登録日:2017/06/07 (火) 10:27:11
更新日:2024/02/06 Tue 11:25:08NEW!
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世界史 戦争 不和不和タイム ヨーロッパ 七年戦争 欧州情勢複雑怪奇 外交革命 やたらキャラの濃い王族たち 今日も英仏は通常運転
神聖ローマ帝国最後の大規模内戦は…
墺「あんな盗人猛々しい男クズよ!殺してやるわ!」
仏「そーよそーよやっちゃうわよ」
露「踏んづけてやる踏んづけてやる!」
仏「あぁ、あとここ俺の縄張りだからな」
英「あ!?やんのかゴルァ!」
普「うわああああああああああ!!」
こんな感じでした。
プロイセン・イギリス=ハノーファー・ポルトガル
VS
オーストリア・フランス・ロシア・ザクセン・スウェーデン・スペイン
七年戦争とは、1754年から1763年まで行われた欧州を中心に起きた戦争である。この時点で既にタイトル詐欺なのはご愛嬌。
100年後にヨーロッパを席巻するドイツ帝国の前身プロイセン王国の大躍進物語であり、
それまで100年続いたヨーロッパ国際関係の基本構造であるフランス主導の反ハプスブルク協調が崩壊した戦争であり、
後のアメリカ独立戦争とフランス革命の遠因でもあり、
毎度おなじみ英仏の喧嘩が地球規模に発展した大迷惑事件である。
そして一概に七年戦争と言っても、
- 七年戦争(別名第三次シュレージエン戦争)…1756年~1763年
- フレンチ・インディアン戦争…1754年~1763年
- 第三次カーナティック戦争…1758年~1763年
- スペイン・ポルトガル戦争及び第一次セバーヨス遠征…1762年~1763年
ら無数の戦争の総称としても用いられる。
そして欧州・北米・南米・インド・東南アジア・西アフリカと広範囲に戦火が広がったまごうことなき世界大戦。まぁ大体英仏の植民地争奪戦だったけどな!
因みにこの大戦で最初の引き鉄を引いたのはバージニア植民地の民兵隊を率いていたジョージ・ワシントンその人。
前説
神聖ローマ皇帝兼オーストリア大公兼ベーメン王兼ハンガリー王兼サルデーニャ王兼(以下略)ハプスブルク家当主カール6世には男児がいなかった。
なんでロレーヌ(ドイツ語読みだとロートリンゲン)家出身のフランツ・シュテファンと結婚した*1長女、マリア・テレジアに国を継がせることにする。
プリンツ・オイゲン「王女に国継がせたいなら国事詔書なんて紙切れより強力な軍隊と財源ですぞ。」
神聖ローマ皇帝カール6世「でもみんな合意したからダイジョブっしょ(楽観)」
オイゲン&カールおじさん死後
カールの娘マリア・テレジア「ではみなさん詔書の合意に従って、私は大公に、夫は皇帝に…」
バイエルン公「認めんぞ俺が皇帝になる、あとベーメン*2とオーストリアよこせ」
スペイン王「認めんぞミラノ公国返せ」
ザクセン公(ポーランド王)「認めてやるからメーレン*3よこせ」
プロイセン王フリードリヒ2世「認めてやるからシュレージエン*4よこせ」
フランス(黒幕)「滅びろ!滅びろ!」
マリア・テレジア「」
ハプスブルク家の家督相続に対し周辺国の多くが先の同意をガン無視。1740年から立て続けに
- 第一次シュレージエン戦争
- オーストリア・ザクセン戦争
- オーストリア・バイエルン戦争
- 第二次シュレージエン戦争
- オーストリア・スペイン戦争
- フランス・オーストリア戦争
- ロシア・スウェーデン戦争(ハット党戦争とも)
- ジョージ王戦争(北米)
- 第一次カーナティック戦争(インド)
らオーストリア継承戦争と総称される諸戦争が勃発。おいこっちの方が多いじゃねえか。
