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碓井貞光像(橙々色の衣装の人物)
碓井 貞光・三浦 為義・三浦 公義[1](うすい さだみつ/みうら ためよし/みうら こうぎ、954年(天暦8年)/955年(天暦9年) - 1021年(治安元年))は、平安時代中期の武将。通称は荒太郎、別称は碓氷定道ともいわれる。
遠祖は古代に相模国を支配した相武国造(武相国造)あるいは師長国造(磯長国造)の系統である大田部直[2]で、祖父は碓井貞直(碓氷定直)、父は碓井貞兼(碓氷定兼)である。子に碓井貞章(碓氷定詮)・三浦為直・鎌倉景直(景章)・土肥景平ら。
相模国足柄郡碓氷峠[3]付近で、碓井貞兼(碓氷定包)の子として生まれた。正室は平忠光[4]の娘である。
成長すると京に上って、陽成源氏(摂津源氏)の祖の源頼光こと頼満(元平親王の孫、源満仲の子)に仕え、渡辺綱(源綱)[5]を筆頭とする頼光四天王[6]の一人となる。
貞光は伝承の『大江山の酒呑童子退治』で活躍した人物として有名である。貞光は『今昔物語』には源頼光の四人あるいは三人の家来の一人として、その名が記されている[7]。
伝承によると、頼光四天王は越後国から上野国にと向かう途中で、道中に野宿する事になった貞光が読経をしていると「汝が読経の誠心に感じて四万の病悩を治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり…」との神のお告げがあった。そこで貞光らが周囲を調べたところ、温泉を見つけて、これを「御夢想の湯」と呼び、これが四万温泉の由来になったという。
またある時、貞光らが相模国に帰ると碓氷峠に巨大な大蛇が住み着き、人々を苦しめていた。そこで貞光は十一面観世音菩薩の加護のもと、大鎌を振るって大蛇を退治すると、碓氷山定光院金剛寺を建立し、そこに観音菩薩と大蛇の頭骨を祀ったという。
著名な童話の『金太郎』では、貞光は樵に変装して、強い人材を求めて途中で相模国の足柄山で、少年の金太郎(後の坂田金時)を見いだして、源頼光のもとへ連れて行くという役割を与えられている。
後に、家督を長子の貞章(碓氷定詮)に譲り、相模国東部の御浦郡(三浦郡)[8]を本拠地に移し、御浦氏(三浦氏)と称して、為義と改称した。晩年は出家して、公義と号した。1021年(治安元年)に68歳で没したという。
以降から貞光(為義)の子である三浦為直・鎌倉景直(景章)・土肥景平兄弟の末裔である三浦氏(御浦氏)・鎌倉氏・土肥氏(相模中村氏)ら一族は陽成源氏(河内源氏)の棟梁の源頼義(頼光の甥)・義家父子の郎党として、『前九年・後三年役』の奥州遠征に従軍したといわれる。
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