長宗我部元親(戦国武将)

ページ名:長宗我部元親_戦国武将_

登録日:2012/05/18(金) 11:21:27
更新日:2023/10/30 Mon 13:50:31NEW!
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戦国武将 武将項目 長宗我部元親 長曾我部元親 四国地方 高知県 土佐 姫若子 不遇 長宗我部モトチカ 弥三郎 ニックネームが多い 鳥なき島の蝙蝠 一領具足 軟弱者




※こちらでは史実の長宗(曾)我部元親について記載しております。各作品での長宗我部元親は各項目を参考にして下さい。



長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)
※宗は曾を用いられるケースがある



土佐の国(現高知県)出身の戦国時代武将・大名である。
生没年月日は1539年~1599年。


幼少期の名前は弥三郎だが、若い頃は色白で引きこもりで軟弱者だっため周りから「姫若子」と嘲られていた。
ちなみに父親の国親は女装して敵城に忍び込んだという逸話があり、当時としては女性的な顔つきの家系だった可能性もある。
そして初陣も遅く22歳までニートであった。平均寿命50歳の時代にである。
今の平均年齢に直して計算してはいけない。
初陣が35歳とかとんでもない事になるから。


ある意味共感はしやすい人かもしれない。


しかし、いざ戦となると獅子奮迅の活躍をして異名も「鬼若子」となり、たった数年で土佐を統一した程の実力を持っていた。


元親は戦の際には農民上がりの武将等、立場が低い人の意見をよく聞き入れた。これは一領具足を実行して農民武士を戦力にしていた為でもある。
戦(武力)だけでなく、知略にも優れ、また吉良親貞、香宗我部親泰という優秀な弟の補佐も受け、
父祖代々のライバルである本山茂辰、土佐の有力豪族安芸国虎、主筋にあたる土佐国司・一条兼定、阿波・讃岐の三好一族やその傘下豪族等を打ち破り着実に勢力を拡大していった。


しかし、その元親にも危機が訪れる。
元親の事を「鳥なき島の蝙蝠」と揶揄し、天下統一の仕上げ段階に入っていた織田信長が四国平定に乗り出したのである。


しかし織田軍が攻め寄せる矢先に本能寺の変が起き難を免れる。


外交にも優れており、明智光秀や毛利家などの有名武将とも何かしらの繋がりがあった。


信長亡き後も勢力拡大を続け、最後の強豪であった讃岐の十河存保を撃ち破って四国統一に王手をかけた矢先、豊臣秀吉に狙われ、四国が攻められてしまった。
迎撃態勢を敷くも、それを上回る敵の戦術と圧倒的物量差に追い詰められて降伏し、十年間かけて集めた領地を秀吉に献上する事によって最悪の事態だけは免れた。
そして、秀吉に気にいられる為に



鯨をプレゼントしました



そして九州での島津VS大友の戦に豊臣軍として参加するが、
戸次川の合戦で無謀な戦を強いられた上に惨敗し、最愛の長男・信親をはじめ多くの家臣を失うという悲劇に見舞われ、
それを境に元親は覇気を失い、猜疑心の強い残忍な暴君と化してしまう。


信親の死後、四男の盛親を自身の後継ぎとする事に躍起になり、それに反対する家臣には一切容赦せず、
亡き親貞の子である甥・親実や従兄弟の比江山親興等、例え自身の一族であっても誅殺する等し、もう一人の弟である親泰が亡くなってからは完全に歯止めが利かなくなった。


そして1599年5月、その年の3月から体調を崩した元親は上洛して病気療養をしていたが、
快方に向かうどころかさらに重病化した事で自らの死期を悟り、盛親に遺言を残して死去した。


ちなみに何故四男の盛親を後継ぎに選んだかは未だに不明である。
一説では深く愛していた正室である水心(明智秀満の妹)に良く似ていたからという、
愛妻家と言うべきか、私情に駆られた君主失格と言うべきか分からないエピソードもある。


しかし長宗我部家が滅亡した後でも、元部下は饅頭や着物など様々な物を墓に献上する等、やっぱり兄貴は慕われていました。
ちなみに元部下のほとんどは長宗我部家滅亡後は武士以外の職業につき、細々と生活していた。




《長宗我部元親の息子》
元親は四国統一を達成すべく、優秀な後継ぎの育成には些かやりすぎなほどに力を入れていた。


  • 長宗我部信親

元親の長男であり、最初の後継ぎ候補。
父に才能を見出だされ、英才教育を施されるなど、かなり溺愛されていた。
ところが島津VS大友との戦(戸次川の闘い)に参加した際に大量の島津軍に囲まれ、22歳という若さで討ち死にした。