その一方で
イギリス南海会社「スペインへの上納申告サボって密貿易もやったろw」
スペイン「条約違反やから商船拿捕する」
ジェンキンス船長「スペインに耳切り取られました。これ、その耳です(庶民院に持ち込み)」
イギリス世論「報復や! 開戦や!」
と1739年に勃発していたジェンキンスの耳の戦争による英西対立も手伝い、
オーストリア陣営(オーストリア・イギリス=ハノーファー・ネーデルランド・サルデーニャ・ロシア)
反オーストリア陣営(フランス・プロイセン・バイエルン・ザクセン・スペイン・両シチリア・ジェノヴァ・スウェーデン)
と欧州が真っ二つに割れた。まぁ大概のヤツが単独講和とかで勝手に脱落して末期は英仏墺西くらいしか残らなかったけどね。ザクセンなんか途中で鞍替えしてるし。
因みにバイエルン公はマジで皇帝になった。国占拠された上にすぐ死んだけどな。
そんな戦争も1748年にアーヘンの和約で終結。テレジアは幾つかの領土も失うもハプスブルク領の大半と帝位の確保に成功。
一方でフランスは多大な外交・軍事・財政努力もむなしくオーストリア弱体化の目的を果たせず、イギリスとの植民地戦争も半端な結果となってしまった。
それを尻目に、小国ながらフリードリヒ大王の優れた軍才と外交術で肥沃なシュレージエンを獲得したプロイセン王国。
そんな一人勝ち盗人フリードリヒへのマリア・テレジアの恨みは凄まじく、彼女の復讐主義が各国の国際関係を大きく動かしていく。
ヨーロッパの愉快な仲間たち
プロイセン(普)
- フリードリヒⅡ世
ファンもアンチの多い第3代プロイセンにおける王兼ブランデンブルク選帝侯。オーストリア継承戦争で武名を馳せた「大王」であり、斜行戦術の名手。
父親と確執が有ったり元婚約者候補が宿敵になったりと主人公属性に事欠かない。好物はサクランボ。あとドイツにジャガイモを広めた人。
前戦争で暴れすぎたため仏墺露瑞の欧州列強+ドイツ諸侯*5実に人口比20倍のプロイセン包囲網との戦いを強いられる。壮大な自業自得。
- ハインリヒ
大王のよくできた弟。ザクセン方面を中心に転戦。慎重派の将軍でフリードリヒをして「本戦争で唯一過ちを犯さなかった将」。
初代アメリカ大統領候補だったりポーランド分割時に外交官として活躍したり結構名前が出てくる。裏を返せばこの戦争でほぼ全ての将軍は過ちを犯した。あとホモ疑惑がある。
オーストリア(墺)
- マリア・テレジア
オーストリアに君臨する『女帝』(正式には神聖ローマ帝国皇后兼オーストリア女大公兼ハンガリー女王兼ボヘミア女王兼トスカーナ大公妃兼ハプスブルク家当主)。これでも父より称号が少ない。
麗しき苦労人にして大王絶対殺すウーマン。あとマリー・アントワネットのオカン。
息子が大王のファンなのを苦々しく思っている。
フランス・ロシアのフリードリヒ嫌いな女為政者たち組みプロイセン包囲網「3枚のペチコート作戦」を遂行する。ちなみにマリー・アントワネットがフランス王家に嫁いだのもこの作戦の影響。
- フランツ一世
マリア・テレジアの遊び好きで頼りない夫・・・と言うのはとんでもない間違い。
派手な外交や軍の指揮にはあまり適性は無かったが、地道な殖産興業と民政には長けており、自分の故郷をフランスに奪われる代わりに与えられたド貧乏国トスカナ公国を優れた手腕で立て直し、失ったシュレージエンに代わる帝国財政の大黒柱になるまで発展させた。
開戦前の時点で国費のみならず、私費でもオーストリアの軍費国債の保証人になる程の莫大な資金を準備しており、「外交のマリア・テレジア、財務のフランツ」と適材適所でタッグを組んでいた。
- ヴェンツェル・アントン・カウニッツ
