英国革命
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ウクライナ国 | |||
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2560px-Flag of the Ukrainian State | |||
ウクライナ国旗 | |||
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ウクライナ国、またはウクライナは東欧の国家である。北東部をロシア、南東部をドン=クバン連合、南西部をルーマニア、東部をガリツィア=ロドメリア(オーストリア=ハンガリー帝国の一部)とポーランド、北部を白ルーシとリトアニアに接している。
ロシア帝国の長きにわたる支配を経て、ウクライナは1917年に自治領となり、10月革命後の1918年初頭には完全独立を果たした。だが新たに建国したウクライナ共和国は、すぐに北のソビエトからの侵攻にさらされた。同年2月初旬には、ボルシェビキ軍がキエフに侵攻した。
ウクライナは独立を守るべく、当時東欧の大部分を占領していたドイツに接触した。ドイツはブレスト=リトフスク条約の交渉の席上で、ウクライナ介入とボルシェビキの放逐を約束した。その見返りに、ウクライナ側はドイツが切望する小麦を輸出することになった。
1918年2月8日から9日にかけておこなわれたドイツ=ウクライナ協力条約の調印式
1918年2月中旬から3月にかけて、ドイツとオーストリア=ハンガリー連合軍はナルヴァ・スモレンスク・キエフで大規模攻勢を開始した。ボルシェビキ軍はバルト海沿岸部、ベラルーシとウクライナの大半から追い出され、やむなく3月3日にブレスト=リトフスク条約に調印した。ウクライナ人民共和国はキエフ凱旋を果たしたが、ほとんど中央同盟に頼りきっていた。中央同盟諸国はロストフ・ナ・ドヌに至る国内全域に駐屯していた。
やがて共和国は腐敗し、統治がおぼつかなくなった。ドイツは条約交渉の席でウクライナ政府が約束した穀物の遅配に怒った。それに加えて、キエフ以外の地域にはボルシェビキの影響を受けたアジテーターらが国中に広がり、事実上政府の手が及ばなかった。
ドイツはやがてパウロー・スコロパードシクィイに目を付けた。スコロパードシクィイはかつて帝政ロシアと戦い、ウクライナ・ナショナリズムを標榜するヘーチマン運動の指導者となっており、ウクライナ・コサック、地主、農民、更にはロシア人やポーランド人からも支持を得ていた。スコロパードシクィイはドイツと協議し、治安回復を目的とした自前のクーデター計画を提示した。ドイツ側はクーデターに際して中立を維持すること、政府系部隊の駐屯地を封鎖することの二点を約束した。
Skoropadsky Pavlo with Hetman government officialsクーデター直後の「ヘーチマン」パヴロー・スコロパードシクィイと側近たち、1918年5月上旬
1918年4月29日、全ウクライナ農民会議はスコロパードシクィイを「全ウクライナのヘーチマン」に選出した。クーデター当日に新憲法が採択され、スコロパードシクィイは軍の最高司令官に就任した。報道検閲が導入され、新たな最高裁が開廷し、人民共和国政府時代の全ての改革が差し戻され、ヘーチマンはウクライナの最高の法となった。
スコロパードシクィイは国内の穏健派政党の糾合に失敗すると、自身の部下や他の組織から離脱者から構成される内閣を組織した。目下の課題として、新政権は独力で機能する経済政策の策定に取りかかった。カイザーがドイツの直接的経済援助を承認すると、この問題はすぐ解決した。同時期に多くの社会改革が失敗したが、新生ウクライナ政府は国際社会からの承認を得て、ウクライナにおける唯一の正当政府として認められた。ムィハーイロ・フルシェーウシクィイ、ヴォロドィームィル・ヴィンヌィチェーンコ、シモン・ペドリューラを初めとする旧共和国の政治家たちはオーストリア=ハンガリー帝国内のガリツィア=ロドメリアに移転し、亡命政権を立ち上げた。
