ラプラスの悪魔
量子力学は20世紀前半に生まれましたが、量子力学は力学の在り方を根本から変えるようなものでした。
量子力学は力学をどのように変えたのでしょうか。
量子力学以前の力学を古典力学といいます。
古典力学はかなり完成されたものでした。当時の物理学者たちは重箱の隅をつつくような小さなことを除いて、もう物理学は解明され切ったと信じている人もいたほどでした。
しかし古典力学が完璧だとするとある問題があったのでした。それがラプラスの悪魔という思考実験です。
古典物理学では、ある時間の「初期値」さえわかれば様々な物質がどのように運動するのか完璧に計算できるとするものでした。
ここでラプラスという頭のいい人がこんなことを言います。
ある時間のすべての初期値を完全に把握している知的存在を想定した時、その存在は古典力学を駆使して未来をすべて予言できるのではないか。
つまり、予言できるというのはつまりもうすでにどうなるか決まっているということです。
そうです。明日食べる朝食も、結婚相手も、死ぬ日もすべては決まっていることになるのです。
しかしこの考えは量子力学によって否定されることになります。
光は波か粒子か
古典物理学の生みの親であるニュートンは「光は粒子である」とする説にこだわりました。そうすれば、自身の物理学でまるでボールの軌道を計算するように光を記述できるようになります。また、ホイヘンスは「光は波である」と主張しました。
この論争を制したのはニュートンでした。これはニュートンが書いた「光学」が一般の人にも読みやすいように書かれていたからでした。
本当はどちらも正しくあり、間違ってもいるのですが、極端に粒子説が権威化されたため、光の波動説はトンデモ科学だとされることになります。
二重スリット実験
二重スリット実験は量子論と聞くともっともよく聞く実験ではないでしょうか。
ヤングという科学者がこんなことを考えます。
もしスリット(縦穴)を二重にして光を通せば、二重スリットに野球ボールを投げたときのように粒子ならスクリーンに二つの縦じまが現れるのではないか?
実際に実験してみたところ、スクリーンには干渉縞が現れました。干渉縞とは、波でしかありえないパターンでした。
スリットを通った後、複数の粒子が衝突しあってバラバラに飛び散った結果干渉縞のような模様を描いたのではないかと考えた科学者は、粒子を一つ一つ発射してみたのですがやはり干渉縞が現れました。
この実験で光に波の性質があることが分かったのです。
電磁気学の発展
17世紀になると、電気の研究が行われるようになりました。
18世紀には電気にはプラス極とマイナス極があることがわかりました。
キャベンディッシュは同じ極では斥力、違う極では引力が働くというクーロンの法則を発見します。
次に、電線に電気を流すと、その周りの方位磁石の向きが変わることがわかります。
電気と磁気は全く関係のないものだと考えられていましたが、何らかの関係があるらしいことがわかるようになりました。
ここでは説明しませんが、アンペールの法則や、ファラデーの電磁誘導の法則などもこの辺で出てくることになります。
量子論なのに電気と磁気の学問である電磁気学?と思われるかもしれませんが、電磁気学は次々と重大な発見をしていくことになります。
場の理論と遠隔力
さて、電気や磁気というのは離れたところに力を及ぼします。
離れているのにどうやって力を及ぼすのでしょうか。
当初、電気や磁気は離れたところに力を伝えることができる遠隔力だと考えられていました。
これに異を唱えたのがファラデーです。ファラデーは場の理論を打ち出します。
場の理論によると、電気や磁気が直接離れたところに影響を及ぼすわけではなく、周りの空間に順々に「性質」が伝わり、その空間の「性質」から力を受けるということになります。
マクスウェル方程式
これを発展させたのがマクスウェルです。マクスウェルは場の理論の形式をもちいた方程式によって、電気や磁気に関する法則を一つの式に表し、電気や磁気というのは同じ力の異なる現れ方に過ぎないことを示しました。
したがって、電場や磁場というのではなく電磁場と表現されるようになりました。
マクスウェル方程式をいじると、波を表現する形の式が得られます。
電場は磁場を生み出し、磁場は電場を生み出すこともこの式からわかります。
そうすると、この「波」は媒質がなくとも電場と磁場が振動することで進むことができるこのになります。
これを電磁波といいます。
この電磁波は光の速度とほぼ同じであるため、光とは電磁波の一つであると結論付けられました。
マイケルソン干渉計
マクスウェルも含め多くの科学者が「何もないところを伝わる波」というのを不思議に思いました。
多くの科学者は宇宙全体には「エーテル」という何かが充満していて、それが媒質となって波が伝わっていると考えていました。
そこでこの「エーテル」を測定しようとする試みが行われました。
もし「エーテル」があるのならものすごい速度で運動している地球は、走る車から手を出した時のように「エーテルの風」を感じるはずです。
そのに光を発射すれば「エーテルの風」の影響を受けるはずだと考えた科学者はマイケルソン干渉計という装置を作り上げ、測定してみましたが、どの方向からの光も干渉することはなく、「エーテル」の存在は否定されてしまいました。
光は、媒質を持たない波だったのです。
黒体輻射
さて、長々と説明してきましたが、この辺から量子論の産声が上がります。
人々は直接温度計を入れることのできない太陽や溶鉱炉の温度を知りたいと思うようになります。
加熱された物質は温度に応じて色を変えることがわかっていました。
これはどういうことかというと、加えられた熱エネルギーによって、物質を構成する電子などが振動し、その振動分の波長の電磁波を放射しているのです。
つまり、温度と光には深い関係があることがわかります。
科学者はこの問題を考えるため、黒体という、「与えられたエネルギーをすべて光として放射する」ものを考え、これにうまいこと合う式を導き出そうとしたのです。
しかしこれは全くうまくいきませんでした。有名な式には「レイリージーンズの法則」や「ヴィーンの法則」などがありますが、何をどうやっても実験結果と全く会いませんでした。
これを解決するには「量子」という考えが必要だったのです。
プランクの量子仮説
黒体問題に取り組んでいたプランクは奇想天外な方法で正しい式を導き出します。
プランクは、黒体を構成しているのはたくさんの数の電荷を帯びている粒子であると考えました。
この粒子は、それぞれに固有の振動数があって、ちょうどこれと同じ電磁波を吸収するとこれを放射する。そしてこれを振動子と呼びました。
そして、「この式が成立するためには」「振動子の吸収エネルギーは離散的な値しか取れない」ということを突き止めます。
そしてここから、「振動子には最低単位があるのではないか」という仮説を立てます。
この最低単位というアイデアこそが量子の概念でした。
ここで仮定した最小のエネルギーを持つ粒子をエネルギー粒子といい、エネルギーはこれの整数倍しか持てないのだから、粒子が持つエネルギーはある定数の整数倍になるので、この定数をプランク定数と名づけました。
アインシュタインの光量子説
量子仮説の4年半後、かの有名なアインシュタインによって光量子論が唱えられます。これはこういうことかというと、「光のような電磁波はそれ自体が量子でできている」という理論です。
プランクの量子仮説では「量子化されているのは振動子」だったのに対し、アインシュタインは「光が量子化されている」と述べたのです。
アインシュタインは原子説を強く支持していて、「気体が原子の集まりなら、電磁波も同じような粒子の集まりなのではないか」と考えました。この当時は光は波であるというのが一般的な意見だったので、これはかなり大胆な着想でした。
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