在職39年とやたら長いオーストリア宰相。墺仏同盟を推し進めた張本人。しかしシュレージエンを取り戻す見返りネーデルランドをフランスに譲ろうとするなど何かがおかしい。
これにイギリスがキレたことが外交革命の始まりである。
イギリス(英)
- ジョージ2世
イギリス国王兼ハノーファー選帝侯。フリードリヒⅡ世のオカンの兄なドイツ人。
甥っ子に振り回されて植民地より先祖代々の土地ハノーファーを守るために無節操な同盟連発に陸軍強化と見事にやらかす。
ちなみにオーストリア継承戦争中の皇帝選挙では同盟相手のハプスブルク家を無視してバイエルン公に投票した*6。珍しい英仏共同作業。
- 大ピット(初代チャタム伯爵)
平民出身にして後の大英帝国の基礎を築いた男。国王貴族も平気で侮辱。「反逆のラッパ」「偉大な平民」「愛国者」「弁舌は当代随一、手紙を書かせたら当代最悪」と渾名も評価もユニーク。
実は首相時代の業績は皆無だったりする。
フランス(仏)
- ルイ15世
愛人が多かったことから別名「最愛王」。秘密外交機関スクレ・ドゥ・ロワを用い複雑怪奇な欧州を陰で操りポーランド等諸国の併合をたくらむ。おかげでフランスの政策も複雑そのもの。
親政に入ってから国が傾く、治世中デフォルト(債務不履行)5回、そもそも本人に政治に関心が薄い。そら後を継いだ孫の代で革命も起こるわ。
- ポンパドゥール夫人
ルイ15世の愛妾にして当時の政治を牛耳ったベットの上の宰相。宿敵オーストリアと和解し「3枚のペチコート作戦」を完成させる。
金を湯水の如く使い邸宅を建てまくった、現仏大統領府エリゼ宮もその一つである。髪型のポンパドールは彼女が由来。
ロシア(露)
- エリザヴェータ女帝
クーデターで帝位についた恋多き独身女。比較的個人の感情で3枚のペチコートに加わる。戦争末期の分裂を始めた連合軍を繋ぎ合わせたのは偏に彼女の存在が大きかった。開戦後早い段階で、自身の命令で自身がいる場で「死」の言葉を使うのを禁じたらしい。
- ピョートル3世
全 て を 台 無 し に し た 男。
スペイン(西)
- カルロス三世
時代によってイスラムだったりハプスブルクだったりと立場が忙しいスペインだが当時代はスペイン・ブルボン朝(スペイン語読みでボルボン朝とも)でフランスの身内。
文字通り「家族協定」によりフランスと同盟する。因みにスペイン・ブルボン朝は21世紀現在も健在。19世紀にはナポレオンとイタリア王族&共和制、20世紀には共和主義に押されてと計3回退位に追い込まれてるけど。
当人は凡才だったが人事やマドリード再開発など評価点は多く、何より人格破綻者ばかりな上記の奴らに比べ凄く良い人。なお植民地政策は破綻していた。
スウェーデン(瑞)
- アドルフ・フレドリク
フリードリヒ大王の妹婿。有力貴族と王妃に振り回されてばかりのへたれ。
ヨーロッパ最強の陸軍によってバルト海沿岸の大半を手に入れ北の覇者となったのも今や昔。ロシアの攻勢に振り回されてばかりに。
兄のような啓蒙専制君主になって欲しいと願う王妃と利権を守りたい貴族との対立に頭を悩ませている。
実家を叩けば王妃も大人しくなるだろうと考えた貴族たちにそそのかされてオーストリア側に就くことを決めた。
年表と経過
1754年
- バージニア総督、投資先の会社の為にフランスにかちこみフレンチ・インディアン戦争勃発。長き闘争の始まり。
1755年
- 英仏が和平交渉に失敗(知ってた)。宣戦布告が無いまま両国が正規軍と艦隊を投入。
- モノンガヘラの戦い。英軍が釣り野伏せを食らい壊滅。インディアンが仏側になびき、生き残ったワシントンは英雄に。
- 祝、イギリスが開始一年目で仏商船拿捕数数百を突破。国家ぐるみの場合は犯罪にならんZOY!!
