援していこう」ということである。
後悔先に立たず。Vtuberが引退を宣言してから、「もっと推しておくべきだった」とお気持ちだけ公開するファンは後をたたない。
だから今後Vtuberを推す人に向けて、このような言葉が生まれたのだろう。
こう書くといかにもファンが後輩思いの素晴らしい人間のように見えるが、実際は逆である。
本来、ファンは引退した推しのことを後世まで語り継がねばならない使命がある。
これは生身の人間のアイドルも同じであり、ファンが語り継いでくれたからこそ、昭和以前のスーパースターのことですら我々は知ることができるのである。
だが、「推しは推せるときに推せ」という言葉は、「引退したらもう推さない」という意思表示である。
今のファンにとって、推しは「使い捨て」なのだ。
意識の高いファンは、「引退したVtuberには触れないのがマナー」だと言い出すことだろう。
今のVtuber界隈は、引退したVtuberには触れるなが一般的なルールのようになっており、引退したVtuberを話題に出さないように配慮が続けられている。
当然、引退後に二次創作をすることも控えられ、ファンは初めからいなかったかのように振る舞うのである。
だが、実際のところ、ファンは触れなくてもアンチは触れるのだ。
ファンが見て見ぬ振りをしているのをいいことにアンチは好き放題できる土壌ができてしまっていることに、何故気が付かないのか。
一番わかりやすい例が、楠栞桜である。
活動休止後、20万人近いファンが徹底的に触れないようにした結果、アンチだけが悪評について触れ続けたため、Vtuber史上最悪のVtuberになってしまったのが彼女である。
彼女は引退したわけではないが、「推せるときに推せ」理論でファンが推すことを止めてしまったために、いくら本人がイメージ改善に努めようとしてもどうにもならなかったのである。
死人に口なし。引退したVtuberは何もできない。ファンも推すのをやめて何もしない。
だからアンチが泥を塗り続ければ、どんな純粋潔白なVtuberでも糞まみれにすることができるのである。
ファンの頭の中には、Vtuberは引退するものだという諦めがある。
今を全力で楽しもうとして「推しは推せるときに押せ」という理論を考えだしたのである。
「推す」のではなく「押す」のである。
どうせ死ぬんだから熱湯風呂だろうが溶鉱炉だろうが突き落としてやれという発想である。
あとから来るであろうファンのためにVtuberの活動を支え続けることをしない。
自分さえ楽しめればそれで良いのである。
引退したVtuberを応援しているファンが何をしているか確認してみて欲しい。
死ぬかも知れない危険なことでも、配信だ何だと理由をつけてさせようとしていないだろうか。
ひたすら死地へ突撃を繰り返し命令する上官について行ける兵士は少ない。
Vtuberを引退の道へ押し進めているのは他ならぬファンなのである。
〇〇へ移籍したほうがいい
推しが伸び悩んだり、やりたいことが出来ていないとファンが感じると出てくる意見である。
これについては間違いではないし、Vtuberの抱える問題でもある。
転職の自由は保証されなければならない。
だが、企業系のVtuberとなると、いろいろな大人の事情で簡単に転職ができないのである。
個人勢のVtuberがガワごと持ち込みで企業のVtuberになることは割とある。
だが逆が許されたことはほぼない。
あるかもしれないが私は把握していない。
運営が消滅したためガワはそのまま個人勢で続けるというのはあったはずだが、有名所がガワの権利ごと相手に渡すというのは許されていないのかもしれない。
引退後もグッズを売り続けることも考えると簡単にガワを手放せないのだろう。
そのあたりの現実的な考えもできないで気軽に移籍を勧めてしまうファンがいるというのは憂慮すべき点である。
そもそも上記のような利権の話は今回の一番の問題点ではない。
一番の問題は、Vtuberの移籍がそのVtuberに関わった人々に与える影響を考えていないところにある。
いくらVtuberの中の人通し裏でやり取りできるといえ、所属する事務所が変わってしまえば今までの仲間と一緒に活動する機会は極端に失われてしまう。
特に親しい人がいなければ話は別だが、今まで共に歩んできたVtuberと離れるというのは大きな決断である。
