過疎ペディア

ページ名:過疎ペディア

過疎ペディア(かそぺでぃあ)とは、個人がレンタルサーバーを借りて創設したはいいが利用者が集まらず、次第に創設者のモチベーションが下がる悪循環で過疎化したMediaWikiサイトの通称。利用者たちのモチベーションが高く、発展途上でありながら一日の更新が50件以下のサイトや設立当初は大手サイトだったが、現在は過疎化したサイトも便宜上含める。

目次

概要[]

日本においてMediaWikiサイトの大手としては「ウィキペディア」が挙げられる[1]。ウィキペディア内コミュニティは発展途上を終えて成熟しているが、いわゆる自浄作用によって無能な利用者・無価値な記事は排他される傾向にある。当然、精神的にまだ発達していなかったり経験の浅いネット初心者が利用者登録することも多く、己の行動によって周囲からしごかれることを経験する場合も多い。これを乗り越え普通に活動できる利用者もいるが、ネット環境の耐性がなかったり、先輩利用者の態度が悪かったり、サイトの方針に疑問を抱く場合はサイトを去ることが多い。

ウィキペディアの規則原理に不満があって立ち去った利用者のほどんどはそのままピクシブ百科事典やニコニコ大百科などのウィキペディア以外のウィキサイトとニコニコ動画やYouTube等々の動画サイトに居着いてしまい、ウィキペディアを忘れることがほとんどである。しかし、一部の利用者は自らサイトを創設する道を選ぶ。しかし、多くの場合サイトの方針、著作権の問題、管理者達のトラブルを解決することや、利用者や真面目な管理者を集めることができずに放置され、どこからきたのか「SPAM荒らし」が跋扈したのち数ヶ月後閉鎖される。特に2011年10月以降はMediaWikiに本当の"嵐"と呼べるほどのスパム荒らしが横行しているため、MediaWikiの閉鎖率はこれによって年々上昇している傾向がある。

また、初めのうちは創設者の個人サイトといった色合いが濃いことが多いが、コミュニティの拡大に伴い民主化が進むのも特徴といえよう。

その運営[]

インターネット百科事典形式のサイトを一人で運営するのは困難である。運営を手伝う管理者を集めるには、他サイトからのコネクション・リンクなどが肝心である。また、種類が多く、素人では見る気も起きないライセンスの設定、荒らしの発信元を突き止めてブロックするチェックユーザーなどの知識を持った利用者が数人必要とされるため、その辺りは運に任されることがある。

またサイト自体際立った方針でない場合は大手で済んでしまう情報ばかりになってしまい、存続の価値が問われることになりかねない。大手サイトの問題点を解決するような形で方針を決めることがコツであるといえよう。さらに少々ゴリ押しでもサイトの宣伝をすることも必要である。中には「誰得」と思われるような用途の限られた百科事典サイト乱立を趣味する輩も存在し、そのようなサイトは突如削除されることがあるため、そこに定着した利用者を路頭に迷わせることが問題にもなっている。

全体の傾向として、百科事典を目指す場合mirahezeのサーバを借り、まとめwiki風にしたい場合は@wikiを、ファンサイトにしたい場合はFandomを利用することが主流なようである。

主な過疎ペディア[]

