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野球日本代表(やきゅうにほんだいひょう)とは、国際野球連盟(IBAF)主催大会や、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)出場時に編成される、日本の野球代表チーム。
日本の野球界は日本プロ野球や学生野球(社会人野球・大学野球等)がそれぞれ複雑に絡み合って発展してきた。またそれぞれの団体が独立して運営されてきており、柳川事件でのプロとアマの対立に代表されるように、時に団体毎での対立が問題となってきた歴史がある。
国際試合においては、国際野球連盟(IBAF)が主に統括しているが、かつては金属バットの使用を認めており、またプロそのものの参加が認められていなかったため、野球日本代表はアマチュア選手(学生野球・社会人野球)のナショナルチームであり、代表選手選出においてもアマチュア協会側が主導で決定してきた[1]。ところがIOCによるオリンピックへのプロ派遣要望等を受けて、1998年、国際大会へのプロ参加容認等が転機となり、野球日本代表の在り方を巡っては、それぞれの団体の思惑等も絡み、大会毎に対応が異なってきた歴史がある。
2011年現在においても各協会の合議体として全日本野球会議はあるものの、サッカーにおける日本サッカー協会のような日本野球界全体を統括する組織ではない。国際野球連盟(IBAF)主催行事であるIBAFワールドカップやIBAFインターコンチネンタルカップについては全日本野球会議が、MLB機構主催であるワールド・ベースボール・クラシックの選手派遣については日本野球機構(NPB)が主導的に対応している等、対応が異なっているのが現状である[2][3][4]。
1954年、アジア野球選手権開催にあたり、アマチュア球界で代表チーム編成のため、 日本学生野球協会と日本社会人野球協会(現日本野球連盟=JABA)が共同で「日本アマチュア野球協会」を結成する。ここから代表チームが編成される。これが野球日本代表の最初と言える[5]。「日本アマチュア野球協会」からアジア野球選手権に6回代表チームを送りこむ(社会人3回、学生2回、混合1回)。しかし「日本アマチュア野球協会」を、日本バレーボール協会や日本サッカー協会のようなアマチュア野球の統括組織にしようとする動きに日本学生野球協会が反発。1966年学生協会が脱退。アマチュア協会は空中分解し解散した。
学生側と社会人側の対立で日本アマチュア野球協会は解散したが、国際試合に代表を送りこむための組織は必要だった。そのためよりゆるやかなアマチュア球界組織として、両協会の付属機関として1967年、「日本アマチュア野球国際委員会」を設立する。この委員会のもと、1972年世界選手権初出場、1973年インターコンチネンタルカップに出場し優勝、1980年世界選手権日本開催、1987年アジア野球選手権日本開催、公開競技として1984年のロサンゼルスオリンピック、1988年のソウルオリンピックの両五輪に代表チームを送りこみ、それぞれ金メダル・銀メダルを獲得した。
1992年のバルセロナオリンピックから正式競技となることに伴い、野球代表組織が改めて問題となった。「日本アマチュア野球国際委員会」は存在したものの、、野球の代表組織として日本体育協会(体協)、国際野球連盟に加盟していたのは日本社会人野球協会であったため[6]。バルセロナオリンピックから野球が正式競技になることにより、国際野球連盟にアマチュア球界で統合して加盟する必要が出てきた。このため「日本アマチュア野球国際委員会」を発展的解消し、日本学生野球協会と日本野球連盟(旧日本社会人野球協会)の上部組織でない「屋上屋」の組織として1990年「全日本アマチュア野球連盟」(BFJ)を結成し、この組織が国際野球連盟、アジア野球連盟、日本オリンピック委員会(JOC)に加盟する。以後、野球日本代表チームはこのBFJが編成することになる[7][8]。
厳密に日本代表ではないが、阪神大震災のあった1995年に、日本人選抜チームと外国人選抜チームとのチャリティマッチが開催されている。
国際野球連盟は、1998年から国際大会へのプロの参加を認めた。1998年のバンコクアジア競技大会野球競技[9]には韓国代表はオールプロで挑み(その中にはメジャーリーガーのパク・チャンホもいた)、圧倒的強さで優勝した。
BFJはプロが参加しない限り2000年のシドニーオリンピックは出場できないと言う考えで固まり、1999年のシドニー五輪予選にはBFJがプロ野球側に要請する形でプロ野球選手の初の国際大会出場が実現する(この時プロ側にも五輪参加の方針でセントラル・リーグ、パシフィック・リーグ、各球団で温度差があった)。古田敦也(当時ヤクルト)・松坂大輔(当時西武)等を含むプロアマ混成チームはアジア予選を突破するも、オールプロの韓国に再び敗れた。2000年シドニー五輪本選も、プロアマ混成チームで望み、その結果メダルをかけた3位決定戦でまたしてもオールプロの韓国に敗れ、日本はロサンゼルス五輪以来初めてメダルを逃がすこととなった。
