ヒクソン・グレイシー

ページ名:ヒクソン・グレイシー
ヒクソン・グレイシー
本名ヒクソン・グレイシー
通称400戦無敗の男
性別男性
国籍ブラジル
誕生日1959年11月21日(63歳)
出身地リオデジャネイロ州
身長178cm
体重87.9kg
リーチ
階級
スタイルグレイシー柔術
所属ヒクソングレイシー柔術
テーマ曲ラスト・オブ・ザ・モヒカン

ヒクソン・グレイシー(Rickson Gracie、1959年11月21日 - )は、ブラジルのブラジリアン柔術家、総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。グレイシー柔術七段。グレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーの三男である。

日本においては、総合格闘技の試合で高田延彦船木誠勝など著名なプロレスラー、格闘家を相次いで破った。バーリ・トゥードルール、いわゆる「なんでもあり」の試合、グレイシー柔術の技術を使っていたとはいえ、相手をテイクダウンし、マウントパンチで攻撃、最後は絞め技や関節技に持っていくというスタイルを使っていた。

目次

人物[]

  • 道場では多くの弟子を持つが、自ら黒帯を与えたのは2006年1月現在で20人。そのうち日本人は1人だけ(アクシス柔術アカデミーの代表、渡辺孝真)。
  • ハリウッド映画『インクレディブル・ハルク』に出演したこともある。

来歴[]

1993年、UFCが開催されることになり、ヒクソンは一族を代表して出場することを強く希望するが実兄のホリオンによって却下される。結局、弟ホイスのセコンドでサポートにまわることに合意する。そのUFCにおいて優勝したホイス・グレイシーが「兄ヒクソンは私の十倍強い」と発言した。

400戦無敗というマスコミの報道はもちろん誇張されたもので、本人が積極的に公言したわけではない。「ビーチでのストリートファイトも含めてそれぐらいの試合を経験した」と本人が佐山聡に語ったところ、それがキャッチフレーズとして使われ続けた。柔術を始めて間もない頃や米国のサンボの試合で敗れているが、本人はそれを隠すことなく認めている。しかし、道場での試合を含めて無敗というのは明らかな嘘で、叔父であるカーウソン・グレイシーの道場では何度も関節を極められて降参している。

ブラジリアン柔術がUFCでその名を世界的に知られるようになる以前は、その大会自体がまだ小規模で、しかも不定期開催だった。そのため、彼の実際の戦績を正確に把握することは極めて難しい。また記録に残る公式な試合より、ストリートファイトの経験のほうが多いともいわれている(GRACIE WAYを参照)。

1994年7月29日、バーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1994で初来日。1回戦では西良典、準決勝ではダビッド・レビキ、決勝ではバド・スミスにほぼ無傷で勝利し、圧倒的な強さを見せた。西以外は寝技に免疫のない打撃選手であったが、テイクダウンからマウント、絞めを狙うシンプルな戦法のみであったがインパクトは大きく、打撃重視、組技軽視の格闘技の価値観を逆転させるほどであった。この試合をきっかけに、修斗はグラウンドパンチを完全に解禁し、他の興行もその流れにしたがっていく。

1994年12月7日、ロサンゼルスのヒクソンの道場へ道場破りに来た安生洋二の挑戦を受け、その場で返り討ちにした。試合時間は6分あまり。開始直後にマウントポジションをとって一方的に殴り続け、最後はチョークスリーパーで絞め落とした。公式試合ではないが、多くの弟子が見守る中で行い、証拠としてビデオ録画もさせている。ヒクソンはこの闘いでマウントパンチを多用し、安生を血だるまにさせた。ヒクソンの試合はマウントパンチはあくまで関節や絞めを取るための布石のような使い方をするが、このような道場破り相手では、簡単にタップさせると「俺は負けていない」と相手がごねるケースがあるため、誰が見ても勝敗がはっきりわかるようにマウントパンチを多用したと語っている。

1995年4月20日、バーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1995に出場。前回と違い、「ロープ掴みOK」というルールの影響や対戦相手に研究されていたために時間はかかるも、さほどのダメージもなく優勝。1回戦では山本宜久、準決勝では木村浩一郎、決勝では中井祐樹を、それぞれチョークスリーパーで下した。

1997年10月11日、PRIDEの初興行となったPRIDE.1で高田延彦と対戦。高田にほぼ何もさせず腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

