大字湊町字大沢 - 北海道と青森県の字
現存大沢(おおさわ)三戸郡湊町役場があった。白浜道が貫き、海に面しているため、古くから栄えていた。また、接している字として白銀町字大沢片平がある。大字として白銀町が分離する前は、大字浜通として同じ村であった時の名残である。
現存大沢(おおさわ)三戸郡湊町役場があった。白浜道が貫き、海に面しているため、古くから栄えていた。また、接している字として白銀町字大沢片平がある。大字として白銀町が分離する前は、大字浜通として同じ村であった時の名残である。
現存上ノ山(うえのやま)館鼻の南側に位置し、日和山に登る途中の字。地下には湊トンネルが通る。
上田屋前(かみたやまえ)→現存下田屋前(しもたやまえ)→湊高台1・4・5丁目に変更田屋とは家から遠い田畑を耕作する期間に一時移住して住む家の事。八戸や周辺の村から夏はこちらにやってきて耕作していたので、その家屋があった場所か。
現存鮫ノ口(さめのくち)由来は、砂目の口の事で砂鉄の集産地であった事から。または錆(サビ)→サブ→サメと鈍った結果。どちらにせよ、砂鉄に関連がある地名である。参考文献:八戸市地区・町内地図と地名 江渡充芳氏・上平好弘氏・山田誠氏著 45頁https://res
現存(ごく一部が新湊2丁目に変更)久保(くぼ)陸奥湊駅やその前にある商店街などの大部分は字久保である。館鼻の日和山、赤坂方面(南側)の間に挟まれて見事に窪地になっている。その窪地を縫うように八戸線ないし白浜道は通っている。
新井田道(にいだみち)→現存上新井田道(かみにいだみち)→消滅(湊高台5・6丁目に変更)下新井田道(しもにいだみち)→消滅(湊高台4~6丁目に変更)白銀から新井田に至る道(現在の県道29号)を指す。隣接する大字白銀町には右新井田道、左新井田道も存在す
現存本町(ほんちょう)湊村より続く湊地区の中心地。
海士町上記1町、隠岐郡所属となり現存
現存久保下(くぼした)付近に目立った窪地がないにもかかわらず久保となったのは謎である。
現存木戸場(きどば)野馬が畑を荒らさないように、この防止のために野馬土手を築き、その一部に人間が通れる出入口を開けた。これを木戸と言う。白銀町には白銀台方面に字野馬小屋もあり、南部がいた可能性がある。参考文献:京葉ガス電気 船橋編(上) 「牧」関係の地名https://www.k
現存栗沢道(くりさわみち)字の北側の道路を「栗沢道」という事から、そのまま字になったと考えられる。因みに、道としての栗沢道は岬台団地の南端を通り、鮫町と白銀町の境界通りにぶつかっているが、旧道は大久保部落からの道とぶつかり三叉路となっていた。今は旧道の名残すらない。栗には崖の意味
北側本町(きたがわほんちょう)→現存(大部分が白銀に変更)南側本町(みなみがわほんちょう)→消滅北側本町も番地が1しか現存していないのでほぼ消滅してしまった字と言える。白銀部落の中心地を本町としたときに、北側と南側に分けて字を付けたと思われる。
現存(一部が白銀5丁目に変更)源治囲内(げんじかこいない)世に言う源義経公北行伝説の地名である。源氏の屋敷、と言う意味であり、白銀の村に一時仮住居を定めたときに出来た地名である。角川によると、読みが「げんじかこいのうち」となっている。最後の「内」が「ない」読みであるとアイヌ語地名
