武田信勝

ページ名:武田信勝

武田 信勝(たけだ のぶかつ)とは、陽成源氏(河内源氏)流武田氏常陸源氏/甲斐源氏)の人物で、約4名ほど存在する。

  1. 真里谷信勝 : 別称は信嗣、通称は八郎五郎、法号は全舜斎。上総国における上総国守護の上総武田氏(上総源氏)の庶家である真里谷氏の祖の真里谷信興(清嗣)の子、清信の兄、信清(信保)・信秋(全芳斎/全方斎)・信次(信助)の父、信隆・信応[1]兄弟(信清の子)と信房義信兄弟(信秋の子)と信茂(信次の子)の祖父。従兄の武田宗信庁南武田家の当主)とともに下総三上氏・下総原氏と抗争した。千葉氏(丹姓良文流坂東八氏の嫡流)の後ろ盾を持つ下総原氏と対抗するために、1517年に第2代目の古河足利家(古河公方)の当主の足利政氏の子で、僧籍にあった空然を擁立し、原氏の居城の小弓城を奪取し、城主の原胤隆や一族の友胤・虎胤父子を追放した。空然は還俗し、小弓義明と称して、小弓公方となった。その後、第3代目の古河公方の足利高基が信勝を討伐すると、これを迎え撃った。以降の『小弓公方擁立事件』の際の真里谷氏中心人物は信勝・信清父子によるものであった。
  2. 岩手信盛: 別称は「信勝」。甲斐岩手氏の祖の岩手縄義の子、信行の兄、信真・信景・和信・信政の父。
  3. 武田信勝 (惣領家) : 別称は「昭信」。武田信玄(晴信)の孫、勝頼の子、昭勝・勝親の兄。1582年に織田・徳川連合軍に追い詰められて、天目山で父とともに自決して果てた。
  4. 武田信勝 (安芸武田氏) : 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての医師。安芸武田氏(安芸源氏)の一門で、武田信治(修理大夫)と杉原春良の娘との間の子、道安(信重)[2]の弟。兄同様に高名な医師で、後水尾天皇などを診察している。

脚注[]

  1. 信高の父。
  2. 信良(のぶなが)・信成の父。

関連項目[]

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