1956年アメリカ大統領選挙

ページ名:1956年アメリカ大統領選挙

1956年アメリカ大統領選挙

州別獲得選挙人分布図

獲得選挙人

民主党 70人

共和党 141人         進歩党 167人

勝利地域数

民主党 7州

共和党 11州        進歩党 16州

得票数

民主党 14,236,621票

共和党 16,916,323票   進歩党 15,122,080票  

得票率

民主党 30.5%

共和党 36.3%         進歩党 32.4%

大統領

候補者

アドレー・スティーブンソン

ダグラス・マッカーサー      ヴィンセント・ハリナン

政党

民主党     共和党

進歩党

副大統領

副大統領候補者

W・アヴェレル・ハリマン

リチャード・ニクソン   エリオット・ルーズベルト

政党

民主党     共和党

進歩党


1956年アメリカ合衆国大統領選挙(1956ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1956)は、民主党でも共和党でもない政党が当選を果たした選挙である。この選挙は、サブプライムローンを基に貧困層からの支持を受けていた進歩党が第一党に躍り出た選挙戦でもある。

目次

候補者の指名

・民主党の指名

アドレー・スティーブンソンは1952年の民主党候補者であり、1956年も再指名に向けて、テネシー州選出の上院議員で人民主義者のエステス・キーフォーヴァーと予備選ではしっかりとした戦いを演じた。キーフォーヴァーはニューハンプシャー州予備選で反対無く勝利した(ただし、スティーブンソンは記名投票で15%を取った)。キーフォーヴァーがミネソタ州予備選でスティーブンソンを破ると、スティーブンソンは危機的状況にあることを認識し、ニューヨーク州でキーファーヴァーと討論を行うことに同意した。スティーブンソンとキーファーヴァーは、ニューヨーク州予備選の前の1956年5月21日に、初めてテレビ中継された大統領候補者の討論会 を行った。スティーブンソンがニューヨーク州予備選を52%対48%で制した。6月のコロラド州予備選までに、キーファーヴァーの選挙資金が底を突き、資金力のあるスティーブンソンと広告宣伝力で競うことができなかった。スティーブンソンがカリフォルニア州予備選を63%対37%で制し、その後間もなくキーファーヴァーが指名争いから撤退した。

シカゴで開催された1956年の民主党全国大会では、ニューヨーク州知事アヴェレル・ハリマンが元大統領ハリー・S・トルーマンの後ろ盾を得て、スティーブンソンと指名を争った。しかし、スティーブンソン支持の代議員数がハリマン支持を大きく上回っており、スティーブンソンが1回目の投票で指名を得た。しかし、彼の人気が高かったことから、ハリマンは副大統領候補として名をあげることとなる。

・共和党の指名

1956年が始まると、既に二期目を終えたデューイの後任探しのために躍起になっていた。ロバート・タフトは高齢であるがために立候補を断念する事となり、1952年選挙にて大統領に立候補した人物は皆今選挙での大統領への立候補を断念していた。そんな中一人が大統領選に立候補した。ダグラス・マッカーサーは第二次世界大戦の英雄であり、彼の人気があれば共和党が勝利することも可能だろうと考える共和党員の思惑と合致し、彼が一気に有力な大統領候補者となる。

続いて党大会では、猛烈な運動家で反共産主義者としてのニクソンの信用が貴重になると感じられたマッカーサーによりカリフォルニア州出身の若い上院議員リチャード・ニクソンが副大統領候補に指名された。歴史家の多くは現在、マッカーサーの指名は彼が進歩党候補に対する嫌悪感という感覚に主によっていたと考えている。代議員の大半はタフトが一般選挙に参加した場合は、おそらくタフトを支持したであろう保守派だった。

・進歩党の指名

進歩党は前年までのヘンリー・A・ウォレス党首から変わり、前回副大統領候補であったヴィンセント・ハリナンが大統領候補となった。進歩党はサブプライムローンなどの貧困層への支援を重点的に行ってきていたことから中央部での支持を大きく拡大していた。

