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曖昧さ回避 | この項目では、北魏の王叡について記述しています。その他の人物については「王叡」をご覧ください。 |
北魏の王叡像
王叡(おうえい、434年 - 481年)は、北魏の部将。字は洛誠。太原王氏出身。東晋の弘農郡太守の王叡の遠縁筋で、6世の祖の王横は前涼の太祖武穆(繆)王の張軌の参軍をつとめ、武威郡姑臧県[1]を住居とした。王横の5世の孫である侍御中散の王橋(字は法生)の子、王襲・王椿の父、王忻・王誕・王殖・王永業兄弟(王襲の子)の祖父、王叔明(王殖の子)の曾祖父。
太原郡祁県[2]の人。元来が堂々とした体格を持ち凛とした容貌を持っていた。
父から受け継いだ卜筮の術によって、北魏の皇太子の拓跋晃に見込まれて、太卜中散に抜擢された。まもなく太卜令に進み、太史を兼務した。
高祖孝文帝(元宏)が継母の馮太后(文明馮皇后)とともに百官を率いて虎の生息域を通ったところ、野生の虎が道を登って御座に迫った。側近の侍従たちはみな驚きうろたえるばかりであったが、王叡のみが戟を取って虎を防いだため、虎は逃亡した。
翌年の春に皇族である東陽王の元丕らとともに八議に入閣した。秋9月、中山公に封じられた。中書侍郎の鄭羲を傅役に抜擢した。その翌年に尚書令に累進し、鎮東大将軍となった。
その翌年の春2月、沙門法秀の反乱計画が露見されると、王叡は沙門法秀をはじめとする首謀者らを処刑して、追従者の罪を赦すよう上奏した。このために千人余が刑死を免れた。
夏6月に病で逝去した。享年49。王叡の訃報を聞いた北魏の士女は、王叡の美を讃えて『中山公楽』という楽曲を作り、王叡の鎮魂歌として披露した。
まもなく衛大将軍・太宰・并州牧の位を追贈され、「宣公」と諡された。子の王襲が後を継いだ。
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