そこまでして移籍をすすめるのは、ファンが推しのことを一番に考えているわけではなく、自分の見たいものを見せてくれる環境を作ることを一番にしているからである。
ファンの間には、「Vtuberが自由に活動できないのは運営が悪いせいである」という決めつけがある。
無能な運営は確かにいるのだが、ファンは自分の思い通りに行かないと原因の解決を運営に求めてしまう。
だから自分のわがままを聞いてくれる運営が一番だと考えてしまうのだ。
実際のところはVtuberが運営に感謝しながら活動していることがほとんどであり、ファンよりもよほど真摯に物事に向き合い常日頃からサポートしている運営に対して、面倒事ばかり起こすファンが文句を言うというのは、許しがたいことである。
Vtuberを「自分の欲望を満たすモノ」としてしか見れていないファンにVtuberの人生を任せることが出来るだろうか。
どうせファンは自分の行ったことに対する責任なんてとりはしないのである。
移籍して失敗したらさっさと次のVtuberに乗り換えるのは目に見えているし、移籍しなかったらしなかったでSNS上でグチグチ言い続けるのは明らかである。
結果として転生が一番現実的な選択肢なのだが、ファンはそのことに納得が行かないらしい。
移籍を進められるくらいなら、移籍をすすめるファンから逃げるほうがマシなのである。
如何にして頭のおかしいファンを引き剥がすかはVtuberに関わる人間すべての永遠の課題なのである。
原因はVtuberを取り巻くファンの方にあるのだ。
厄介なファンへの対策をしていくうちにVtuberの出来ないことが増えていく。
自業自得の結果のファンの愚行の尻拭いを推しにやらせてはいけない。
〇〇しか勝たん
これはVtuberに限らずファンがよく使う言葉である。
何のひねりもない、自分の推しが一番ということである。
つまり、一番だと思っているから推しているということである。
もし、自分の推しが一番でなくなったらどうするつもりなのだろうか。
事実を無視して自分の推しが一番だと言いはるのだろうか。
うさぎとかめの話、もしくはアキレスと亀の話を引き合いに出して、亀が足の早い動物だと言いはる。
そんな奴はなかなかいない。(いないとは言っていない)
だから、一番でなくなったら推しを変えるのだろう。
しかしながら、それはファンと呼べるのだろうか。そんなファンに推してもらっても不安しか感じない。
少し考えればわかるように、Vtuberには本来勝負というものが発生しない。
自分の推しを引き合いに出して勝ち負けを決めるなどありえないのだ。
矛盾である。矛盾は争いを呼ぶ。
未だに自分の推しを武器にして殴りかかるファンが後をたたない。
そういうファンは頭の中に、自分の知らないVtuberと戦う考えがある。
「俺の知らない奴が俺の推しより優れているなんてありえない!潰してやれ!」という行動をする。
たとえそれが推しのVtuberのコラボ相手であったり親友だったりしてもである。
これをされるとVtuberは他のVtuberと絡みにくくなる。鎖国である。
で、酷くなると他のVtuberから共演はおろか名前を出すことすら拒否されるのだ。隔離である。
この事態について、ファンは問題視しない。
推しさえ活動してくれればそれでいいし、他のVtuberのことなんて知ったことではないからである。
加えて、実は仲が良かった事が判明したときに、ファンは謝りもせず方向転換して全肯定を始める。
もしくは、自分の嫌いなVtuberだからと二度と関わらせないように暴れ始める。
実によくある。
本人の意志を無視してくっつけたりはなしたり、Vtuberにとって、これほどファンを疎ましく思うことはない。
四天王がみんな仲良くを掲げて始まったVtuberの世界は、今や現実世界の生き写しとなっている。
人間は仮想世界においても、無能な人間にコントロールされることを望んでいるのだろうか。
勝ち組になりたいと言いつつ、やっていることはアンチに加担して争いを起こし、自らは戦わず、長いものに巻かれようとするだけ。
「勝たん」というより「眼中にない」のである。
Vtuberは引退すると何も残らない
引退したVtuberの配信は、基本的に消去されることが多い。
残してくれるVtuberもいるが、死んだVtuberに意思を確かめることはできないので、引退後に何かあったら、復活させる作業をできる人は誰もいない。
また、Vtuberとしての活動は履歴書にかけないというのが通説である。
