リトアニア

ページ名:リトアニア
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リトアニア
リトアニア王国
リトアニア王国旗
正式名称リトアニア王国
一般名リトアニア
標語国家の強さは団結にあり!(Tautos jėga vienybėje)
国歌「国民賛歌(Tautiška giesmė)」
公用語リトアニア語、ドイツ語
首都ヴィリニュス
政治体制立憲君主制
国家元首ヴィータウタス2世
首相レオナス・ビストラス
通貨リトアニア・リタス
建国1920年(ミンダウガス2世の戴冠により)
面積(本土)約80,000 km²
人口(本土のみ)約300万人


リトアニア(リトアニア語:Lietuva)は二つのバルト諸国の内の一つであり、中央ヨーロッパの一構成国、かつドイツの傀儡国家である。その国境は西をドイツ、北をバルト連合公国、東を白ロシア、南をポーランド及びウクライナと接している。


歴史[]

リトアニア王国の歴史は、キリスト教に改宗し初代リトアニア国王として戴冠したミンダウガスの統治下で、バルト人部族の統合が成された13世紀に遡る。彼が戴冠後すぐに政敵によって暗殺され、リトアニアのキリスト教受容は完全に成し遂げられなかったにも関わらず、ミンダウガスが残した遺産、統一されたリトアニア人国家はその後も存続した。リトアニアはキリスト教を受容した最後のヨーロッパの国であり、後にはポーランドと連合してポーランド・リトアニア共和国を成立させた。

ポーランドと同様、共和国の分割は、ロシア帝国による併合をリトアニアにもたらした。しかしながら、リトアニア人国家の精神は時代を超えて存続し続けた。リトアニア人による1830年と1863年の反乱は、帝国による統治下での負担を増加させた。当時欧州でも有数の大学であったヴィリニュス大学がツァーリによって閉鎖され、ミハイル・ムラヴィヨフ・ヴィレンスキーの指導によってロシア化政策が実行、1864年にリトアニア語の出版物が禁止された。リトアニア人たちは、出版禁止を受けた書物を通じて密かに自らの歴史を学んだ。40年に及ぶロシア化政策の中で、リトアニア人の国民意識再興が始まった。この時期は近代的リトアニア国家の発展期でもあり、多くの大作家がその名を遺した。

1904年、ヴィリニュスにリトアニアの知識人や代表者が集まり、ロシア帝国内でその自治権を要求した際、その国民意識は最高潮に達した。彼らは出版禁止の法を解くことに成功し、要求が満たされたことを喜び合った。そしてドイツとロシアの間で大戦が勃発し、ロシア帝国が崩壊した際には、長年に渡る独立という目的のためにリトアニアはドイツとの交渉を開始した。

1917年、リトアニア議会がヴィリニュスにおいて開催され、リトアニア人を代表する初の政権が選出された。新政権はリトアニアの独立を宣言し、アンターナス・スメトナの指導力の下、ドイツ帝国による併合を免れるために彼らとの同盟を打診、ドイツ軍との親密な関係を取った。一方で、バルト諸国の軍政を管轄していた東方総軍司令部(Ober Ost)の許可の下、ブレスト=リトフスク条約で決定した境界に基づいて新政権がリトアニア人以外による分離運動を制限した。

リトアニア議会は、1917年12月11日、ドイツとの変わらない友好関係を宣言し、18年1月8日、ドイツとの間で交わした条約を更新、2月16日に再度、条約更新の継続に同意した。しかしながらドイツ政府はリトアニアに対してそれ以上の要求を行い、帝国の傀儡国家になることを求めた。これを受け、リトアニアでは対応を巡り意見が割れ、親ドイツ・君主制支持を行っていたスメトナに代わり、祖国の長老と呼ばれ慕われていた、社会民主主義者のヨーナス・バサナヴィチュスが議長を務めた。しかし彼らの努力にも関わらず、最終的にリトアニアはドイツによる要求に屈した。

ドイツ政府は、カイザーがリトアニア王位に就くことでリトアニアを同君連合下に置き、プロイセン王国の権威を高めることを構想していた。ザクセン国王フリードリヒ・アウグスト3世もまた、ザクセン王国とリトアニアとの過去の関係性に注目し、即位への意向を示した。しかしカトリック教徒が主であるリトアニア国民にとって、プロテスタントの王は望むものでなく、さらにドイツ帝国内からもプロテスタント諸侯への優遇に対してカトリック側からの批判が行われた。中央党政治家であるマティアス・エルツベルガーにより、ヴィルテンベルク王国から、ウラッハ公ヴィルヘルム・フォン・ウラッハが推薦された。彼がカトリック教徒であること、大戦時に実績のあった軍人であることが認められ、国内のリトアニア人からポーランド人にいたるまで彼に対する信頼と支持が寄せられた。1918年7月11日、リトアニアは彼をミンダウガス2世として、公式にリトアニアの未来の国王であると宣言した。この結果に対してプロイセン側からの批判が寄せられたが、ドイツ政府は最終的に、リトアニア問題においてカトリック側に配慮する形で解決することを望み、リトアニアへの東方植民を望む声を退けた。

