歌人 こ - いにしえwiki
対馬(こそべ の つしま)小大君(こおおきみ)後醍醐天皇(ごだいごてんのう)後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)後鳥羽天皇(ごとばてんのう)後鳥羽院下野(ごとばのいんのしもつけ)軍王(こにきしのおおきみ)後二条天皇(ごにじょうてんのう)近衛天皇(このえてんのう)近衛基平(このえ
対馬(こそべ の つしま)小大君(こおおきみ)後醍醐天皇(ごだいごてんのう)後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)後鳥羽天皇(ごとばてんのう)後鳥羽院下野(ごとばのいんのしもつけ)軍王(こにきしのおおきみ)後二条天皇(ごにじょうてんのう)近衛天皇(このえてんのう)近衛基平(このえ
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相計也。韈をば何足とは不言。量と云べき也。結緒は當家有文無文ともに用也。四條方には無文許を用云々。依之兄弟相論及勘例。故相公之說被用之畢。已後鳥羽院有文を令用御畢。其後當代同前也。切樣口傳集のごとし。韈と同文異文同色不同色皆用之。藍革。あゐしらぢ。むらさきがは。錦革。韈と混亂して
衣皆有例有謂。其外無別儀。但常の出仕も下絬らるゝ事なれば。俄御會之時。乍下袴上絬て。右下袴の前をばほころばして。後へ押やりて令立賜先例あり。後鳥羽院後御宇。賴實公如此。古くは指貫を沓にふみ入て立。これ其の時は裝束なへ/\と有ける時なればこそ然らめ。當時如木いかでかけらるべきや。韈
書云。御直衣。冠御烏帽子隨節。御布衣。若內々會之時。御小直衣御狩衣等也。無殊儀。後鳥羽院は御直垂御葛袴御狩袴。是は別儀也。筵道建保之比被用之。予云。其比行幸之比也。即御會有之。其時筵道後被用。其上非故儀。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
夕云。初に重て着事あり。宗長卿度々着之。後鳥羽院又着御あり。相摸次郞時村數相公の弟子として院參之時着之。大底下括て宗々臣。臨御會刻限て上絬之時着之。自宿所上絬て着たる例は少也。予云。宗繼朝臣自兼日上絬着事度々。結句卅余にて紅單を重たりとて諸人嘲哢也。タグ一覧: カウンターページ全
ゆふぐれは みそぎぞなつの しるしなりける(従二位家隆)099.ひともをし ひともうらめし あぢきなく よをおもふゆゑに ものおもふみは(後鳥羽院)100.ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり(順徳院)小倉百首百人一首(藤原定家)百人一首同同百