ちなみに親父と違い、キリスト教には入ろうとしたが入信する前に死亡している。


彼の死は、元親はもちろんのこと、長宗我部家にも大きな痛手となった。
特に元親は、愛する長男の死を知って大いに取り乱し、その場で自害しようとすらしたという。


大分(大友)を救うために豊臣軍として参加しており、大分県でも彼のことは大切に祭られている。
また、部下も彼のことを慕っており、最後は信親のために突攻した部下も多かった。



  • 長宗我部盛親

次の後継ぎ候補。四男であり、元親に後継ぎとして指名された時にはまだ14歳だった。
その元親が死去した後、25歳の時に家督を相続する。


西軍として参加した関ヶ原の戦いでは、家康の本陣の背後という絶好の位置に布陣するが、
前方の吉川広家隊がエアー弁当を頬張っていた*1ため、まったく動けず戦は終結。
もともと積極的に西軍につくつもりも無かったため、軽い処分で済む可能性もあった。
しかし、徳川四天王・井伊直政を通じて家康に取り成しを依頼していた兄・津野親忠を疑心暗鬼から殺すという大チョンボをやらかし、
家康の怒りを買って改易されてしまう。
土佐を追い出された後、京都でしばらく寺子屋の師匠などをして暮らした。苦労したのか、角のあった性格が丸くなったらしい。
なお秀頼方についた理由は「これまで長宗我部氏が所有していた土佐国を与える」と言われたから。
部下の心配をするなどのカリスマ性も身につけ、大阪の陣では健闘した。


最期は再起を図るべく逃亡したが、宇治川沿いの長屋に隠れているところを*2発見され、六条河原で斬首され三条河原で晒し首となった。
処刑される前には出家すると言って命乞いをしたが、長宗我部家再興に賭ける盛親の執念を見抜いていた家康には許されなかったという。
男子だけでも5人いたが、その全員が処刑されており嫡流は途絶えてしまう。しかし元親の末子にあたる弟の康豊だけが生き延びて酒井家に仕えた。
長宗我部家滅亡後も元部下に慕われていた。


なお、彼には長宗我部盛胤という孫が確認されている。
しかも赤ん坊等ではなく、この時既に武器を持って戦いに赴き、彼は祖父、父と共に捕まり伏見で共に斬首されたという。
だが盛親さんはまだ40歳であり、その割には名前的にも元服を迎えている孫がいるということは……。
当時の情勢から考えてありえない事ではないが、何かと豪快なエピソードと言えるだろう。



《長宗我部元親を扱った作品》
例外を除き、基本的にアニキ描写が強調されている作品が多い。
※一部ゲームやアニメでの若いデザインの元親は年齢的モデルとして信親である場合が多い。


★小説

  • 夏草の賦(司馬遼太郎著)
  • 長宗我部元親(徳永真一郎著)

※他にも「長宗我部元親」というタイトルは多数存在する

  • 南海の翼 ─長宗我部元親正伝(天野純希)

…など



★マンガ

  • 殿といっしょ(珍しく姫若子時代を拡大解釈し、所謂男の娘キャラとなっている)
  • 長宗我部元親(岡村賢二著)
  • オキザリスの旗 長宗我部元親伝

…etc.



★アニメ・ドラマ

  • 戦国乙女(長宗我部モトチカ)
  • 戦国BASARA
  • 黄金の日日(NHK大河ドラマ)

…etc.



★ゲーム

  • 戦国無双シリーズ
    • 長宗我部元親(戦国無双)を参照。長男死亡も何のその、時代に抗うロックバンドみたいなキャラとなっている。一見ネタキャラだが本能寺の変の黒幕になったりすることも…。
  • 戦国BASARAシリーズ
  • 信長の野望シリーズ(創造では本来女性でしか習得できない特性を例外的に習得できる。どのシリーズでも四国は近隣が弱く、彼が優秀なため統一は容易)
  • 戦極姫シリーズ(こちらはガチで男の娘)。
  • クイズ殿様の野望
  • 歴史大戦ゲッテンカ
  • 戦国大戦
    • 長宗我部家が独立武家として参戦。彼本人も若い「姫若子」と、荒々しい「鬼武者」の2つが登場。その後も晩年VerとリメイクVerの計4枚が追加された。
      更にストーリーモードの「長宗我部伝」では異様に猛プッシュされており、他の話では見られない演出が多かったり、
      事実上の最終章が大阪の陣「土佐の章」だったりする。
      また長宗我部のやらかし担当の「久武親直」も救われている。youtube等で見れるので一見の価値あり。

…etc.