北外ノ沢(きたそとのさわ)→現存(大部分が白銀台に変更)南外ノ沢(みなみそとのさわ)→消滅古い航空写真を確認すると、清水川の支流(勘助川)が流れていたことが確認できる。現在も流れを確認できる。水源は野馬の湯周辺の池。外は、ある範囲から外れた所、という意味がある
現存大沢頭(おおさわがしら)大沢は崖の下側、大沢頭は崖の上側である。この地域を総称して大沢と言ったのではなかろうか。
現存柳町(やなぎまち)由来は不明。本町の南側に位置する。柳橋の麓に存在する。
現存姥畑(うばはた)姥は恐らく「上」の濁音化である。白銀の集落から山の方面に行った場所に存在する。参考文献:「うば、おば」の語源https://folklore2017.com/gogen/057.htm
現存(一部白銀4・5丁目に変更されたと思われる)雷(いかずち)昔、大の男が3人がかりで手をつながないと回らないほど大きな木に落雷した事より。参考文献:八戸市の地区・町内地図と地名 44頁https://research.hachinohe-u.ac.jp/wp-content/u
現存姥久保(うばくぼ)姥畑とは違い、崖では無いが傾斜地に存在するためウバフ(奪)から、崩崖などの崩壊地形であると思われる。ただし、窪地ではないのでそこは謎である。
現存(一部白銀1丁目に変更されたと思われる)大沢片平(おおさわかたひら)大沢は隣接する大字湊町にも存在する。また、字大沢頭も存在する。片平は、片側が切り開かれている土地の意味である。山手通り側は崖だった為開拓されなかった為ではないか。
現存(一部白銀3丁目に変更されたと思われる)大久保道(おおくぼみち)大久保部落に続く道の白銀側の最初の字である。
現存赤坂(あかさか)山手通りの南側、台地の末端である。由来は不明だが、階上岳の麓から薪や木材の買い出しの時や、浜の人達が畑仕事に通った坂道である。赤坂という坂の南側に位置している。
西ノ島町知夫村上記1町1村、隠岐郡所属となり現存
現存(岬台・白銀台に変更された地区あり)佐部長根(さぶながね)大字白銀町の白銀平と言われる原野の殆どが字佐部長根である。佐部の由来は不明。長根は、尾根の意味。
六・七丁目(1975 2/1~)八戸市東白山台一・二・四丁目(2002 10/26~)八戸市北白山台一・三・四丁目(2002 10/26~)現存の小字一盃森鹿島沢上沢内沢里山下沢内鍋久保半蔵窪藤子二ツ屋古宮休場(上久保・湯浅屋新田)旧小字上久保沢里沢里下梨子木沢湯浅屋新田
盛岡藩上野村三戸郡館村大字上野(1889 4/1~1955 3/31)八戸市大字上野(1955 4/1~)現存の小字上野上野平大平森角内山上明戸萱森久根合沢ノ上下ノ沢下明戸白萩外山平高岩鳥河岸西風張白蛇昼場吹張古屋敷堀端山在家
八戸藩沼館村三戸郡館村大字沼館(1889 4/1~1939 12/31)八戸市大字沼館(1940 1/1~)八戸市沼館(1962~)現存の小字浜梨子河原旧小字〇上沼田下沼田編笠沼向〇滝河原明神前大道中西堺田稲垣田甚兵エ田豆田鎌草殿達田高田油田伊五郎田〇沼館〇久保田高畠船場通角地村
三戸郡館村大字坂牛(1889 4/1~1955 3/31)八戸市大字坂牛(1955 4/1~)八戸市西白山台四丁目(2002 10/26~)現存の小字鶉窪上野平上鳥ノ木沢妻ノ神坂牛笹ノ沢頭下鳥ノ木沢砂子走徳良窪中沢永平向山村ノ下(上沢)旧小字上沢
1~)八戸市石堂一~四丁目(1986 2/17~)八戸市下長一・二丁目(1986 2/17~)八戸市長苗代三・四丁目(1986 2/17~)現存の小字(大橋河原・貝鞍・蝉河原・平ラ・中河原・前河原)旧小字石堂貝鞍下河原平ラ堂河原中河原前河原村ノ表