もはや中途半端な編成で挑む限りメダル獲得不能と判断した日本は、2004年アテネオリンピックはオールプロで臨むことを決定。代表の編成権もBFJから全日本野球会議に移行することになり、2001年に台湾でのIBAFワールドカップから、全日本野球会議が日本代表チームを送り出すこととなった。しかし、プロの力を以てしても世界の舞台で勝つのは容易ではなく、台湾ワールドカップに続き2002年インターコンチネンタルカップでも成績は振るわず、アマ出身の後藤寿彦監督が更迭されるなど、日本代表は長く不振が続いた。
2003年アテネ五輪アジア予選は、メジャーリーガーを除くオールプロの日本代表チームが結成されることになったが、プロ野球のシーズン終了直後であったことから、国内トップクラスの選手を揃えることに成功した。監督もアマ出身者から選ぶ方針を転換し、プロ監督経験者であり国民的人気も高く、日本シリーズ優勝経験もある長嶋茂雄が率い、見事優勝で予選を通過した。翌2004年のアテネ五輪本選は、プロ野球がシーズン中であるため12球団から2名ずつが選抜されることとなり、さらに長嶋茂雄代表監督が急病で倒れ、プロの監督経験がない代表コーチの中畑清が指揮を代行するなど、予選と違い万全の体制には程遠かった。予選リーグこそ全勝で1位通過を果たしたものの、準決勝ではオーストラリアに敗退。しかし3位決定戦ではカナダを圧倒、銅メダルを獲得し辛うじてオールプロの面目を保った。アテネ五輪は、オールスター級のプロ選手を揃えてもなお、世界の壁は容易に破れないことを改めて実感させる結果となった。
最後のオリンピックとなった北京オリンピックでは、日本一の経験こそないが中日・阪神でセントラル・リーグ優勝経験を持つ、プロ出身の星野仙一監督が率い、2007年のシーズンオフに行われたアジア予選を突破した。しかし、アジア予選主力メンバーを引き続き招集して挑んだ北京五輪本戦は、12球団選抜との壮行試合で大敗するなど、当初から士気や選手のコンディションの低さが指摘されていた中、3位決定戦でアメリカに敗れ、シドニー五輪以来のメダルなしに終わった。過去の五輪代表チームのような編成上の問題以上に、不調や故障中の選手、かつて監督を務めた阪神・中日の選手を重用し、結果としていずれも使い潰してしまうなど、偏った起用法による弊害が見られたことが大きな特徴であった。北京五輪を経験したプロ選手には、日本代表に対する不信感を生じさせる結果となるなど、大会後も悪影響を及ぼしている(詳細は北京オリンピック野球日本代表の項を参照)。
2011年9月にパナマで行われるIBAFワールドカップは、プロ野球選手の日本代表やU-26日本代表が常設される予定にも関わらず、アマ選手のみで出場することが決まった。
現状でも、WBCこそプロ一線級が出場するが、IBAF主催大会はプロ二軍か社会人・学生主体メンバーで臨んでいる。
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、アメリカ・メジャーリーグベースボール(MLB)機構およびメジャーリーグ選手会が主催し、日本側は日本プロ野球機構(NPB)および日本プロ野球選手会が代表組織として対応している。実際の力量としては真の日本代表と言って差し支えないが、WBC代表は全日本野球会議による選考ではなく、一部の組織に過ぎないNPBによる選考であり、形式上は正式なフル代表(全日本)ではなく、序列としては格下の選抜チーム(日本選抜)に相当する。そのため、ユニフォームも全日本のものを着用せず、NPBで独自に制定したものを使用している。
2005年5月、アメリカ・メジャーリーグベースボール機構(MLB機構)が野球の国際大会ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の開催を発表する。国際野球連盟(IBAF)のプロ解禁後も、MLB機構は国際大会への参加を認めておらず、オリンピック・W杯に代わる真の意味での世界一を決する大会にしようとの考えであった。IBAFのアンチドーピング規定をMLBが飲むと言う条件で、WBCはIBAF主催ではないが公認の世界大会と位置付けられた。そして16の国・地域招待と言う形で2006年3月に第1回大会が開催されることとなった。当初、MLBの独善的な運営、3月という開催時期への疑問から参加に難色を示した日本も最終的には参加を決定した。王貞治監督のもと代表チームを編成し、MLBからも2名(イチロー、大塚晶則)が参加し、初めてMLB選手も含めた日本代表が結成された(詳細は2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表を参照)。王監督率いる日本代表チームは1次リーグ、2次リーグを突破し、決勝ではキューバを破り、日本が初代「世界一」の座に就いた。2009年の第2回大会もNPB・MLB所属選手の選抜チームで編成され、原辰徳監督率いる日本代表チームは決勝で韓国を破り連覇を達成した。