副大統領候補には急進的な選択である有色人種の女性であるシャーロッタ・バスか、穏健的な選択である元大統領フランクリン・ルーズベルトの息子であるエリオット・ルーズベルトとの選択を迫られた。しかし、勝利のためには東海岸の確保が必須であるためハリナンはより穏健的なエリオット・ルーズベルトを選択し、この選挙戦に挑むこととなった。

一般選挙

・秋の選挙運動

民主党と共和党の二大政党以外が当選する可能性が高くなった今選挙では、3つの政党はそれぞれが激しい選挙戦を行い、両陣営共にテレビ広告が初めて支配的な手段になった。

スティーブンソンは社会福祉に宛てる歳出を大きく増やすことや、軍隊の徴兵制を止め、「すべて志願兵」に切り替える提案もした。一方マッカーサーは、英国への協調。更には将来的な南部の奪還や日本との交渉によるカリフォルニアの返還などを公約にし、対外的な勝利を目指そうとした。そしてハリナンは社会福祉とサブプライムローンの拡大を挙げ、貧困層の支援と住宅バブルの高騰という事例を基に貧困層への救済プロジェクトを掲げた。

投票日には、どの政党も過半数を獲得することは出来なかったものの、共和党と民主党のどちらも第一党になることはなかった。

・選挙結果

                    大統領選の結果
 大統領候補者 

出身州

 党  得票数  得票率  副大統領候補者 

出身州

 選挙人得票数 
ヴィンセント・ハリナン

カリフォルニア州

進歩党20,645,960票37.9%エリオット・ルーズベルト

フロリダ州

  167
ダグラス・マッカーサー

ウィスコンシン州

共和党5,558,595票10.2%リチャード・ニクソン

カリフォルニア州

  141
アドレー・スティーブンソン

イリノイ州

民主党20,444,722票37.5%W.アヴェレル・ハリマン

ニューヨーク州

  70
非拘束代議員196,145票0.4%  0
       その他217,975票0.5%  0
        合計46,623,398票100%  378
                     選出必要数  190

臨時選挙

どの政党も過半数の選挙人団を確保できなかったことから、大統領選出のための臨時選挙が前回(1952年アメリカ大統領選挙)に引き続き行われることとなった。今回は計34州であることから、過半数の18州が選出必要数であった。

共和党は反共主義的なリチャード・ニクソンを中心に民主党との連立政権を画策しはじめており、民主党もそれに同調する形で18州の確保を目指した。しかし、選挙では接戦で勝利していた地域にて進歩党支持の声が高まり、民主党との協力を嫌った知事などの動きもありインディアナ州とケンタッキー州が共和党支持から進歩党支持へと鞍替えしたことにより、進歩党が新たな政権の座に就くことが決定した

           アメリカ臨時大統領選挙
   アドレー・スティーブンソンダグラス・マッカーサーヴィンセント・ハリナン
第一回     7州   11州   16州
第二回            16州   18州


特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

陣営一覧

ここでは、複数の国家の集合体(組織)を一覧化している。目次1 軍事・安全保障組織 軍事的な連携を目的としたより硬い国際組織2 経済連携組織経済的な連携を目的とした比較的緩い国際組織3 共通された目標を...

重慶軍閥

重慶軍閥正式名称中華民国略称重慶閥タグCHO公用語中国語首都南京(事実上:重慶)国家元首孔 祥熙政府首班孔 祥熙政府思想-与党中国国民党人口-人成立1912年1月1日所属陣営中華統一戦線重慶軍閥は、反...

製作メンバー

製作メンバー[]※製作メンバーにおける主要管理人のみ管理人[]にっしんGB副管理人[]T75_kareraisuア無理・ロイせつなれいんらぺ會長んしゅぱらコーディング部長[]んしゅぱらシナリオ製作部長...

自由フランス

自由フランス正式名称フランス共和国略称自由フランスタグFFR公用語フランス語(名目上)首都ブラザウィル国家元首シャルル・ド・ゴール政府首班シャルル・ド・ゴール政府思想権威民主主義与党-国家解放委員会人...

略史

1900年-1910年1911年-1920年1921年-1930年1931年-1940年1941年-1950年1941年9月11日~1943年6月15日 太平洋戦争1941年6月22日 ヴァ―モンド作...

