「音戸大橋」を含むwiki一覧 - 1ページ

音戸の瀬戸と音戸大橋 - 呉市周辺の遺構まとめ

戸の瀬戸に橋が架けられて自動車等で往来できるようになったのは太平洋戦争終戦後の話で、戦前戦中は倉橋島に行くには船で行くしかありませんでした。音戸大橋昭和36年に開通した音戸の瀬戸にかかる橋倉橋島の経済は本州に依存しており倉橋島民の通勤・通学の渡峡負担と渡船往来回数は相当なものでし

音戸渡船 - 呉市周辺の遺構まとめ

音戸渡船は、本州と倉橋島の間にある音戸の瀬戸約120mの海を行き来する渡し船で、かつて呉市が誇る日本一の1つ「日本一短い航路」でした。現在は音戸大橋のおかげで倉橋島と本州は陸路でつながっていますが、昭和36年の開通以前は倉橋島に行くには船で行くしかありませんでした。江戸時代から約

戸田本店 - 呉市周辺の遺構まとめ

と ・最短距離で行きたいなら清盛塚バス停で下車するといい ・同じ海軍さんの料亭として呉市街地に五月荘がある ・近くに音戸の瀬戸と音戸大橋と音戸渡船がある 住所 広島県呉市音戸町坪井1丁目1-29 駐車場 あ

休石砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

れにありよく整備されているので登山は不要 ・同じ三津峰山に高烏台公園(高烏台砲台跡)と三津峰山防空砲台跡がある ・近くに音戸の瀬戸と音戸大橋がある 住所 広島県呉市警固屋町1478-1 駐車場 なし

警固屋(巡洋艦青葉終焉の地) - 呉市周辺の遺構まとめ

も対空戦闘を行いました。しかし、7月の第二次呉軍港空襲で2回の攻撃を受け大破着底し終戦を迎えました。着底地点は当初海でしたが平成25年に第二音戸大橋へのバイパス道路(警固屋高架橋)建設のため埋め立てられました。呉市周辺には艦船終焉の地がたくさんありますが、後世になって埋め立てられ

ジャパンマリンユナイテッド呉事業所新宮工作部(旧第11海軍航空廠兵器部新宮工場) - 呉市周辺の遺構まとめ

ャパンマリンユナイテッド呉事業所が引き継いで使っています。余談ですが、新宮工場では明石海峡大橋や瀬戸大橋などの橋梁を作っていた時期があり第二音戸大橋の橋梁もここで作られました。現在は橋梁は作っていません。 備考 ・JMUの敷地内には入れない ・遺構が残って

小用港(戦艦榛名終焉の地) - 呉市周辺の遺構まとめ

関」と呼ばれる江田島中部にある港広島市から海上約7.5km、呉市からは海上約6kmと広島市と呉市の中間に位置する港です。江田島は倉橋島にある音戸大橋と早瀬大橋を経由すれば本州と陸続きになりますが、広島市や呉市街地から見るとかなり遠回りになるため旅客船を利用する人が多くいます。呉港

尾道の防空壕跡と遺構 - 呉市周辺の遺構まとめ

尾道尾道は明治16年に制定された海軍条例によって瀬戸内海に鎮守府を置く計画の候補地としてあがります。その後、西にある三原が暫定候補地となりますがもしかしたら「尾道鎮守府」が誕生していたかもしれません。さらにその後の調査で呉が最終的な鎮守府に決定されました。鎮守府の候補地として挙が

高烏台公園(高烏台砲台跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

たところにある ・入船山記念館に火薬庫と陸軍時代の砲塔が移築されているので行けない人はそちらを見るのもいいかも ・道中に音戸の瀬戸と音戸大橋が見える ・平清盛が太陽を呼ぶために立ったと言われる岩があるので興味があれば観光するといいかも ・同じような明治時代の陸軍砲

鍋桟橋跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

化を理由に昭和48年に鍋桟橋は廃止となりました。その後、昭和63年には跡地も埋め立てられて完全に陸地となりました。さらに、平成25年には第二音戸大橋への警固屋音戸バイパス建設のため新しい道路や高架が建設されたため、かつての桟橋であった面影は完全に無くなりました。明治43年より4度

