公人朝夕人

ページ名:公人朝夕人

登録日:2012/05/26(土) 11:30:27
更新日:2023/08/11 Fri 16:59:08NEW!
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職業 江戸時代 エリート おしっこ 役職 珍職 下の世話 ボトラー 逃れられない血の宿命 土田 血族 公人朝夕人



公人朝夕人。

(くにんちょうじゃくにん)




江戸時代の役職の一つで、将軍のおしっこを処理することが役目
定員は一人のみ。「朝夕臭い公務を果たす人」が名前の由来とされる。
この役職は若年寄(将軍家の家政担当)の直轄で、世襲である。



なぜこの役職が生まれたのかというと、将軍は上洛・参内、日光社参の際に束帯すがた(要はやたら厚い袴)になり、
即座にもよおす体勢に入ることが困難になってしまうために、将軍が束帯すがたのままでも、
おしっこができるようにサポートする役が必要となったから。



実際には以下の流れである。
Ⅰ将軍がおしっこしたくなったので公人朝夕人を呼び出す。
Ⅱ公人朝夕人がおしっこ入れ(筒)を持ってうやうやしく登場。
Ⅲ公人朝夕人が袴の裾から将軍の一物目掛けて筒を突き刺し、一物を筒に収めて将軍のおしっこが終わるのを待つ。
Ⅳ終わったら筒をサッと抜いて、然るべき場所に捨てにいく。



おしっこ入れは「尿筒(しとづつ)」と呼ばれ、竹や銅で作られた長く太めの筒で、
入り口には革などを巻いて一物が傷まないように工夫されていた。
結構大きめのサイズだったようで、将軍の将ちゃん暴れん坊将軍になった際も対応できたと思われる。



前述したように公人朝夕人は世襲で、担当していたのは「土田家」という一族のみである。
土田家は鎌倉時代の頃からも将軍にお供しており、足利将軍家・織田信長豊臣秀吉にもお供していた。
江戸時代に入って徳川家康のお供をしたことが始まりで、公人朝夕人が正式な幕府の役職となった。
以後、公人朝夕人を担当する土田家の者は「土田孫左衛門」という名前も継承していった。
つまり、「公人朝夕人=土田孫左衛門」であり、公式で将軍の下の世話をすることを許された唯一の存在である。


ちなみに、土田家の資料は少ないため、彼らがどのような生活を送っていたかは不明である。
公人朝夕人自体、将軍が出掛ける際にしかお呼びがかからないため、普段は何をしていたのかもわからない。




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  • 一見ネタっぽいが、将軍の将ちゃん=急所の中の急所に触れることを許されていたということを考えるとエリート中のエリートだとわかる……気がする -- 名無しさん (2015-11-08 23:48:27)
  • 大の方はどうしてたんだろう… -- 名無しさん (2018-05-30 00:55:08)
  • 将軍が出掛ける際にしかお呼びがかからないため、普段は何をしていたのかもわからない←………資料が残っていないのは配慮だろうが、形式的なものだったのかな…それでもなんというか…… -- 名無しさん (2022-02-10 22:52:22)

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