登録日:2022/05/09 Mon 23:09:10
更新日:2024/06/18 Tue 13:46:46NEW!
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小説 短編小説 エドガー・アラン・ポー 精神病 埋葬 ホラー 没落貴族 アッシャー家の崩壊 ゴシック小説 感覚過敏
Son cœur est un luth suspendu;
Sitot qu’on le touche il resonne.
ピエール=ジャン・ド・ベランジェ
「アッシャー家の崩壊」とはエドガー・アラン・ポーの短編小説である。
原題は” The Fall of the House of Usher”で刊行は1839年。「アッシャー家の没落」と言う名前で知っている人もいるかもしれない。
幻想的で、かつ陰鬱とした雰囲気漂うアッシャー家邸宅にて語り手が遭遇した奇妙な出来事を描いた作品となっている。
【あらすじ】(未読の方はネタバレ注意!)
旧友、ロデリック・アッシャーからの知らせを受け、アッシャー家の屋敷へと足を運ぶ語り手。曰く「自らの疾病による精神面での疲弊が著しい為、会って交流することでその病状を少しでも回復させたい」とのこと。
辿り着いたアッシャー家は数世紀という歴史を持つ古い屋敷であり、家そのものや(近くの沼を始めとする)周囲の風景などのどの部分に目を向けても重く陰鬱とした雰囲気しか感じることが出来ない。
久しぶりに会ったロデリック本人も以前の面影を残しつつ主に精神面で不健康である事がうかがえる容姿になっていた。
現在彼は双子の妹であるマデリーンとこの屋敷で暮らしているのだが、彼女は医者から匙を投げられるほどの重篤な病にかかっており、余命いくばくもなく、「彼女が死んでしまうと自分だけがこの世に1人取り残される」と言う事実が彼の精神面での大きな障害となっているのだった……。
【主な登場人物】
- 語り手
本名は最後まで明かされない。
旧友であるロデリック・アッシャーからの知らせを受けてアッシャー家に足を運び、そこで彼の現状やアッシャー家そのものの秘密などを知り、数週間の交流をもって彼の精神面での支えになろうと奔走する。
- ロデリック・アッシャー
アッシャー家の末裔で、唯一の友人である語り手に半ばSOSに近い形で手紙を送る。
元々自身の持つ感覚過敏などの疾患に加え、自身にとって唯一の肉親であるマデリーンの病状から精神的に疲弊しており、外見にもその様が明らかに反映され、語り手に対して「死」と「恐怖」について吐露し、鬱屈した日々を過ごしている。
- マデリーン・アッシャー
ロデリックの妹。
双子で、2人の間での精神面での感応が非常に多かったらしい。*1
慢性の無感覚・漸進的衰弱・類患*2性の疾患を持っており、余命いくばくもない状態になっている。
以下ネタバレ注意。
語り手はロデリックの為に絵画、読書、ロデリックの弾くギターの鑑賞など、二人でできることを行い、慰安を試みるが、彼の精神状態は回復の兆しを見せない。
試みの中でロデリックは以下に記す「魔の宮殿」と言う即興詩を作り、ギターの演奏に合わせて歌っている。
「魔の宮殿」全文
一
善き天使らの住まえる、
緑いと濃きわれらが渓谷に、
かつて美わしく宏いなる宮殿――
輝ける宮殿――そびえ立てり。
王なる「思想」の領域に
そは立てり!
最高天使も未だかくも美わしき宮の上に
そが翼をひろげたることなかりき。
二
黄なる、栄ある、金色の旗、
そが甍の上に躍りひるがえれり。
(こは――すべてこは――遠き
昔のことなりき)
戯れそよぐ軟風に
いともよきその日、
羽毛かざれる蒼白き塁にそいて
翼ある香、通り去りぬ。
三
この幸ある渓谷をさまよいし人々は、
輝く二つの窓より見たり、
調べととのえる琵琶の音につれ
王座をめぐりて、精霊らの舞えるを。
その王座には
(紫の御子!)
