陣営一覧
ここでは、複数の国家の集合体(組織)を一覧化している。目次1 軍事・安全保障組織 軍事的な連携を目的としたより硬い国際組織2 経済連携組織経済的な連携を目的とした比較的緩い国際組織3 共通された目標を...
1943年のエーゲ海諸島戦役において、チャーチルの言う所の「些細なミス」により、トルコ国境警備隊と連合国、そしてごく一部の枢軸国の部隊による三つ巴状態での戦闘が発生した。所謂「イミア島の戦い」により、トルコは連合国、枢軸国の双方の間にわだかまりを抱えることとなった。イスメト・イノニュは事態を収拾すべく、連合国との交渉にサラジオウル首相、枢軸国との交渉にレシェプ・ペケル全権大使を充てる。この交渉において、両者は何とか合意を得ることに成功する。その内容は多くの秘密協定を含むものであった。すなわちサラジオウルはイギリスに対し入港権とレーダー基地の建設許可を与え、レシェプはドイツとの資源輸出協定及び軍事通行権を結んだ。連合国は見返りとしてドデカネス割譲とシリア委任統治領の返還及びイラクにおけるトルコの優越権、ドイツは対ソ戦勝利時におけるジョージア、アルメニアの割譲を約束した。
この噛み合わぬ秘密協定を、イノニュはあくまでも「回避」として活用した。しかしながら東部戦線におけるドイツの劣勢と西部戦線における連合国の失敗により、アナトリア半島の戦略的価値は否応がなく高まっていく。無論それは両陣営からの圧力の増大を意味していた。繰り返される参戦要請がトルコを追い詰めた。そして遂には、コーカサスの向こう側にいる赤い巨人がこれを察知した。
サラジオウル首相は1946年に退任、引き継いだレシェプ首相は親枢軸派であった。スターリンの病的な不信感はこの共和国の新首相と大統領に向けられた。TKPの党首であり、複数回逮捕されていたセフィク・フスニュ(Şefik Hüsnü)は決して熱烈なスターリン主義者ではなかったが、結果として利用された。
1946年7月に国民議会でテロ事件が発生し、レシェプ首相が重症を負う。犯人はクルド系のグループであり、その指揮官ムスタファ・バルザ―ニ―はソ連からの非公式な援助を受けていた。この背後関係を「突き止めてしまった」トルコ憲兵隊の報告を受け、イノニュ大統領はそれ以上の追及を行わせなかった。どちらにせよこの事件は大きな波紋を呼んだ。クルド人への報復が声高に叫ばれ、東部クルディスタン地域は騒然としていた。この時、イラン・イラク両国は国境に軍を集結させたため一触即発の状況に陥った。板挟みになったクルド人たちは遂に「クルディスタン共和国」建国を宣言し、全クルド人地域の解放を宣言した。これを撃滅すべくイラン軍が攻勢をかけ、トルコ国境を突破。トルコ軍と戦闘状態に入った。戦闘自体はファフレッティン・アルタイ(Fahrettin Altay)将軍指揮下の機械化騎兵軍団を中心としたトルコ軍が圧倒。また、新たに投入されたタシン・ヤジシ(Tahsin Yazıcı)率いる機甲旅団の猛追撃はオルーミーイェ湖にまで到達した。
しかしながらトルコ軍の快進撃はここで停止を余儀なくされた。無論イノニュ自身もこの半ば仕組まれた紛争を続ける気はなかった。だが、ソ連の介入は予測を上回る手早さであった。トラブソン条約は一応の戦勝者たるトルコにとって納得しがたい結果をもたらした。イラン・トルコ国境線にはマハバード・クルディスタン自治区が設定され、クルド人の多くが移住した。イランはトルコにわずかな賠償金を支払うのみであった。
枢軸、連合に対して結んだ秘密協定の存在が巡り巡ってトルコに大いなる不利益をもたらした。ソ連はこの秘密協定を「見逃す」代わりに多くの要求をトルコに突き付けた。そしてセフィク・フスニがトルコに帰還した時、イノニュは遂に大統領職を降りる決断をしなくてはならなかった。大戦終結後の1950年、国民議会改め人民議会はフスニを新大統領に選出し、同時にオムスク条約機構への参加を決定した。共和人民党がある程度認めていた宗教的自由はほとんど消滅し、ムスリムの多くが国外へ逃亡した。ハタイ州には弾圧政策から逃れようとした過激原理主義者が集結し、拠点を築きつつある。
トルコ人の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクによるトルコ革命の成果は「社会主義的成功」に分類され、これらは「ケマル社会主義」と呼称されることになった。この決定に反発する者は少なくとも政府内からは排除されていた。しかし、フスニ大統領による新社会主義運動はすぐに行き詰まりを迎えた。レーニンの肖像画を受け入れるトルコ国民はほとんどおらず、ケマルの神格化はより飛躍しつつある。それは世俗軍においても同様である。ジェマル・ギュルセル大将およびケナン・エヴレン少将は軍内で、方向性の違う二つの反社会主義的派閥を形成しつつある。 セブケット・スレイヤ・アイデミル(Şevket Süreyya Aydemir)首相は病気がちのフスニ大統領に代わってその職務を掌握しつつある。ビュレント・エジェヴィト(Bülent Ecevit)労働相もまた、その権力を拡大している。イスメトの息子エルダル・イノニュ(Erdal İnönü)は今のところ政界に関して大した興味を示してはいないが、その血筋は常に有望視されている。
大統領を中心とした内閣制が敷かれ、トルコ大国民議会を元とした「トルコ人民評議会」が立法府である。共和国時代よりも大統領の権力が拡大している。議会は一院制であり、現在の第一党は共和人民党(CHP)である。と言っても共和人民党内部は中道右派、中道左派、左派の三つに分裂しており、事実上は三つの与党による不安定な政権と揶揄されている。
現大統領はセフィク・ヒスニュであり、出身党はトルコ共産党(TKP)である。TKPは議会では第二党であり、しばしばCHP左派との協力(あるいは野合とも)を余儀なくされている。また、ヒスニュは病に侵されており、共産党のセブケット・スレイヤ・アイデミル首相並びにCHP左派のビュレント・エジェヴィト労働相が事実上の内閣における指導者である。両者は経済政策の転換の必要性に関しては合意する一方、外交問題に関してしばしば衝突を見せている。
軍と政府の関係は大きく変化した。世俗主義の守護者としてクーデターすら辞さない構えであったトルコ軍はソ連の介入により大幅に権力を弱体化された。それでもなお影響力は小さくはなく、寧ろ国民からの期待を一身に背負う「清廉」な存在となっている。
第二次世界大戦時、国境防衛のために一時期は100万人が動員され、経済を大きく圧迫した。これらの経験から少数精鋭志向が強まり、ソ連からの圧力を受けた後はさらに国軍の規模は縮小された。国境警備隊ジャンダルマとの間では予算の食い合いすら発生している。軍事研究も遅れ気味である一方で、旧来技術からなる軍の機械化は一定以上の水準を見せている。クルディスタン紛争の教訓により地形適応訓練が重点的に行われ、不整地戦においては他国に引けを取らない。
「ケマル社会主義理論」を題目として掲げているが、実態はソ連式の計画経済体制である。市場社会主義への変革や国家資本主義体制、果ては社会主義市場経済体制への転換策までもが主張され、トルコにおける主要な政治論点として展開されている。
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