- サンクトペテルブルク協約締結。プロイセンがハノーファー攻めたらロシアはプロイセン攻める、OK?
1756年
- イギリスがフランスにやっと宣戦布告。なお戦線必ずしも好転せず。
- ウェストミンスター条約締結。フランスがハノーファー攻めたらプロイセンがハノーファー守る。お手本のような3枚舌。
- ↑プロイセンと同盟してたフランスが激怒。ヴェルサイユ条約でオーストリアと同盟を結ぶ。100年続いた対立の雪解け。フランスお前はそれで良いだろうけどオーストリアお前はそれでいいのか。
- ↑ピタゴラ的に墺英同盟と露英同盟が崩壊。ついでに仏墺露瑞+ドイツ諸侯による人口比20対1のプロイセン大包囲網が完成。マリア・テレジアらフリードリヒ大嫌い女子会の成果。
- 受け身ではジリ貧になると見たフリードリヒ2世、先制防衛策を決断。8月29日にザクセンに侵攻し七年戦争開戦。2ヶ月待たずにザクセン降伏。
- 英仏対立に連動し英東インド会社仏東インド会社が要塞を強化。ベンガル太守「工事やめろや」仏「おk」英「知るかボケ茄子」太守「よろしいならば戦争だ」第三次カーナティック戦争の前哨戦開始。雑だけど事実な模様。
1757年
- プラハの戦い。両軍損害1万超の激戦をプロイセンが制するも続くコリンの戦いで敗戦し撤退。壮大なる無意味。
- ロシアが東プロイセン侵入。連戦連勝を物資不足で無為に帰す。大王をビビって地元に帰らせたのが最大の戦果。
- スウェーデンが便乗参戦。ハノーファーがフランスに降伏。オーストリア騎兵がベルリンをピンポン奪取。プロイセンの屈辱と四面楚歌の秋。
- 大王が年末の魔物に進化。ロスバッハで2万2千で墺仏連合5万5千を粉砕。ロイテンで3万5千で墺軍7万を撃退。スウェーデンは逆侵略食らってハノーファーが再度参戦。俺たちの戦いはこれからだ!
- インディアンに天然痘が蔓延。汚いさすが紳士汚い。
- プラッシーの戦い。ベンガル太守が英東印社に従属しインド支配本格化。ひっそりと大事件。
- 植民地情勢に明るい大ピットを欧州優先姿勢のジョージ2世が罷免。フランスはこれを知り明るい笑顔。
1758年
- 大王がオーストリア侵入。補給部隊が護衛ごと壊滅し即撤退。2年連続の2回目の無意味。
- ロシア軍が空城の東プロイセンを蹂躙。半年放置されてようやく大王軍と戦うも引き分け。スウェーデンは戦いに勝つも侵略サボタージュ。
- イギリスの「愛国者」大ピットが再登板。戦争方針を対仏優先に切り替え植民地軍大強化。
- 英海軍による仏沿岸封鎖で全植民地への補給困難に。あとインディアンが天然痘の原因をフランスの仕業と盛大に誤解。
- 前年ボコボコにされた仏東印社が慌てて第三次カーナティック戦争開戦。↑見てどうぞ。
- マドラス包囲戦で英東印社軍が砲弾を26,554発と銃弾を200,000発をぶっ放つ。なお包囲されている側な模様。
- 仏植民地セネガルをイギリスが強奪。アフリカまでも戦火に。
1759年
- プロイセン暗黒期突入。カイ、マイセン、クネルスドルフと三タテを食らい軍半数を損失。フリードリヒ監督は軍指揮権と総司令職を辞任。ガチで自殺を考えるも数日で全職に復帰。
- イギリス、奇跡の年を迎える。ナイアガラ要塞、ケベックを立て続けに占領。北米仏植民地を殺しに掛かる。
- フランス、戦局打開を狙いイギリス本国侵攻を計画。そして歴史は繰り返す。今後も繰り返す。
- 連合軍、プロイセン軍を壊滅させるもロシアがオーストリアに良い様に利用されてるとようやく気付き内輪揉めを開始。