一方で、代表監督がNPBの球団監督との兼任であるため負担が大きいこと、第1回大会と同様に代表候補選手の辞退者が相次ぐなど、従来より抱えていた編成上の課題を解決することはできず、今後のWBC日本選抜の在り方に一石を投じる大会ともなった。
2013年大会のために、広告代理店主導で強化構想が示されており、日本代表の常設や、26歳以下の年齢制限がある大会は無いものの、U-26日本代表の併設案も検討されている。
オリンピックの野球日本代表は、1984年のロサンゼルスオリンピック(公開競技)から1996年アトランタオリンピックまでは、アマチュア選手のみのチーム編成であった。プロ選手の参加が認められた2000年シドニーオリンピックでは、アマチュア主体のメンバーに松坂大輔ら、プロ8人を参加させた混成チームで出場したが、初めてメダルを逃した。2004年アテネオリンピックでは、初めてプロ野球選手だけでチーム編成を行い、銅メダルを獲得した。チームへの選出には日本国籍を有することが条件となっている。
なお、2005年7月のIOC総会で、ロンドン大会では削除されることが決定したため、今のところ北京が最後のオリンピックとなる。
夏季オリンピック | |||||
---|---|---|---|---|---|
開催年 | 開催場所 | 結果 | 日本代表 | 備考 | |
1984年 | テンプレート:Flagiconロサンゼルス | 金メダル | 代表メンバー | 公開競技 | |
1988年 | テンプレート:Flagiconソウル | 銀メダル | 代表メンバー | 公開競技 | |
1992年 | テンプレート:Flagiconバルセロナ | 銅メダル | 代表メンバー | 正式競技(詳細) | |
1996年 | テンプレート:Flagiconアトランタ | 銀メダル | 代表メンバー | 正式競技(詳細) | |
2000年 | テンプレート:Flagiconシドニー | 4位 | 代表メンバー | 正式競技(詳細) | |
2004年 | テンプレート:Flagiconアテネ | 銅メダル | 代表メンバー | 正式競技(詳細) | |
2008年 | テンプレート:Flagicon北京 | 4位 | 代表メンバー | 正式競技(詳細) |
ワールド・ベースボール・クラシックでは各国の代表入りに関する条件が
の5条件の内の何れか一つ以上を満たす事となっている。
ワールド・ベースボール・クラシック | |||||
---|---|---|---|---|---|
回数 | 開催年 | 開催場所 | 結果 | 日本代表 | 備考 |
1 | 2006年 | テンプレート:USA | 優勝 | 代表経緯 | 詳細 |
2 | 2009年 | テンプレート:USA | 優勝 | 代表経緯 | 詳細 |
※はプロが参加した代表チーム。
どの団体球技も、世界選手権や五輪等に送りこむ「最強」の代表チーム以外に、選手資格に年齢制限がある大会に送りこむ年代別代表チームが存在する。しかしながら代表チームの概念が曖昧だった日本の野球界にはそのような年代別代表チームを編成することがほとんどなかった。野球も各年代ごとの国際大会は行われており、日本からも参加している。だがこれらのチームは全日本野球会議や全日本アマチュア野球連盟が編成する正式な代表チームでなく、全日本大学野球連盟や日本高等学校野球連盟が送りこむ選抜チームであるのがほとんどであった。
他の競技が年代別の代表チームを定期的に招集し強化を行い、またラグビーの桜、サッカーの青のようにフル代表と同じユニフォームを各年代が着て試合をすることで「日本」としての誇り・一体感も生まれているのに比べ、野球界はそう言った年代別の強化活動が著しく遅れていた。
ここに来て、ようやく野球も各年代ごとの代表整備に力を入れ始め、まず大学年代(U-22年代)が、2002年世界大学野球選手権大会の参加チームを全日本野球会議の代表事業に認定。2006年第2回IBAF女子野球ワールドカップから女子代表が、2007年第13回AA世界野球選手権大会(中止)からU-15代表が、同年第7回AAAアジア野球選手権からU-18代表が、それぞれ全日本野球会議の代表事業に認定され、正式な代表チームとなった。野球も今後、各年代ごとの代表チームを常時招集し、強化していくことが望まれている。
大学生による競技大会としてはユニバーシアードがあるが、野球は普及度の低さから含まれなかった。そこで国際野球連盟(IBAF)は2002年から国別対抗の大学生による世界大学野球選手権大会を開催することとなった。この大会にチームを送りこんだのは、全日本大学野球連盟でなく全日本野球会議である。第1回大会当時の代表編成委員会の強化本部長は長嶋茂雄が務めた。ユニフォームも台湾ワールドカップやアテネ五輪でプロが着用したものと同じである。そう言った意味でこのチームが日本野球界初めての年代別日本代表と言える。ちなみに同大会の参加資格に大学生であるという条件はないく、規約上は同年代のプロ、社会人も選考可能である。なお、1972年から毎年開催されている日米大学野球選手権大会は、全日本大学野球連盟主導の大学選抜チームであり日本代表ではない。