その光栄にふさわしき威厳もて
この領土の主坐せり。
四
またすべて真珠と紅玉とをもて
美わしき宮殿の扉は燦けり。
その扉より流れ、流れ、流れて
永遠に閃きつつ「こだま」の一群来たりぬ
そがたのしき務はただ
いとも妙なる声をもて
歌いたたえるのみなりき、
そが王の才と智を。
五
されど魔もの、悲愁の衣きて
この王の高き領土を襲いぬ、
(悲しきかな、彼が上に暁は
ふたたび明くることあらじ、ああ!)
かくて、かつては彼の住居をめぐりて
輝き栄えし栄光も、
埋もれはてし遠き世の
おぼろなる昔語りとなりにけり。
六
かくて今この渓谷を旅ゆく人々は
赤く輝く窓より見るなり、
調べみだれたる楽の音につれ
大いなる物影ものかげの狂い動けるを。
また蒼白き扉くぐりて
魔の河の速き流れのごとく
恐ろしき一群永遠に走り出で、
高笑いす、――されどもはや微笑まず。
この短い詩は語り手の記憶に現在でもはっきりと残ったと同時に、その内容からロデリックの持つ1つの考えを導き出させた。
それは「すべての植物、場合によっては無機物までもが知覚力を有する」というもの(ロデリックはそこからさらに対象を無機物まで拡大させていたようだが。)。
つまりアッシャー家の放つ陰鬱な雰囲気はそれらを構成する1つ1つの物体の意思による無言の主張で、それがアッシャー家の辿る運命やロデリックの人格形成に少なからず影響を与えているのだと考えたのだ。
しかもロデリック曰くその無言の主張は以前にもまして具象化されつつあると述べている……。
拭われることのない「鬱屈」の中で上記のような考えを持ちながら語り手はロデリックと過ごしていたが、ある日の晩、衰弱していたマデリーンがとうとう息を引き取った事を知った。
彼女の亡骸について、ロデリックは「2週間後に埋葬を実行する」とした上で、それまでの間は礎壁内にある窖に納めると主張。
病気の特異性、医者からの詮索の回避、埋葬地の立地の問題などからの決断であり、反対する理由も特になかったため、語り手は了承し、穴倉での仮埋葬の支度を手伝うこととなった。
遺体を棺に納め、安置所へ2人がかりで運ぶのだが、安置先は狭く暗い場所で、かつては地下牢として使われていたのではないかと思わせ得る特徴も見受けられた。
棺を収め、ねじを取り付ける前に初めて語り手はマデリーンの顔を見たが、類癇による頬の赤み、死者に見られる特徴的な微笑をたたえていた。
やがて2人は棺にねじを取り付け、鉄の扉をしっかり閉じて再び部屋へと戻った。
しかしここからがアッシャー家の真の「崩壊」の始まりだった……。
それから数日経つと、ロデリックの様子に変化が訪れた。
より具体的には仕事にも何も手を付けることも無く、何かに怯えたように部屋の中を徘徊するようになったのだ。
語り手は彼の様子の変化について考察を重ねていたが、時折見せる狂気をはらんだ彼の行動に対して次第に漠然とした恐怖を抱き始め、さらに上で述べた植物や無機物の知覚力の影響が自分にも忍び寄ってきていることを自覚した。
それからさらに数日後、マデリーンの遺体を窖に納めてから数えるとおよそ1週間後の晩。あたりはひどい嵐に見舞われ、寝付けずにいた語り手は自身を取り巻く恐怖にあえいでいた。
仕方がなく部屋の中を歩き回っていると、何故か同じ様に屋敷の中の廊下を歩いていたロデリックの存在に気が付いた。
彼は語り手の部屋に入り、「あれを見なかったのだね?」と不意に聞いたかと思うと、窓を開けて目的のものを見せてきた。
外を見た所、周囲の雲が薄く発光し、屋敷全体がぼんやりとした光に包まれていたのだ。
彼の錯乱が悪化することを恐れた語り手は彼を窓から離し、気を逸らし、かつ紛らわせるために手元にあったラーンスロット・キャニングの「狂える会合」を共に読むことにした。