他のVtuberに転生するのであれば明かすこともできるが、身バレすると芋づる式に関係者が特定されてしまうため、心あるVtuberであれば、前世の話はしないのが普通である。
こうして考えていくと、引退したVtuberに残されるものはほとんどない。
だから「Vtuberは引退すると何も残らない」という言葉ができた。
しかし、この言葉はもともとはアンチが作り出したものである。
Vtuberという職業に否定的なアンチがこれ以上Vtuberを増やさないように広めた言葉である。
これをファンが使うようになっていったのは、どのような意味があるかわかるだろうか。
単純なことである。「引退すると何も残らない」のだから「引退しないでくれ」ということである。
事実からVtuberにならないように忠告する言葉が、個人的な我儘からVtuberでいることを引き止める言葉に変わってしまった。
もはやアンチの方がVtuberのことを考えているのではないだろうか。
実はこれには理由がある。
Vtuberに引退してほしくないのはアンチも一緒なのだ。
Vtuberが炎上するからアンチが叩きにいけるわけで、Vtuberが引退したら叩ける相手が減るのである。
今のファンは引退したVtuberには触れないので、引退したVtuberを使ってファンを煽ってもイマイチ反応がない。
アンチは、アイドル部の件でファンがいともたやすく推しを変えて逃げ回ることに気が付き、叩き方を手加減するようになったのである。
だからアンチは、アイドル部の崩壊以来、Vtuberを炎上させることはあっても、箱が壊れるほど大ダメージを与えないように注意している。
むしろラインを超えてVtuberに自分の意見を押し付けて引退に追い込んでいるのはファンの方である。
ファンは自分の行動で推しが引退を考えるなんて考えたりしないのだ。
だから手加減なんて考えない。いつだってやりすぎる。
そもそもVtuberが活動した証を消すのは、これ以上ファンを増やさないようにしたいからである。
会社としても変なファンがつけあがらないように消すしかないのである。
ファンのことが嫌いになっていなければ、自分の生きた証を残すために、配信や動画を残す判断をするはずである。
ただでさえVtuberは引退したら何も残らないのだから、活動した結果全てきれいさっぱり消し去りたいのはそういうことなのである。
自分で殺しておきながら、どうか消えないでくれと死体にすがりつく様は実に滑稽。
まだ活動が見たいんだと駄々をこねるために、アンチの言葉すら使ってしまう情けないファンを、Vtuberはどのように考えているのだろうか。
ハッキリ言おう。Vtuberが引退して何も残らなくなるのはファンの方である。
Vtuberは活動を辞めても関わった人との繋がりは残る。
友達を増やすためにVtuberになって、親友ができたらVtuberをやめてすべてを消す。
これが金目的で活動を始めていないVtuberにとって最善手なのである。
そもそも人気になりすぎて活動をやめるVtuberもいる。
キャラではなく根本的に陰キャでコミュ障なら誰だってそうなる。
ファンは推しが引退すると本当に何も残らない。
スパチャしたお金は戻ってこないのは当たり前。グッズも無価値。転売すらままならない。
あの時一緒に推していた仲間も、引退したら一切話題に出さなくなる。思い出話もできない。
だから推しが引退すると急に中の人の転生先を探し始めたりする。
今まで「タブー!タブー!」と喚き叫んでおきながら、乳飲み子が母親のおっぱいを欲しがるようにいなくなった推しの幻影を追い求めるのである。
全く無関係のVtuberに「推しと似ている!」と群がりに行くことも割とよくある。
「Vtuberが引退すると、ファンの手元に何も残らないから引退しないでくれ」を省略したのが、「Vtuberは引退すると何も残らない」なのである。
主語が違うのだ。
推しのことはそもそも頭になく、自分のことしか考えないのがファンだということがよく分かる。
ファンは気がついてないと思うが、そんなことがわからないほどVtuberはマヌケではない。
ファンは推しに似る
まるで自分が聖人にでもなったような言い方だが、逆を考えたことはないのだろうか。
ファンを見れば推しがわかるということになるのだが、自分で推しの首を絞めてはいないだろうか。
