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曖昧さ回避 | この項目では、大給松平家一門について記述しています。その他の三河松平氏一門については「松平親正」をご覧ください。 |
松平親正の肖像
松平 親正(まつだいら ちかまさ、天文15年(1546年) - 慶長5年8月1日(1600年9月8日))は、戦国時代末期の武将。通称は五左衛門。
松平親忠の曾孫、大給松平家の祖の乗元の孫、親清[1]の子、和生(かずなり)・親次・正吉(まさとみ)の父、成重(和生の子)の祖父、勝広・忠昭・和重・重勝・親憲の曾祖父、親陳(ちかのぶ)・親鎮(ちかしげ)・親良(ちかなが)兄弟(忠昭の子)の高祖父、親禎(ちかさだ)・親苗(ちかたね/ちかなり/ちかみつ)兄弟(親陳の子)の6世の祖、虎之介(親禎の子)の7世の祖。
天正11年(1583年)に父の後を継いで、三河国賀茂郡大沼郷[2]の大沼城主となった。惣領家で、年長の族孫の徳川家康の忠実な松平氏一門の家老として仕えた。
筆頭家老である石川数正が豊臣秀吉の招聘を受けて、出奔した際に誘われたが、親正はこれを断固として拒否したという。
家康が秀吉の命で関東移転した際に、これに随伴して上野国群馬郡三之倉郷[3]の5,500石を与えられた。
慶長5年(1600年)に、家康が上杉景勝(長尾顕景)による会津征伐のために下野国都賀郡小山郷[4]へ向かうと、守将・鳥居元忠とともに京の伏見城留守居となり、石田三成ら西軍との『伏見城の戦い』で三の丸を深溝松平家の当主である族子の松平家忠とともに籠城するが、元忠と家忠らとともに、配下である三河西郷氏の当主の西郷近昌(悪最入道)を伴いながら(下記を参照)、奮戦の末に壮絶な戦死を遂げた。享年55。
この戦功により、親正の嫡子・和生は1万石に加増されて、大名となった。
江戸時代前期~中期に和生の玄孫の親禎は嗣子の虎之介がいたが、彼は父よりも先立ったために、親禎の外甥でもある三宅康雄の3男の近貞を婿養子に迎え、近貞は松平三宅家の祖となり、通字は「近」となり、ついに親清流大給松平家の男系は断絶した。明治時代以降に松平三宅家は荻生氏と改称したという。
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