- 墺露両国、単独講和の禁止とシュレージエン侵攻優先を再確認→墺軍が王弟ハインリヒに負けザクセンに転身→協定違反とロシア怒って帰宅と高度なコントを披露。大王これをブランデンブルクの奇跡と呼ぶ。
- フランスのインド提督、自分ルールを押しつけまくりインド人と友情ブレイク。欧州一の自爆芸人国の面目躍如。
1760年
- 暗黒期止まらず、プロイセン東西南北全てで侵略を食らう。ちょくちょくフリードリヒが数倍の敵を撃退するも焼け石に水。
- ロシア、補給難で連合軍優勢の水を差す。持病の域。オーストリアの介護も意味なさず。
- 北米フランス最後の拠点モントリオールが陥落。以降は消化試合。
- ヴァンディヴァッシュの戦い。仏東印社がポンディシェリに引き籠る。以後は消化試合。
1761年
- プロイセンは残存兵10万弱で多くが新兵と末期。ロシアがコルベルク港を占領し海路補給を開始し補給難が緩和。イギリスが普を見限り始める。なおオーストリアも限界間近で大攻勢は無かった。
- ポンディシェリが兵糧攻めで陥落。血と硝煙入り混じるダイナミックM&A。
- 第三次家族協約によりスペインがフランスに味方しイギリスと共に宣戦布告したポルトガルに襲いかかる。本土侵攻失敗、ブラジル侵攻失敗、マニラ防衛失敗、ハバナ防衛失敗。別名ファンタスティック戦争は言いえて妙。
1762年
- ブランデンブルク2度目の奇跡。ロシア女帝エリザヴェータが崩御し継いだピョートル3世が大王の大ファン。領土割譲も賠償金も無しに単独講和・スウェーデンとの和平を仲介・露軍の一部をプロイセンに無償提供とこれまでの6年を茶番に変えた。
- 第一次セバーヨス遠征、ポルトガルのウルグアイをスペインが征服。西唯一の戦果。
1763年
- 戦線膠着、プロイセン本土荒廃に加えイギリスが援助金打ち切り、オーストリア財政難、ロシアでは皇后がクーデターと色々末期。
そして遂にマリア・テレジアがシュレージエン奪還を諦めフベルトゥスブルク条約により七年戦争終結。フリードリヒ念願の現状維持に成功。現状とは(哲学)。
- 直後、パリ条約によりフレンチ・インディアン戦争、第三次カーナティック戦争、スペイン・ポルトガル戦争終結。
各国別の結果とその後
プロイセン…シュレージエン支配を確定。しかし精強さを誇った良質な軍兵は壊滅し、この後はのフリードリヒ治世23年の間に戦前の規模まで回復することは無かった。大王は本戦争のような外交的孤立を避けるよう努め、各国同意の上で領土を拡大。ポーランドを食って悲願の東西プロイセン統一を成し遂げる。バイエルン継承戦争以降は北ドイツのプロテスタント諸侯を束ねることに成功する。これはナポレオンに粉砕されるが、その残滓がドイツ統一の種となる。
オーストリア…多大な労力を財産を費やすも敗戦。しかも宿敵フランスと組んだことでドイツ諸侯のハプスブルク離れが生じるなど長期的外交の点でも致命的な失敗となった。テレジアが悪いというかフリードリヒが規格外過ぎた。
その後ポーランド分割に便乗したりバイエルン継承戦争でまたプロイセンと衝突したりロシアと一緒にオスマンイジメしながらフランス革命に巻き込まれることになる。落ち着かねぇなぁコイツ。
イギリス…北米・インドのフランス植民地を吸収し大植民地帝国の創造に成功。本戦争で最も得した国の一つ。しかし本戦争終結直後、インディアンにポンティアック戦争を起こされるなど参戦国で唯一終戦を迎えられなかった。そしてその後盛大にやらかし新たな化け物を生んだ。
