宇宙開発史

ページ名:宇宙開発史

ここでは、50年代以降から開発が急速に進んでいる宇宙開発の歴史について解説している。宇宙開発力においては、ソビエト社会主義共和国連邦が最も高く、次いで大日本帝国イギリスと続く。

目次

ソ連の宇宙開発

ソビエト社会主義共和国連邦は、宇宙開発において最も進んだ技術を持っている国である。

第二次世界大戦前、ソ連は物体を空へ打ち上げるためにロケット研究開発を行った。液体燃料ロケット、同年にはハイブリッド燃料ロケットの打ち上げをソ連で初成功。また、戦時中にはロケットランチャー、カチューシャの開発によりソ連の推進力技術の基盤が徐々に形成されていった。

第二次世界大戦後、特に独ソ戦後においてソ連はドイツにあるV2ロケット工場などから設計図や部品を取得し、ドイツの残した当時では非常に進んだ技術の恩恵を受け、ソ連のロケット工学技術は大きく飛躍、"宇宙に飛び立つ"という壮大な夢にまた一歩近づくことになる。また、ドイツで活動していたロケット研究者を強制的にソ連の施設に収容し、国内でロケット研究を行わせた。1950年初頭になると戦後の新ドイツ政府とソ連との合同研究も進み、ソ連はドイツのロケット工学技術をすべて吸収、V2ロケットの打ち上げにも成功した。このロケットの打ち上げ後、このロケットに核弾頭を搭載する案が持ち上がった。しかし、核弾頭を打ち上げるには推進力が足りず、極低温燃料を使用するロケットエンジンの搭載が不可欠であった。1950年代、ソ連は大陸間弾道ミサイルの開発や世界初の人工衛星の打ち上げに着手し、人工衛星打ち上げ計画には、「Железная звезда(鉄の星)」の英発音「Zheleznaya zvezda」の二語の頭文字をとり、「ZZ計画」と名付けられた。

1959年はソ連の宇宙開発史上最も偉業を成し遂げた年となった。同国はまず、世界初の大陸間弾道ミサイル「R-7」の開発に成功。これは今まで爆撃機による核兵器の投下を行っていたものを、対ミサイル攻撃技術が未完成な現状、なんの敵からの攻撃のリスクもなく即座に敵国に核兵器を発射することに成功した。これは核戦略以外にも、宇宙開発に大きな影響を与え、同年冬に「ZZ計画」による世界初の人工衛星打ち上げが行われた。この打ち上げに使用された「Z1」は無事大気圏を越え、宇宙に解き放たれた。人類史上初めて、人工衛星を宇宙に打ち上げることに成功したのである。これをうけ、ソ連に先をこされまいと宇宙開発を模索していた大日本帝国といったアジア諸国はソ連の技術に驚愕し、国民に日本の技術はソ連より劣っていることを知らしめ、世論に定着した。この一連の出来事は「ZZ・ショック」と呼ばれ、アジアのみならず世界中がソ連に技術力に驚嘆した。

ソ連は現在、「ZZ計画」により更に宇宙技術を進歩させるため、1960年1月にも「Z2」の打ち上げが行われる予定である。また、1965年に世界初の有人宇宙飛行を計画している。

日本の宇宙開発

大日本帝国は、ソ連に次いだ宇宙開発技術を有しているが、その技術はまだまだソ連に及ばず、日本初の人工衛星の打ち上げを現在計画している。

大日本帝国は、1931年頃に近代的なロケットづくりに取り掛かるべく、固体燃料ロケットや液体燃料ロケットの開発を進めていた。これは宇宙開発のためではなく、軍事利用が主な目的とされた。その代表例としてイ号ミサイル、橘花や秋水といったロケット戦闘機が挙げられる。

日本初のロケット戦闘機、秋水

大日本帝国太平洋戦争のさなか、日本初のロケット局地戦闘機の開発を進めていた。これはドイツの メッサーシュミット Me163 の資料を基にしたもので、日本陸軍と日本海軍の共同で開発が進められた。

