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「カメラ小僧」の略。現皇太子こと徳仁が、所構わずやらかす行為として広く認知されている。
プライベート時に趣味のカメラをいじるなら結構なことだが、徳仁の場合公務場面でもやたらカメラを手にすることが多く、その態度は雑誌記事にも取り上げられるぐらいに問題視されている。
2010年6月19日スウェーデンのビクトリア王女とヴェストリング氏の結婚祝賀舞踏会にて、カール16世グスタフ国王陛下とシルヴィア王妃が招待客の満場の拍手で会場に迎え入れられる瞬間、一人だけ下を向いて(カメラをいじって?)いる徳仁
2010年6月19日結婚祝賀舞踏会にて、新婦ビクトリア王女と新郎ヴェストリング氏のダンスをデジカメで撮影している徳仁
2010年6月19日ストックホルム宮殿のレヨンバッケンテラスにて、オランダ・ベアトリクス女王、同ウィレム王太子、ベルギー・フィリップ王太子、フィンランドの女性大統領タルヤ・ハロネン女史と並び、バルコニー下を見物している徳仁連結画像。なんと女王陛下の顔の前にカメラを突き出して写真撮影するという暴挙に出る
2010年6月19日ストックホルム宮殿のレヨンバッケンテラスにて、オランダ・ベアトリクス女王を尻目に写真撮影をする徳仁大きめ画像(gettyimages)
2010年6月19日ストックホルム宮殿のレヨンバッケンテラスにて、オランダ・ベアトリクス女王を尻目にカメラを構えた徳仁(gettyimages)
2010年6月19日ストックホルム宮殿のレヨンバッケンテラスにて、オランダ・ベアトリクス女王を尻目に写真撮影をする徳仁
2010年6月19日オランダ・ベアトリクス女王陛下の顔の前にカメラを構える徳仁、部分拡大画像
2010年6月19日レヨンバッケンテラスにて、右からフィンランドのタルヤ・ハロネン大統領、オランダ・ベアトリクス女王陛下、同ウィレム=アレクサンダー王太子、同マキシマ王太子妃、ベルギー・フィリップ王太子と並んでいる徳仁。徳仁から微妙に視線をそらす王族方
参考:海外サイト掲載画像より。ロイヤルウェディングでカメラパチパチの徳仁を揶揄するセリフつき画像。「日本製の小型カメラは賢くて英語も話せるが、この小さい皇太子ときたら…」という風刺が利いている
2011年11月13日<皇太子さま、陛下の名代で山梨へ出発>JNNニュース連結画像。天皇陛下が発熱と気管支炎で東大医学部付属病院入院中のため両陛下が訪問予定だった山梨県を名代として徳仁訪問。午前10時前、車両に菊の紋章と日章旗を掲げた皇室専用「お召し列車」に初乗車
この車両は、「なごみ(和)」の愛称でも知られるJR東日本のE655系電車で、2007年に落成した全車両グリーン車のハイグレード仕様、通常は5両編成の貸し切り列車として利用。天皇陛下や国賓などが乗車する際には特別車両を連結して6両編成で運行する。
2011年11月13日天皇陛下東大病院により両陛下ご欠席となった山梨県「恩賜林御下賜100周年記念大会」に名代として徳仁出席、御乗用列車目当てで沿線鉄橋近くに集まった鉄道ファンにより撮影された、おそらくデジタルカメラを手にしながらお手振りする徳仁 / 同画像徳仁周囲部分拡大切り抜き【保管庫08】
2011年11月13日多摩川鉄橋を走る御乗用列車の中で、デジカメを手にしているようにみえる徳仁
2011年11月13日多摩川鉄橋上、御乗用列車の中で、右手にデジカメを持ち、左手を挙げお手振りする徳仁連結画像/同画像拡大
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00245193.html(魚拓)
皇太子さま、オランダ新国王夫妻主催の朝食会に出席される
オランダを訪問中の皇太子ご夫妻は、アムステルダムで行われた国王の即位式と、その後行われたレセプションに出席された。
即位式とレセプションは、4時間かかったが、新教会と王宮でそれぞれ行われた。
このあと、いったん皇太子ご夫妻は、宿舎に戻られたが、その後、皇太子さまだけは、アイ湾での水上パレードを、船の上からご覧になられた。
その後、ミュージック・ヘボウという場所で夕食会が行われたが、そこにも皇太子さまは出席された。
この夕食会は、オペラ歌手による歌の披露、さらに首相のスピーチなどがあったが、その夕食会の席で、皇太子さまは、ご自分の撮影されたカメラの映像を、同じ招待客に見せたりと、大変和やかで、うれしそうな表情をされていた。
夕食会は、非常に時間が遅くなり、皇太子さまは、夕食会を終えて宿舎に戻られたのは、午前0時を回っていたという。
猛烈に忙しいスケジュールをこなされている皇太子ご夫妻、気になるのは雅子さまの体調だが、これまでのところ、不調を訴えているということはないという。
皇太子さまは、翌朝も早々と新国王夫妻主催の朝食会に出かけられていたが、すでにその場所を出られたということで、宿泊先に戻られるとみられる。
(05/01 18:35)
2009年4月19日、横浜での「みどりの愛護」のつどい。
午前10時半頃、ナル雅が到着し、付近沿道に集まった700人が出迎え。横浜市立の在校名、在学年、姓名を全て晒した女児の語った雅子の印象は「きれいで、やさしそうでした」
式典、植樹(ナルは枝垂れ桜、雅子は紅枝垂れ桜)後、午後には財団法人日本盲導犬協会の神奈川訓練センターへ。犬舎で盲導犬らと触れ合った後、ナルは目を閉じて盲導犬と共にコースを歩き、雅子は盲導犬への基礎訓練メニューに挑戦。
雅子が「シット」と命じるが、やっと犬がそれに応じたのは3度目のこと。その様子をナルが持参のデジカメで撮影。
「クイール」を育てた同協会の多和田悟さん曰く、雅子の発音があまりにも本場のものだったせいか、犬も戸惑ったのかも。自分達の日本流の英語を常日頃、聞いているから(笑)と。
この視察は予定時間オーバーし、午後4時45分過ぎに雅子ら撤収。
横浜公務の成功は好天に恵まれたことも鍵。去年1月の長野訪問は極寒なのに無理をしたから雅子は2日目の予定を一部キャンセルした。
実は今回も関係者との昼食会を体調に配慮して雅子は欠席。
雅子はマスコミ取材が負担の為、盲導犬訓練センターでは代表取材の処置がなされている。
>本来、公務や公的行事の取材制限はされるべきではないが、今も療養中ということを考えれば、場合によっては、こうした“密室”公務も一時期やむをえないことなのかもしれない。(原文ママby臭女)
>そして、雅子の完全復帰への大きなステップになるのは、やはり“外国訪問”ではないだろうか。(文中では「雅子の」が、名前プラス「さま」)
愛子誕生後の外国に行けなくてちっくしょーっ!の雅子会見をとりあげ、
>今の病気を招いた一因でもあった。(ママ)
元・東宮関係者
ナル雅が日頃から意欲的な環境&福祉問題がテーマに密着しているので、今回の横浜公務はとても順調にいった。周囲が横浜のように雅子の病気を理解し、条件さえ整えれば、更なる公務復帰への道筋が見えてくるはず。
元・女官
雅子の気晴らしの為の訪問先は王室のあるヨーロッパが最適。ルクセンブルグ大使になった末綱さんなら労を厭わないはず。
>あとは両陛下、とくに皇后さまのお力添えがあれば、ご夫妻のヨーロッパ訪問は遅くとも来年あたりには実現するのではないでしょうか。(原文ママ)
〆は、療養生活もすでに6年目で一進一退を繰り返してきたけれど、回復の道のりにやっと前途に明るい希望が見えてきたのでは。
『週刊新潮』2011年11月24日号<初めて「お召し列車」に乗られた皇太子さまの「背中」>モノクログラビアより、全文引用
天皇陛下のご入院で、8年ぶりに名代を務めることになった皇太子さま。
11月13日には、「恩賜林御下賜100周年記念大会」に出席するため山梨県を訪問された。東京から甲府まで、本来は両陛下専用のお召し列車」で初めて移動されたのだ。
上の写真は、JR山梨市駅を通過直後に撮影した2枚を、特別車両の全景にあわせてつないだものそこで見えてきたのは、控え室で談笑する侍従やSPとは対照的に、広い特別室にポツンと立たれ、シャッターを切る殿下のお姿だ。隣には本来であれば寄り添われるはずの雅子妃が風邪のためにおられず、一沫の寂しさは拭えないのである。
「帰ってから雅子さまにお見せになるのでしょうか。でも、殿下が写真好きなのは知っていましたが、撮られるお立場の方がカメラを構えていたのには驚きましたね」
とは、10年来お召し列車を追い続けている鉄道ファン。別のマニアも、
「東京駅で出発までの数分間、特別車両に乗るやソファに座り、一人所在無げにホームをみつめ、硬い表情で時折手を振るばかり。両陛下だったら走行中でも車窓に近づき、笑顔を手を振り続ける。ご高齢なのに1時間以上の移動で終点まで立ちっぱなしですよ」
と、陛下との違いを口々に並べるのだが、皇室ジャーナリストの久能靖氏はこんな意見だ。
「初めてお召し列車に乗られる皇太子さまに戸惑いがあるのは当然。両陛下と比べられては殿下も気の毒だと思います。昭和天皇がお召し列車に載られた際は、むしろ、お一人のことが多かった。お二人で盛んに沿線の人々に手を振るという姿が一般的になったのは、即位の際に述べられた“国民と共に歩む”という言葉を有言実行する“平成流”を築かれた今上陛下の代からです。皇太子さまは皇太子さまらしく、時代にあった在り方を確立して公務に臨まれればいいのではないでしょうか」
愛子さまの学園生活や雅子さまのご体調に気を配るばかりか、ご自分なりの“未来の天皇”のスタイルも問われている殿下。その背中にのしかかる責務は限りなく重い。
撮影・本田武士
感想:
久能靖氏コメント「初めてお召し列車に乗られる皇太子さまに戸惑いがあるのは当然。」
→お召し列車ってそんなに乗り方が難解なものなんですか??? もう51歳になっている徳仁がたかだか列車の乗り方ごときで「戸惑いがある」ようじゃ、いざ即位なんて事態になったらどーなっちゃうんですか??!!
「お二人で盛んに沿線の人々に手を振るという姿が一般的になったのは、(今上陛下が)即位の際に述べられた“国民と共に歩む”という言葉を有言実行する“平成流”を築かれた今上陛下の代から」
「皇太子さまは皇太子さまらしく、時代にあった在り方を確立して公務に臨まれればいいのではないでしょうか」
→徳仁らしくってのは「国民と共に歩まない」のだと、そう理解すればいいのでしょうかね??