フランス…植民地壊滅の憂い目。一応砂糖の生産地であるカリブ海は維持しコスパの悪い北米を切り落としたとも言えなくもない。しかしポーランドへの干渉能力を完全に失いロシアの進出を許す。また前戦に続く過度な財政負担により国内の爆弾は膨張する一方であった。そして『ベルサイユのばら』とナポレオンの時代に…。
ロシア…イギリスとは別の意味で最も得した国。本戦争で領土を獲得したわけではないが、列強悉くが再起不能の中、戦時中の補給難が功を奏し主力軍が健在。ポーランド内政干渉・南下政策と拡張政策を立て続けに成功し東欧の覇者に成長した。
因みにその覇道を行ったのはピョートルの嫁だったエカチュリーナⅡ世。ロシアでクーデターは珍しくないのである。
スペイン…開戦時期が悪く、仏海軍が壊滅した後に英海軍とぶつかり海軍壊滅。秘密条約でフランスから貰ったルイジアナだけが成果。ウルグアイはポルトガルに返した。本戦争最後にして最大の無意味。
スウェーデン…窮地に陥っていたハズのプロイセンに片手間で蹴散らされる。結果、主戦派の貴族達と王が王妃に泣きついて講和。
王の権威の低下が加速し、スウェーデンはナポレオン戦争後期まで、gdgdな状態が続く。しかも安定させたのはフランス人。
なお、旦那のヘタレっぷりに愛想を尽かした王妃は息子に期待をかけ教育ママになり、息子グスタフは期待通り成長するも貴族に暗殺されてしまう。
ポルトガル&ザクセン…便乗するもまともに働かなかった人たち。
ザクセンは戦争を通してプロイセンに首都以外を取られていた。原状回復でよかったね。
余談
- マリア・テレジアは宿敵フランスと手を結んでもシュレージェン奪還を目指したが、当のシュレージェンの民衆は反墺親普であった。
これは元々民衆はプロテスタントが多く、カトリックを押し付けるハプスブルク家を嫌っていた。当時、プロイセン王家はプロテスタントだったため、オーストリア継承戦争のとき、シュレージェンに侵攻したフリードリヒⅡ世は首府ヴロツワフで現地の人々から解放者として歓待を受けている。
その上、ハプスブルク領の中心へ向かうには山越えを必要とするのに対し、オーデル川の水運を利用して簡単にフランクフルトやシュテッティンといったプロイセン領の都市へ移動できるため、プロイセン領となった方が経済的にも有益だった。統治機構も貴族の利権で雁字搦めだったオーストリアとは違い、プロイセンは当時最先端の官僚機構によって効率的な統治をしていた。
- 軍才ではハンニバルやチンギス・ハンなどに比類し、こと持久戦争では頂点とも言われるフリードリヒⅡ世だが、本性は芸術を愛する宮廷人。
世界史系ジョークでは
ある大学の講義にフリードリヒ大王が招かれ、ヨーロッパ中の軍人が彼の斜線陣を話を聞こうと集まった。
「それで、私は何をすればいいんだ?」「もちろん、あなたの最も得意なことについてお聞かせください。」
大王はおもむろにフルートを取り出し独奏会を始めた。
なんてものもある。
- ピョートル3世もエカチュリーナⅡ世もドイツ出身。
ピョートルは母親がロシア皇帝の娘だが、エカチュリーナはロシアの血を引いていない。しかもエカチュリーナの父親はプロイセン軍人。
エカチェリーナがロシア正教に宗旨替えしてロシア語も学んでロシアに馴染んだのに対して、ピョートルは実質的にドイツ人であり続けた。
結局、ロシアの血を引くドイツ人と、ロシア人になった元ドイツ人では後者の方が支持された。
- 七年戦争後のフリードリヒ大王によるロシアへの評価は、消耗戦を苦にしないことから「ロシア兵を倒すのは簡単だが、ロシア軍を倒すのは難しい。」。
フリードリヒ大王を尊敬していて墓参もしたフランス人民皇帝やブランデンブルクの奇跡を信じていたドイツ国総統がロシアとの消耗戦に敗れている。おい、学べよ
