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里見義俊像
里見 義俊(さとみ よしとし、1136年? - 1170年)は、平安時代末期の武将。通称は大新田太郎/里見四郎太郎/竹林(高林)六郎太郎。
源姓里見氏(竹林氏/高林氏)の祖で、陽成源氏(河内源氏)流の新田氏(上野源氏)の祖である新田義重の庶長子。子は里見義成・田中義清・中里見義雅(政氏)[1]ら。
異母弟に新田義兼(小新田次郎/新田小太郎)・世良田義光(三郎/次郎三郎)・世良田義季(得川四郎義秀)・合土義澄(額戸五郎経義)・小四郎義佐(六郎義任)・庄田義盛(七郎義益)ら。外甥(姉妹の子)に山名義範(太郎三郎/太郎)がいる。
義重の長男として生まれるも、妾腹のために家督を嫡出である異母弟の義兼に譲り、上野国新田荘竹林(高林)郷(現在の群馬県太田市高林寿町・北町・東町・西町・南町の周辺)を拝領し、分家した。
久寿元年~2年(1154年 - 1155年)ごろに、上野国新田荘内からやや北部にある碓氷郡里見郷(現在の群馬県高崎市榛名町里見)付近に山城の碓氷城(上里見城/神山城)を築いて、住居を構えたときに里見氏と称し、家臣の碓井貞次[2]の補佐を得た。
1170年、父・義重に先立って35歳の若さで逝去した。彼の亡骸は群馬県高崎市天台宗・里見山光明寺に葬られている[3]。
生前に、異母弟の義季とともに上野国あるいは武蔵国の遊女を生母とする同じく異母弟の義光(新田冠者(『尊卑分脈』))の境遇を憐れんで、父・義重に嘆願して義季の領地である新田荘内の世良田郷得川村(現在の群馬県太田市徳川町)の一部を与えられ、ようやく義光は新田氏一門扱いをされたという。
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