・今回の(ブータン国王夫妻歓迎)宮中晩餐会には、療養中の雅子さまの出席はご体調を勘案して決められるとされ、結局は前日になって、雅子さまはご欠席となった。
・そもそも宮内記者たちは、雅子さまが晩餐会に出席される可能性は低いと考えていた。ただ東宮側は直前まで、あえて雅子さまご出席の可能性を排除しなかった。「当初、皇太子殿下お一人でのご名代として、話を進めていたのです。ところが、東宮側から予定を、妃殿下を含めた『両殿下』とするよう指示があったのです。」 (宮内庁関係者)
・「あくまでギリギリまで検討はする、というポーズなのでしょう。しかし、今回は国賓歓迎行事です。普段のご公務でさえ直前のキャンセルというのは、先方に失礼にあたりますが、今回は特に両陛下のご名代。判断が遅れるということは本来あってはなりません。それに…実はこれによく似たことが最近あったそうですから。」 (同関係者)
・それは晩餐会の数日前。皇太子が天皇へのお見舞いに行かれた際の、東宮職の“不手際”のことを指す。「10日にようやく皇太子殿下がお見舞いにいらしたわけですが、当初から殿下お一人の予定だったのを、直前になって
急遽『両殿下』とするよう東宮職からご要望があった。関係部署への連絡など対応をしたが、結局、当日夕方に妃殿下が『発熱された』ということで、おいでにならなかったのです。」(同関係者)
・つまり雅子さまは、わざわざお見舞いに行くご連絡をしたにもかかわらず、ドタキャンをしたことになる。
「妃殿下は風邪の症状がおありだったため、医師の判断でお見舞いをお控えになり、殿下一人でお見舞いされました。お見舞いのお気持ちはお申し入れ、お届け物の形で日々お伝えになっていらっしゃいます。」(小町東宮大夫)
・「秋篠宮ご夫妻がお見舞いされた日、東宮家では贈り物をお届けになっています。その中には、コンソメスー プがあったそうです。」(東宮職関係者)
・「東宮側では、お見舞いの時期が少し遅かったという認識を、多少なりとも持っています。8日も殿下ご自身が贈り物をお持ちになり、お見舞いされるかと思っていました。おそらく陛下の代わりに臨時代行されたご公務がお忙しかったのだと思います。」(同関係者)
・「妃殿下の発熱や風邪については、周囲からもそれらしい話は聞いていません。那須のご静養前からご体調はよくない様子でしたから、“ご発熱”はむしろ適応障害と関係あるのではないでしょうか。」(同関係者)
・ある千代田関係者は、皇太子が名代を務められることで、改めて「陛下のお立場の重みを、身にしみてお分かりいただければ」と期待を抱いていたという。しかし、13日、公務で山梨に向かう皇太子のある行動に、千代田関係
者だけでなく、宮内記者や宮内庁関係者の多くが唖然としたという。
・「これまで両陛下は、お召し列車で移動中もご公務の意識がお強く、座らずに沿線の国民たちに手を振り続けることを墨守してこられました。それなのに…殿下は片手に持ったコンパクトカメラでパシャパシャ写真を撮りながら、もう片方の手を振られていたそうです。何をお撮りになったかのかは存じませんが、そのお姿は各所で多くの鉄道ファンに撮影され、ネット上でも話題となっているとか。殿下が立派にご名代を務められることを願っていますが、名代という立場で、まさかこのようなことを…。」(元千代田関係者)
〆は「天皇は病室で何を思われるのだろうか。」です。
・ブータン国王夫妻に皇太子と皇后がお別れのあいさつに訪れたとき、雅子さまは迎賓館の目と鼻の先の学習院初等科に滞在していた。関連して去年のカンボジア国王歓迎行事欠席&晩さん会欠席、2006年インドネシア晩さん会の日に乗馬、翌日ジュエリー展見学を改めて照会。
・10日は、天皇陛下お見舞いを予定の数時間前の”ご発熱”でキャンセル。今後のお見舞いの予定については現在も未定。
・ブータン国王を迎えての宮中晩さん会は天皇皇后の体調を気遣い、例年より負担の少ない、約1時間短いものが計画されており、ハードルは低かったと思われる。
・雅子妃の病状は国際的には全く理解されていない。海外プレス向きにも医師団からの最新の説明が必要では
・お召列車撮影中の鉄ヲタから「(皇太子が)カメラ持ってるじゃん」の声があがる
・安曇野のワサビ田視察のときポケットに両手をいれたままの視察に宮内庁がまゆをひそめ東宮職からもそんなことをするとは信じられない、と驚きの声があがる
・天皇陛下がマイコプラズマ肺炎の可能性高いと記者発表→愛子様のがうつったのでは?との質問
→金沢医務主管より「(天皇陛下と愛子様の)接触はある。両方とも発症されていないときの接触ですから仕方ないことだが、たぶんそういうことによるものではないか」との回答 皇后陛下喜寿のお祝いに狭い部屋でしばらく一緒にお過ごしになった。
(感染はあくまで)疑いだよ。何も言っていないんだよ、”東の方々”には。ご自分たちが悪かったんおかと心配される危険性があるから。
・新嘗祭の説明と、皇太子がこれを代行することはできないとの説明
・秋篠宮殿下の誕生日に先駆けて、11月22日、(誕生日)会見は実に1時間半に及んだ。「(途中までは)悠仁さまとのほのぼのとしたエピソードなどを披露されていたのです。そのあと突然、きっぱりと断言された」 (宮内庁担当記者)
・<皇太子両殿下のところとの交流については、残念ながら、それほど多くはありません>秋篠宮の淀みない口調に、約25名の宮内庁担当記者たちは息を飲んだという。
・「やはり、という気持ちと、そこまではっきり仰るのかという驚きの両方がありました。皇太子ご一家となぜ疎遠なのかは何も語られないままでした」(同記者)
・記者が三問目の質問を読み上げた。「眞子さまが成人を迎えられたのを機会にあらためて殿下に皇統の継承についてお聞きします」の問いに、<皇室の制度論については国会の論議に委ねることになる。その過程において、今後の皇室の在り方というものを考える時には、その過程で、私、もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあってもよいというふうに思っております>と慎重に言葉を選びながら述べられた。
・この言葉は、いみじくも現在の秋篠宮の皇室におけるお立場を象徴するものだった。
・「発言の主旨は09年の誕生日会見と同じ。が、“主語”が変わった。09年のときは『(皇室の在り方については)その当事者となる皇太子ほかの意見を聞く』というように、当時は『皇太子ほか』が主語でした。今回は『私、もしくは皇太子殿下』と述べられている。つまり、皇太子より前に『私』という言葉を持ってきたのです」(皇室ジャーナリスト)
・さらに09年の際は、「自分のことを言うのはちょっとはばかられたものですから、それで『(皇太子)ほか』というふうに言いました」と遠慮がちに語られていた。
・「今回の『私』発言が、無意識によるものだとしても、それだけ今、秋篠宮の皇室における存在感が増しているということをご自身がお感じになっているということの現れではないかと思うのです」(同ジャーナリスト)
・会見の終わりには、さらに驚かせる踏み込んだ発言をされていた。<私は『定年』という制度はやっぱり、必要になってくると思います。><ある年齢で区切るのか、どうするのかというところを含めて議論しなければいけないのではないか>
・この発言の背景について、「穏やかにおっしゃっていますが、現状への強い危機感を、秋篠宮がお持ちだということでしょう。これまでの秋篠宮ではなさらなかっただろうご発言です」(同ジャーナリスト)
・増していく秋篠宮の存在感。それは宮内記者たちも意見を同じくするところだという。「(11月15日『ご名代』としての秋の叙勲と褒章授章者の御接見で)秋篠宮殿下は陛下に代わって“おことば”を読み上げられたのですが、その声が小さくて聞き取り辛かったですね。一度に500人が出席していたので、後ろのほうの人たちには聞こえなかったでしょう。それ以外は難なくこなされていました」(受章者の一人)
・その2日前、皇太子はご名代の立場で山梨県をご訪問。お召し列車内でカメラを片手にお手振りされたこと、その後の長野県行啓でのポケットに手をいれたままでの視察が明るみに出た。
・「退院されたばかりの陛下が、まだ万全とは言えないご体調で、その5日後に早くも公務復帰(「東日本大震災消防殉職者等全国慰霊祭」)されました。いかに陛下が震災被害を心配されているか、ということです。その陛下の思いを一番おわかりになっているのは、秋篠宮さまではないかと思うのです。震災後、秋篠宮ご夫妻は、東宮職と比しても非常に小規模な宮家職員たちに支えられながら、お見舞いを続けてこられた。被災地の人々の負担にならないよう、宮家の車で移動され、宮城県には日帰りで二度に分けて訪問されています」(両陛下に近い千代田関係者)
・女性宮家の創設検討という、平成皇室の根本的課題である皇位継承問題が再び注目された。今回の会見でも秋篠宮はこう述べている。<以前に皇族の数が少ないことは、国費負担という意味において悪くはないということを申しましたが、この考えは今でも変わっておりません>
・「秋篠宮は今後、具体的に女性宮家創設の議論が進んだ際に必ず出てくるであろう、さらなる国費負担増に伴う国民感情の反発について、先手を打っておっしゃったのだろうと思います」(皇室研究家)
・一方の東宮側には、まだ当事者意識が感じられないという。「(女性宮家問題について)東宮職は関係ないよ」
(中堅東宮職職員)
・皇太子ご一家は、11月26日、27日と「初等科祭」を訪れられた。「2日目はわずか30分差で皇太子殿下、雅子さまが別々に訪れた。ご鑑賞も別々でいらして。剣道部の練習をご覧になった皇太子殿下は、相変わらず小型のデジタルカメラでバシャバシャ写真を撮っていらっしゃいましたよ。お一人でリラックスされているご様子でした」(初等科父兄)
・これを聞いた前出の千代田関係者は嘆息しつつ、こう洩らした。「皇太子ご一家はますます国民ではなくご家庭に、内向きに目が向いているのではないでしょうか」
・天皇のお見舞いについても、雅子さまは10日に“ドタキャン”されてから結局一度もお見舞いされることはなかった。
18日、ご名代の報告も皇太子お一人だった。「東宮大夫は10日は発熱、18日は『咳が残っているため医師の判断により』と発表。しかし皇太子殿下がご報告にいった同日に雅子さまは愛子さまのお付き添いをされている。なぜ“医師の判断”で同じようにお付き添いも遠慮されないかは説明されない」(同千代田関係者)