盛岡藩櫛引村三戸郡館村大字櫛引(1889 4/1~1955 3/31)八戸市大字櫛引(1955 4/1~)現存の小字明戸河原荒猪沢荒田沢井ケ月入沢岩沢平後ノ沢臼ケ沢上野平上町大久保大吹張岡前稼田上明戸上川原上ミ沢上高寺沢上館場上矢倉烏沢烏館場川中島狐ケ崎櫛引櫛引沢窪田熊ノ沢越小沢
盛岡藩八幡村三戸郡館村大字八幡(1889 4/1~19553/31)八戸市大字八幡(1955 4/1~)現存の小字五日町後口田鵜対岡前上鵜対上川苗代上ミ沢上樋田上前田小出田下川苗代下陳屋下樋田下前田州寄ヤ崎堰合千刈田館ノ下堤下殿見中砂子八幡丁八森林崎深蕨古川古川上盆田松ノ木田矢沢
975 11/1~)八戸市諏訪一丁目(1976 9/1~)八戸市小中野一~八丁目(1978 2/1~)八戸市柏崎五丁目(1978 2/1~)現存の小字なし旧小字下河原折本上四ツ谷北横町南横丁新丁熊ノ林熊野林左比代上左比代正部田新堀諏訪諏訪河原諏訪道〇沼向下四ツ谷中条中道場尻蟇館森
八戸藩松館村三戸郡大館村大字松館(1889 4/1~1958 9/9)八戸市大字松館(1958 9/10~)現存の小字赤羽根赤平牛ケ沢馬峠大清水大向岡田岡田前奥沢奥沢野場籠田籠田前風張上寺地軽井沢腰廻在家山谷外ケ口外ケ沢高屋敷辰ケ口田ノ平長塚寺地寺地平砥倉長坂夏川戸淵助沢古里細越
八戸藩十日市村三戸郡大館村大字十日市(1889 4/1~1958 9/9)八戸市大字十日市(1958 9/10~)現存の小字赤坂沢赤御堂姥岩押口風浚風山上赤坂上樋田上谷地烏沢向黒坂黒坂前小山下赤坂下樋田下谷地茶立場塚ノ下天摩留流長根西登手花水河原伏部内松ケ崎弥次郎窪
一・三・五丁目(2002 10/26~)八戸市東白山台一~三丁目(2002 10/26~)八戸市南白山台一~三丁目(2002 10/26~)現存の小字赤坂後河原鶉窪上野平上野道下タエヒサ沢王城林上田面木酒美平下田面木神明沢十文字平外久保田面木平長者森堤下鳥木沢中明戸中村韮窪沼ノ平
山台一~四丁目(2002 10/26~)八戸市東白山台二~四丁目(2002 10/26~)八戸市南白山台一~三丁目(2002 10/26~)現存の小字牛ケ窪牛ケ沢内沢大久保河原笹子笹原下町丹後平丹後谷地中崎西ノ沢ヌタゴ根城白山平馬場頭東構(鹿島下・下番屋平・長坂・無縁塚)旧小字鹿
6/29~)八戸市根城九丁目(2002 6/29~)八戸市長根一・二丁目(2002 6/29~)八戸市長根三・四丁目(2018 2/10~)現存の小字鴨ケ池観音下輿遊下 八幡様がお浜下りの際に、新荒町の仮宮で一服した。その休憩場より少し下に神輿を下した事より。小待滝 (滝河原)橋
2 3/31)八戸市大字長苗代(1942 4/1~)八戸市大字長苗代一~四丁目(19862/17~)八戸市石堂二丁目(1986 2/17~)現存の小字内前田鰻苗代大谷地上碇田上亀子谷地上中坪観音堂蟇河原狐田窪田コブノ木紺屋町島ノ後島ノ前下碇田下亀子谷地下中坪制札前太古殿天狗柳内舟
丁目(2011 2/9~)・四丁目(2013 2/7~)八戸市小田一・二丁目(2013 2/7~)八戸市日計一~五丁目(2013 2/7~)現存の小字青森谷地赤沼荒沼石仏後平内河原宇兵エ河原売場蝦夷館大久保大タルミ大谷地海岸川目河原木後神才観音堂北沼久保濃谷地小田小田上小田平小館