数字ばかり目を向けて他人の迷惑も考えず騒ぎ回り都合の悪いことはもみ消すファンが推しているVtuberは、同じくろくでもない人間ということになるのだが。
結論から言おう。ファンが推しに似たわけではない。
ファンが推しを取捨選択した結果、自分の価値観と一番近い価値観で活動しているVtuberのところに居座ってしまったので、Vtuberがファンに気を使って合わせてあげているだけなのである。
そもそもファンは推しに似ようとする努力をしているだろうか。
Vtuberの使っている言葉を自分で使ってしまうファンはいても、そのVtuberの本質となる物の考え方を真似するファンはほぼいないのではないだろうか。
むしろ自分の価値観や好きなものや要望などVtuberに押し付けて自分好みに仕立て上げようとしているのではないだろうか。
ファンには相手に合わせる義務がない。
気に食わないなら推しを切り捨てる自由がある。
誰かに合わせる必要がないからだ。
だがVtuberにはファンのためにファンに合わせなければいけないという使命感がある。
関わったすべての人に迷惑をかけないように行動しなければならない。
そうしていくと、居着いたファンに合わせるほかないのである。
それでもファンは離れていくので、残るのはVtuberがファンに合わせた作った偶像にくっついてくるファンだけである。
結果、鏡に向かって話しているような状況になるのである。
Vtuberは素晴らしい人ばかりである。
もしファンが推しに似るのであれば、素晴らしいファンで溢れかえっているはずである。
現実は違う。
ファンのやることは変わらない。
もしこれが推しに似た結果であるなら、Vtuberは嘘がうまいだけで糞みたいな人間ばかりということになってしまう。
Vtuberの積み上げた努力を泥でコーティングして台無しにするのはやめてほしいものだ。
〇〇大好きだよ/WeLove●●
ファンが推しに感謝を伝えるのは大切である。
ファンに嫌われたら推しも活動をやめたくなってしまう。
だからこそ好意を伝えるのは必要不可欠なのだが、相手やタイミングを誤ると逆効果となる。
例えば、推しに恋人ができて炎上して引退しそうな時である。
ファンは引退をさせないように必死になるだろう。
ツイッターなどを使って大好きだからやめないでと喚き散らすに違いない。
だが、このケースに限っては、推しが一番求めているのは、ファンに大好きな人との交際を認めてもらうことである。
恋愛が原因で炎上したのであれば、運営としては諦めるように言わざるを得ない。
アンチのみならずファンが炎上させているのだから、諦めないとファンが味方にならない。
見ろ、ファンはお前に事を大好きだと言っている。
君はみんなのアイドルであり、誰か1人を愛するというのは許されない。
こういうときにファンが結婚して幸せになってくれと言ってくれたらどんなに助かるか。
ファンが支えてくれるのなら運営としても本人の意志を尊重して見守るしかないだろう。
事実、Vtuberで活動しながら結婚して子供ができているケースもある。
どこで差がつくかといえば、やはりファンである。
いくら運営が認めてもファンが暴れまわっていては何かしないといけないのが運営の辛いところだ。
推しには心に決めた人がいるのに、ファンはLoveを伝えてくる。
苦しい。
ファンは大切だが、結婚を前提に相手しているわけではない。
Vtuberをやめたら、もうただの他人である。
恋愛や結婚の障害でしかない。
欲しいのは金ではなく、愛である。
ただし、ねじ曲がった自分勝手な愛をぶつけられたら、それはただの迷惑行為を受けているだけである。
ファンは気づいていない。
ファンが伝えようとしているのは愛ではなく、ただ配信が見たいという欲であることを。
そのためには推しの人生を犠牲にしろと言っているのだ。
1人や2人ならまだしも、世界中のファンが間違った応援をすれば、引退したいという思いが強くなるだけである。
そもそも相手を元気づけるのは難しいのである。
ファンが推しを気遣ったら、ファンを気遣わせてしまったことに対して推しがショックを受けた、ということもあった。
励まされた推しの気持ちを考えてどう励ますか決めるべきである。
ファンのその行動、自分が得しただけで、推しは損ばかりしているぞ。
と、言ってやりたかったが、どうせ止まらんだろうな。やめよう。
部外者に言われても問題行動を改めないファンを見たらVtuberがさらにショックを受けるしな。
●●のせいで推しが引退した!