・一方、秋篠宮は報告も含め、3度も東大病院を訪れている。「皇太子殿下がご名代のご公務のあと、数日間報告にいらっしゃらなかった。秋篠宮殿下はご名代の報告も当日にいらっしゃっています。私はあらためて思い起こすのです。皇后陛下が、あちら(東宮家)とは途絶状態なので、とおっしゃったあの言葉を。そして、今回の秋篠宮殿下のご発言…。正直なところ、我々もあちら(記事には「傍点」あり)のことはまるで分からないのです。何も伝わってこないのだから。いま皇太子ご一家はいわば“孤絶”状況です。お誕生日のお言葉は、現状に危機感をお持ちの秋篠宮殿下から、皇太子殿下へのメッセージだと思います」(別の千代田関係者)
〆は「弟宮が発したこのメッセージは、皇太子両殿下に届いただろうか」です。
・最近の愛子様のご登校の様子。正門時間には多くの場合間に合わない。アルファードが校門に横付けされても愛子様はしばらく下りず、数分後十数名のSPや東宮職に囲まれて通用門から校内へ。
・(記者は)東宮職職員の緩みを感じる。
・中堅東宮職職員「(愛子様の)お付き添いがあると仕事がたまる」
・別の東宮職職員「いじめっこって本当にいたんですかね…」
・皇室記者「(東宮職は)当事者意識を欠いているとしか。野村一成東宮大夫は身を呈して愛子様をお守りしようとしたともいえるが、現場レベルではしょせん他人事かも」
・年末で退任予定の野村氏、本人も皇太子夫妻も任期延長の意向があったがかなわなかった。
・野村氏退任理由は明らかではないが、外務省流の仕事ぶりに宮内庁幹部からの評価がもう一つだった。
(先例を買いりみないしごとぶり: オランダ静養、国賓来日中のテニスや乗馬、ジュエリー展、高級レストランなどへの私的な外出、『乱暴な児童』発言など)
彼が築き上げた「雅子さまシフト」ともいえる東宮職体制は千代田関係者からは批判的にみられていた
・野村氏が重点をおいたのは報道対応。(このあたり原文詳述。ぜひ読んでね)
・現在の報道担当は外務省出身の岩間東宮侍従。記者からは「瞬間湯沸かし器」と評され評判は高くない。
・事務主管は侍従の要。大谷事務主管は岩間氏より年令は下。「行啓よりも報道体制」との東宮職の姿勢が表出。皇太子がカメラ片手にお召列車の際に同乗していたのが大谷氏。
・東宮職・東宮女官も入れ替わりが激しい。
・小山氏(養育専任女官)は不登校問題対応で雅子妃と意見の相違があり退任
・新人東宮女官は着任後2,3カ月後になっても雅子妃と会っていない
・小町氏も記者会見の発言で雅子妃とのコミュニケーション不足を露呈。
4ページ。構成:小泉耕平・永井貴子
現宮内庁職員2人、OB職員2人、皇室ジャーナリスト、の5人による座談会記事
座談会方式なので、各参加者の発言をざっとピックアップする程度で
宮内庁職員A・(この1年の皇室の動きで)陛下のご入院など、健康問題が印象ぶかい
・最も問題なのは、雅子妃の行動が、皇室のあり方に影響を及ぼしていること
・皇后様は以前「私達は藤原氏になってはいけない」と口にされた
外部から来た人間が皇室に変化を与えてはいけない、との意味
・(カメコ問題で)皇太子とは写真を採られる側。もっとしっかりしていただきたいと思う職員は山ほどいる
宮内庁職員B・陛下の負担軽減方策は、残念ながらあまり効果が出ていない
・(誕生日会見で)秋篠宮殿下は「天皇定年制」を肯定した訳ではない
・定年制より摂政を置く方が現実的な選択肢
・(皇太子夫妻の)離婚支持の幹部はいるかも。だが離婚を画策するなどばかばかしい話
・マスコミは毎日、学習院の校門を見張っているようだが、それが10歳の子供によい環境と言えるのか
元宮内庁職員C・陛下は負担軽減に、かなりの抵抗感をお持ち
・(秋篠宮誕生日会見)なぜ定年制についての踏み込んだ発言をなさったか、腑に落ちない
・紀子様は細かいところまで気を回すので、正直参っているとこぼす職員も
・現役の職員からは、雅子妃の方がまじめでまっすぐで普通の声 不思議なことに紀子様の人気はあまりない
・天皇皇后になれば、離婚は極めて難しくなる
元宮内庁職員D・陛下はご入院中もパソコンで仕事
・陛下も心配だが、皇后陛下の健康状態も心配
・雅子妃療養中の皇太子一家や高齢の宮家の分の負担が秋篠宮家に ご本人も職員も疲れ果てている
・今の皇太子夫妻からは、同じ気持ちで何かに取り組む、という雰囲気が伝わって来ない
・ご自分の役割を果たす美智子様、雅子妃はまだ役割を見つけられず迷っているようだ
皇室ジャーナリストE・消防殉職者の慰霊祭での美智子様は、よろけて陛下に支えられていた。お疲れがたまっていたのだろう
・雅子妃は歌会始で、他の皇族方が世界情勢などを詠む中、00年から09年まで一貫して家族を詠み続けた
お側の人間が皇太子にやんわり注意したが、皇太子は雅子妃に伝えなかったようだ
・12月からの愛子様のお一人登校、一時限目が始まってからが多い。生活のリズムが崩れているのでは
>E 皇太子さまが天皇陛下の名代として山梨県を訪問したときには、カメラを片手にお召し列車から沿道に手を振っていました。続いて訪れた長野県でも、外套のポケットに手を入れてワサビ田を視察する姿がメディアで報道され、世論の批判を浴びましたね。
>A 皇太子というのは写真を撮られる側であって、自分が撮影する姿を見られるのは恥ずかしいことです。もっとしっかりしていただきたいと思う宮内庁の人間は山ほどおります。
AERA 2012年1月16日号<皇室をネットが切り裂く 雅子さまはママ友と携帯メール/ネットでレストラン探し皇太子さま/眞子さまと佳子さまのプライベート写真流出>中吊り
AERA 2012年1月16日号<皇室をネットが切り裂く 雅子さまはママ友と携帯メール/ネットでレストラン探し皇太子さま/眞子さまと佳子さまのプライベート写真流出>記事
p.62より引用
眞子さまが20歳の誕生日を迎えた昨年10月23日。新聞やテレビは事前に取材した眞子さまの姿を流した。ピンクのスーツにパールのネックレス。つややかな黒髪でにこやかに取材に応じる眞子さまは、ファッションといい、立ち居振る舞いといい、国民が見慣れた「日本の皇室」そのものだった。記者会見では、国際基督教大学での学生生活についての話もあったが、多くの人には普通の20歳とはかけはなれた存在にも見えただろう。
だがこの日の深夜、サークルの友人とみられる学生がフェイスブックにアップした眞子さまの画像は、それとはまったく異なるものだった。紫色のラフなパーカで男友達とピースサイン。別の写真では、宿泊先の部屋で、仲間たちと飲んだり食べたりしたあと、記念撮影したとみられるものもあった。
ネット上では簡単に写真をコピーできる。複写に複写が重ねられた画像は爆発的に広まり、話題が沸騰。画像をアップした学生は、「無断掲載」を攻撃され、結局、フェイスブックの登録自体を削除したようだ。
妹の佳子さま(17)も2009年、学校で写メールと撮影されたとみられるスナップ写真がミクシィにアップされた。制服姿で中学生らしい自然な笑顔を見せる佳子さまの画像も、あっという間にネット上で拡散。学習院女子中等科は、写真を掲載した男子生徒を厳しく注意、宮内庁長官も「あってほしくないこと」とコメントした。
SNSばかりではない。掲示板サイトの元祖といっていい「2ちゃんねる」も皇室の話題については、すさまじい拡散力をもっている。
最近、その俎上に上ったのは、皇太子さまだ。昨年11月、入院中の天皇陛下の名代として山梨県を訪問した皇太子さまは、東京駅から特別列車の「お召し列車」に乗った。乗車中、皇太子さまは、陛下がそうだったように沿線の人々に手を振り続けたが、その際、片方の手はデジタルカメラを握っていた。その光景がカメラに収められ、山梨県に列車が到着するころにはネット上にアップされてしまった。
ブログに衝撃コメント
いずれのケースも画像自体はどうということのないものばかりだ。むしろ、皇族の素顔がわかり、親しみを感じさせる画像だったかもしれない。ネット上では「嘆かわしい」といった批判もあったが、「普通の人でほっとした」といった好感を示すコメントも少なくなかった。むしろ宮内庁がお膳立てする浮世離れした「近況画像」の不自然さが露呈した感じさえある。
ICUスキー部での眞子内親王・学習院中等科での佳子内親王のプライベート画像流出と、御料列車公務移動中にカメラ片手の徳仁お手振り画像流出をいっしょくたにしている箇所が実に見苦しい記事である。十代~二十歳になるかならないかの若者の完全プライベートの振る舞いと、齢51歳・皇太子の地位にある人物の公務移動中(静養移動ですらない)の振る舞いを同等に見なすところからしてナンセンスである。
・2頁強の記事。1/10から体調を崩した雅子妃は快方に向かっているが、今もまだ消化の良い物を食べている。
・控え室でも話題になった皇后陛下の歌には別のメッセージが込められている。
年明けに皇后(ママ)と接した千代田関係者談
「皇后陛下の御歌の『待つ』=本当は”皇后陛下ご自身が待っていらっしゃる”という意味もある。
>皇后陛下はかねてより、
>『皇室のあり方というのは、皇位継承者が決めるものだ』というお考えを示されてきましたが、皇太子からはそれが今もって見えていない。それが両陛下のいちばんのご心痛の種なのです」
「お忙しい両陛下は病室でゆっくりとお話しされた。
>そこで陛下は皇太子殿下に対する無念を口にされたそうなのですです(原文ママ)」(=皇后陛下から直接お話を聞いた?)
無念とは以下の2つ:
>「陛下の思いとして、名代がいかに重責であるかを皇太子殿下と共有できていない、ということがおありだった。皇太子さまがブータン国王夫妻招待の国賓行事に陛下の名代として出席したが陛下のもとへ報告に上がったのは二日も後でした。一方で秋篠宮さまはその日のうちに上がられた。
>皇太子さま下が名代のお召し列車に乗った際、カメラを手にしていたがその写真がネットに出回っていること。
>「最近、近しい人との会話で 陛下『このままでは国民が皇室に尊敬の念を持つということが難しくなっていくのではないでしょうか(原文ママ)』
皇后陛下『私もそう感じます(ママ)』と残念そうにお話しになったそう) (談話の主が、”近しい人”から直接聞いた?)