1919年初頭、ネストル・マフノ率いるウクライナ革命反乱軍はハリコフを確保するなど、もはや無視できない問題となっていた。ドイツ製装備が供給され、ドイツの訓練を受けた最初の部隊が配備されると、スコロパードシクィイは「無政府主義テロリストらの国家を掃討」する攻勢を開始した。マフノも自らウクライナ政府軍への奇襲を敢行し、作戦は低調な滑り出しを見せた。アナーキスト側は政府軍からドイツ製・オーストリア製の野砲や機関銃といった装備を奪取した。だが奇襲作戦はさしたる戦果を挙げず、同年3月2日に政府軍が攻勢に打って出ると、ウクライナ革命反乱軍は敗北した。最終攻勢の直前、マフノは当時建国されたばかりのフランス・コミューンに亡命した。
Army_Bluecoats_.jpgアレクサンドルフスキ近郊でマフノシチナへの攻勢準備を進める兵士たち、1919年10月
ロシア内戦が終結し、マフノの黒軍が敗北すると、ウクライナは平和の時代に足を踏み入れた。だか新たな国にやすやすと平和が訪れることはなかった。新たに「ウクライナ国」と称する国の政策は、下層階級から反感を買った。スコロパードシクィイ政権初期、屋外や工場でのストライキが多発した。20年代初頭のウクライナは、大量の食糧を生産する大農業国でしかなかった。
目覚ましい農業景気とは対照的に、ウクライナの工業はまだ伸び悩んでいた。新進気鋭のドイツ人実業家らはキエフやオデッサなどの都市部に率先して工場を建設したが、国の大部分はどこまでも農業国家のままだった。国民の大多数が農民として働き、自分の土地を持てない者は小作農家として働いた。それでも少なからぬドイツ人がこれまで以上に野心的な工業化計画を立案し、ウクライナ各地で実行に移した。1930年、ウクライナ国はドイツ経済圏の需要を満たすほどの食糧を生産し、中欧同盟圏に数百万トンもの小麦、大麦、ビート、蜂蜜を輸出している。
同時期には文化面も花開いた。全国各地で多くの大学や図書館、美術館などの使節が建造された。
だがドイツがヘーチマンやその支持層の軍隊、地主たちを支援すればするほど、農民や労働者の間に反感が広がった。多くの人々がムィハーイロ・フルシェーウシクィイ、ヴォロドィームィル・ヴィンヌィチェーンコ、シモン・ペドリューラなどのかつて亡命した社会主義政治家を再び支持するようになった。共和派は貧困が蔓延する西ウクライナで不満を抱いた人々から強い支持基盤を獲得した。ペトリューラ率いる社会民主主義政党「ウクライナ社会民主主義労働者党(USDRP)」は農地改革、民主的政府、ドイツのウクライナ経済支配の終結を公約した。だがヘーチマン国家の監視の下、ペトリューラは脆弱で貧しいならず者集団を率いて汚れ仕事に手を染める凶悪な農民に過ぎなかった。
Partizany.png社会民主主義労働者党系の農民パルチザン、ビルズラ近郊の森林にて、1930年頃
穏健派の共和主義者や民主改革の公約になびかなかった人々は、別の選択肢を選んだ。少なからぬ人々はオレクサンドル・シュムシクィーとウクライナ社会革命党の過激な扇動を支持している。シュムシクィーは農民蜂起による社会主義国家ウクライナの建国、徹底した農地再分配、親独系エリートの追放など、ウクライナ国家を完全に塗り替える数々の進歩的改革を公約している。だが今のところ、シュムシクィーは小規模のゲリラ運動を指揮するだけだ。シュムシクィーはウクライナに残留する唯一の反体制派であり、より「リベラル」なガリツィア派とは協力関係を持っていない。
「ヘーチマン」パヴロー・スコロパードシクィイ、リプキの旧総督府執務室にて。1919年初頭
全ウクライナのヘーチマン: パヴロー・スコロパードシクィイ
閣僚ラーダ議長: ドミトロ・ドロシェーンコ
外務大臣: Serhii Shelukhyn
経済大臣: Anton Rschepezky