が、中で繋がっており当時の坑木が残っているそうです。現在は、崩落したり植物に覆われて見えなくなってしまったため高見川の源流を挟んで東西2つが現存しています。東側にあるのが本坑道口です。西側の坑道口は崩落の影響か入口近くまで水没しています。ドラム缶片色合い的に当時の鉱山で使われてい
7 3/31~2005 3/30)八戸市南郷区大字頃巻沢(2005 3/31~2015 3/31)八戸市南郷大字頃巻沢(2015 4/1~)現存の小字石倉田上ノ山鬼ノ目風サライ上頃巻沢壁ケ坂鹿倉清水頭下頃巻沢蒼前下十文字平外山舘向滝長久保納子山野田沢八森ハンノ木沢向山谷地頭
957 3/31~2005 3/30)八戸市南郷区大字島守(2005 3/31~2015 3/31)八戸市南郷大字島守(2015 4/1~)現存の小字穴久保沢赤坂阿庄内安藤荒井沢相畑赤向雨堤相野新田赤羽姉市沢池ノ沢一本向井戸尻岩ノ沢長根市ノ久保五ツ役稲荷石橋石仏売井坂打手平上野坂
ここでは上明戸・中明戸・下明戸について記す全て八戸市ホームページには載っていないが、現存。上明戸(かみあけど)現在の大字類家字上明戸類家五丁目1•3•4•6•7•9•10•12~14番中明戸(なかあけど)現在の
957 3/31~2005 3/30)八戸市南郷区大字大森(2005 3/31~2015 3/31)八戸市南郷大字大森(2015 4/1~)現存の小字芦窪石橋一本木右エ門太窪兎内姥久保大久保大沢大向大森大渡橋大場沢大畠小平上平中上窪片平山狐久保狐森桑ノ木渡桑ノ木黒坂小田野小手ケ森
そんな彼らの護衛の名目でここにいる。招集されるまでの調査で、この実体を持つ遺骸の正体は悪夢だということがわかった。しかし本来生ける夢などの夢現存在は実体を持たない。実体を持っていれば、それはもはや動物なのだ。夢現事象に精通する彼らからすれば、それは実に奇妙な事実だった。ロッカが配
7 3/31~2005 3/30)八戸市南郷区大字泉清水(2005 3/31~2015 3/31)八戸市南郷大字泉清水(2015 4/1~)現存の小字泉清水居守渡大久保大場沢風吹上田黒沢久保久保山境沢白坂高森着陣平中新田長根浜渡橋場細毛松山明神山守長根下田
7 3/31~2005 3/30)八戸市南郷区大字泥障作(2005 3/31~2015 3/31)八戸市南郷大字泥障作(2015 4/1~)現存の小字泥障作青沢赤坂岩ノ平一本松石橋家ノ前大畑大森金引沢風サラヒ上坂長根狐森境窪沢口桜窪沢頭下長根下坂外川原高田津串森天狗森西小木森西山
・白浜浦・深久保浦・種差浦・法師浜浦・大久喜浦三戸郡鮫村大字浜通(1889 4/1~1929 4/30)八戸市大字鮫町(19294/30~)現存の小字旧二子石浦二子石(ふたごいし)埋め立てられる前まで、線路まで海が迫っていた。その砂浜に二つに割れた岩があったことより。その岩は海を
~1955 3/31)八戸市大字尻内町(1955 4/1~)八戸市一番町(1969~)八戸市北インター工業団地一丁目(2001 12/3~)現存の小字:赤坂:明戸泉沢:内田:内矢沢:姥子沢狼走追分:大川原大崎大崎谷地:表河原:家口田:上川原上桜沢上笹ノ沢:上根市上張田:上谷地:鴨
八戸藩金浜村三戸郡鮫村大字金浜(1889 4/1~1929 4/30)八戸市大字金浜(1929 5/1~)現存の小字荒屋敷久保家ノ向一ノ久保大渡居場折場沢上平山北ノ沢郷路道塩竈下作目下山下渡外ノ久保土橋泥ノ木沢内城中渡長畝不習橋場川目林ノ前舟戸ノ上細久保細久保平前川目級ノ木