・愛子は1/10の始業式後、15人ほどを東宮御所に招き遊ぶ。
・来年の歌会始お題について。
〆は、皇太子ご夫妻に皇后の切なるメッセージは届いたのだろうか。
・平成皇室の集大成ともいえる訪英が終わった今,陛下の最大の関心事は次代の天皇となる皇太子とその家族のことでしょう。
・現在,天皇皇后と皇太子夫妻はコミュニケーションが十分取れていない。
→「人格否定発言」,雅子妃長期療養,愛子さま不登校…など,皇太子は家族第一に行動してきた。
・皇太子は自分なりの天皇像を見出していないように思われてならない。
・昨秋,陛下がマイコプラズマ肺炎で入院された際の国事行為代行でも,皇太子は自身が考える公務のあり方を国民に発信する絶好の機会だったにもかかわらず,お召列車でカメラ構えてお手ふりをされるなど,ふさわしい姿かどうか疑問。
・昨年の東日本大震災でも,天皇皇后両陛下の被災者にささげる祈りの姿が国民の目に焼き付いているが,皇太子夫妻は被災地訪問の回数も限られ,あまり印象に残っていない。
・今上天皇は,「国民とともに」「人々に寄り添う」ことを最も大事にしてこられた。
・ところが皇太子ご夫妻は,目指される皇室像を明確に発信されていない。
・2004年に「新しい公務」発言があったが,8年経過した今も「新しい公務」の姿はいまだ見えてこない。
・推し量れば,「グローバリズム時代の天皇となりたい」という意欲は感じられる。特に皇太子が力を入れているのが水問題。誕生日会見でも,外国で起きた出来事に触れられることが多かったし,国内と外国の出来事を並立して述べられる印象がある。
・グローバリズム時代の天皇像はよいが,それには確固としたナショナリズムが必要。皇室はやはり国民のためにある。その根本を大事にした上でグローバルな世界に目を向けてもらいたい。
・日本国民のことをまず一番に思い,従来の公務や天皇像を引き継ぎながら新しい公務を実現してほしい。
・そのうえで提案したいのが,ロンドン五輪へ雅子妃とともに臨席すること。
・今回はご夫妻で海外の公務をされたらどうか。
・今回の天皇・皇后の訪英は,皇太子・雅子妃にバトンを渡すためのメッセージだったのだと思います。
ttp://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2744725.html (魚拓記録、WebArchive記録)
皇太子ご一家、昭和天皇記念館に
皇太子ご一家が、東京・立川市の昭和天皇記念館で、開館10周年を記念した特別展示をご覧になりました。
皇太子ご夫妻と愛子さまは7日夕方、立川市の国営昭和記念公園内にある昭和天皇記念館を訪れ、開館10周年を記念した特別展示「思い出の昭和天皇」をご覧になりました。
雅子さまと愛子さまは初めての訪問で、ご一家は昭和天皇愛用の腕時計をはじめ、ゆかりの品や貴重な写真の数々をじっくりと見てまわられていました。
これに先立ち、ご一家は、公園内の満開のサクラや菜の花畑をご覧になりました。ご夫妻が1999年に植樹したサトザクラはこれからが見ごろですが、雅子さまは、「非常に懐かしい」と笑みを浮かべられ、皇太子さまは、持参したカメラで楽しげに写真を撮られていました。(07日23:39)
http://www.news24.jp/nnn/news87118856.html(WebArchive記録、Archive.is記録 )
皇太子さま 塩作りと千枚田をご視察
(石川県)
皇太子さまは珠洲市で開かれている日本スカウトジャンボリーと地方視察のため、7日に県内入りされ、8日までの2日間、多くの県民と触れ合った。
7日午前10時前、のと里山空港に到着した皇太子さま。今回は、珠洲市で開かれているスカウトの祭典日本スカウトジャンボリーに出席するため、県内入りされた。皇太子さまは、参加しているスカウトたちに「能登の豊かな自然と文化に触れながら、多くの活動に参加し、貴重な思い出を作ってください」とお言葉を述べられた。8日の最初の訪問先は珠洲市の角花家だ。塩作りを始める前に歌う砂取節が披露された。また、伝統の揚浜式製塩の技術を視察し、「どのようにして塩をまくのか」と質問するなど興味を示されていた。実は、皇太子さまが角花家を訪問されたのは今回が2回目。前回、1975年に訪問された際は4代目の菊太郎さんが説明役を務めており、これで、角花家3代にわたって案内したことになった。このあと訪問された輪島市の白米千枚田では、奥能登を代表する自然豊かな風景をご覧になり、カメラで撮影もされていた。一方、大人たちも歓迎ムード一色。珠洲への訪問は12年ぶりとなる。宿泊された珠洲ビーチホテルには皇太子さまを一目見ようと大勢の県民が集まった。ホテル内の花を生けたという女性は、皇太子さまにお似合いの花を思って、涼しげなさわやかな花を生けるよいう心がけたと話していた。思いをこめて生けられたロビーの花。皇太子さまの目にはどのように映ったのだろうか。来年5月には新天皇の即位を控え、皇太子さまとしては最後の県内訪問。沿道などに集まった県民は延べおよそ1万人に上った。皇太子さまは2日間の日程を終え、8日夕方、能登を発ち東京へと戻られた。
[ 8/8 20:22 テレビ金沢]
2018年8月8日<皇太子さま塩作りと千枚田をご視察>KTKニュース連結画像、輪島市の白米千枚田見学について案内役が「自分でカメラで風景を撮っておられて、気さくな姿を見られてよかった」と徳仁カメコ行動を証言
pp.46-48より全文引用
天皇家の師走は、宮中祭祀や公務に加え、お祝いの席が重なる多忙な月である。上旬には愛子さまと雅子さまのお誕生日があり、下旬には天皇陛下のお誕生日が控えている。いつになく皇族方の露出度も増すこの時期、なぜか学習院では例のない厳しい写真規制が始まったという。雅子さまの「非公式写真」流出でピリピリムードに包まれてしまったのだ。
師走9日、何事もなく43歳の誕生日を迎え、ホッと胸をなでおろしたのは宮内庁や東宮関係者ではなく、誰より雅子さまご自身ではなかったか。
1年前の誕生日には、天皇・皇后両陛下を招いた夕食会を開始直前に“ドタキャン”。まだその余韻が冷めやらぬ23日、天皇陛下の誕生日の夕食会で、雅子さまが2時間47分も中座し、陛下をお待たせした宮中の大事件は未だ記憶に新しい。
その昨年末と比較して、誕生日までの雅子さまのご様子には安定感が見られたという。
宮内庁担当記者が解説する。
「記者会見には応じていただけなかったものの、雅子さまの所感という御文章は、夏のオランダ静養や、悠仁親王殿下のこと、愛子さまに対するお気持ちなど、国民が関心を持っている事柄に触れていました。昨年や一昨年の文章と比べると、分量も飛躍的に増えましたし、内容もしっかりしてきた印象です。
最近は、私的外出の機会がめっきり増え、公務への完全復帰もそう遠い日ではないように思える。だが、
「実際はまだ予断を許さない状況です」
と、慎重な見方を崩さないのはベテランの皇室ジャーナリストだ。
「これまでに起きた皇室の異常事態は、全て雅子さまのご病気という一言で説明されてきました。今後も、その状況には何ら変わりはないのです。例えば、普通は私的外出ができて、なぜ公務ができないのか、と疑問も感じますが、“病気ですから”と言われれば、我々は、何一つ、反論できません。しかも、公務に復帰して頂きたいと要望を申し上げることさえ、雅子さまにプレッシャーを与えると言われかねません。雅子さまの病気の実態がまるでわからない状況は、今後もずっと続いていくと推測できるのです」
その「異常事態」の一例が報道写真規制で、たとえ公務であっても、雅子さまを撮影するカメラマンの数は未だに著しく制限され、新聞各紙がお下げ渡しのように、全く同じ写真を掲載することも珍しくない。
だが、雅子さまに関する写真規制は今や、メディアのみにとどまらず、愛子さまの通う学習院幼稚園や佳子さまの通学する学習院初等科でもOBや父兄が目を丸くする、かつて例のない“写真規制”が始まっているという。
内情を説明するのは学習院初等科に孫が在籍する学習院OBである。
「12月4日のことです。学習院幼稚園の主催で音楽会が開かれ、“モスクワ・アカデミー合唱団”が演奏を行いました。この音楽会には、年少組の愛子さまはもちろん、初等科の1年生や来年の新入園児も呼ばれ、皇太子殿下と雅子さまも出席されたのです。いつもはこの手の行事の後、子供たちの写真が園内に張り出され、父兄は自由にそれを購入できます。しかし今回はアルバム委員の父兄が“自分の子供が写っていないのに愛子さまや雅子さまの写っている写真を買った人をチェックする。それが、もしマスコミに流出したら犯人の足が付く”と漏らしていたそうです。これはプライバシーの侵害じゃないでしょうか」
学習院の「警告書」
実は、学習院でこんな“戒厳令”のような規制が始まったのはある写真流出事件がキッカケだった。10月14日に行われた学習院初等科の運動会の出来事だ。
先のOBが続ける。
「初等科には、現在、佳子さまが在籍されていますから、悠仁さまを出産されたばかりの紀子さまもいらっしゃいました。また、この運動会には雅子さまと愛子さまが参観に来られていたのです。ところが、当日、校内で撮影された紀子さまと雅子さまの写真が後日女性誌に載った。そうしたら学習院側が初等科の父兄に警告書のようなプリントを配布したのです」
そのプリントの中身は、要約すると、
<今後の学校行事では、原則、自分の子供以外を撮影対象としないでほしい。また撮影した写真を外部へ公表しない>
という要請である。
「もし、この約束が守られないようであれば、今後は、運動会などのイベントであっても、子供の写真撮影を禁止せざるを得ないという警告と受け取りました。もちろん“運動会で写真を撮ったらいけないなんて馬鹿馬鹿しい話、聞いたこともないわ”と悪評紛々です。私が知る限り、これまで学習院がこのような対応を取ったことはなかったので、父兄の間では、きっと雅子さま側からのクレームが原因だろうと見られているのです」(同)
確かに、多くの皇族を受け入れてきた学習院の歴史においても、ここまで厳格な規制が敷かれたことはなかった。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏は、
「もともと学習院側が、皇族の成長は、ある程度公表されるべきものだというスタンスを取っていたからです。また、天皇家も同じくオープンなスタンスで、例えば天皇陛下も、5年前の誕生日の記者会見の時、“皇室の子供が、健やかに育っているという姿を国民に見せてほしいという要請にもこたえていく義務がある”とおっしゃっているくらい。今回のタイミングを考えても、東宮サイドからの働きかけが最大の理由でしょう」
では、相手がメディアであれ、学習院父兄であれ、東宮サイドはなぜ、そこまで写真に強い抵抗感を持っているのか。
「療養に関わるのです」
と、適応障害と写真撮影の関係性を説明するのは、精神科医の町沢静夫である。
