「右フック」を含むwiki一覧 - 2ページ

HIROYA - Bout Wiki

広げた。2008年8月29日、K-1甲子園 KING OF UNDER 18 ~FINAL16~のK-1甲子園1回戦で園田顕悟と対戦。2Rに右フック、3Rに左ストレートでそれぞれダウンを奪うなどして判定勝ち。10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのK-1甲子

KODO - Bout Wiki

]2006年11月4日、プロ修斗デビュー戦で加納"マーク"学と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2008年3月15日、修斗で木部亮と対戦し、右フックによるTKO勝ち[1]。2008年3月18日付けでクラスAに昇格した(修斗戦績:6戦4勝2分)[2]。2008年7月21日、DREA

高谷裕之 - Bout Wiki

日、修斗でアントニオ・カルバーリョと対戦。激しい打撃戦となり2Rにカルバーニョのパンチで左目尻から出血するも、ドクターチェックからの再開後に右フックでダウンを奪う。3R、膝蹴りからのパンチ連打でTKO勝ちを収めた。2008年2月13日、WEC初参戦となった「WEC 32」でレオナ

卜部弘嵩 - Bout Wiki

た。2008年7月7日、参戦を熱望していたK-1初参戦となったK-1 WORLD MAX 2008 FINAL8でデニス・テリシャと対戦し、右フックでKO負けを喫した。2009年8月10日、K-1甲子園 ~FINAL 16のスーパーファイトで坪井悠介と対戦し、判定勝ちを収めた。2

横田一則 - Bout Wiki

労骨折し、手術を行なった。2008年5月19日、「DEEP 35 IMPACT」でハン・スーファンとDEEPライト級タイトルマッチで対戦し、右フックでKO負け。王座から陥落するとともに、自身初の敗戦となった。2008年8月24日、戦極初参戦となった「戦極 ~第四陣~」のライト級グ

野村剛史 - Bout Wiki

をアピールした[2]。2008年10月19日、「THE OUTSIDER 第参戦」で“男一匹頑固一徹 北海のローンウルフ”大谷匡弘と対戦し、右フックによるKO勝ちを収めた[3]。2009年3月15日、「THE OUTSIDER SPECIAL」で“拳に刻む七つの十字架 高円寺のト

中西良行 - Bout Wiki

一本勝ちを収め3連覇を果たした[1]。2007年9月15日、プロデビュー戦となった「club DEEP 東京」で中村護と対戦し、開始32秒、右フックでKO勝ちを収めた[2]。2008年1月14日、「club DEEP 東京」で「メガトン三番勝負」の第2試合として加藤善之と対戦し、

野地竜太 - Bout Wiki

菊田早苗と総合ルールのエキシビションマッチを行なった。2004年7月25日、パンクラスデビュー戦でコブス・ハイサマンと対戦。1R開始12秒、右フック一撃でKO負け。しかし同年11月7日、パンクラス2戦目の柳澤龍志戦では、3-0の判定勝ちを収めた。2005年2月6日、「HEAT 1

上松大輔 - Bout Wiki

2010 ~-63kg Japan Tournament 1st Round~【1回戦】2010年5月2日×前田尚紀2R 2:06 KO(右フック)Krushライト級グランプリ2009 ~決勝戦 Final Round~2009年11月2日×石川直生3R+延長R終了 判定0-3

門脇英基 - Bout Wiki

杉江大輔に敗れ、準優勝となった。2000年11月12日、修斗でプロ総合格闘技デビュー。2001年9月2日、修斗で山本"KID"徳郁と対戦し、右フックでKO負けを喫した。2002年11月15日、修斗2002年度新人王トーナメント・ライト級決勝で小松寛司に3-0で判定勝ちし、新人王と

カーター・ウィリアムス - Bout Wiki

ORLD GP 2006 in LAS VEGAS【USA GP 1回戦】2006年4月29日×ゲーリー・グッドリッジ1R 1:15 KO(右フック)K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII【HAWAII GP 準決勝】2005年7月29日○ノブ・ハヤシ3R終了 判

堀啓 - Bout Wiki

23 KO(左ハイキック)K-1 WORLD GP 2006 in SEOUL2006年6月3日×ジェイソン・サティー3R 1:34 KO(右フック)K-1 WORLD GP 2006 in AUCKLAND【準決勝】2006年3月5日○シリル・アビディ2R終了時 TKO(タオル