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  • 史実でも創作でも不遇な気がする -- 名無しさん (2014-01-26 05:54:26)
  • どうでもいいがゲッテンカの元親はとあるキャラに似てるらしい。 -- 名無しさん (2014-02-20 22:26:44)
  • 絶えたとしても、兄弟、自分達の娘が血統を存続させているかもな。 -- 名無しさん (2014-03-26 23:37:25)
  • 何気に暗殺、騙し討ちが常套手段だったりする。 -- 名無しさん (2014-03-27 00:40:39)
  • ↑戦国時代ってそういうものでしょ。それに当時は四国なんて田舎だろうしやりたい放題できるでしょ。 -- 名無しさん (2014-03-27 00:49:43)
  • ↑いや別に悪いとは言ってないけど謀将としての側面が語られるのが少ないのはなんでかなーって思ってさ。弟の吉良親貞なんかも一条家の切り崩し工作が一番腕を発揮した所なんだけど武勇の面が語られる事が多いし。 -- 名無しさん (2014-03-27 00:59:12)
  • 近場である機内・中国地方が謀略まみれの反動かもしれん -- 名無しさん (2014-03-27 02:56:41)
  • マクロスFだったらメガネに「万年引きこもりの弥三郎姫」なんて呼ばれちゃうのか -- 名無しさん (2014-07-10 01:03:49)
  • もともと長曾我部は資料が少ないからねぇ・・・。その上、近場に謀神・謀聖・三大梟雄の一人がいたんじゃ知略面じゃ目立てんわな・・・。 -- 名無しさん (2014-07-10 02:16:41)
  • この人だっけ?嫁さんがブスだったの。 -- 名無しさん (2014-07-10 15:39:58)
  • 吉川元春がブスで有名だな。ただ元春の嫁の叔母が絶世の美女で有名だから説としては結構怪しい。 -- 名無しさん (2014-07-10 16:44:26)
  • ↑ああ、毛利のほうだったか。ご指摘ありがとう。 -- 名無しさん (2014-07-10 16:58:11)
  • 元春妻不細工説は唱えていたのは熊谷氏と中の悪い香川氏だから信用出来んよね -- 名無しさん (2014-10-09 03:22:19)
  • 長宗我部没落の原因でよく仙石が叩かれてるけど一番悪いのは秀吉じゃないのか -- 名無しさん (2014-10-15 16:48:02)
  • 鯨プレゼントの後の文、中富川じゃなくて戸次川じゃないのか -- 名無しさん (2016-02-05 13:29:15)
  • ↑2 問題人物を軍の監査役にしたのもアレだけど 秀吉「寄せ集めの連合軍だから俺が行くまで絶対戦闘すんなよ!いいな!絶対だぞ!」って言い含めてたのに戦闘した仙石はやっぱトップクラスに悪いよ -- 名無しさん (2016-08-25 11:52:28)
  • 中富川は四国で十河だったかをふるぼっこにした勝ち戦とかじゃないっけな。 -- 名無しさん (2016-09-24 02:14:50)
  • 「俺はまだ小さいけど、いつか四国を覆うふたになってやるぜ!」は史実だったのかな? -- 名無しさん (2016-09-24 07:41:17)
  • ↑3 状況的には秀吉としては一戦してて欲しかったようだから完全にそうとは言い難いけどな。あの戦闘が元で最終的に秀吉としてはかなり良い落としどころを得たし -- 名無しさん (2016-09-24 12:18:21)
  • 晩年の暴君化は嫌だけど、それ以外は、伊達政宗と並んで好きな大名の一人。 -- 名無しさん (2018-11-07 13:03:06)
  • 戸次川は仙石も守備的に動こうとしたフシがあるけど、結局は現地勢の突き上げで攻勢に出る羽目になったっていうのが実際っぽいんだよなあ。何が悪いといえるものではないけど、もっと強権的に動かなかった仙石も、何度も負けてるのに援軍が来ただけで強気になる現地勢も悪い気がする。秀吉が自筆の命令書でも出してりゃ変わったかもしれんけど -- 名無しさん (2020-12-23 15:13:46)
  • 晩年の暴君化は戦国から太平の世へと変わるのを見据えた準備だったのでは?盛親に家督を譲るのも他の兄弟がすでに他家を継いでいたのもあるし粛清できずに内乱がおきた島津の例もある。死んだタイミングが悪すぎる。 -- 名無しさん (2022-07-30 19:02:30)

#comment

*1 これは盛親のすぐ前にいた毛利秀元を戦に加担させないことで毛利氏を取り潰しから守ろうという広家の計画だった
*2 秀頼が発行した金貨を使って食べ物を調達したためにバレたらしい

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