飯島愛_19970102-2

ページ名:飯島愛_19970102-2

【重要】1997年1月2日



飯島愛_19970102-1からの続き。


(50万円のアワビを前に)ごめんね、見てる人みんな。うちの兄妹、お母ちゃん、お父ちゃん、ごめんね。お母ちゃんに食べさせてあげたかったな
これを見ると、中森家の籍を抜いたというゴシップはやはり捏造ではないのかという気がしてくる。
上のリンク先でも、言うことが二転三転している父親が言ってる事だから、いまいち信用できるか分からない。
仮に本当だとしても、理由はリンク先に書いた通り。

  • 母との幼き日の約束を果たすため
  • 頑張って働かなくなってしまった家族をまっとうな人間に戻すため

この理由であれば、特に恨みがあるというわけではない。
「うちの兄妹、お母ちゃん、お父ちゃん、ごめんね」
というのも本心だと思う。


こういう話の流れにすると、触れざるを得ない話があるので言及しておく。
「妹の葬儀に現れなかった」について。
もっとも、それも本当かどうか不明ではあるが。
仮に本当のことだとして。
理由は自明でしょう。
 妹の葬儀に現れなかった
=それを知っているということは、マスコミが待ち構えていたということ
=そんなところに現れれば待ち構えていたマスコミが殺到し葬儀が台無しにされる
それを避けたかったということでしょう。
あまりにも自明なのに、自分たちが原因とは決して書かないどころか、中森明菜を貶めることで責任転嫁。
「妹の死」まで雑誌を売るため、アクセス数(インセンティブ)を稼ぐための金儲けのネタにし、
あまつさえ中森明菜の名誉まで毀損する。


帯状疱疹だとすれば、絶対に写真を撮られたくないということもあるでしょうね。
そんな姿をファンに見られたらガッカリさせてしまうと思っているのでしょう。


もう1つ考えられる理由としては、
上記の籍を抜いた話が本当であれば「中森家の籍を抜いた自分が訪れるのは筋が違う」ということでしょう。
曲がったことが嫌いな明菜らしい考え方と言える。


とは言え、マスコミの存在さえ無ければ生前に会いたかったでしょうね。
部屋の中で相当悩み苦しんだことだろう。
今も父に対して同じ想いで葛藤しているかもしれない。


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