「適応障害の場合、患者は自分の状態で、他人に迷惑をかけているという罪悪感や自責の念を常に抱いています。そんな弱い姿をできるだけ他人に見せたくはない、隠れていたいと考えるわけです。表情には、自分の内面が浮かび上がってしまいますから、撮影されると自分の状態が記録され、他人にわかってしまうのではないかと、安心して療養生活が遅れないのです」
実際、雅子さまが愛子さまと参観された初等科運動会の当日、カメラから雅子さまをガードするSPの姿を目撃したのは、別の若い主婦である。
「雅子さまは、VIP席ではなく、トラックの第4コーナー付近の折りたたみ椅子に座って、仲の良いお母さん友達と見学されていたのですが、他の父兄がそちらにカメラのレンズを向けると、SPが視界をさえぎるように動き、撮影を邪魔していました」
「拍手」と「小旗」と
報道カメラマンが雅子さまの撮影の際、フラッシュを禁止されたのは2年ほど前からだが、このところますます、
「全然、雅子さまの写真が撮れません」
と、肩を落とすのは、ベテランの雅子さま追っかけ主婦である。
「まず、ご公務がないので、お出かけ先の情報が前もってわかりません。私的外出だと情報は入りませんから……。それに運よく行き先がわかって待ち構えていても、最近は、シャッターすら押せない日が多くて……。正直に言って、熱意が削がれてきました。私だけでなく、周囲でも雅子さまの追っかけ人気が落ちてきたというのが、私の実感です」
以前から時折、指摘されていた雅子さまの写真嫌いは、最近、ますますその傾向を強めている感が拭えないが、その一方、やや距離のあった両陛下との関係は少なからず改善されたと見られていた。
前出の松崎敏弥氏がいう。
「お誕生日のお言葉の中でもっとも注目されるのは、皇后陛下への感謝が含まれていたことでしょう。これは、10月に皇后陛下が、雅子さまの公務復帰について“あせることなく……”とおっしゃった言葉を受けてのこと。雅子さまは、9日、皇居に一人で挨拶に行かれましたが、皇太子殿下や愛子さまとご一緒でなかったのは初めてなのです」
回復傾向の雅子さまに公務復帰第一歩の注文をつけるのは、静岡福祉大学の高橋紘教授。
「国連大学も結構ですが、ぜひ、勤労奉仕団へのご会釈もお願いしたいのです。この行事にはマスコミの取材は一切入りませんし、皇族は国民とともにあるという意識を鍛える良いチャンスだと思うのですが……」
文化女子大学の渡辺みどり客員教授は、
「5歳になられた愛子さまは、まだご挨拶がきちんとは出来ないようです。同じ年のお子さんに比べて、やや幼い部分があるのかもしれませんし、雅子さまが公務に復帰するのは、まだまだ時間が掛かるでしょう。でも、ご自分の口で病状を説明していただけたら、もっと良かったのですが……」
実は、公務復帰の障害となっているのはカメラの放列ばかりでなく、
「東宮サイドの話では、雅子さまは、大勢の人の拍手とか、たくさんの小旗が一斉に振られるような状況を苦手としているのです。こればかりは徐々に慣らしていくしかないのですが……」(宮内庁関係者)
12月11日、宮内庁や東宮関係者は期待したものの、皇太子一家は愛子さまの風邪を理由に皇居の夕食会をキャンセルしてしまった。
冬の嵐となった昨年の師走に比べれば小康状態でも、雅子さま「完全復帰」に向け、宮内庁が乗り越えねばならないハードルはまだまだ決して少なくはないのだ。
今年の運動会は警戒も厳重で、どこか緊張感が漂っていたという。当日、会場では保護者だけでなく来賓や卒業生に1枚のペーパーが配られた。
「自分の子供以外の児童を撮影するには許可をとらなければならないという『学校行事における写真撮影について』というペーパーでした。こんなことは初めてです。」(学習院卒業生)
その内容は、<ご自分のお子様以外の方を撮影するときは、相手の了承を得てから行う><撮影したものは、報道機関等の外部へ公表しない>といったもの。しかしいちいち相手方に撮影の許可を得るのは事実上不可能。それでもペーパーを出さざるを得なかったのは何故か。
「去年の運動会や初等科祭で、父兄の撮影した写真がマスコミに“流出”したからです。今回も初等科幹部は相当ピリピリしていたようです。」(前出・皇室記者)
「今回はSP、職員が『何でこんなところまで』というようなところまで見回りをしていた。」(観覧者の一人)
雅子さまもまた、何かをしきりに気にされているご様子だったという。
「競技と競技の間に、双眼鏡を手に父兄席を何度も見渡していた。監視されているようで、あまりいい気はしませんでした。」(別の観覧者)
愛子さまはのびのび競技をされていた。120メートルの短距離走ではぶっちぎりの1位。その姿に皇太子さまは目尻を下げて喜ばれていた。
「キャノンの一眼レフやコンパクトカメラ2台を使って、愛子さまの出ていない競技もバシャバシャ撮っておられました。写真流出の問題で父母全体が萎縮している中で、少し違和感がありました。」(同観覧者)
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/10/12/kiji/K20131012006797110.html
愛子さまが運動会で組体操 皇太子ご夫妻も応援
皇太子家の長女愛子さま(11)は12日、学習院初等科の運動会に出場した。6年生の今年は小学校生活最後の運動会。皇太子ご夫妻が見守る中、組体操に出て、笑顔を見せた。
体操服姿の愛子さまは音楽に合わせて、倒立や扇などさまざまな形を同級生とともに披露。フラフープを使った演技やウエーブなども見せ、7段構成の大ピラミッドで演技を締めくくると、同級生と言葉を交わしながら退場した。
ご夫妻はこの日午前、東京都調布市で行われた全国障害者スポーツ大会の開会式に出席。いったん住まいの東宮御所に戻ってから応援に駆け付けた。雅子さまは10年ぶりの大会開会式出席だったが、運動会では疲れた様子もなく双眼鏡を手に、にこやかな表情で応援。皇太子さまも2台のカメラを使い分け、盛んに愛子さまを撮影した。
愛子さまは午前の部では、障害物競走とむかで競走にも出場した。
[ 2013年10月12日 16:39 ]
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000014058.html
皇太子ご夫妻も参観 愛子さま小学校最後の運動会(10/12 17:47)
皇太子ご夫妻の長女・愛子さまが小学校生活最後の運動会に参加し、ご夫妻が参観されました。
学習院初等科に通われている愛子さまは12日午後2時ごろ、6年生全員が参加する恒例の組体操に出場されました。6人でピラミッドを築き、無事に成功すると笑顔を見せられました。皇太子ご夫妻は、双眼鏡と望遠レンズ付きのカメラで愛子さまの様子をご覧になり、組体操の形が決まると大きな拍手を送られました。愛子さまは去年、高熱のために運動会を欠席されていました。学校によりますと、今年は春から体育の授業で組体操の練習を続けられていたということです。運動会に先立って、ご夫妻は、東京・調布市で開催された「全国障害者スポーツ大会」の開会式に出席されました。雅子さまが開会式に出席されるのは10年ぶりです。
http://www.news-postseven.com/archives/20140929_278884.html
愛子さま通う学習院 運動会で「自分の子以外撮影ダメ」通達
2014.09.29 07:00
2学期開始直後の9月初旬、愛子内親王が通う学習院女子中等科では保護者向けに「9月27日の運動会について」というペーパーが配布された。
「写真撮影について『ご自分のお子さん以外の写真は撮らないでください』との文言が書かれていました」(学習院関係者)
愛子内親王が中等科に進学してから初の運動会とはいえ、過去、秋篠宮家の眞子内親王、佳子内親王の中等科在学中にこうした指示がなされることはなかった。ある保護者はこんな困惑の声を漏らした。
「大勢が競技をするのに、どうやって自分の子供だけ撮ればいいのでしょうか」
中等科の運動会では、学年ごとにダンス授業の発表が行なわれる。生徒全員参加の伝統行事だ。一度に百数十人の生徒が複雑な動きを織りなす踊りのなかから我が子だけをズームアップするのはプロのカメラマンでも至難の業。そもそも群舞の美しさを見せるダンスでのワンショットでは、せっかく練習してきた生徒たちもがっかりだろう。皇室記者が語る。
「中等科の運動会は『在校生の保護者以外は入場禁止』とされているが、初等科より見学者は少なく、それほど厳しいチェックはない。それなのにこうしたペーパーが配られた理由は、やはり雅子さまのご出席を想定してのことでしょう。東宮職の要請か学習院の配慮かはわかりませんが、これまでの経緯があるので双方が気を遣うイベントであることは間違いありません」
東宮職と学習院行事の写真撮影をめぐっては過去に物議を醸す出来事があった。愛子内親王が4年生だった2011年の初等科運動会で「自分の子供以外を撮影するには許可を取らなければならない」という注意事項が配られた。
「愛子さまが周囲の目を気にする年頃だという理由でしたが、むしろ雅子さまへの配慮の意味合いが強かったようです。療養中で公務の出席が難しいなか、プライベートでは笑顔を見せることに批判が出るのを避けるためだったといわれました」(前出の皇室記者)
ところがその運動会では、多くの保護者が撮影を控えるなか、皇太子が写真を撮影する姿があり、そのことに戸惑いを口にする保護者も少なからずいた。
※週刊ポスト2014年10月10日
pp.52-53より全文引用
学習院女子中高等科運動会での“愛子さま特別扱い”に保護者から大クレーム!
「えっ、自分の子供以外の写真を撮ってはダメなの?」
皇太子ご夫妻の長女、愛子さまが参加された運動会で、事前に保護者に伝えられた驚きの“新ルール”とは――。
「ここまで制限されるということは、私たち保護者は学校から信用されていないということでしょう。撮った写真の取り扱いに注意しろというのならわかりますが……」
学習院女子中・高等科に子供を通わせる保護者の1人はこう戸惑いを口にした。
9月27日の女子中等科と高等科の生徒が合同で行う学習院の運動会を前に、学校が12日付で保護者宛てに配った「運動会のお知らせ」のなかの文言が、多くの保護者を戸惑わせていた。そこにはこう記されていたからだ。
<お子様の写真を撮影される場合には、名札をご着用ください。また、他の生徒を本人に断りなく撮影することはご遠慮ください。>
別の保護者も憤る。
「わが子を撮れば、どうしても隣にいるお子さんも写ってしまいますよね。競技中に『写真撮っていいですか?』と了解をとれるはずがない。これじゃ『撮るな!』と言われているようなものでしょう」
愛子さまの同級生には今年から学習院に通い始めた人もいます。楽しみにしていた親御さんが、“お友達との写真”を自由に撮れないなんて」
今回なぜこの“通達”が配られることになったのか?