大日本帝国太平洋戦争が優勢に進む中、さらなるアメリカへの圧力をかけ、損害を与えるために新型のロケットを利用した戦闘機の開発を行っていた。そこで当時ロケット工学技術の進んでいたドイツの力を借りることとなった。日本はインドを確保したものの、スエズ運河はいまだ連合国の支配下にあり、この頃になると独ソ戦の影響によりドイツが劣勢に立たされていたため、ドイツからの技術共有はもはや困難を極めていた。この技術資料の輸送において、最も難しいのは欧州からアフリカの喜望峰を迂回し、アジアに到達することである。1943年10月、日本海軍の伊号第二十九潜水艦はロケット戦闘機 Me163B と ジェット戦闘機メッサーシュミット Me262 の資料を積んでドイツ占領下フランスのロリアンを出発した。途中、大西洋や喜望峰の通過の際にイギリス海軍に補足され、幾度か撃沈されかけたが、日本の軍部はこの新型ロケット戦闘機の重要性を理解しており、護衛に十分な海軍を派遣していたため、この資料を損失することは避けられた。アフリカで途中補給を受けながら、喜望峰を超えインド洋からインドの沿岸都市 コア を目指した。その後、インド・太平洋航行に関しては、すでにインパール作戦の成功と太平洋諸島における日本の制圧により周辺海域は安定しており、安全に資料を輸送することができた。これにより、日本は完全な状態のメッサーシュミットに関する資料を入手できた。

後の秋水になるロケット戦闘機は、三菱の協力のもと開発が行われた。しかし、太平洋諸島制圧後に獲得した大量の資源とともに、ドイツから送られた資料を再現するだけの作業であった。開発は順調に進むも、大量生産をすることは当時の日本の技術力では難しく、戦時中に運用することはできなかった。信濃講和受諾式が行われる直前の1944年冬、ドイツの資料をもとに新型ロケット戦闘機「秋水」の開発に成功した。しかし開発当時は戦争も終盤であり、生産体制が整い、正式運用が開始されるのは1948年からとなる。

日本の推進力技術の向上を知らしめた 橘花

秋水の開発を進める中、大日本帝国は新たな双発式ジェット戦闘機の開発も開始した。これはドイツから送られた メッサーシュミット Me262 の資料をもとにした日本初のジェット戦闘機であり、米国や今後の仮想敵国になるであろうソ連へ対抗するために開発が進められた。開発当初、胴体の上下にエンジンを配置する胴体上下コンパウンド型(双ブーム支持)、エンジンを胴体側面に埋め込む胴体埋め込み型、ドイツが開発した世界初の実用ジェット戦闘機メッサーシュミット Me 262と同様に、主翼下にエンジンを懸架する翼下懸架型の3つの案が候補に上がった。当初、2つめの候補が持ち上がるも、期待の簡易化を図るために3つめのメッサーシュミット Me 262 と同様の機体が採用され、ドイツからこの戦闘機に関する資料を受け取った。これをほぼ複製したものである 双発ジェット戦闘機 橘花 が試作され、何回かの試験飛行が行われた後、秋水と同様戦後に大量生産が行われた。

糸川とバーティカル・ロケット

糸川英夫は、戦時中に秋水や橘花の開発に関わり、戦後に日本のロケット工学技術を躍進させた。1951年、戦後に世界情勢が安定化し、推進力技術が注目を集める中、様々な企業の協力のもと糸川は「バーティカル・ロケット」という中型ロケットを開発した。ドイツが開発したV2ロケットには性能は劣るが、それでもこれは日本の宇宙開発における大きな第一歩となった。これ以降、糸川を中心に様々なロケットが開発され、そのたびに改良、性能は高くなっていった。この研究に当時宇宙開発技術を模索していた日本政府の協力のもと、日本初の正式な宇宙開発機関である帝国航空宇宙局が設立された。これにより糸川といった研究者らと政府機関との連携がとりやすくなり、政府による多額の投資により研究は進んだ。