しかし、今度は物語を読み進めるごとにその内容と呼応する様な怪音が屋敷の中から聞こえる様になってきた。
物語の主人公が槌矛を使って扉を叩き壊すと、遠くの方で扉の板が割れ、砕けるような音が聞こえ、物語内で行く手を阻む竜を槌矛を打ちおろして殺し、竜が断末魔の叫びをあげれば屋敷のどこかで叫びとも軋りとも取れる音が響き渡り、主人公が真鍮の楯を取ろうとして楯が銀の床に落ちて大きな音が響けば金属音が響き渡る。という具合に……。
始めは気にしていなかった語り手は次第に恐怖に飲まれていくが、横にいたロデリックはその比ではない程に震え、怯えており、呟くような声量で恐ろしい告白を始めた。
聞こえない? ――いや、聞こえる、前から聞こえていたのだ。
長い――長い――長いあいだ――何分も、何時間も、
幾日も、前から聞こえていたのだ、――が僕には――
おお、憐れんでくれ、なんと惨めな奴だ!
――僕には――僕には思いきって言えなかったんだ!
僕 達 は 彼 女 を 生 き な が ら 墓 の 中 へ 入 れ て し ま っ た のだ !
彼の錯乱を加速させた要因、それは類癇患者であるマデリーンを生きたまま棺桶へと閉じ込めてしまった自らの大罪に気が付いた事だった。
彼は棺を納めた時か、あるいはそれから数日以内のどこかのタイミングで、自らの過敏な感覚で棺からの音を聞き、彼女の生存に気が付いたが、それを言い出す勇気がなく、彼女を生きたまま閉じられた棺の中に放置していたのだ。
そして嵐吹き荒れる今夜、マデリーンは生きて棺桶から抜け出し、館の中に戻ってきたのだ。
扉を破る音は自らの棺桶を叩き割る音、竜の断末魔は鉄の蝶番の軋る音、そして楯の落ちる音は銅張りの拱廊でもがき苦しむ音……。
恐怖から逃走を考えるロデリックだが、その直後、飛び上がったかと思うと更に凍り付きながら振り絞る様に言葉を続けた。
気違いめ! 彼女はいまその扉の外に立っているのだぞ!
直後、部屋の扉が吹き込む風で開き、その先から白い死装束を血で染め上げたマデリーンが現れた。
彼女はうめき声を上げながらロデリックに近づいたかと思うと彼に倒れかかって床に押し倒し、彼を殺害し、自らも今度こそ息を引き取ったのだった。
目の前でアッシャー家の血筋の壮絶な終焉を見た語り手は恐怖のあまり、嵐が吹き荒れるのも構わずにアッシャー家から夢中で飛び出した。
古い土手道を走っている所で正気に戻った語り手だったが、ここで突如として不気味な光を目撃。振り返って屋敷を見ると、血のように赤い光の満月が、依然よりもはるかに大きくなった屋敷のひび割れから漏れ出る様に光を落としていたのだ。
そして亀裂が突如大きくなったかと思うとアッシャー家は真っ二つに分かれ、轟音を立てて壁が崩れ落ちたかと思うと、その残骸は静かに沼の中へと沈んでいき、数世紀続く「アッシャー家」は血筋・存在共に崩壊したのだった。
巨大な壁が真っ二つに崩れ落ちるのを見たとき、私の頭はぐらぐらとした。
――幾千の怒濤のひびきのような、長い、轟々たる、叫ぶような音が起った。
――そして、私の足もとの、深い、どんよりした沼は、「アッシャー家」の破片を、陰鬱に、音もなく、呑みこんでしまった。
【余談】
- 冒頭の言葉は本作の題句としてド・ベランジェの詩から一部内容を変更して引用された物で、訳すと「彼の心はまるで張り詰めたリュートのようであり、ひとたび触れると、たちまち鳴り響く」となる。感覚過敏によって精神が常に張り巡らされていたロデリックのことを暗示しているのだと思われる。
- 本作での「人を生きたまま埋葬する」要素は後に「早すぎた埋葬」で用いられ、「女性の死と再生(本作の場合、「再生」に当てはまるかは怪しいが。)は「ライジーア」等で用いられるなど、本作は後に作成された作品の要素を先駆けるような話になっている。