宮内庁関係者が話す。
「小学生をめぐる物騒な事件の起きる昨今ですから、部外者の学校への出入りや撮影を排除するというのは当然ですが、保護者宛てとしてはとても厳しい内容ですね。
おそらく『愛子さまを撮影させないため』というのがいちばんの理由でしょう。また愛子さま以上に、雅子さまに気を使っている様子が見て取れ、明らかに学習院側の過剰反応だと思われます」
昨年の初等科の運動会では同級生を組体操をされる愛子さまの元気なご様子も報道されたが、中等科に進学した今年、マスコミへの非公開だけでなく、まさか保護者にまで“撮影禁止”とは――。
学習院に真意を尋ねると、次のような回答があった。
「折に触れ、写真撮影の方法等について、個人情報保護の観点も含め、お互いにご配慮していただくよう、お願いしております。今回も同様の趣旨で、ご協力をお願いしております」(広報課)
と“愛子さまシフト”を否定。だが、ある学習院OBは、皇太子さまや秋篠宮さま、紀宮さま(黒田清子さん)が通われていたことならありえない、前代未聞だとあきれ顔だ。
そんな学習院に対し、皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんは怒りを込めて語る。
「学習院はこういった対応の仕方を、考え直した方がいいと思います。愛子さまを特別扱いすればするほど、ほかの生徒との間に溝が生まれて、もしかするとイジメの原因にもなりかねない。
これでは愛子さまが学校で孤立してしまう。学習院としては“愛子さまのためを思ってのこと”かもしれませんが、まったくの逆効果です」
最近の愛子さまのご様子はというと、
「遅刻ギリギリの日があったりと、1学期は出席不安があったようです。新しい環境に慣れるまでに時間がかかるご性格
なのかもしれません。
雅子さまも、それを気にかけていらしたようで、いろいろと腐心されていました。5月の連休も、
例年ならご家族で那須の御料牧場などにお出かけになるのに、今年は東宮御所にお友達を招かれて、親睦を
深めようとされていましたし」(皇室担当記者)
雅子さまは、日々成長される愛子さまを「静かに見守られてる」時期なのだろう」
「愛子さまは、クラブ活動に関しては、まだ決めかねているようです。ただ、どの部活にも入らない“下校部”の生徒は珍しくないですし、決まった期日までに入らなければならないものでもありません。中高一貫の6年間のうち、1年生は、言わば学校に慣れるための準備期間のようなものですから」(学習院関係者)
そして雅子さまのご努力の成果は、徐々に実を結びつつある。
「2学期を迎えて、愛子さまは、一段を背も伸びましたね。夏休みの宿題もしっかりと仕上げられたようですし、愛子さまは厚生委員の活動などで遅くまで学校に残られていることもあるようです。
それだけに、中学生になられて初めての運動会を、雅子さまはとても楽しみにしていました。雅子さまの“願い”は、ごく普通に学校になじんでいる愛子さまのお姿をただご自分の目で確認されたいということだったと思います」(前出、宮内庁関係者)
ここで一つ気がかりなことが……。精神科医で立教大学教授の香山リカさんが言う。
「雅子さまは、適応障害でご療養中です。こうしたときは、周囲の状況をお考えになることが難しくなるものです。特に愛子さまのこととなるとなおさらでしょう。
ですので、愛子さまの写真流出を抑えるためと感じられるような規制で、学校でご一家がどのように思われるか、そこまでお考えになる余裕を持てないのではと思います」
運動会の写真撮影の問題で、周囲から誤解されて、雅子さまのお気持ちが傷つくようなことがあれば、体調を崩されることも心配されるのだ。
猛暑の夏が過ぎ、実りの秋を迎えようとしている今、あまりご公務に出席されていない印象の雅子さまだが、それは“10月の大任”に備え、ご体調を整えられているからだろうと宮内庁関係者は言う。
10月8日にある高円宮家の典子さまご結婚の晩餐会。10月20日の皇后・美智子さま80歳のお誕生日。続くオランダ国王夫妻の来日……。
「雅子さまにとってはどれも重要な行事です。特に美智子さまのお誕生日のお祝いは“長男の嫁”としての役割があります。またオランダ新国王夫妻は、’06年夏のオランダご静養でお世話になった“友人”でもあり、ご自身で接遇したいと思っていらっしゃるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
そんな大事な10月を目前に控えた、運動会当日――。
「午前中の競技『みのむし』では、愛子さまの西組は5組中2位と健闘されていました。午後のダンスのプログラム『チキチキバンバン』では、赤いポンポンを持って元気よく踊られていたのですが、周囲の子とタイミングがずれて、はにかんだ表情を見せられた瞬間も」(保護者の1人)
そんな愛子さまを見守る雅子さまの優しい笑顔。それが、くもらされることがないまま、10月のご活躍を期待したい。
グラビア説明文引用
秋晴れの9月最後の土曜日、愛子さまが通われる学習院女子中高等科運動会が行われた。事前にその写真撮影について“通達”があり、保護者たちを複雑な気分にさせた。だがその当日、学友たちにエールを送る愛子さまの笑顔は元気そのもの。大人たちの思惑をよそに中学生になって初めての運動会を楽しんでいたご様子。(9月27日)
http://www.news-postseven.com/archives/20141002_279750.html
愛子さま出場の学習院女子運動会 非公開・撮影禁止の厳戒態勢
2014.10.02 16:00
爽やかな秋晴れとなった9月27日。風は少し冷たく感じられたが、体を動かすには、ちょうどいい運動会日和。学習院女子中等科・高等科ではこの日、合同の運動会が行われた。愛子さま(12才)が出場されたのは、学年対抗の「ドリブル競争」と中1生徒のみで行う「みのむし」と「ダンス」だった。
「ドリブル競争」は、それぞれの学年から20名の代表選手が選ばれ、ボールを手でドリブルしながら、ゴールに見立てた籠まで運び、そこでシュートを決めたら、再びドリブルして戻り、次の選手にリレーするという競技。
「17番目に登場した愛子さまは、ご自分の順番を待っている間、中1チームが他学年に、あまりに大きな差をつけられたためか、ずっと曇りがちな表情をされていました。けれど、ご自分の番が来ると、ひとつでも順位を上げようと必死に頑張られていましたが、焦りもあったのか、なかなかシュートが決まらず、とても悔しがられていました」(学習院関係者)
愛子さまにとって、この日は中学生になられて初めての運動会。雅子さま(50才)も皇太子さま(54才)とともに開会式が始まってほどなくしてグラウンドに姿を見せられた。
「雅子さまは熱心に声援を送られていましたね。皇太子さまも一眼レフカメラとコンパクトカメラを使い分けられ、愛子さまが奮闘される姿を追いかけていらっしゃいました」(前出・学習院関係者)
わが子の成長に目を細め、笑顔の絶えないご様子の運動会だったが、その舞台裏では大きな波紋が広がっていた。
初等科時代の昨年までの運動会では、毎年取材設定があったが、愛子さまが中学生となられた今年からはマスコミへは一転して“非公開”となった。
「定例会見での小町恭士東宮大夫(68才)の説明では、“行事自体、保護者にしか公開していない非公開の行事なので”という、あくまでも学校側のルールに従ったという説明でした。しかし、それは初等科時代も一緒です。振り返ると紀宮さま(現・黒田清子さん、45才)が女子中等科時代には、運動会のご様子はマスコミによって報じられていた前例もあります。そう考えると腑に落ちませんよね…」(皇室記者)
また保護者の間でも混乱が起こっていた。
「二学期が始まって、すぐに学校側から保護者宛に《運動会のお知らせ》というプリントが配られました。そこには“お子様の写真を撮影される場合には、名札をご着用ください。また、他の生徒を本人に断りなく撮影することはご遠慮ください”と書かれていました。
これには保護者の中から、“愛子さまを撮影させないためだ”とか“うちの子の友達の写真も撮れないなんておかしい”また“写真流出を疑われているようで不快だ!”といった不満の声が続出しました」(ある保護者)
“マスコミ非公開”に“写真撮影禁止”──超厳戒態勢下での運動会開催となっていたのだ。
※女性セブン2014年10月16日号
pp.21-23より全文引用
爽やかな秋晴れとなった9月27日。風は少し冷たく感じられたが、体を動かすにはちょうどいい運動会日和。学習院女子中等科・高等科ではこの日、合同の運動会が行われた。
愛子さま(12才)が出場されたのは、学年対抗の「ドリブル競争」と中1生徒のみで行う「みのむし」と「ダンス」だった。
「[[逆さバイバイ|ドリブル]競争]」は、それぞれの学年から20名の代表選手が選ばれ、ボールを手でドリブルしながら、ゴールに見立てた籠まで運び、そこでシュートを決めたら、再びドリブルして戻り、次の選手にリレーするという競技。
「17番目に登場した愛子さまは、ご自分の順番を待っている間、中1チームが他学年にあまりに大きな差をつけられたためか、ずっと曇りがちな表情をされていました。
けれど、ご自分の番がくると、ひとつでも順位を上げようと必死に頑張られていましたが、焦りもあったのか、なかなかシュートが決まらず、とても悔しがられていました」(学習院関係者)
愛子さまにとって、この日は中学生になられて初めての運動会。雅子さま(50才)も皇太子さま(54才)とともに開会式が始まってほどなくしてグラウンドに姿を見せられた。
「雅子さまは熱心に声援を送られていましたね。皇太子さまも一眼レフカメラとコンパクトカメラを使い分けられ、愛子さまが奮闘される姿を追いかけていらっしゃいました」(前出・学習院関係者)
わが子の成長に目を細め、笑顔の絶えないご様子の運動会だったが、その舞台裏では大きな波紋が広がっていた。
初等科時代の昨年までの運動会では、毎年取材設定があったが、愛子さまが中学生となられた今年からはマスコミへは一転して“非公開”となった。
「定例会見での小町恭士東宮大夫(68才)の説明では、“行事自体、保護者にしか公開していない非公開の行事なので”という、あくまでも学校側のルールに従ったという説明でした。しかし、それは初等科時代も一緒です。
振り返ると紀宮さま(現・黒田清子さん、45才)が女子中等科時代には、運動会のご様子がマスコミによって報じられていた前例もあります。そう考えると腑に落ちませんよね・・・・」(皇室記者)
また保護者の間でも混乱が起こっていた。
「二学期が始まって、すぐに学校側から保護者宛に≪運動会のお知らせ≫というプリントが配られました。そこには“お子様の写真を撮影される場合には、名札をご着用ください。また、他の生徒を本人に断りなく撮影することはご遠慮ください”と書かれていました。
これには保護者の中から、“愛子さまを撮影させないためだ”とか“うちの子の友達の写真も撮れないなんておかしい”また“写真流出を疑われているようで不快だ!”といった不満の声が続出しました」(ある保護者)
“マスコミ非公開”に“写真撮影禁止”――超厳戒態勢下での運動会開催となっていたのだ。
遅刻ばかりでダンスの振り付けを覚えられない
この超厳戒態勢が敷かれたのには、愛子さまの“登校状況”が大きく影響していた。運動会ではこんなシーンが見かけられた。
「午後のダンスのプログラムでは、愛子さまも他の生徒たちと一緒に『チキチキバンバン』を踊られました。前半は近くのご学友と顔を見合わせて笑い合ったりするほど、きちんと踊れていたんですが、途中から少しずつ踊りが遅れ始めて・・・・。振り付けを完全に覚えられていないのが目に見えてわかりました。
ダンスは一学期から授業で練習し、体得するものですから、やはり愛子さまは準備不足だったのかもしれませんね」(前出・学習院関係者)
愛子さまは一学期後半、“[[不登校|登校拒否]”状態になってしまわれた。遅刻や欠席の回数が増え、さらにはTDR期末試験や終業式までも欠席されている]。
