曹処

ページ名:曹処

曹処の肖像

曹処[1](そうしょ、197年? - 258年?)は、の皇族。曹處とも呼ばれる。曹操と環夫人との間の子で、その第11子。曹昻曹丕・曹彪・曹林(曹豹)の異母弟、曹沖の同母弟、曹宇の同母兄、曹琮・曹範・曹闡の父。

概要[]

211年に范陽侯に封じられた。217年に宛侯に改封された。221年に公に昇格して、翌222年に章陵王に、まもなく義陽王に改封された。

兄の太宗文帝(曹丕)は、彼の地が湿地であったことを考慮して、彼の生母が彭城郡の人であったことで、彭城王に、さらに済陰王に改封させた。

224年に勅命で「過去の帝王は建国する度に、その時代の状況に応じて制度を整えた。高祖が設置した郡を増加し、その後裔の後漢光武帝の代になると、天下の疲労が激しかったために、郡や県を省くために合併させたりした。現在はそれよりも追いつかなくなっている。よって、諸侯王の封地を改めて、すべて県王とする」と触れ出しがあり、曹処は定陶県王に改封された。

232年、甥の烈宗明帝(曹叡)の代に諸侯王の封地をすべて郡王に戻す勅命があり、それらを藩屏国に定めて、曹処はふたたび彭城王に封じられた。237年に曹処は人を中尚方に派遣して、法律で制限されている器物を製造した廉で県二千戸を削られた。

239年に削られた領地を返還された。正元・景元年間に幾度も加増されて、併せて六千四百戸となった。

254年に公の司馬師は、曹処の従孫で、明帝の養子である斉王芳[2]を廃位させると、曹処を魏の皇帝に擁立する動きを見せた。

しかし、明帝未亡人の明元皇后郭氏は従父の郭芝から「大将軍(司馬師)は、彭城王を次の帝に擁立させるお考えですぞ」と告げられた。ある日、司馬師は宮中に参内すると、彼女は「彭城王はわたしの亡夫の叔父です。皇位を次の世代に譲る道理に背きます。また、わたしはそうなることで、これからどのように生きればよいのでしょうか?」と問うた。

彼女はさらに「わたしの提案では亡夫の弟である東海定王(曹霖)の子の高貴郷公(曹髦)が次の帝にふさわしいと思います。大将軍がこれをお認めになれば、わたし自身が次の帝に印綬を渡しましょう」とも述べた。司馬師は大臣たちと検討して、これを認めた。このような経緯で、曹処の帝位は皆無となったのである。

脚注[]

  1. 曹拠(曹據/曹据)は誤りとする(『元本』(『元大徳九路本十七史』))
  2. 任城威王の曹彰(曹章)の孫、曹楷の子。

関連項目[]



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