内務大臣: Ihor Kistyakovsky
ウクライナは実質的には君主制の要素を併せ持つ準軍部独裁政権が治めており、スコロパードシクィイがヨーロッパ型の君主制を踏襲した世襲統治を望んでいることは公然の秘密となっている。スコロパードシクィイはウクライナのヘーチマンとして数々の最高地位を兼任している。法律上、スコロパードシクィイはウクライナ軍の最高司令官であり、ウクライナ文化の長であり、ウクライナの最高裁判長だ。厳密に定義すれば選出された立場だが、スコロパードシクィイは退陣か死亡までヘーチマンの地位を享受する。ウクライナの法律では選出されたヘーチマンへの弾劾を認めているが、裁判所やラーダ(議会)はスコロパードシクィイの息のかかった人々で埋め尽くされており、弾劾が成立する見通しはない。
ウクライナの公式政党は連合ヘーチマン機構(Soiuz Hetmantsiv Derzhavnykiv:SHD)である。SHDはスコロパードシクィイの権力掌握直後に結成され、スコロパードシクィイを絶対的に支持している。スコロパードシクィイとSHDの支持者が見返りを得ることは多く、軍や法廷、立法府、実業界にまで会員数を増やしている。
だがSHD内部にも反対派が存在している。ヘーチマンの権力が過大であると考える者は多く、彼らは党の路線に沿いながらも、小規模な民主改革を推進している。SHD改革派はスコロパードシクィイの統治そのものに反旗を翻すつもりは毛頭ないが、地方部でのさらなる選挙実施と他の政治政党への規制緩和を望んでいる。改革派は社会主義連邦党出身者と民主農業党出身者が入り乱れている。両派とも民主改革については合意しているが、旧社会主義連邦党派の穏健派アプローチについては大きく対立している。改革派の第三勢力が旧農業国家主義党派だ。彼らは立憲君主制を支持する政治派閥であり、ダヌィーロ・スコロパードシクィイの個人的後援によって存続しているが、支持基盤がなく、内部対立によって疲弊している。
有力なユダヤ人一家ブロドスキー家が所有するキエフの近代的製糖工場、1930年
ウクライナは帝国協定で第三位の経済規模を誇り、隣国の東欧諸国と比べれば高い自治権を享受している。中欧同盟圏のパンかごと称され、同盟国向けの穀物の大部分を生産している。また国内の大型造船所で国内外向けの船舶を建造するなど、造船業からも利益を得ている。ドイツはウクライナの農業経済成長のために大規模な援助を投じたが、ウクライナは今でも農業国家だ。それでもキエフやオデッサなどの大都市圏では工業が成長しつつあり、東部やクリミアでも引き続き工業拡大に向けた計画が草案されている。
帝国協定各国の中でも、ウクライナはドイツ帝国軍に次ぐ第二位の陸軍力を誇っているといえるだろう。ドイツはウクライナ国軍(Zbroyni Syly Ukrayinskoyi Derzhavy:ZSUD)の近代化を目標に、相当の時間と細心の注意を払って整備を進めてきた。ウクライナ国軍設立後、ドイツ帝国は自国製装備をウクライナに供出した。ウクライナ国軍がにわか仕立てに編成された頃に使用していたロシア製・オーストリア製装備に代わって、ドイツ製の小銃やトラック、更には戦車までが採用された。30年代中盤現在、ウクライナはこれらの装備を独自に生産している。
セヴァストポリを拠点とするウクライナ海軍は、おもに老朽化した旧ロシア海軍艦艇から編成されており、戦艦一隻、重巡洋艦一隻、軽巡洋艦三隻、駆逐艦一隻、潜水艦三隻を保有している。海軍はオスマン帝国との紳士協定を順守し、もっぱら沿岸警備任務を主としている。
ウクライナ空軍は1917年時点でクバーニ人士官のヴィクトル・パヴレンコが立ち上げており、またキエフには00年代初頭から数々の実験的航空機製造工場が居を構えていた。現在のところ、ウクライナ空軍は一個迎撃機編隊しか保有していないが、スコロパードシクィイはドイツの支援による空軍拡大に意欲を示している。