独ソ戦

独ソ戦戦争第二次世界大戦年月日1941年6月22日~1947年5月28日結果連合国の勝利交戦勢力勢力1連合国ソビエト社会主義共和国連邦グレートブリテン及び北アイルランド連合王国フランス共和国アメリカ合...

無政府主義

無政府主義は、一切の権力を否定し個人とその集団の自由を全く拘束することの無い社会を実現しようと主張する政治思想である。目次1 思想1.1 ・経済構造1.2 ・分派2 サブイデオロギー思想無政府主義の主...

満州国

満州国特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...

沙桑羅問題

沙桑羅問題(しゃさろもんだい)は、カリフォルニア州連合の国家承認や大日本帝国の責任、アメリカ西海岸におけるアジア人による人種差別問題といったカリフォルニア州連合による様々な国際問題の総称。第二次世界大...

欧州基本条約

欧州基本条約署名1950年8月5日署名場所ソ連 モスクワ発効1951年1月1日寄託者ソビエト社会主義共和国連邦政府内容第二次世界大戦、特に独ソ戦後における欧州の在り方に関する基本的な条約欧州基本条約は...

横浜講和条約

横浜講和条約署名1946年7月15日署名場所日本 横浜発効1947年1月1日寄託者大日本帝国政府内容第二次世界大戦における連合国と大日本帝国の間の平和条約横浜講和条約は横浜で開かれた横浜講和会議で正式...

横浜講和会議

横浜講和会議条約横浜講和条約期間1946年5月1日~7月13日日本側代表吉田 茂連合国側代表ジョン・フォスター・ダレス目的横浜講和条約の締結横浜講和会議は、太平洋戦争を正式に終結させるために横浜で開か...

核開発史

このぺージでは、この世界ではどのように核開発が行われたかを解説する。目次1 ・米国の核開発と戦後1.1 -マンハッタン計画2 ・核開発競争2.1 -ソ連の核開発成功2.2 -ソ連の水素爆弾開発の成功・...

東トルキスタン社会主義共和国

東トルキスタン社会主義共和国正式名称東トルキスタン社会主義共和国略称東トルキスタン所属陣営オムスク条約機構目次1 歴史2 政治3 軍事4 経済5 その他6 関連記事歴史政治軍事経済その他関連記事オムス...

日本=オホーツク海問題

日本=オホーツク海問題は、日本海、オホーツク海における日ソ間の勢力圏拡大による対立抗争及びそれに関連した紛争である。目次1 経緯2 紛争2.1 紛争・事件一覧3 影響経緯第二次世界大戦後、日ソは両国を...

日ソ冷戦

冷戦戦争冷戦年月日1946年~(諸説あり)交戦勢力勢力1大東亜共栄圏・大日本帝国勢力2オムスク条約機構・ソビエト社会主義共和国連邦指導者・指揮官指導者・指揮官1大東亜共栄圏・大日本帝国指導者・指揮官2...

広域アジア連携会議

広域アジア連携会議場所日本 東京期間1945年10月10日~11月10日主導大日本帝国参加国-目的アジア共同条約の締結(大東亜共栄圏の形成)広域アジア連携会議は、大日本帝国が主導し東京で開催されたアジ...

宇宙開発史

ここでは、50年代以降から開発が急速に進んでいる宇宙開発の歴史について解説している。宇宙開発力においては、ソビエト社会主義共和国連邦が最も高く、次いで大日本帝国、イギリスと続く。目次1 ソ連の宇宙開発...

太平洋戦争

太平洋戦争 洋上を航行する聯合艦隊戦争第二次世界大戦年月日1941年9月11日 - 1944年結果大日本帝国側の勝利。英米との条件付き講和。交戦勢力勢力1枢軸国大日本帝国満州国蒙古国ビルマ国タイ自由イ...

大洋州総督府

大洋州総督府正式名称大洋州総督府略称豪州/大洋州タグAST公用語豪州諸語/日本語/英語首都キャンベラ特区国家元首西村祥治政府首班西村祥治政府思想-人口996万人成立1945年9月3日所属陣営大東亜共栄...