過疎ペディアにおける純粋市民[2]は少なく、既に他ウィキサイトで運営に手慣れた熟練な物好きな利用者が、過疎ペディアにおいても活動することが多い。

  • 日本通信百科事典 - 当サイトも現在の更新数においては過疎ペディアの枠に入る。下記にあるウィークペディアの後身サイトでもある。
  • アンサイクロペディア - かつては大手サイトして扱われていたユーモア系ウィキサイトだったが、年月が経つにつれてユーモアを欠く批判的内容で構成された記事が増えていってしまう。それに管理者たちの恣意的な削除運用が重なり、叩き記事でも気に入れば放置、気に入らなければユーモアあふれる記事でも削除するという状態がまかり通っていた。2019年10月には一日平均更新件数が50を下回り当記事で過疎認定を受けるなど利用者離れが進んでいたが、11月の「クソ記事撲滅運動」キャンペーンでこの動きはさらに加速した。当時の管理体制は複数アカウントを所有するユーザーを荒らしと見なして規制するという姿勢を持っており、このために新規登録者が編集に参加しづらい環境に陥っていた。2020年5月には不当な扱いを受けたユーザーからの陳情によってCarlb氏(サーバー管理者)によるMuttley氏への“鉄槌”(管理権限の剥奪、恣意的に為されたブロックが解除されるなど)が日本語版に下され、現在は「ポスト鉄槌体制」として復興が進められているものの、サイトの規模は現在も過疎ペディアと遜色ないレベルに留まっている。Undictionary - アンサイクロペディアのアンディクショナリーの方針を元に、実用に耐えうるように独立させたようなサイト。一時期は数名の利用者が活動していたが、現在は廃墟状態である。
  • チャクウィキ - オーナーである一刀氏のブログをWiki化したという経緯からウィキの中では個人サイトとしての色が強く、大雑把なルールの下で管理者による気まぐれなサイト運用が長年行われていた。管理者数は多いがほとんどが休眠状態で、ここ数年は数名の管理者による裁量で運用されており、その数少ない管理者同士の見解の違いが時に紛争に発展することも少なくなかった。当初は利用者にサイトを任せていた一刀氏だったが2017年以降は紛争解決のためにオーナー権限を持つ立場としてのサイトに関与するようになり、ルールの整備なども行われた。個人サイト体制は人事面では有効に機能し特定管理者の暴走を止める一助となったが、サイトの維持管理面で見ると弱点でもあった。それは2020年8月のオーナー逝去によって「ドメイン契約切れ」という形で表面化し、サイト閉鎖の危機に陥っている(2020年12月現在は関係者によるMirahezeなどへの移転が検討されている)。
    現在では、mirahezeと、ウェブアーカイブ、とあるサイトの運営者が設立したサイト、fandomの自称ファンサイト、fc2の5つに分裂。主に支持されているのは前者3つである。
  • ユアペディア - 過疎ペディア内では規模のあるサイトであり、ウィキペディアから追放された荒らし(素行の悪い利用者)が真っ先に殺到して流入する受け容れ先でもある。途中から管理が行われなかったせいでアングラ化し、荒らしサイトとなってしまった。いわゆる「Google八分」を受けるなどある意味大物扱いである。同時に画像の法律違反&ウィキペディアの記事を履歴不継承のコピーペースト転載として投稿される記事が多く、ネット社会では問題化している。匿名立ち上げた「Beyond」こと吉本敏洋氏も、ユーザーを締め出した「大野慶吾」氏も失踪し、現在の管理者は1人のみ。
  • アンメタ - アンサイクロペディアの今後について話し合うためのサイト。いつもは過疎である。
  • 日本さいころペディア - Wikiaを借り、アンサイクロペディアとチャクウィキの利用者らが2007年頃に活動していたサイト。ドロドロした過去の議論が観光の見所とされる。涙目ニュース速報公認Wikiν速wikiの復活を目指す者たちによって創設されたサイト。2013年10月頃にトップページにおいて星になってしまったと書かれており、一時は閉鎖したと思われていたが、同年12月初旬ごろに復活したらしい。だが、現在は廃墟状態にある。
  • ウィキデュッカ - Yosuke氏によって運営されている。方針は「ウィキデュッカは、生まれたばかりのwikiです。応援して下さいね☆」。創設者が熱意でないために、ある意味ユアペディアの二番煎じサイト化している。それでも誹謗中傷がない分ユアぺディアより、だいぶマシではある。現在は、廃墟状態にある。
  • ウソペディア - WiiU氏がアンサイクロペディアとユアペディアを模倣したサイト。基本的にサーバーが安定せず、wiki内にあるツイッターもどきがあり、誹謗中傷が激しい特徴がある[3]。そのために、利用者同士の軋轢でよく分裂する特徴がある。現在は良質な管理者が定着して、改善しつつある模様である。
  • ysmwiki - 誰でも編集できるフリー百科事典。個人wikiながら、英語・フランス語・中国語・台湾語(閩南語)などの7言語版で提供されている。

アクセス不可・閉鎖されたサイト[]