AAA世界野球選手権大会は国際野球連盟(IBAF)主催で1981年から行われている18歳以下で競われる国際大会。日本は夏の甲子園大会・全国高等学校野球選手権大会と時期が重なるため近年までチームを送ってこなかった。2004年大会は9月開催となったため初めて甲子園参加者も含めた選抜チームを参加させた。AAAアジア野球選手権は1994年が第1回。こちらは9月開催なので毎回参加している。近年は世界選手権とアジア選手権が隔年開催で、アジア選手権が世界選手権の予選を兼ねている。このチームは全日本野球会議が送りこむ日本代表でなく、日韓親善大会や日米親善大会と同じあくまで高野連が編成する「高校選抜」であった。2007年の第7回アジアAAA選手権では金属バット使用が禁止されたため、高野連はチーム派遣を拒否。このため日本野球連盟は傘下の企業(早生まれの1年目)、クラブ、専門学校の選手から代表を選考し、同大会に送り込むこととなった。このチームは全日本野球会議から代表事業として認定され、同大会に参加する初めての正式なU-18代表となった。この大会も高校生であることが参加資格でなく、早生まれのプロ、社会人、大学1年目の選手も参加可能である。高野連に限定しないオールジャパンの18歳以下代表候補を定期的に招集し合宿を行い、この年代の強化に当てることが望まれている。
AA世界野球選手権大会は国際野球連盟(IBAF)主催の16歳以下で競われる国際大会。2005年、メキシコで第12回大会が開かれ日本は4位に入っている。この大会のチームを送っているのはリトルシニア。中学年代の硬式野球チームは、学校チームは存在せずクラブチームのみ。老舗のリトルシニア、ボーイズリーグほか7つの連盟が混在する。これら7つの連盟が一堂に会し競い合う大会は、毎年8月に東京で開かれるジャイアンツカップのみである。このAA世界選手権参加チームも、オールジャパンの代表チームでなくリトルシニアの選抜チームである。ジャイアンツカップが正式な全日本選手権に承認されたのを期に、7連盟すべてから選出された代表チームが編成され、11月に台湾代表との親善試合が実施された。なお、2007年ベネズエラで開催のAA世界選手権(中止)から、リトルシニア単独の選抜チームながら、全日本野球会議の代表事業に認定され、正式な15歳以下の日本代表チームとなった。
(野球日本女子代表も参照)
女子硬式野球の全日本チームが初めて結成されたのは1999年、フロリダで行われた春季全米大会参加のためである。この時の派遣元として組織されたのが「全日本女子硬式野球チーム実行委員会」である。まだ法人格を持たない任意団体であった。チームには大塚製薬がスポンサーに付き、「チームエネルゲン」と命名された。以降定期的に選考を行いチームを強化していくが、このチームが公的団体で組織された「代表チーム」でなく、実体としてはクラブチームと同じため、選考に合格した大学野球部所属の選手の参加は二重登録に当たると日本学生野球協会に拒絶される。このため同実行委員会は全日本女子を公的に真の代表チームと認めさせるべく、日本野球連盟加盟を目指し2002年「日本女子野球協会」と改組し、大学野球部からの参加も認められるようになった。2003年に法人格取得、2004年日本野球連盟加盟が承認され全日本野球会議構成団体となり、2006年女子野球日本代表が全日本野球会議の代表派遣事業として承認され、晴れて正式な代表チームとなった。国際的には2001年に国際女子野球連盟が発足、2004年には国際野球連盟(IBAF)主催の IBAF女子野球ワールドカップ(第1回大会)が開催され、女子野球日本代表は準優勝した。2006年には第2回大会が台湾で開催され、女子野球日本代表も初めてアテネ五輪代表と同じユニフォームを着用して参加している。2008年の日本の愛媛で開催された第3回大会では見事優勝を果たしている。
全日本野球会議以外の組織が編成した代表チームを指す場合と、代表チームが壮行試合を行う際に、代表に選ばれていない選手を集めて構成されるチームのことを指す場合とがある。後者の場合はプロ野球側が編成することが多く、プロ野球選抜・12球団選抜など名称は様々である。選抜された選手や監督の力量によっては、代表チームより実力が上の場合もあり、壮行試合で代表チームが苦戦することも少なくない。
本チームの名称は「野球日本代表」だが、2000年のシドニー五輪までは「全日本」と名乗っていた。それ以降はオフィシャルサイト等の公式な発表では、過去に遡って全て「野球日本代表」との表記で統一されている。名称の変更理由、変更事実は説明されていない。近年の「野球日本代表」と過去の「全日本」は同一のものである。
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