竹取計画と信介の圧力

1950年代、幾度となくロケット発射実験が行われ、ソ連にスパイを送り込むなどして技術を取得し、日本の宇宙開発技術のさらなる発展に貢献していた。1955年、日本政府はソ連が世界初となる衛星の開発を計画しているという情報を入手し、日本も衛星打ち上げ計画を開始する。「竹取計画」と呼ばれたこの計画は、藤山愛一郎内閣、その次の石井光次郎内閣のもと積極的な研究開発が行われ、1962年の打ち上げを目指した。しかし、その背景にはすでに総理の座を降りていた岸信介の圧力があったと考えられる。研究は急ピッチで進んでいたが、ここで事件が起きる。ソ連が世界初の衛星打ち上げに成功したという情報が入ったのだ。当時日本のスパイや工作員からの情報では「ソ連の衛星打ち上げの研究は欧州大陸の暴動鎮圧のために行き詰まっている。」というものであったが、実際のところは何ら順調に研究開発が進み、1959年には打ち上げ体制が整っていた。これには、ソ連が日本に対し研究状況悪化といった嘘の情報を流し、日本の開発者を油断させるためであったと考えられている。これは日本のみならず、アジア地域に大きな衝撃を与え、「ZZ・ショック」と呼ばれた。大衆が日本ソ連に劣っていることに気づき始めたのである。これに岸は激怒し、石井総理に直ちに竹取計画を完了させるよう求めた。石井は急遽62年の打ち上げを60年に短縮した。なんとこれが決定したのは1959年後半であり、半年足らずで未だ半分ほどしか研究が進んでいないこの計画を完遂させなければならなかった。この竹取計画は果たして成功するのかが、今後の宇宙開発競争における転換点となるであろう。

イギリスの宇宙開発

イギリスは宇宙開発において上記二カ国より遅れているが、戦前のアメリカの進んだ技術の恩恵もあり、多少の技術は有していた。

財政危機と伸び悩む宇宙開発

イギリスは第二次世界大戦後、宇宙開発に着手するようになっていった。アメリカでの内戦により亡命してきた技術者を招き、開発を進めていた。しかし、植民地での反乱や国内の混乱から経済は崩壊寸前であり、政府も大きな赤字を抱えていたため、宇宙開発を積極化する余力はなかった。1959年現在、目立った宇宙開発は行われていない。

宇宙開発競争

宇宙開発競争とは、主に大日本帝国ソ連間で繰り広げられている非接触的な宇宙開発の戦いである。これらは日ソ冷戦の戦場の一つである。

競争意識の始まり

第二次世界大戦後、戦争に勝利した大日本帝国ソビエト社会主義共和国連邦は、軽い対立状態となっていた。外満州問題や政治思想の相違などが主な原因となり、その延長線上に宇宙開発という20世紀後半における人類の強大な夢が対立抗争の一つに置かれようとしていた。50年代に入ると、宇宙技術とはその国家の技術力の象徴的な存在となり、宇宙開発が進めば進むほど、その国の技術、開発する経済力、ましてや総合的な国力が高くなっていった。この国力の増加は国際的能力と、衛星国を含む自国民の愛国心を高め、今後の冷戦戦略において多大な影響力があると考えられている。つまり、「宇宙を制す者は冷戦を制す」ということだ。この考えのもと、日ソ両国は宇宙という未知の領域の研究を始めた。