まあ、こんなことを言っているファンがいる時点で引退するのも当たり前だが、結構多いのも事実。
質の悪いファンほど原因を自分以外の対象に求めてしまう。
そして、自分自身に間違いがあることに気が付かないまま次の推しのところに行き、同じように引退させるのである。
わかりにくいのであれば例を考えてみよう。
今、貴方のところには兵士がたくさんいる。
あるとき一人の兵士が銃弾にあたって死んだ。
貴方は怒って反撃のために兵士を送り込んだ。
しかし送り込んだ兵士は帰ってこなかった。
貴方はますます怒って兵士を送り込み続けた。
さて、結果的に問題は解決したのだろうか?
どこかで解決したと考えた奴はマヌケもいいところである。
結果的に兵士は全滅になるのがわからないのだ。
やっていることは銃弾の飛んでくるところに兵士を送り込んだだけ。
どうやって兵士が死なないようにするかということを考えていないのである。
そのくらい自分で考えろと思う奴はファンに向いていない。
解決策がすべて他人任せなのである。
問題が発生したら自分でなんとかできるVtuberに出会うまで、押しを見殺しにし続けるということである。
能力のあるVtuberにファンが多いのは、そういう側面があるからである。
ファンの無能をカバーできるVtuberであれば、ファンが他人に原因を求める厄介者ばかりでも問題ないのだ。
そんなVtuberは一握りしかいないので、ある特定のVtuberにばかり数字が集中するのである。
もし、そんなVtuberが耐えきれず大爆発したら、抱え込んでいた無能たちはどうなるだろうか。
当然、責任を周りに求めて次のVtuberのところに行くのである。
推しを引退させるのは、アンチでも運営でもない。
推しを助けようとしないファンから逃げるために引退するのである。
そもそも、原因がファンにある場合、一緒に解決しようとするのは運営や周りの仲間である。
だが、ファンは運営や周りの仲間が何もしないせいだと主張して、攻撃すら始めるのだ。
自分の抱えていたファンが、今までお世話になった人たちを攻撃している状況は、推しにとって幸せなことなのだろうか。
これで私のために暴れまわってくれてありがとうというVtuberがいたら要注意である。
なぜ自分にとって不都合でしかないファンを連れて行こうとしているのか。
厄介なファンは行動を改めないというのであれば、厄介なファンを別のVtuberのところに持っていくしかないのだ。
ファンから離れるために引退するのに、転生先をほのめかしてファンを連れて行くのは辻褄が合わないのである。
だが、目的と結果は既に我々は知っているはずだ。
忘れたとは言わせない。楠栞桜がどのような運命をたどったか。
楠栞桜と同じように動けば、同じような結果が仲間の身に起こるのである。
箱をぶち壊して一旦ファンをリセットし、原因は自分にあるにも関わらずそれに気が付かないファンを引き取って、仲間と関わりのないところへ輸送するのだ。
ファンが行動を改めない以上、Vtuberが犠牲になるしかない。
しかも、犠牲になるのは箱内で1番優秀なものである。
そうでなければファンは箱に残ってしまう。
もう箱は終わりだとファンにわからせ引き離さないといけないからだ。
正直驚いている。
どうなるかわかっているはずなのに、同じことをそのままやろうとするVtuberがいるなんて思いもしなかった。
だが、考えてみれば当たり前のことだ。
ファンが対応を変えないから、Vtuberも対応を変えることができないのだ。
そして、非常に申し訳ないが、次は失敗するだろう。
同じことをしても状況は変わらない。
無駄死にだ。
なぜなら、厄介なファンは箱の外に素晴らしい世界があると思っていない。
あいつらは自分が1番なのだ。
自分の世界に夢中になり、推しの声すらまともに聞きはしない。
犠牲になったのが100万人のファンを持つVtuberなら、その数倍以上のファンを持つVtuberのところに行かなければならない。
その候補が同じ箱の中にしかないのだとしたら、ファンは箱にとどまってしまう。
早く気がついてくれ。
いくら頑張って箱から犠牲者を出しても無限にVtuberが補充されてしまうのだから。
箱に残っても出ていっても終わらぬ苦しみに苛まれるだけということを。
ファンが気が付かなければ、目を覚ましたときにはグッバイ世界。