ベルナール・アッカ - Bout Wiki

O勝ちを収めた。2007年6月2日、「Dynamite!! USA」で元NFLのスター選手ジョニー・モートンと対戦。開始38秒、カウンターの右フックで失神KO勝ちを収めた。2007年7月16日、HERO'Sでメルヴィン・マヌーフと対戦し、1Rに左フックでKO負けを喫した。2007

梅野孝明 - Bout Wiki

H ANNIVERSARY SERIES 第2戦 維新-ISHIN- 其の弐2010年4月11日○ディーン・エグゼレブ2R 1:43 KO(右フック)SHOOT BOXING 25TH ANNIVERSARY SERIES 開幕戦 維新-ISHIN- 其の壱2010年2月13日○

ブレンダン・ショーブ - Bout Wiki

ゴンザーガと対戦し、3-0の判定勝ちを収めUFC3連勝となった[5]。2011年3月19日、「UFC 128」でミルコ・クロコップと対戦し、右フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ちを収め4連勝となった[6]。2011年8月27日、「UFC 134」でアントニオ・

桜井隆多 - Bout Wiki

でTKO負けを喫した。2009年12月19日、DEEP初のケージ大会となった「DEEP CAGE IMPACT 2009」で飛鷲輝と対戦し、右フックでKO勝ちを収めた。2010年5月7日、ポーランドで開催された「KSW 13」でKSWインターナショナルミドル級王者マメッド・ハリド

ブラックマンバ - Bout Wiki

1 WORLD MAX 2008 FINALで3年ぶりにK-1参戦。トーナメントリザーブファイトでブアカーオ・ポー.プラムックと対戦し、1R右フックでKO負け。戦績[]総合格闘技[]総合格闘技 戦績17 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合9 勝3510008 敗0710

桜木裕司 - Bout Wiki

ター格闘技降臨!!~【UKFキック・インターナショナル・ヘビー級王座決定戦】2009年9月13日×ギルバート・アイブル1R 1:48 KO(右フック)SHOOT BOXING BATTLE SUMMITGROUND ZERO TOKYO 20072007年10月28日×山宮恵一郎

中島弘貴 - Bout Wiki

FINAL16 / -63kg Japan Tournament FINAL~2010年7月5日×長島☆自演乙☆雄一郎3R 1:58 KO(右フック)K-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg Japan Tournament~【決勝】2010年3月27日○日菜太1R 0

桜井速人 - Bout Wiki

/5分)終了 判定3-0やれんのか! 大晦日! 20072007年12月31日○マック・ダンジグ2R 4:01 TKO(レフェリーストップ:右フック)PRIDE.33 "THE SECOND COMING"2007年2月24日○ルシアノ・アゼベド1R 6:35 TKO(ドクタース

悠羽輝 - Bout Wiki

けで王座獲得ならず[5]。2011年8月26日、28歳9か月での総合格闘技初挑戦となった「DEEP 55 IMPACT」で井上俊介と対戦し、右フックによるKO勝ちを収めた[6]。2011年10月29日、「DEEP CAGE IMPACT 2011 in TOKYO 2nd ROU

小見川道大 - Bout Wiki

05年12月3日、Cage Rage初参戦となった「Cage Rage 14」でジェシアス・カバウカンチ(J.Z.カルバン)と対戦し、1Rに右フックによるKO負けを喫した。2007年9月22日、UFC初参戦となった「UFC 76」でマット・ワイマンと対戦し、0-3の判定負けを喫し

土屋大喜 - Bout Wiki

ン・クルーズと対戦し、チョークスリーパーで一本負けを喫した[3]。2009年6月6日、修斗のメインイベントで石渡伸太郎と対戦し、開始20秒、右フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ち[4]。この試合で石渡は顔面を骨折した[5]。2009年6月8日付けでクラスAに昇

ブライアン・スタン - Bout Wiki

でクリス・リーベンと対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めた[8]。2011年5月28日、「UFC 130」でジョルジ・サンチアゴと対戦し、右フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[9]。2011年10月8日、「UFC 13

孫煌進 - Bout Wiki

全骨折により欠場となった[2]。2007年8月26日、R.I.S.E.でキックボクシングルールに初挑戦し、裕樹と対戦。2Rで左フック、3Rに右フックでそれぞれダウンを奪われるなどして、判定負け。2007年11月11日、CAGE FORCE初参戦となったCAGE FORCE EX