- オーストリア最高の将と名高いプリンツ・オイゲンだが、生前彼はマリア・テレジアの婚約相手にフリードリヒ大王を押していた。国事詔書の事と言いその先見が活かされていたらハプスブルクはどうなっていたのだろうか。
実際は、ホーエンツォレルン家はカルヴァン派、ハプスブルク家はごりごりのカトリックなので二人の結婚はあり得ないけどね。
追記・修正はペチコートを着ながらお願いします。
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▷ コメント欄
- 平沼騏一郎「なんだこの複雑怪奇な情勢は…たまげたなあ…」 -- 名無しさん (2017-06-07 11:08:21)
- 神聖ローマ→オーストリアの字が薄いのわざとか -- 名無しさん (2017-06-07 11:51:12)
- 小粋なギャグまみれの記事だけどだいたい史実どおりなのがなんともはや -- 名無しさん (2017-06-07 14:10:31)
- 英雄の条件は強運であることって言うけどフリードリヒⅡ世見てると確かにそうだと思える。普通ならプロイセンは絶対滅んでるハズなんだが -- 名無しさん (2017-06-07 16:36:45)
- ここまで追い詰められたフリードリヒ大王がなんとかなっちゃった為に、米軍とソ連軍にサンドイッチにされながらも「急反発するんだからぁ……V字回復するんだからぁ……」とアドルフおじさんは夢を見続ける事に。 -- 名無しさん (2017-06-07 22:51:27)
- この頃、日本は田沼さんが重商主義をブチ込もうとしていたんだよなあ。 -- 名無しさん (2017-06-08 03:54:04)
- 帰属意識のない外国人が国のトップに立ったらいかに危険か分かる話だ -- 名無しさん (2017-06-12 08:44:37)
- こういう歴史見るとEUって奇跡の賜物だなぁと(なお) -- 名無しさん (2017-12-16 10:00:37)
- ヨーロッパが覇権を争ってた時代だからな。第一次、第二次世界大戦以降で軒並み消耗して、植民地独立してと立て続けに自業自得イベント起こってちょっと日和ったんだろうな(なお) -- 名無しさん (2017-12-16 12:46:11)
- 1755年に結ばれたというサンクトペテルブルク条約ってのが調べても見つからないんだが -- 名無しさん (2018-06-12 15:42:17)
- 七年戦争はピョートル3世の登場で毎回草生える。 -- 名無しさん (2021-07-28 01:17:27)
- ちなみにこの戦争で活躍したプロイセンの将軍にブラウンシュバイク公爵という貴族がいたらしい -- 名無しさん (2022-03-02 12:07:45)
#comment
*2 大体チェコの西側あたり。ボヘミアとも
*3 大体チェコの東半分から北東部を除いたあたり。モラヴィアとも
*4 大体ポーランド南西部とチェコの北東部あたり。シレジアとも
*5 但し、選帝侯のうちバイエルンはハプスブルク家に就いたがサボり・ザクセンは瞬殺された、残る諸侯のうち中堅プロテスタント諸侯やヘッセンがプロイセン側についたため実態は一部の諸侯がハプスブルグ家の旗下に入っただけ
*6 一応、ハノーファーの票がなくても反ハプスブルク派が過半数を握っていた
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