ウクライナは軍事面では帝国協定、経済面では中欧同盟の一員である。
ドイツ:国際舞台では、ドイツ=ウクライナ同盟は世界最強の同盟の一つとされている。二か国はあらゆる問題で協調姿勢を取っている。両国間の貿易は自由で、両軍の合同軍事演習もしばしば開催され、さらに現在ウクライナ・ラーダは「ウクライナ=ドイツ友好の日」を祝日に制定している!だがその実、スコロパードシクィイはカイザーの傀儡でしかない。締め付けは緩いが、それでも傀儡であることに変わりはない。
ウクライナの農民たちの対独感情は二つに割れている。ドイツをウクライナの救世主と捉える人々は、ドイツ無くしてウクライナ人国家は存続しえなかったと考えている。当時は協商陣営もウクライナのロシア従属を支持しており、ボルシェビキも信用できなかった。だがその一方で、所詮ドイツは新たな宗主国でしかなく、ウクライナは本当の意味で自由にはなっていないという考えもある。
ベラルーシ:ウクライナと北の隣国は共通の脅威を抱えていると言える。両国とも友好関係を維持し、相互に恩恵をもたらしている。貿易は活発で、住民の往来も簡易化されている。それでもホメリやウクライナの主張するベラルーシ南部の係争地を巡って緊張が噴出する可能性は残されている。
ドン=クバン連合:ドン・コサックが支配する隣国とは多くの問題を抱えている。ウクライナ民族主義者やクバーニ軍管区の勢力は統一を推進し、ドンのヘーチマンであるクラスノフはその度に統一プロセスを阻んできた。ドン=クバン国内でのクバーニ族迫害を受けて、ウクライナはドイツに対して「クバーニ少数民族保護」のための介入を要請しているが、大方無視されている。
ポーランド:東欧における帝国協定二大主要国、ウクライナとポーランドは長年に渡って政治的に対立し、とくにガリツィアの帰属を巡る問題を抱えている。この対立が暴力を招いたことはないが、ドイツ帝国にとっては大きな悩みの種となっている。だがウクライナとポーランドは共に懸念すべきより大きな敵を抱え、協力して対抗する姿勢を見せている。ポーランドにはウクライナに無い軽工業を有しており、両国はしばしば国境地帯で相互援助に繋がる経済プロジェクトを立ち上げている。
リトアニア:ウクライナ産穀物の上客であり、帝国協定の一員でもあるため、ウクライナとは良好な関係を保っており、係争地も存在しない。
ロシア共和国:第一次世界大戦以降、ウクライナ国とロシア共和国の対立は収まっている。だがロシアでは多くの勢力が存在しており、ウクライナ国民は将来の展望と対立再燃を恐れている。
ルーマニア王国:平和は維持されているものの、ベッサラビア問題はいまなおウクライナとルーマニアにとってホットな話題だ。両国とも自国の領有権を主張しているが、ルーマニアはブカレスト条約によってベッサラビアでの主権を制限されている。今のところ、両国とも国境地帯の非武装化に合意し、更なる衝突回避を望んでいる。
オスマン帝国:ウクライナとオスマン帝国の間にはほとんど問題がない。ロンドン海峡条約はいまだ効力を発揮しているが、ウクライナは黒海での独自海軍保有を認められている。だがウクライナ海軍の規模が大きくなりすぎれば、懸念が高まるかもしれない。
またオスマンは歴史的にクリミアのタタール人に関心を寄せていたが、ウクライナ国にとっては懸念材料とはなりえない。両国間の紳士協定はいまだ健在であり、オスマンの海軍優位が保障され、引き換えに黒海での安全航行権を維持している。
フランス・コミューン:ウクライナは帝国協定の一員であり、ドイツの反仏感情に共感している。そしてその悪感情は、ウクライナで指名手配されている「黒軍の頭領」ネストル・マフノを匿っていることで一層根深いものとなっている。ウクライナ人はマフノがフランス・コミューンの選挙候補に登ったことに衝撃を受けており、国全体がマフノの思想を強く警戒している。
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