心配の声が高まる中、スタートした二学期。本誌(9月25日号)がお伝えした通り、始業式当日は定刻前に元気に登校され、不安を一掃したかに見えた。しかし、その後は再び逆戻りされていたのだ・・・・。
「始業式の翌週には、理由は明らかになっていませんが、早速学校を欠席されています。
また9月24日はお昼を過ぎた午後12時40分頃に登校。さらに9月26日には、一日の授業が終わる直前の午後2時過ぎに登校されています。うなだれて元気のない足取りでした。そのためか関係者の間からは“これでは運動会当日も欠席、もしくは遅刻されるのでは?”という声も出たそうです。
また遅刻をするにも、一学期は午前中には登校されていましたが、今では登校時間は午後になることもしばしばで・・・・。愛子さまの状態は悪化しているといって過言ではありません。ダンスの振り付けが覚えられなかったのも仕方がない状況だったんですよ」(別の皇室記者)
この愛子さまの登校状況に、不登校問題のエキスパートである『カウンセリング研修センター・学舎「ブレイブ」』の大熊雅士室長は、こう警鐘を鳴らす。
「午後からの登校というのは、愛子さまがご自身のストレスが限界にきているというシグナルを出されているんだと思いますよ。ご自身に“皇族である”という自覚も芽ばえられているのなら、“なぜ私だけがこんなに不自由なんだろう?”と苦悩されているのではないでしょうか。
これは皇太子ご夫妻をはじめとする周囲の人間が適切にサポートしなければ、身体的な病気にまでなってしまいかねません」
目に余る“特別扱い”で保護者との間に溝が
皇室という世界にお生まれになった愛子さま。一般の人にはわからない苦しみが数多くあるのだろう。
しかし、他の生徒たちや保護者からすれば“どうして、愛子さまだけ特別扱いなの?”という思いを抱くのも当然である。
「本来、女子中等科は“遅刻”に厳しい学校です。予鈴に遅れただけでも保護者が呼び出されて、先生がきちんと指導することもあります。
しかし、愛子さまの場合、どんなに遅刻されても、たとえ午後2時に登校されても、愛子さまにも雅子さまにも学校側からのお咎めはまずないでしょう。
写真撮影に関しても、他の保護者には厳しい規制が敷かれるなか、皇太子さまはご自由にシャッターを切られていたようにお見受けいたしました。一部から“殿下は許可を取られたのかしら?”なんて、皮肉めいた声も聞こえたほどです。
これだけ学習院側が“特別扱いすれば、皇太子ご一家と他の生徒や保護者たちの間に溝が生まれてしまうのも仕方がないことなのかもしれませんね。このままではご一家に対する逆風はさらに大きなものになりかねません」(前出・学習院関係者)
それを如実に表していたのが、皇太子ご夫妻の運動会観戦スタイルだった。
初等科時代、一般の父母席でのご観戦を望まれた皇太子ご夫妻のために、東宮職は早朝から“席取り”の行列に並び、席を確保していた。そして皇太子ご夫妻は仲良しのママ友たちをお呼びになり、歓談されながら愛子さまの活躍を楽しまれていた。
「皇太子ご夫妻はテント内の“本部席”に座られ、教頭先生や学習院の波多野敬雄院長や東園基政理事といった学習院関係者に取り囲まれて観戦されていました。周りに、いつもの仲良しママ友はいませんでしたね。
お昼休みに応接室に向かう際に、初等科時初等科時代からのママ友と偶然会われて挨拶を交わすシーンはありましたけど、それ以外はママ友との交流はお見かけしませんでした。皇太子ご夫妻が保護者の中で“孤立”されているんだなと心配になりました」(別の学習院関係者)
運動会当日こそ定刻通りの登校をされた愛子さま。しかし、まだまだ[[不登校|不安定な登校状況]は続きそうである。
愛子さまが通常の登校に戻るためには、学校、保護者、お友達、そしてご両親である皇太子ご夫妻が良い関係を築き、きちんとしたサポート態勢を作っていくことが不可欠なのは間違いない。
しかし、この運動会を見る限り、事態は深刻さを増しているような気がしてならないのだ。
「中一の応援席の端の方に座っていらっしゃいました。退場門からご自分の席に戻る時、他の生徒は喜んだり悔しがったりして賑やかに話しているんです。でも愛子さまはうつむき加減に一人で歩いていらっしゃいました」(観覧した保護者)
九月二十七日、秋晴れの下行われた学習院女子中高等科の運動会。新宿区戸山にある同校のグラウンドに愛子さまのお姿はあった(巻頭グラビア参照)。
「朝八時十五分頃、決められた時間より少し早く登校されました。愛子さまが参加されたのは、麻袋に両脚を入れたままジャンプして進む『みのむし』や、バスケットボールをついてカゴの下まで行き、シュートして戻ってくる『ドリブル競争』などです」(同前)
皇太子ご夫妻は、学習院院長や理事などが座る「本部席」から観覧された。
「雅子さまはオペラグラスで得点板をたびたび確認されていました。勝負の行方を気にされていた。学年対抗の競技で中一が失格になったプログラムがあったのですが、皇太子さまに『え、なんで?なんで?なんで?』と繰り返し尋ねられていたのが印象的でした。皇太子さまは、例年通りカメラを二台駆使して、たくさんの写真をお撮りでした」(学習院関係者)
実は今回の運動会、報道陣はシャットアウトされた(同じく東宮家の一人娘だった紀宮さまの時は、中一から高三まで全ての運動会で取材設定があった)。
愛子さまはマスコミのカメラを気にすることもなくのびのびと競技に集中できたはずだが、出席した関係者が口を揃えて「気になった」というのは、愛子さまの浮かないご表情。どうやら参加された種目が首尾良く行かなかったらしい。
「一年生が全員参加したダンス『チキチキバンバン』では赤いポンポンを持って、リズムに合わせて振り付け通りに踊られた。愛子さまは前半はお上手だったのですが、後半になるとポンポンを上げ下げするのが遅れてしまうことがあり、次第に笑顔が消えていってしまったのです」(別の保護者)
また「ドリブル競争」では二十名のリームを組んでリレー形式で競うが、愛子さまの順番は最後の方で、すでに他チームと大差がつき、勝敗が決していた。
「少しやる気を失ってしまったご表情で、ご自分もシュートを何度か外してしまった。帰りのドリブルは脱力してアゴが上ってしまって……。練習不足だったのかもしれません。愛子さまは数日前の予行演習には出席されたそうですが、普段の授業で練習する競技もありましたから」(同前)
本誌では一学期の終わり頃、欠席や遅刻の多い愛子さまの“登校非常事態”について報じたが、それはまだ続いているのだ。
「小町恭士東宮大夫も定例会見で明かしていますが、実は夏休みが明けて間もない数日間で欠席があったのです。最近では、愛子さまを送り出すために雅子さまも早起きをされているようです」(東宮職関係者)
一日も早く明るい笑顔を取り戻していただきたい。
Part2900-252 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/12/01(月) 12:40:53.29 ID:tpQ6pKkq0
前スレに書き込んでくださった、この週刊朝日情報。
終わりのほうだから流れちゃったけど、気になる記事だな。
「参加しているが居るだけ」というのがリアルで怖い。
982 名前:可愛い奥様@転載は禁止[sage] 投稿日:2014/12/01(月) 08:40:21.33 ID:4UIBnuFMO [3/3]
明日発売の週刊朝日は永井貴子記者による「秋篠宮さままで巻き込んだ宮内庁“ウラ取りの裏”」
・八重桜祭の時、愛子は仲良しの子と二人で今半のすき焼き弁当を食べていた
・行事に参加はしているが居るだけという感じ
・学習院女子にはキャットルームという悩み事相談室があるが、そこに居るのでは
934 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/12/02(火) 12:21:41.40 ID:S/rdp2S20
学習院初等科は愛子さん卒業後諸行事の写真撮影が自由になった と。
Part2901-18 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/12/02(火) 15:31:36.58 ID:a6J2rLBM0
>>1 乙です。
前スレ最後のあたりに出てた
「今年から初等科運動会での撮影が自由化」情報源は、
『週刊朝日』記事ね。
女子中等科では、今年から運動会や八重桜祭での撮影が
我が子以外禁止となったので学校に対する不信感が生まれ、
先生に抗議する生徒まで現れたとのこと。
あと、愛子さんが堂々と遅刻して来るので
「風紀が乱れては困る」という意見まで書いてあった。
こんなの、前代未聞だね。
Part3017-327 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/10/01(木) 11:35:03.36 ID:npTcB6b30
セブン立読みウロ補足
愛子さん、スクールバッグに両手に紙袋とトートバッグという大荷物で足取りも軽やかに登校
むかで競争では最後尾という難しいポジション、大きな声で号令をかけていた
二年連続でボールリレーに出場、夏休みあたりから東宮職員と練習を重ね、すっかり得意種目に
「ユーモレスク」(伝統のダンス)では「指先まで神経を巡らせ身体もピンと伸び、まるでバレリーナのようでした(保護者談)」
応援に力が入るあまり最後の方では椅子に乗り立ち上がり大声で声援をおくっていた
今年は自分の子以外撮影禁止のプリントが配られず、校庭には我が子の姿をカメラに収めようとする保護者の姿が溢れた
昼食は愛子さんは教室で級友と。東宮夫妻は応接室で手配された弁当を関係者と
今年は保護者からの東宮夫妻への批判的な声は聞かれなかった
雅子さんは体育祭を挟み三日連続の外出、確実に体調は上向き。秋の園遊会への期待が高まる
http://www.news-postseven.com/archives/20151003_354586.html
愛子さまが出場 学習院運動会は昨年と違いピリピリ空気なし
2015.10.03 07:00
9月26日、学習院女子中等科・高等科で運動会が開かれた。
愛子さま(13才)のご活躍を、皇太子さまと雅子さまは本部席から温かく見守られていた。オペラグラスを手に熱心に競技を観戦された雅子さま。時折、雅子さま(51才)が皇太子さまに顔を寄せ、耳元で何かを囁くようにされると、皇太子さまは、手に持ったカメラを愛子さまの懸命なお姿に向けられるという微笑ましい場面も見られた。
他の保護者たちも望遠レンズのカメラやビデオカメラを回して、わが子の活躍を記録に残そうと大わらわだった。しかし、そんなどこにでもある運動会の光景も、昨年は見られなかったものだ。保護者がこう振り返る。
「昨年は2学期が始まってすぐ、学校側から保護者宛に《運動会のお知らせ》というプリントが配られました。そこには《他の生徒を本人に断りなく撮影することは遠慮ください》と書かれていました。愛子さまに言及していたわけではありませんでしたが、保護者の一部からは、“愛子さまを撮影させないためだ”といった不満の声があがりました」
加えて、「マスコミ非公開」に厳重な警備。厳戒態勢ともいえる運動会だった。
「それを考えると、今年はまるで“掟”のような注意喚起のプリントが配られることもなく、当日も護衛の警官は保護者に溶け込んでいて、ピリピリとした緊張感はありませんでした」(保護者)
午前の部が終わりお昼休みになっても和やかな空気は変わらなかった。愛子さまは同級生たちと教室に戻り昼食をとられ、皇太子ご夫妻は、校内の応接室で東宮職が準備したお弁当を召し上がった。
「昨年は応接室で昼食をとられるご夫妻に対し、“ご夫妻は人目を避けられている”などといった声が保護者のあいだから聞かれました。しかし今年は、ご夫妻に対し不平不満を漏らしたり、うがった見方をする人は影を潜めましたね。ママ友とにこやかに挨拶を交わされる雅子さまの姿も、とても自然で明るい雰囲気に感じました」(学習院関係者)
