成キョウ

ページ名:成キョウ
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始皇帝の異母兄の長安君・成蟜の肖像

成蟜・盛橋[1](せいきょう、? - 紀元前239年)は、古代中国の王族。姓は嬴、諱は成蟜。爵位は長安君。

秦の荘襄王(異人/楚)の庶長子、秦王政(始皇帝)[2]・公子将閭らの異母兄。

概要[]

父が趙の人質になる前に、身分の低い妾との間に生まれた子で、父とともに趙の人質になり、肩身の狭い思いをした。

しかし、の陽翟県[3]の商人の呂不韋があらわれて、自分の妾を父の公子異人に差し出して、その間に異母弟の公子政が誕生すると、父の運命は向上したが、成蟜自身は異母弟の臣下に甘んじらなければならなくなった。

父が、呂不韋の援助で秦に戻って名を異人から楚に改名して、王位に就くと公子政は太子となり、呂不韋は宰相となった。成蟜自身は長安君に封じられた。

しかし、3年後に父が逝去して、異母弟の太子政が即位すると、呂不韋は相国となり、「仲父」と称した。

それに比較して、成蟜は冷遇されて、せいぜい韓の使者として派遣される程度であり、それ以外は欝々とした日々を送っていた。呂不韋のことを快く思わない秦の大臣たちが、長安君の成蟜を擁立した。

ついに、紀元前239年に、異母弟の命で趙を攻撃したときに、屯留・蒲鄗に駐屯した長安君の成蟜は反乱を起こした。これを聞いた秦王政は呂不韋とともに密談して、成蟜を討伐する軍勢を派遣して攻撃させると、成蟜は屯留で戦死を遂げて[4]、その配下も運命を共にし、成蟜の妻子は処刑された。

長安君の統治を受けた遺民は隴西郡臨洮県に移住させられた。

脚注[]

  1. 『戦国策』巻六・秦策四・頃襄王二十年および、『史記』春申君列伝より。
  2. 『史記』始皇本紀によると、始皇帝の異母弟(上記の『戦国策』と『史記』春申君列伝によれば、孝文王(安国君)の子、荘襄王の異母弟、始皇帝の叔父という説もある)。
  3. 現在の河南省許昌市禹県周辺
  4. 『史記』三家注のひとつ『史記正義』では、成蟜は屯留の城壁の中で自決したと述べている。


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