- 本作では語り手とロデリックの間の交流の中で多くの著書が出てくるのだが、それらのほぼ全てが実在する著書になっている。一方で終盤に登場した「狂える会合」は架空の書物である。また劇中で用いられた詩、「魔の宮殿」は実はポー本人の作品であり、本作の発表のおよそ半年前に発表されたものである。
- ポーはボストンに実在した「アッシャー家」で起こった事件を着想として本作を作成したとされている。一方で彼の母親の知り合いにもアッシャーの苗字を持つ人が存在し、その子供たちが精神疾患を患っている事が分かっている。(それらを物語の参考にしたかどうかは不明だが。)
- タイトルの「アッシャー家の崩壊」と聞いてから作品を読んだ後で物理……? となるかもしれないが英語タイトルだと” The Fall of the House of Usher”ちゃんと崩壊対象を言っているのである。
追記・修正は植物や無機物の知覚力で錯乱状態にならないようにしながらお願いいたします。
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▷ コメント欄
- 旧支配者の単語とか幾つか入れたら、クトゥルフ神話に出て来てもおかしくないようなオチ -- 名無しさん (2022-05-10 00:18:21)
- アッシャー家の崩壊(物理) -- 名無しさん (2022-05-10 06:53:06)
- ホラーはホラーなんだが、妙にクトゥルフ感…と思ったら、やっぱり同じ感想の人いたわ -- 名無しさん (2022-05-10 07:38:55)
- そもそも御大はポーの影響めっちゃ受けてるからね。『アウトサイダー』がポーに似てるって言われて大喜びしたくらいに。 -- 名無しさん (2022-05-10 11:40:57)
- マデリーンを喪うことに恐れを抱いてる割には、ロデリックが彼女に対して関心を持っているようには思えない描写が多いのは何でだろ?慰安のためとはいえ普通同居している死にかけの妹を置いて絵描きや即興曲作りや読書をしたりするかな? -- 名無しさん (2022-05-12 00:49:27)
- ↑手の施しようがなくて確実に死に向かっているマデリーンを直視できず、他の事で意識しないようにして逃げていたのかもしれない -- 名無しさん (2022-05-12 01:52:36)
- 駆けつけて、数週間付き合ってくれる主人公がぐう聖すぎる -- 名無しさん (2022-05-12 05:40:41)
- クロノクル・アシャーの没落 -- 名無しさん (2022-05-12 06:49:34)
- 本当にこの体質の兄妹の健康を考えると、主人公が訪ねるんじゃなくて、どこかきれいなところに行けばよかったかもしれない -- 名無しさん (2022-05-12 19:15:26)
- 実際ラヴクラフト御大の「闇をさまようもの」には、ロデリック・アッシャーの引用があったり -- 名無しさん (2022-05-15 09:48:27)
- 陰鬱な雰囲気で参ってるのに変な歌詞の歌作成したりホラーっぽい詩を読もうとしたりなんか対処が間違ってないか?となる -- 名無しさん (2022-08-03 16:46:33)
- 「ラスボス倒したらラスダンが崩壊する」の元祖みたいな作品。 -- 名無しさん (2023-09-14 22:34:15)
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*2 突然体が硬直し、体内からの信号も極端に弱くなる状態
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