戦後のスタート地点

第二次世界大戦直後、はじめに大きく宇宙技術に躍進を遂げたのはソ連である。同国は独ソ戦において当時世界で最も進んだ技術を保有していたドイツを打倒し、そこから入手したロケット工学技術を利用しながら、V2ロケットやその他推進力技術を高めていった。一方大日本帝国太平洋戦争さなか、同じくドイツの技術の恩恵を受け、ロケット戦闘機やジェット戦闘機を開発しロケットやジェット開発に着手していたが、肝心な宇宙空間まで飛ぶことのできる推進力技術は有していなかった。ドイツもソ連により敗北し、その後は独自で宇宙開発を行っていく必要があった。この時点で日本ソ連の宇宙開発のスタート地点はソ連の方が進んでいた。

波乱の1950年代

1950年代は宇宙開発競争のみならず日ソ冷戦全体において波乱の10年となった。ソ連はV2ロケットをもととしたロケットの打ち上げを繰り返し、そのたびに性能を向上させてきていた。日本も負けておらず、糸川博士を中心にロケット開発を独自に行い、帝国航空宇宙局が設立されると、公的な宇宙研究がさらに行われた。両国がいがみ合い、ときにスパイを送り込み、技術を盗み取る情報戦が展開されるなど、宇宙開発競争はますます激化し、政治にも影響を与えた。1950年代後半、ここで大きな宇宙開発競争の飛躍と絶望がおとずれる。ソ連は突如として、世界初となる衛星の打ち上げの成功を公開したのだ。この衛星打ち上げ計画である「ZZ計画」の成功は、ソ連陣営の成長を世界に示し、日本陣営に大きな絶望感を植え付けた。大日本帝国といったアジア諸国は、自国の技術を大々的に国民に報道しすぎたがゆえに、この技術力による慢心に亀裂が入ると、大きな衝撃となりアジア中に広がらせてしまった。「ZZ・ショック」とよばれたこの世界的な事件は、主に日本国民に大きな衝撃と絶望を与え、日本政府に対する疑念感をより大きなものにさせた。

この出来事は、宇宙開発競争の新たな時代の幕開けと言える。この宇宙戦争は第二段階に突入したのだ。大日本帝国は、現在この事態をうけ、日本初の衛星打ち上げ計画である「竹取計画」を短期化し、1960年の打ち上げを目指している。日本はまだソ連に負けていないことを世界に示さなければならない。

宇宙開発競争が生んだ技術的影響力

この宇宙開発競争は、世界的な宇宙技術の向上に大きく貢献した。日ソ間の技術の競争心と焦りはより宇宙開発に注力し、技術を進歩させた。この宇宙開発競争がなければ、世界的な技術力の発展は今よりも緩やかであったとされている。

関連記事



特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

陣営一覧

ここでは、複数の国家の集合体(組織)を一覧化している。目次1 軍事・安全保障組織 軍事的な連携を目的としたより硬い国際組織2 経済連携組織経済的な連携を目的とした比較的緩い国際組織3 共通された目標を...

重慶軍閥

重慶軍閥正式名称中華民国略称重慶閥タグCHO公用語中国語首都南京(事実上:重慶)国家元首孔 祥熙政府首班孔 祥熙政府思想-与党中国国民党人口-人成立1912年1月1日所属陣営中華統一戦線重慶軍閥は、反...

製作メンバー

製作メンバー[]※製作メンバーにおける主要管理人のみ管理人[]にっしんGB副管理人[]T75_kareraisuア無理・ロイせつなれいんらぺ會長んしゅぱらコーディング部長[]んしゅぱらシナリオ製作部長...

自由フランス

自由フランス正式名称フランス共和国略称自由フランスタグFFR公用語フランス語(名目上)首都ブラザウィル国家元首シャルル・ド・ゴール政府首班シャルル・ド・ゴール政府思想権威民主主義与党-国家解放委員会人...

略史

1900年-1910年1911年-1920年1921年-1930年1931年-1940年1941年-1950年1941年9月11日~1943年6月15日 太平洋戦争1941年6月22日 ヴァ―モンド作...

独ソ戦

独ソ戦戦争第二次世界大戦年月日1941年6月22日~1947年5月28日結果連合国の勝利交戦勢力勢力1連合国ソビエト社会主義共和国連邦グレートブリテン及び北アイルランド連合王国フランス共和国アメリカ合...