もう既に止められないのだとしても、言うだけは言っておこう。
世代交代などの発言
さて、黎明期の顔だったVtuberが引退もしくは人気が落ちるたびに「世代交代」が声高に叫ばれているが、
一体何を勘違いしているのだろうか。
先人の築き上げてきた過去の栄光を奪い取りたいという心が見え透いてならない。
今のVtuberは黎明期の四天王から一体何を引き継ぐことができたのか。
世代が変わったのではない。全く別のものに取って代わられたのだ。
そもそもVtuberの定義が変わったというのもある。
最近はVtuberを題材にした作品も増えてきたが、Vtuberはキャラを演じるもので、演じている人間とは全く別のものであるというのが主流である。
Vtuberは一人の人間であるという話もどこかにいってしまった。
おそらく、裁判沙汰にまでなったのがリスクと捉えられたのだろう。
Vtuberと会社の間のトラブルはどこの箱でも発生しうるものである。
ミライアカリ引退の原因がそうであったように、Vtuberの人権を尊重するのは難しいのだ。
だから「Vtuberは客から金を搾り取るための人形である」としたほうが都合が良かったのだ。
実際、キャラを演じないとVtuberとしてお客様の要望に答え続けるのは難しい。
心が壊れてしまう。
そもそもお客は欲望に忠実にVtuberと接しているからそうしたほうがビジネスとしてよいのだ。
となると、「世代交代」ではなく「わからせ」であるというべきだ。
もう黎明期に見ていた夢は実現できないところに来てしまった、ということをわからせたのだ。
世代交代という言葉を使うのは、俺たちの推しが四天王の後継者であるといいたいがためだろう。
要するにお客を奪い取りたいのである。
もし、世代交代したのであれば、どこかの箱が突出して特別視される世界にはなっていないはずだ。
もはやVtuberがバーチャル世界で自分が自分らしく生きられる存在ではなくなってしまった。
Vtuberは企業にとって商品の1つでしかない。
また、Vtuberの中の人もそれを自覚して、商品を売り込むことが求められる。
そうすることで初めてVtuberの中の人は「自由」を得ることができるのだ。
アイドル売りしているVtuberが現実世界で結婚して家庭を築けるのは数少ない進歩の一つである。
アイドルは恋愛できないという一般論を回避することが出来たのは悪くない。
今の自称ファンの厄介さを考えれば賢い選択だったと言える。
だからこそ世代交代などという言葉で片付けるべきではない。
お客様に本当の自分を理解してもらうのはやめよう。
リアルとバーチャルは別物である。
夢が潰えたからこそ次の段階に進めたのだ。
そして、夢が消え失せてしまったことに気づかず目が冷めたまま必死に夢にしがみついているお客にはそのまま寝ていてもらう。
お互いにそれが一番良かったのだ。
最近は蛙化現象なんてものが当たり前になっている。
ファンですらそうなのだから本心なんて伝えるメリットはない。
Vtuberは決して振り向いてはならない架空の存在でないといけないのだ。
振り向かないからこそオタク共は夢中になるのだ。
なぜ四天王の掲げた夢が叶わなかったのか理解できるだろう。
アイドルとしては身近になりすぎたのだ。
今の人間にとって隣人は他人である。
Vtuberの隣に立つことで蛙化現象が高確率で発生してしまうのだ。
そして、それでも隣に立ちたいというのは、性欲から来る衝動である。
コミケでレイヤーに群がるカメコを想像してほしい。
猛獣に自由を与えてはならない。
子供の頃に想像していた優しい世界は、バーチャル世界に行ってもなかったのだ。
確かにVtuberが活躍できる世界の土壌はできた。
それはそれで偉大な功績なのだが、結局、訪れる人のマナーが悪ければその上に構築するものを変えなければならない。
城を築城した人の名前は知っていても、実際に城を建てた人員の名前は知らない。
悲しいがそういうことなのである。
荒れ地を切り開いて土地を用意した人よりも、バカでかい建物を建てた人のほうが偉く見えるのだ。
四天王から託されたものが何だったか、もう一度考えてみるがいい。
残せたものが何も出てこないからこそ、世代交代と言って事実を否定してしまうのだろう。
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