岩松満純

ページ名:岩松満純

馬を曳く岩松満純

岩松 満純(いわまつ みつずみ、? - 応永24年5月13日(1417年6月23日))は、室町時代前期の武将。幼名は容辻王丸、法名は天用入道。

足利氏下野源氏)一門の岩松氏(上野源氏)の当主の岩松満国新田義宗の娘との間の子[1]、満氏の異母弟、満長・満親・満春の異母兄、妻は犬懸上杉家の上杉氏憲(禅秀)の娘、家純(長純)の父。

満純自身は、後年に外曾祖父の新田義貞の後継者と称して、新田岩松家の祖となった。

生涯[]

異母兄の満氏が早世したため、満純がその後を継いだ。後に関東管領となる上杉禅秀の娘を娶った。応永23年(1416年)の『上杉禅秀の乱』では岳父に味方して、鎌倉公方の足利持氏を撃退した功績を挙げた。

しかし、持氏が足利惣領家である室町幕府の6代目将軍の足利義持援助を得て反攻してくると、上野国新田荘に敗走した。しかし、隣接する佐貫荘の国人領主の舞木持広が持氏に呼応して、その追討を受けて、武蔵国の『入間川の戦い』に敗れて、捕虜となった。応永24年(1417年)に鎌倉の竜の口で処刑されて、晒し首となった。

満純の動向に対して、父の満国は同調せず静観したままで、満純が処刑された後に、突如に満純の甥でもある孫の持国(満純の弟の満春の子)に家督を譲って、その後を継がせた。もうひとりの孫の家純(満純の子)は、祖父によって廃嫡された挙句に出家させられた。

後に、家純は祖父の死後に6代目将軍の足利義教(義持の同母弟)の後盾を得て、還俗して勢力を持ち、岩松氏は家純流(礼部家)と持国流(京兆家)に分裂した。

脚注[]

  1. 『系図纂要』『長楽寺系図』

関連項目[]

先代:岩松満国岩松氏歴代当主岩松満純次代:岩松家純/岩松持国


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