  • ウィークペディア - 当ペディアの前身サイト。下記のウィキコレクトと同様にHanakayu氏によって創設されたエンペディアに類似しているサイト。最初は方針を定めておらず、ふざけて作ったようなサイトだったが、後に真面目な利用者が定着し、今も熱心な活動を続けており、今後はエンペディアと提携を提案しての拡大が期待される。現在はかつてのエンペディアを目指していたが、2015年末には閉鎖され、2016年初にはアクセス不可能となった。
  • コピペディア - ライセンスが謎のサイト。コピペ自体は2ちゃんねるの創設者で前管理人のひろゆき自身が咎めていないので大丈夫というテンプレート:ソース[4]。現在、アクセス不可状態にある。
  • ウィキコレクト - もとはウィキペディアのパロディサイトを集める「ウィキパロディ」として創設されたサイト。しかしそのようなサイトは実際に少ないため、サイトの発展上問題からウィキサイトを集めるサイトに方針を変更し、サイト名も「ウィキコレクト」に改めた。用途が限られているのが難点ではあるものの、少し活気が出てきたことがあり今後に期待される状況にあった。しかし、ウィキコレクトおよびウィキディクショナリーは2015年末には閉鎖され、アクセス不可能となった。その後、WiiU氏によって非公式ウィキコレクトが設立されたが、現在はウェブ廃墟と化している。
  • 納豆ペディア - 当ペディア・ウィキコレクトと同じHanakayu氏によって運営していたウィキサイト。大きく荒らされてしまったために、一度ウィキの初期化が行なわれたが、後に予告なく閉鎖してしまった。オレリ氏時代のエンペディアにこのウィキを宣伝したりしていた。
  • クレイジーペディア - 方針の定まらなかった悪い例。結果的にアンサイクロペディアの二番煎じであり、個人サイトの域を出なかったが、閉鎖に伴い一部の質の高い記事と利用者を行方知れずにしたのが惜しまれる。
  • マーダーペディア - 殺人者の情報について集めることが目的とされているが、個人のサイトで質の高い情報が提供されている現状では不要であることが判明した企画倒れの例。閉鎖済み。
  • 日本帝國電磁通信百科事典 - ユアペディアのアクセス不能時にとある「憂国の士」と称する藤原朝臣二川藤太郎光綱氏によって創設された。個人サイト以外の価値については疑問である。ソフトウェアのエラーにより閉鎖した。
  • Uramiki - ネットに関するグチを書くためのウィキ。チャクウィキと同じ箇条書き形式の体裁をとっていた。
  • Atrainwiki - A列車に関するウィキ。2009年1月18日と、myht内のウィキでは随分前から存在していたが、利用者は少ないままであった。2012年にはMediaWiki横断系のスパム(アカウント作成系スパム)が現れたため、アビューズフィルターと言う編集のワナを仕掛けていた。2014年現在、どうやら閉鎖された模様。
  • ウィキペおたく百科事典 - 廃墟に近いサイト。たまたま見つけた人が編集しているかもしれない。

過疎ペディアの基準から外れた主なサイト[]

  • エンペディア - 当初はアンサイクロペディアの利用者のオレリ氏らが創設した。現在はrxy氏[5]が総管理者となり運営されている。利用者たちのモチベーションに関しては高い。著作権上の問題から2013年に改めてオープンしたが、ライセンスを設定したため縛りが少しでたためか、その後は一時更新が減少したようである。ウィキペディアが社会的な知名度をもったことにより、ウィキペディアは現在方針や行動に関してが厳格であるため、ウィキペディアでの居心地に「息苦しい」と感じる利用者のために設立されたのが「エンペディア」である。そのため規則は多少緩くしているものの、ファイルの方針に関しては、サーバーが日本にある関係で法律の都合上、現在はウィキペディアよりも厳しい状態である。

脚注[]

  1. 1.↑ いわゆる「まとめ」用にMediaWikiを使用しているサイトを除く。
  2. 上記大手ウィキで活動経験がない利用者のこと。
  3. というのは過去の話で、Miraheze移転以降はサーバーも安定し、サイトは緩やかな成長を続けている。
  4. しかし、2013年4月にひろゆきを解任して追い出した現管理人のジムがコピペ転載を禁止する方針に定め、今までひろゆきが放置した著作権上の問題が新たにできてしまっため、このサイトの意義は廃れてしまったという。
  5. 以前はHosiryuhosi氏。

関連項目[]

  • MediaWiki


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