※女性セブン2015年10月15日号
http://www.asahi.com/articles/ASJB64D1RJB6UTIL012.html
http://megalodon.jp/2016-1007-0905-34/www.asahi.com/articles/ASJB64D1RJB6UTIL012.html
http://archive.is/1MiL3
愛子さま、宮内庁病院で診察か 体調不良、運動会も欠席
2016年10月6日23時43分
皇太子家の長女愛子さま(14)が6日夕、雅子さまとともに、皇居内にある宮内庁病院を訪れた。体調不良が続き、診察を受けたとみられる。先週から学習院女子中等科を休み、運動会も欠席していた。
宮内庁東宮職の小田野展丈東宮大夫は9月30日の定例会見で、愛子さまについて夏休み明けの宿題の提出などで疲労があり、侍医から休養するよう助言があったことを明かしていた。関係者によると、ふらつきなどの症状があったという。
愛子さまは現在学習院女子中等科3年生。今年は7月に奈良県の神武天皇山陵を初めて参拝。8月には公的な式典に初出席するなど精力的に活動していた。
http://this.kiji.is/157047595321409543
http://megalodon.jp/2016-1007-1808-32/this.kiji.is/157047595321409543
https://web.archive.org/web/20161007090926/http://this.kiji.is/157047595321409543
http://archive.is/5XHob
愛子さまが2週間学校休む
疲れ原因、検査は異常なし
2016/10/7 17:50
宮内庁の小田野展丈東宮大夫は7日の記者会見で、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(14)が、疲れによる体調不良のため、9月26日から学習院女子中等科への登校を控えていると明らかにした。
夏休み明けのテストや運動会の練習で疲れが出て、胃腸の弱りやふらつきがあるため、大事を取って休んでいるとしている。6日には雅子さまが付き添って宮内庁病院に赴き、念のために検査を受けたが、特に異常は確認されなかったという。
中等科3年の愛子さまは、今月1日に行われた学校の運動会に向け、始業前や昼休み、放課後なども使って練習に励んでいたが、出場できずに残念がっていたという。
ttp://www.jiji.com/jc/article?k=2016100700742&g=soc
愛子さま、2週間欠席続く=体調不良、宮内庁病院で診察
宮内庁の小田野展丈東宮大夫は7日の定例記者会見で、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(14)=学習院女子中等科3年=が体調不良のため2週間学校を休み、6日に宮内庁病院で雅子さま同伴の下、医師の診察を受けられたと明らかにした。
愛子さまは先月26日から欠席が続き、今月1日の運動会も欠席した。小田野大夫によると、診察では特段問題はなく、熱もないが、体がふらつくことがあり、胃腸も弱っているという。
夏休み明けの試験や宿題の提出、運動会の練習などで疲れが出たとみられ、小田野大夫は「医師からは少しずつ快方に向かっているが、回復にはもう少し時間がかかると聞いている」と話している。(2016/10/07-18:17)
http://www.sankei.com/life/news/161007/lif1610070027-n1.html
2016.10.7 18:23
愛子さま、体調不良でご欠席続く
宮内庁の小田野展丈東宮大夫は7日の定例会見で、皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまが体調不良のため、9月26日から学習院女子中等科の授業を欠席されていると明らかにした。
夏休み明けのテストや運動会の練習で忙しく、お疲れが出ていた。体力を消耗し、胃腸の弱りやふらつきが見られるが、熱などのご症状はない。今月1日の運動会には参加せず、6日に皇居内の宮内庁病院で検査を受けたが、異常は確認されなかった。
小田野大夫によると、担当の侍医は「少しずつ快方に向かっているが、快復にはもう少し時間がかかる」と説明。愛子さまは登校に意欲を見せているが、皇太子ご夫妻のご判断もあり、大事を取られている。
小和田雅子を皇室に引き入れる動きの中で重要な役割を果たした高円宮家の久子妃であるが、彼女の趣味の一つとして写真がある。展示会を開催したりするほどの規模で活動しているのだが、そんな彼女が海外公務中でもおかまいなしにカメコしている光景が存在する。徳仁といい恒久子妃といい、類は友を呼ぶようである。
2015年10月11日ワルシャワ・フィルハーモニーホールにて第17回ショパン国際ピアノコンクール予選観覧、観客席ででっかいニコンの一眼レフカメラを手にしている久子妃、その隣で戸惑ったような表情のArtur Szklener氏(Director of the Fryderyk Chopin Institute)(interia FAKTY)
2015年10月11日第17回ショパン国際ピアノコンクール予選観覧、観客席ででっかいニコンの一眼レフカメラを構える久子妃、その隣で戸惑ったような表情のArtur Szklener氏(Director of the Fryderyk Chopin Institute)(interia FAKTY)
2015年10月11日第17回ショパン国際ピアノコンクール予選観覧、観客席ででっかいニコンの一眼レフカメラを舞台上に向けている久子妃、その隣で「笑とけ笑とけ」な表情のArtur Szklener氏(Director of the Fryderyk Chopin Institute)(interia FAKTY)
2015年10月11日第17回ショパン国際ピアノコンクール予選観覧、目の前のフェンスを利用する形ででっかいニコンの一眼レフカメラを舞台上に向けている久子妃正面からのアングル、久子妃の左隣に着席しているのは山中誠駐ポーランド特命全権大使(Chopin Institute公式Youtubeより)
2015年10月11日第17回ショパン国際ピアノコンクール予選観覧、観客席ででっかいニコンの一眼レフカメラを構え何かを撮影する久子妃連結画像(Chopin Institute公式Youtubeより)
2015年10月11日ポーランド訪問、ワルシャワのフレデリック・ショパン博物館、随員に持たせていたであろうでっかいニコンの一眼レフカメラでショパン縁のピアノを激写する久子妃(interia FAKTY)
2015年10月11日ワルシャワのフレデリック・ショパン博物館、でっかいニコンの一眼レフカメラでショパン縁のピアノを激写する久子妃鍵盤側からのアングル
「恒久子のコンサートでの一眼レフはNikonD4S 販売価格は510,000円ほど、録音もできる」Part3022-417奥様解説
参考:Chopin Institute公式Youtube<Behind the Scenes with Alek Laskowski 12/10/2015> https://www.youtube.com/watch?v=AJj1mMgHWf0
2015年10月14日ポーランドのクラコウにある日本美術技術博物館マンガ(Manggha)訪問、リアルファーと思われる毛皮の縁取りつきショール姿で、片手で一眼レフカメラを操作し撮影している久子妃(demotix.com)
2015年10月14日クラコウの日本美術技術博物館マンガ(Manggha)展示の現代絵画作品を背景にした、一眼レフカメラを手にしている久子妃(demotix.com)
2015年10月14日クラコウの日本美術技術博物館マンガ(Manggha)展示の現代絵画作品を持参したカメラで撮影している久子妃斜め後ろからの画像(demotix.com)
2015年10月14日クラコウの日本美術技術博物館マンガ(Manggha)展示の現代絵画作品を持参したカメラで撮影している久子妃横からのバストアップ画像(demotix.com)
2015年10月14日クラコウの日本美術技術博物館マンガ(Manggha)展示の現代絵画作品を持参したカメラで撮影している久子妃横からの上半身画像(demotix.com)
2015年10月14日クラコウの日本美術技術博物館マンガ(Manggha)屋外移動、紺色膝丈タイトスカートスーツに、いくらなんでも10月前半では早すぎると思われる毛皮縁取りショールを羽織っているカメラを手にした久子妃(demotix.com)
http://www.news-postseven.com/archives/20171014_620675.html
愛子さま、高校野球大会を観戦 過去に野球を巡る秘話も
2017.10.14 07:00
お忍びで高校野球大会を観戦された愛子さま
秋に似つかわしくない暑さとなった10月8日、明治神宮球場(東京・新宿区)に隣接する第二球場で、高校野球秋季大会の試合が行われた。第1試合でぶつかったのは、学習院高等科と駿台学園高校。午前10時のプレーボールを前にして、両チームのアルプススタンドは応援の熱気に包まれる。そのとき、学習院側の応援席に、愛子さまがお忍びで姿を見せられた。
デニムスカートに白い半袖のカットソー、足元は白のスニーカーという出で立ちの愛子さま。トレードマークのポニーテールを若草色のシュシュで結ばれ、首元には白い花びらがデザインされたネックレスをされていた。
「お友達とご一緒にいらっしゃったようで、バックネット裏の前から8番目の“絶好ポイント”に着席されました。愛子さまが通われる学習院女子高等科と学習院高等科は、いわば姉妹校。水色の帽子にタオル、メガホンで用意万全、大きな声援を送られていました」(学習院関係者)
愛子さまの野球好きは有名で、ご一家でプロ野球の試合を観戦されたこともある。毎年6月、学習院と筑波大附属中・高の間で、野球や陸上競技、バスケットボールなどの試合が行われる通称「附属戦」というイベントがある。愛子さまは今年の附属戦で、野球部の試合を観戦された。
「学習院初等科5年生の時には野球クラブに入りたいというお気持ちもあったそうです。結局、男子児童しか入れないため断念されました」(宮内庁関係者) 2回に4点、3回に2点を奪われ序盤から苦戦を強いられる展開の中、チャンスのシーンでは飛び跳ねんばかりにバッターにエールを送られていた。
「赤い双眼鏡を取り出されて終始熱心に応援されていましたが、一際声援が大きくなったのが、愛子さまと同学年のA君がバッターボックスに立ったときでした。デジカメをバッグから取り出され、パシャパシャと撮影をされていたのです。
終盤にA君がヒットで出塁し、続くバッターのヒットでホームに帰ってくると、愛子さまは両手を上げられて大喜び。隣のお友達に笑顔で話しかけられ、何度もうなずきながら拍手を送られていました。A君は学習院中等科出身。もしかしたら、初等科で愛子さまと机を並べられていたのかもしれません。年頃の女の子なら誰でも通る道と申しましょうか、大変おかわいらしいご様子でした」(前出・学習院関係者)
まさに「神宮球場の青春」。実は愛子さまの中で、「野球」と「恋心」が結びつくのは初めてではない。
「初等科6年生の頃、愛子さまと仲良しだった女子児童が、意を決して野球クラブに入っていた男子にラブレターを渡して告白したことがあったそうです。そのとき、緊張して怖がる女子児童に付き添った女の子の1人が愛子さまでした」(別の学習院関係者)
残念ながら、試合は学習院が1-11の大差で敗北。それでも、グラウンドを駆け回るA君の勇姿は、愛子さまの心にしっかりと焼き付けられたことだろう。
※女性セブン2017年10月26日号
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