ビ啓

ページ名:ビ啓
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羋啓(びけい)とは、楚の公子である。約2名ほど存在する。

  1. 子閭 : 姓は羋、氏は熊、諱は啓、字は子閭。平王[1]弃疾の子、公子申(子西)[2]・太子建[3]・公子結(子期)の弟、昭王珍の兄。後に長兄の子西・三兄の子期とともに、甥の白公勝(公孫勝)によって殺害された。
  2. 昌平君 : 姓は羋、氏は熊、諱は啓[4]。考烈王完(元)との昭襄王[5]の娘との間の子[6]。楚王負芻[7]の弟、幽王悍・哀王猶の兄。外従子にあたる秦王政(始皇帝)の命によって、反乱を起こした長信侯の嫪毐を叔父[4]の公子顛(昌文君)とともに鎮圧し、これを車裂きの刑に処した。この功績で昌平君に封じられたが[8]、後に始皇帝の不興を買い、父祖の地である楚に移住させられた。楚の大将軍の項燕(項羽の祖父)によって淮南で擁立されて、楚王と号した。しかし、秦の王翦・蒙武の軍勢に敗れて、項燕とともに壮絶な戦死を遂げた。彼の子は項燕の末子の項梁に擁立された、楚の最後の君主の義帝心[9]という。

脚注[]

  1. 『清華簡』「繋年」18章~19章では景平王。
  2. 景氏の祖で、末裔に景駒がいる。
  3. 白公勝・黄公燕の父。
  4. 4.04.1 李開元の『末代楚王史跡鉤沈』および『秦謎』
  5. 『史記』秦本紀によると昭王。
  6. 『史記索隠』による。
  7. 『列女伝』弁通伝によると、考烈王の弟で、昌文君(公子顛)の兄とする。
  8. 銭穆『国史大綱』121頁より。
  9. 高祖父(昌平君の曾祖父)の懐王槐同様に懐王と称した。

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