地区別 - 呉市周辺の遺構まとめ

(呉鎮守府水道) 灰ヶ峰展望台(灰ヶ峰防空砲台跡) 本庄水源地(本庄ダム) 鉄管道路 長ノ木隧道 東辰川の防空壕跡倉橋島倉橋島 音戸の瀬戸と音戸大橋 坪井(戦艦伊勢終焉の地) 情島(戦艦日向終焉の地) 三ツ子島(空母葛城・空母天城終焉の地) 重極湾(巡洋艦北上終焉の地) 倉橋本浦

広島県 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

散らす。呉と倉橋島の狭い海峡は音戸の瀬戸と呼ばれる景勝地で平清盛がここに中継地を築いた。なお呉から倉橋島で渡る船は日本で一番短い航路である。音戸大橋がある為、地元民くらいしか使う事は無いだろうが。(逆に地元民は今でも結構使う)アニヲタ的なネタとしては今は亡き声優の松来未祐やウマ娘

呉海軍工廠長郷地下工場跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

呉海軍工廠長郷地下工場跡長郷は音戸の瀬戸と安芸阿賀の間にある瀬戸内海沿いの小さな集落空襲が激しくなってきた太平洋戦争末期に呉海軍工廠の兵器生産を継続するため朝鮮人労働者を使って作られた地下工場です。呉海軍工廠と名前がついていますが呉海軍工廠とはかなり離れたところにあります。太平洋

女猫の瀬戸 - 呉市周辺の遺構まとめ

女猫の瀬戸瀬戸(せと)とは海峡の意味で『女猫の瀬戸』は川尻町(本州)と下蒲刈島の間にある小さな海峡のことです。同じ瀬戸でも音戸の瀬戸と違ってここは海峡の幅が1.1kmあり東西の幅も実に7kmあります。海峡の本州寄りに小島があり、猫がうずくまっているように見えることから航海者の間で

坪井(戦艦伊勢終焉の地) - 呉市周辺の遺構まとめ

坪井(戦艦伊勢終焉の地)倉橋島の北東端戦艦伊勢は伊勢型戦艦1番艦として大正時代に就役し、太平洋戦争中に後部を空母に改造した世界でもめずらしい航空戦艦です。太平洋戦争末期の昭和20年2月、南方での激戦にも生き残り呉湾へ帰投しましたが、海軍にはすでに戦艦伊勢を動かす燃料が無く3月の呉

鹿島の段々畑 - 呉市周辺の遺構まとめ

鹿島鹿島は倉橋島の南東にある広島県最南端の有人島呉駅から自動車で約2時間で行くことができる鹿島は全周9.2km、人口約300人という小さな島です。山口県の柱島と同じくらいの大きさですが、柱島と違って「本州とつながっている」という大きな利点があるため、島にしてはそれほど過疎化が進ん

広島要塞砲兵連隊跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

広島要塞砲兵連隊跡広島要塞砲兵連隊は比治山と京橋川の間にあった陸軍の要塞司令部要塞砲兵とは都市や砲台で要塞砲や高射砲を用いて防衛にあたる兵科のことです。明治30年代、広島湾に外国艦隊が侵攻してきた際に、広島市と呉市を防衛するために陸軍の要塞砲台が各所に築かれました。その要塞群を管

音戸町戦没者慰霊碑(旧音戸防空砲台) - 呉市周辺の遺構まとめ

渡子峠倉橋島北部の音戸と渡子の間にある渡子峠(標高108m)ここには太平洋戦争末期の空襲に備えて呉鎮守府所属の音戸防空砲台が作られました。音戸防空砲台は太平洋戦争末期の昭和20年1月に竣工し『四〇口径一〇式12cm単装高角砲』が4門配備されました。昭和20年7月の第二次呉軍港空襲

五月荘 - 呉市周辺の遺構まとめ

五月荘明治34年創業の呉市街地に残る数少ない老舗料亭市街地に残る創業100年以上料亭は呉市内でもめずらしく明治時代より「海軍さんの料亭」として海軍軍人に愛されてきました。旧海軍の公式文章によるとこの五月荘は潜水艦乗りたちが常連だったそうです。通常、海軍の兵士たちは階級ごとに行きつ

海上自衛隊呉総監部(旧呉鎮守府) - 呉市周辺の遺構まとめ

呉鎮守府呉鎮守府は明治19年に制定された海軍条例に基づき設置された海軍の根拠地の1つ富国強兵の明治時代に、国防のため日本沿岸や海を5つの海軍区に分けて海軍の軍港を設置する計画が決まりました。呉鎮守府は横須賀の次に置かれた2番目の鎮守府で、佐世保鎮守府と同じ明治22年に開庁しました

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