1919年、東方総軍司令部はリトアニア議会に対し、いくつかの特権を得る代わりにその存在を正当な政権として認め、リトアニア議会はようやく国家機構としての活動を開始した。議長にアンターナス・スメトナが再任、左派議員は重役から取り除かれたことにより、国政の主導を保守派が再び獲得した。議会にポーランド人やベラルーシ人、ユダヤ人といった少数派の代表も参加し始めた。ドイツ帝国に対し保護を求め、いくつもの長期的条約を交わしたことは、リトアニア議会がドイツ政府の意向に大きく左右される結果をもたらした。1920年1月1日、ミンダウガス2世が正式にリトアニア国王として戴冠し、ここにリトアニア王国が公式に成立した。ミンダウガスはリトアニアの代表たちに対し、ドイツ語ではなくリトアニア語で語りかけることで彼らを驚かせた。王はまず議会に対して、国政を担う暫定内閣を発足させることを告げ、議会内で選挙を行うことを要請した。

しかしながら驚くべきことに、アンターナス・スメトナ率いる国民進歩党が王制を熱烈に支持しているにも関わらず、地方の農民から支持を受ける中道的政党、キリスト民主党を王は支持し、宰相にはスタシース・シリンガス男爵を任命した。この理由として、ミンダウガスがリトアニア議会に初めて顔を出した際、スメトナが議場を実質単独で支配していることに気づき、彼に権力が集中することを危惧したためと考えられる。王国の成立に最も貢献したスメトナに対し、王によるこの仕打ちは彼をひどく落胆させた。

ドイツの影響下にあるリトアニアにおいて、よりナショナリックで反ドイツ的政治勢力が徐々に形成され始めた。リトアニアは決してリトアニア人のみが住んでる分けではなく、大きく分けてポーランド人、ベラルーシ人、ユダヤ人やその他の民族が居住していた。彼らもまた独自の政治勢力を築き、中央ポーランド選挙委員会がポーランド人の多いビャウィストク地域で支配的政党となり、一方でユダヤ人コミュニティにおいてリトアニア・ユダヤ人労働同盟(ブント)が大きく勢力を付けた。リトアニア人政党は大きく2つに分かれ、保守的なキリスト民主党と左派的なリトアニア社会民主党が存在する。その他により国粋的な、アンターナス・スメトナに率いられた国民進歩党がある。

ミンダウガス2世は「人民の王」として国中から愛されたが、1928年3月24日、病床の中で死去した。王位は彼の長男であるヴィルヘルムに渡るかと思われたが、ヴィルヘルムは貴族ではない女性と恋愛関係にあり、王位を捨てるか結婚を取るかの選択が迫られた。最終的にヴィルヘルムは後者を取り、自身の継承権を放棄した。この結果、彼の弟であり先王の次男にあたるカール・ゲロが王位を継ぐことが決定した。

カール・ゲロはミュンヘンで建築家になることを望んでおり、王位を継ぐことにためらいを示したが、母国から遠く離れ文化的に異なるこの地に移らなければならなかった。父の死後、すぐに彼は戴冠することとなり、ヴィータウタス2世として即位した。

ヴィータウタス2世は父王のように文化的に異なる地で威信を示すことができず、政務を支障なくこなすことすらできなかった。そのため次第に国王の権限は縮小していき、厄介者扱いを受けだした。この転換期において、リトアニアの民族主義者たちは大胆な計画を立て、野心的行動に出た。ヴィリニュスにいる若き国王と議員たちを人質に取り、ドイツを相手にして、彼らを解放することと交換に占拠したメーメル市を獲得することを謀った。しかしながらこの構想は、彼らがメーメルで武装蜂起した段階で失敗し、ドイツ当局が50人余りの武装したリトアニア人グループをその場で射殺した。翌日、リトアニア警察によりヴィリニュスに潜伏していた首謀者たちが拘束され、この一連の事件は「メーメル蜂起」と呼ばれた。

アンターナス・スメトナは、この事件の首謀者たちから陰謀に参加することを懇願されていたが、彼自身は事件に深く関わることを拒否していた。しかしながら、国民進歩党は政府により嫌疑をかけられたために解散させられ、新たにリトアニア国民連合が結成された。スメトナが蜂起を組織した愛国者たちをドイツに売ったと言う者もいれば、サンディカリストによる陰謀だと囁く者、スメトナが蜂起に関係したのではなく彼と近しかったアウグスティナス・ヴォルデマラスが糸引きしていると考える者などがいた。ヴォルデマラスは現在、リトアニア国民連合で急進的な国粋主義者を結集させ、従来の保守政党とは異なる革新的政党を構想していた。

メーメル蜂起はリトアニアの全ての政党に影響を与えた。事件の余波は、ポーランド人やユダヤ人政党に警戒と反発を巻き起こし、ステポナス・カイリースの指導下にある社会民主党との結束をもたらした。カイリースは彼らとの同盟の際、反ドイツ的立場ゆえに存在していた党員たちの民族主義的傾向を抑えることを決めた。1937年の総選挙が近づく中、キリスト民主党に唯一対抗できる政党となっていた。

現在、キリスト民主党内の中道右派にあたるレオナス・ビストラスが宰相として政権を率い、1930年代初頭の経済成長を担っている。ドイツでの好景気の影響を受けてリトアニアでも事業や投資が進み、リトアニア政府は国内の発展に伴ってドイツからの従属関係を断つことを目指している。

政治[]

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