柴田勝頼 - Bout Wiki

O'Sへの参戦を表明。また船木誠勝とともにチームARMSを発足させたことも明らかにした[1]。同3月12日、山本宜久と対戦し、1R開始9秒、右フックでKO勝ち。HERO'S初戦を白星で飾った。試合後、谷川貞治HERO'S実行委員は柴田を「ダントツで良かった」「雰囲気がある。トーナ

五味隆典 - Bout Wiki

]。2010年8月1日、「UFC on Versus: Jones vs. Matyushenko」ではタイソン・グリフィンに開始1分余りで右フックによるKO勝ちを収め、UFC初勝利を挙げるとともにノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[10][11]。試合後に十八番の駆け上り

城戸康裕 - Bout Wiki

0月26日、「K-1 WORLD MAX 2009 FINAL」のリザーブファイトで佐藤嘉洋と対戦。2Rに一度ずつダウンを奪い合うも、最後は右フックでダウンを奪われKO負けとなった。2010年3月27日、「K-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg Japan Tourn

マイク・スウィック - Bout Wiki

ght 12」でジョシュ・バークマンと対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。2009年6月13日、「UFC 99」でベン・ソーンダースと対戦し、右フックでTKO勝ち[2]。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。9月19日、「UFC 103」でマルティン・カンプマンと対戦予定であっ

ムスタファ・アルターク - Bout Wiki

ゴと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した[1]。2009年6月13日、ドイツで開催された「UFC 99」でミルコ・クロコップと対戦。ミルコの右フックを受け、背を向けてしまったところに右アッパーを追撃されTKO負けとなった[2]。試合後、ミルコの右フックがサミングだったとして抗議を

パット・カラン - Bout Wiki

ionを中心にキャリアを重ねた。2010年4月15日、Bellator FCシーズン2のライト級トーナメント1回戦でマイク・リッチと対戦し、右フックでKO勝ち[3]。5月6日、準決勝でロジャー・ウエルタと対戦し、3-0の判定勝ち[4]。6月10日、決勝でトビー・イマダと対戦し、2

フィル・バローニ - Bout Wiki

RIDE 武士道 -其の七-で美濃輪育久と対戦し、TKO勝ちを収めた。2006年4月2日、PRIDE 武士道 -其の拾-で近藤有己と対戦し、右フックでKO勝ちを収めた。2007年6月22日、Strikeforceでフランク・シャムロックと世界ミドル級王者決定戦を行ない、チョークス

ヒース・ヒーリング - Bout Wiki

しかし、中尾は試合前の睨み合いでヒーリングを挑発しようと唇にキスをしてしまう。これに激怒したヒーリングは試合開始前であるにもかかわらず中尾に右フックを見舞い、中尾が失神してしまったためヒーリングの反則負けとなった。この後にヒーリング側が抗議し、裁定の結果、「非常識な挑発をした中尾

菊野克紀 - Bout Wiki

2」でエディ・アルバレスと対戦し、2Rに肩固めで一本負け。プロ初黒星となった。2010年3月22日、「DREAM.13」で弘中邦佳と対戦し、右フックでKO勝ちを収めた。2010年7月10日、「DREAM.15」でJ.Z.カルバンと対戦し、1-2の判定負けを喫した。2010年10月

ジョセフ・ベナヴィデス - Bout Wiki

X: Alves vs. Kampmann」で行なわれたUFC世界フライ級初代王座決定トーナメント1回戦で漆谷康宏と対戦し、2R開始11秒、右フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ちを収めた[9]。戦績[]総合格闘技 戦績18 試合(T)KO一本判定その他引き分け

草津賢治 - Bout Wiki

)K-1 BURNING 2004 ~沖縄初上陸~2004年2月15日×ステファン・"ブリッツ"・レコ2R 2:44 KO(3ノックダウン:右フック)K-1 WORLD GP 2003 in Las Vegas2003年5月2日△アレキサンダー・ピチュクノフ3R終了 判定1-0一

角田信朗 - Bout Wiki

ン”3R終了 判定0-3K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦2005年9月23日○マーベリック1R 0:56 KO(右フック)K-1 WORLD GP 2005 in PARIS2005年5月27日×曙3R終了 判定0-3K-1 WORLD GP 2005

石渡伸太郎 - Bout Wiki

場し、ジョン・チャンソンにチョークスリーパーによる一本負けを喫した。2009年6月6日、修斗のメインイベントで土屋大喜と対戦し、開始20秒、右フックを受けダウンしたところにパウンドで追撃されTKO負けとなった[4]。2010年7月4日、「SRC ASIA vol.1」のSRCバン