無政府主義

無政府主義は、一切の権力を否定し個人とその集団の自由を全く拘束することの無い社会を実現しようと主張する政治思想である。目次1 思想1.1 ・経済構造1.2 ・分派2 サブイデオロギー思想無政府主義の主...

満州国

満州国特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...

沙桑羅問題

沙桑羅問題(しゃさろもんだい)は、カリフォルニア州連合の国家承認や大日本帝国の責任、アメリカ西海岸におけるアジア人による人種差別問題といったカリフォルニア州連合による様々な国際問題の総称。第二次世界大...

欧州基本条約

欧州基本条約署名1950年8月5日署名場所ソ連 モスクワ発効1951年1月1日寄託者ソビエト社会主義共和国連邦政府内容第二次世界大戦、特に独ソ戦後における欧州の在り方に関する基本的な条約欧州基本条約は...

横浜講和条約

横浜講和条約署名1946年7月15日署名場所日本 横浜発効1947年1月1日寄託者大日本帝国政府内容第二次世界大戦における連合国と大日本帝国の間の平和条約横浜講和条約は横浜で開かれた横浜講和会議で正式...

横浜講和会議

横浜講和会議条約横浜講和条約期間1946年5月1日~7月13日日本側代表吉田 茂連合国側代表ジョン・フォスター・ダレス目的横浜講和条約の締結横浜講和会議は、太平洋戦争を正式に終結させるために横浜で開か...

核開発史

このぺージでは、この世界ではどのように核開発が行われたかを解説する。目次1 ・米国の核開発と戦後1.1 -マンハッタン計画2 ・核開発競争2.1 -ソ連の核開発成功2.2 -ソ連の水素爆弾開発の成功・...

東トルキスタン社会主義共和国

東トルキスタン社会主義共和国正式名称東トルキスタン社会主義共和国略称東トルキスタン所属陣営オムスク条約機構目次1 歴史2 政治3 軍事4 経済5 その他6 関連記事歴史政治軍事経済その他関連記事オムス...

日本=オホーツク海問題

日本=オホーツク海問題は、日本海、オホーツク海における日ソ間の勢力圏拡大による対立抗争及びそれに関連した紛争である。目次1 経緯2 紛争2.1 紛争・事件一覧3 影響経緯第二次世界大戦後、日ソは両国を...

日ソ冷戦

冷戦戦争冷戦年月日1946年~(諸説あり)交戦勢力勢力1大東亜共栄圏・大日本帝国勢力2オムスク条約機構・ソビエト社会主義共和国連邦指導者・指揮官指導者・指揮官1大東亜共栄圏・大日本帝国指導者・指揮官2...

広域アジア連携会議

広域アジア連携会議場所日本 東京期間1945年10月10日~11月10日主導大日本帝国参加国-目的アジア共同条約の締結(大東亜共栄圏の形成)広域アジア連携会議は、大日本帝国が主導し東京で開催されたアジ...

宇宙開発史

ここでは、50年代以降から開発が急速に進んでいる宇宙開発の歴史について解説している。宇宙開発力においては、ソビエト社会主義共和国連邦が最も高く、次いで大日本帝国、イギリスと続く。目次1 ソ連の宇宙開発...

太平洋戦争

太平洋戦争 洋上を航行する聯合艦隊戦争第二次世界大戦年月日1941年9月11日 - 1944年結果大日本帝国側の勝利。英米との条件付き講和。交戦勢力勢力1枢軸国大日本帝国満州国蒙古国ビルマ国タイ自由イ...

大洋州総督府

大洋州総督府正式名称大洋州総督府略称豪州/大洋州タグAST公用語豪州諸語/日本語/英語首都キャンベラ特区国家元首西村祥治政府首班西村祥治政府思想-人口996万人成立1945年9月3日所属陣営大東亜共栄...