ちょうど1年後の1998年10月11日、PRIDE.4で高田延彦のリベンジマッチを受けた。前回同様腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2000年5月26日、コロシアム2000で船木誠勝と対戦。「肘打ち無し」のルールを自ら希望して臨んだ。船木のパンチで眼下底を骨折するも、グラウンドに持ち込んでからは圧倒。バックをとると船木の片腕を首に巻きつけながらマウントパンチを浴びせ、チョークスリーパーで絞め落とした。全く抵抗さえしなかった船木はこの時の感想を「死ぬかと思った」と語っている。

2001年2月、長男ハクソン・グレイシーがニューヨークでバイク事故で死去してから約1年間表立った活動を控えていたが、2002年4月26日、自身の写真集「21st CENTURY WARRIOR'S SPIRIT」の出版と同時に活動を再開。

2005年10月19日、カリフォルニア州でブドーチャレンジを主催した。

2007年9月17日、HERO'Sに参戦した弟子ケビン・ケーシーのセコンドとして来日。試合前日に新宿ステーションスクエアで行なわれた公開記者会見では桜庭和志と握手をかわした。大会当日には、リングに上がり「もう1試合戦いを見せる力はまだあります」とHERO'S参戦を宣言した。

2007年12月8日にブラジルで開催された『スーパーチャレンジ・グラップリング』のルール・ディレクターを務めた。

2008年2月、全日本柔術連盟(JJFJ)を設立し、初代会長に就任。なお、相談役は父であるエリオ・グレイシー、理事長は弟子の渡辺孝真が務めている。

同年5月と翌2009年6月27日の、「ヒクソン・グレイシー杯国際柔術大会」のため来日。

2010年9月24日、日本でビジネスマン向け新刊書『ヒクソン・グレイシー無敗の法則』(ダイヤモンド社)を刊行した。

戦績[]

総合格闘技 戦績
11 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合
11 勝290000
0 敗0000
勝敗対戦相手試合結果イベント名開催年月日
船木誠勝1R 11:46 チョークスリーパーコロシアム20002000年5月26日
高田延彦1R 9:30 腕ひしぎ十字固めPRIDE.41998年10月11日
高田延彦1R 4:47 腕ひしぎ十字固めPRIDE.11997年10月11日
中井祐樹1R 6:22 チョークスリーパーバーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1995
【決勝】
1995年4月20日
木村浩一郎1R 2:07 チョークスリーパーバーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1995
【準決勝】
1995年4月20日
山本宜久3R 3:49 スリーパーホールドバーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1995
【1回戦】
1995年4月20日
バド・スミス1R 0:39 TKO(マウントパンチ)バーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1994
【決勝】
1994年7月29日
ダビッド・レビキ1R 2:40 KO(マウントパンチ)バーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1994
【準決勝】
1994年7月29日
西良典1R 2:58 チョークスリーパーバーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1994
【1回戦】
1994年7月29日
レイ・ズール1R チョークスリーパー不明1984年1月1日
レイ・ズール1R 11:55 チョークスリーパー不明1980年4月25日

レイ・ズール戦[]

プロとしての初試合は、ルタ・リーブリの選手、レイ・ズール(PRIDEに参戦したズールの父)との試合であり、試合は2度行われている(2回目の試合がビデオGRACIE IN ACTIONに収められている)。1回目は1980年4月25日、ブラジリア市内の体育館で観客も少ない中で行われた。当時ヒクソン20歳。弟ホイラー(当時11歳)の証言によると、父エリオはホーウスに出場させたかったが、ホーウス自身が「もしズールが勝ったら私が次に出るが、彼はヒクソンに勝てない」と言い、ヒクソンに譲った。

当時のズールは身長192cm、体重81kg、年齢35歳。

試合は10分3ラウンド。開始早々ズールがヒクソンの腰をめがけて進んできたところを、ヒクソンは膝蹴り。これでズールは歯を2本折るがひるむことなく攻める。その後ヒクソンはズールにリング外に3度投げ出されながらも、2ラウンド目の2分経過時に裸絞めで勝利した。

脚注[]

外部リンク[]

  • ヒクソン・グレイシーの公式サイト
  • アクシス柔術アカデミー公式サイト
  • JJFJ 一般社団法人 全日本柔術連盟
  • PRIDE 選手データ - Internet Archive
  • SHERDOG 選手データ
  • 黒帯以上のブラジリアン柔術家一覧
  • グレイシー柔術の歴史に関する記事を特集したページ

Wikipedia[]

  • Wikipedia:ja:ヒクソン・グレイシー
  • Wikipedia:en:Rickson Gracie
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