立川隆史 - Bout Wiki

ー以来3連勝となった。2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAで榎田洸之と対戦。1Rに左ストレート、右フックで2度ダウンを奪うも、カウンターの右フックでKO負けでK-1初黒星となった。2008年6月29日、K-1 WORLD GP 2008

シーク・コンゴ - Bout Wiki

、29-28)の判定勝ちを収めた[10]。2012年2月26日、ズッファ体制初の日本開催となった「UFC 144」でマーク・ハントと対戦し、右フックによるTKO負けを喫した[11]。戦績[]総合格闘技[]総合格闘技 戦績26 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合17 勝1

郷野聡寛 - Bout Wiki

日○キム・デウォン1R 9:00 腕ひしぎ十字固めPRIDE 武士道 -其の拾-2006年4月2日×ダン・ヘンダーソン1R 7:58 KO(右フック)PRIDE 武士道 -其の九-【ウェルター級GP 準決勝】2005年9月25日○ダニエル・アカーシオ2R(10分/5分)終了 判定

タケル - Bout Wiki

[]1995年12月9日、K-1デビュー戦でジーン・フレジャーにKO勝ちを収めた。1996年9月1日、2戦目でジェロム・レ・バンナと対戦し、右フックによるKO負けを喫した。1999年2月3日、K-1 RISING SUN '99で行なわれた「日本対世界次鋒戦」でアンドリュー・トム

魔裟斗 - Bout Wiki

の後手数で上回り延長Rにもつれ込む。その後延長Rで形勢逆転し、判定勝ち。続くアルトゥール・キシェンコとの決勝戦でも同様の判定が起こり、2Rに右フックでダウンを喫するも3R巻き返し、3R終了時の判定はドローとなり、延長Rに判定勝ち。2度目のK-1 WORLD MAX世界王者となった

エリック・コク - Bout Wiki

変更された[4]。2011年3月19日、22歳5か月でのUFC初参戦となった「UFC 128」でハファエル・アスンソンと対戦し、カウンターの右フックによるKO勝ちを収めノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[5]。2011年9月17日、「UFC Fight Night: Shi

高阪剛 - Bout Wiki

の再戦では、永田にバックドロップホールドを決められ、リベンジを許した[6]。2006年2月26日、「PRIDE.31」でマリオ・スペーヒーに右フックでKO勝ち。試合後のリング上で、同年5月開催の無差別級トーナメントを最後に引退することを宣言。この日は自身の子供の出産予定日でもあっ

高萩勉 - Bout Wiki

's Kick with J 1st」のJ-NETWORKヘビー級王座次期挑戦者決定トーナメント準決勝でシング・心・ジャディブと対戦し、1R右フックでKO負けを喫した。2008年3月2日、「K-1 JAPAN TRYOUT 2008」に参加し、2年連続の合格となった[8]。200

鈴木悟 - Bout Wiki

リーストップによるTKO負けを喫した。2008年10月3日、初参戦となったJ-NETWORKで高木健太と対戦。キックデビュー戦となった高木に右フックでKO負けを喫した。2009年9月20日、新日本キックボクシング協会主催「TITANS NEOS 6」でキックボクシング第2代NKB

長南亮 - Bout Wiki

年12月30日、「戦極 Soul of Fight」で行なわれた「SRC VS DREAM 交流戦」で奥野"轟天"泰舗と対戦し、開始19秒、右フック一撃で失神KO負け[4]。当初はダン・ホーンバックルと対戦予定であったが、インフルエンザによる欠場で開催3日前となる12月27日に対

タイソン・グリフィン - Bout Wiki

ガンブリャンと対戦し、3-0の判定勝ち。連敗を3で止めた[8]。2011年10月29日、「UFC 137」でバート・パラゼウスキーと対戦し、右フックによるKO負け。前日計量でフェザー級規定の145ポンドをクリアできず、148ポンドのキャッチウェイトバウトとなった[9]。戦績[]総

トゥラバダ - A Township Tale 日本語Wiki

撃、 アッパーカット、地面強打、Bunker Down、自爆。接近攻撃は、どちらかの手でパンチしてくる。アッパーカットは近接の3連続攻撃で、右フック、左フック、続く強烈なアッパーカット。Ground Poundはアッパーカットに似ているが、5連続。強烈な左フック、に続く右フック、